008_異世界ビジネスの第一歩>>
「いい加減にしろよ! 細けぇことはいいから、さっさと報酬よこせ!」
怒声がギルドの空気を震わせた。
声の主は、がっしりとした体格の獣人の男。泥と血にまみれた革鎧が、直前までクエストに出ていたことを物語っている。普段なら豪快に笑うタイプだろうが、今は苛立ちを露わにしていた。
その前に立つのはギルドの受付嬢。栗色の髪をきちんとまとめ、整った顔立ちと落ち着いた雰囲気が印象的だ。荒くれ者が集まるこの空間でも、彼女の冷静さは際立っている。
「申し訳ありません。しかし、報酬をお支払いするには、記録が不十分なんです」
困惑を滲ませながらも、毅然とした口調を崩さない受付嬢。その態度が、かえって男の苛立ちに火をつけていた。
「そんなもん、いつも適当だろうが! 細けぇこと言ってんじゃねえ!」
「適当な記録では、報酬支払いに支障が出ます。審査基準にも抵触しますので」
受付嬢の説明に、男は苛立たしげに舌打ちを返し、腕を組んだ。
(なるほど、よくあるパターンだ)
俺は少し離れた場所から、そのやり取りを静かに見つめていた。
原因は単純だ。男は悪人ではないが、細かい作業が苦手で、クエスト帰りの疲労も重なっている。一方、受付嬢は真面目で規則に忠実。性格の違いがぶつかり合っただけの話だ。
どちらかを責めることに意味はない。必要なのは、双方が納得できる“落としどころ”を見つけること。
俺は二人へ近づき、柔らかな口調で男に声をかけた。
「探索帰りでお疲れのところ、面倒は嫌ですよね」
男が少し驚いたようにこちらを見る。
「そりゃそうだ! さっさと金もらって、酒でも飲みてぇんだ!」
「分かります。誰だって、余計な時間を取られたくはないですからね」
男の苛立ちに共感を示しつつ、言葉を続ける。
「でも、ここで揉めても、かえって時間がかかります。よろしければ、報告書……代わりに俺が書きましょうか?」
「は? お前が?」
男の目が丸くなる。荒々しかった声が、少しだけ落ち着いたのを感じながら、一歩踏み込んで提案する。
「必要な情報を整理できれば、審査もスムーズに終わるはずです。探索の状況、覚えてますよね?」
「ああ、まあな」
「じゃあ、それを話してもらえれば、俺が報告書にまとめます。手間は最小限で済みますよ」
男はしばし考え込み、やがてふっと肩をすくめた。
「……確かに、ここで言い合っても仕方ねえな。頼むぜ、兄ちゃん」
こうして報告書の作成を引き受けた俺は、受付嬢の方へ向き直った。
「受付業務、お疲れさまです。報告に不備があるとのことでしたが?」
まずは彼女の立場を尊重して問いかけると、彼女は安堵したように頷いた。
「はい。探索地点の地図情報と、討伐したモンスターの個体識別が抜けていて……このままだと、報酬を算定できないんです」
「なるほど。その部分を補えば問題なさそうですね。では、さっそく始めましょう」
俺は男から必要な情報を聞き出し、ギルドの審査基準に沿って、書類をまとめていく。
「ありがとうございます。正直、冒険者の皆さんって、報告を適当に済ませる方が多くて……でも情報が揃わないと、支払いも評価も正確にはできないんです」
受付嬢は胸をなで下ろしながら、ほっとした笑みを浮かべた。
「こんなに早く、しかも正確な報告書をいただけるなんて……本当に助かりました」
書類を受け取った彼女は、すぐさま審査に取りかかる。ほどなくして報酬額が確定すると、男の毛が少し逆立つほど、驚いているのが分かった。
「おい……こんなに貰えんのか!」
タブレットに表示された報酬を見て、男は目を見開き、唖然としたまま俺の方を振り向く。その様子を見て、俺は軽く肩を叩いた。
「それだけ価値のある仕事をしたってことですよ。みんなが称賛する成果です。俺はただ、それを整理しただけです」
男は満足げに頷き、タブレットを差し出しながら言った。
「ありがとよ。俺はニック。遺跡探索専門のソロだ。ま、受け取ってくれ。よろしくな!」
「こちらこそ。俺は平沢…いや、まる助って呼ばれてます。よろしく」
そう言って、タブレットを重ねると、ピコンという音が鳴る。初めてで戸惑いはしたが、報酬の受け取りは成功したらしい。
ニックがふいに表情を引き締め、受付嬢の方へ向き直った。
「……悪かったな、さっきは」
照れくさそうに頭をかくニック。その姿に、受付嬢は一瞬目を瞬かせ、やがて柔らかな笑みを返した。
「いえ、謝っていただけるとは思っていませんでした。私たちも、もっと手続きを分かりやすくできるように工夫していきますね」
バツが悪そうに鼻を鳴らすニックだったが、その顔にはどこか晴れやかな表情が浮かんでいた。二人の間にも、確かに信頼の芽が生まれたようだった。
「まあ、たまには真面目に書類を出すのも悪くねぇな。……とはいえ、今後もまる助が手伝ってくれると助かるんだが?」
「もちろん。よろしく、ニック」
そんなやり取りを見ていた周囲の冒険者たちが、徐々にこちらに注目し始める。
「おい、あいつ、報酬がすごい額になったらしいぞ」
「ちゃんとした報告書を出すだけで、そんなに変わるのか?」
ざわつく声の中、俺は自分のタブレットを確認してみた。画面に表示された数字を見た瞬間、思わず息をのむ。
所持金: ¥10,000
……やった。入金されてる。異世界に来て初めての報酬。ようやく無一文を脱出した。
心の中でガッツポーズを決めながら、ほっと胸を撫で下ろす。
そのとき、背後から声がかかった。
「なあ、お前……もし時間があるなら、俺の報告書も頼めねえか?」
振り向くと、そこには年配の冒険者が立っていた。歴戦の風格を漂わせながらも、書類仕事には不慣れな雰囲気がにじみ出ている。
その一言を皮切りに、次々と声が飛ぶ。
「俺も頼む! 報告書が面倒で、いつも評価が下がってんだ!」
「受付で毎回突き返されて、うんざりしてたんだよ!」
気づけば周囲には、報告書の代筆を頼みたい冒険者たちが列を作っていた。
一人ひとりの話を聞きながら、次々と報告書を仕上げていく。手際よく、正確に。すると、ギルドの職員たちまでざわめき始めた。
「なんて早さ……」
「ここまで完璧な報告書、見たことない……!」
――少し、やりすぎたか?
一度も書き間違えずに仕上げてしまえば、逆に不自然に思われかねない。そこで、あえて何度かペンを止め、軽く書き直す仕草を挟んでごまかすことにした。
そうこうするうちに、ほんの一日で俺の評判はギルド内に広まり、冒険者や職員から一目置かれる存在になっていた。
すべての作業を終えたころ、受付嬢が穏やかな笑みを浮かべて近づいてきた。
「まる助さん、今日は本当にありがとうございました。もしよかったら……お礼に夕食でもご一緒しませんか?」
思いがけない申し出に、思わずドキリとする。
「え、いいんですか?」
「はい。こんなに助けていただいたんですから。感謝の気持ちをお伝えできればと思って……」
そう言って彼女は、何かを思い出したように続けた。
「そういえば、まだ名乗ってませんでしたね。私はエリナ。ギルドの受付をしています。改めて、よろしくお願いします」
挨拶を交わした瞬間、胸の奥から静かな達成感がこみ上げてきた。異世界に来たばかりの俺が、無一文から抜け出し、そしてエリナとの距離も、少し縮まった。
想像以上に順調な展開。でも、まだ終わりじゃない。
俺の異世界初日は、これからさらに続いていく――