066_灯りと影>>
四日。国の制度を作るには、あまりにも短い。
商会長——まる助さんがクロノス司令官から与えられた日数は、たったの四日だった。
「エリナさん。公社の設立届、ギルドと商会と軍と神殿、四組織分の書式がそれぞれ違うんだけど、統一できる?」
「できます。昨夜のうちに四組織の届出書式を取り寄せました。共通項を抜き出して、一枚にまとめてあります」
まる助さんが一瞬、目を丸くした。
「……もう作ったの?」
「まる助さんが四日と言った時点で、必要な書類は予測できましたので」
まる助さんは静かに頷いた。
「助かる。本当に」
その声は、いつもの軽さがなかった。
ーーー
電気公社の設立手続きは、想像以上に泥臭い仕事だった。
四組織から各一名の運営委員を選出する。
言葉にすれば一行だが、実際には四つの組織それぞれの内部事情に踏み込むことになる。
商会は幹部のうち誰を出すかで揉め、軍はクロノス司令官の直属か技術部門かで意見が割れ、神殿は保守派と改革派の間で人選が止まり……ギルドだけがベルザさんの一言で即決した。
私の仕事は、この四方向の調整を書類と会議で繋ぐことだった。
朝から晩まで商会本部の会議室に詰め、届出書を整え、合意事項を議事録に落とし、翌日の会議に反映させる。まる助さんが描いた制度の骨格に、私が実務の肉をつけていく。
三日目の夕方、四組織すべてから委員の名前が届いた。
「揃いました」
まる助さんに報告すると、彼は書類を一枚ずつ確認し、最後の一枚を置いて言った。
「公社長は、元ギルドの事務長をベルザに推薦してもらった。どの組織にも属していない。実務に強い。利害の調整が仕事になるから、政治力より事務力が要る」
四組織のどこにも偏らない人選。
「明日、クロノスに持っていくのですが、エリナさん、一緒に来てくれる?」
「はい」
(……三日で、国を動かす制度を作った)
私はこの人の隣で何度も驚かされてきた。BPOや投資ファンドの立ち上げも、魔王戦の兵站設計も。
でも今回は、驚きの質が少し違った。
電気公社は、誰のものでもない。まる助さん自身が深く関与しないと決めた制度。自分の利益にならない仕組みを、自分で設計している。
(……この人は、どこまで先を見ているんだろう)
ーーー
公社の設立と並行して、一つの器が立ち上がっていた。
オルデスト技術学院。
場所はオルデス商会の旧倉庫。天井が高く、埃っぽいが広い。まる助さんが「知識は独占した瞬間に腐る」と言って、商会の倉庫を無償で開放させた。
入学希望者の受付は、私が担当者を選んだ。
初日から行列ができた。商会の若手職員、ギルドの冒険者崩れ、軍の技術兵、神殿の下級神官——驚くほど多様な顔ぶれだった。
「名前と所属、それから学びたいことを書いてください」
用紙を配りながら、一人ひとりの顔を見る。
期待。不安。好奇心。
六十を過ぎた鍛冶職人が、震える手で用紙に名前を書いていた。
開講式の日。
ウォーダさんが壇上に立った。いつもの研究着のまま。腕を組み、集まった五十人ほどの受講生を見渡した。
「一つだけ言っておく」
声は低く、よく通った。
「魔法はこの世界が与えた道具だ。使えるが、改良はできない。科学は、なぜ動くかを理解する力だ。発見し、応用し、改良できる」
一拍。
「そして——何を壊すかも、自分で選ぶことになる」
受講生たちが顔を見合わせる。真意を理解できた者は半分もいないだろう。でも、言葉の重さだけは全員に届いていた。
「わからなくていい。半年後にわかる。わからなかった奴は一年後にわかる。それでもわからなかった奴は——」
ウォーダさんの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「——たぶん、俺より賢いんだろうな」
笑いが起きた。
緊張がほどける音だった。
ーーー
公社の設立届を四組織に回付し始めた二日目。
窓口に、一人の男が立った。六十代半ば。日に焼けた顔。蝋で黄ばんだ前掛け。節くれ立った指の爪の間に、白い蝋がこびりついている。
「ろうそく職人組合の代表で来た。ヨルグという」
私は椅子から立ち上がった。
「ヨルグさん。どのようなご用件でしょうか」
「電灯ってのが広まるんだろう」
静かな声だった。
「……俺たちの仕事は、どうなる」
怒りではない。ただ——聞いておかなければならないことを、聞きに来た人の声だった。
私は答えられなかった。
「……少々お待ちください。担当に確認いたします」
ヨルグさんは頷き、窓口の椅子に腰を下ろした。背筋がまっすぐだった。待つことに慣れた人の姿勢だった。
私はまる助さんの執務室に走った。
「ろうそく職人組合の代表の方が来ています。電灯が広まったら自分たちの仕事はどうなるか、と」
まる助さんの手が止まった。
ほんの一瞬——本当に一瞬だけ、その目に何かが過ぎった。すぐに消えた。
「……移行期の問題だよ」
一拍。
「電灯が広まれば、新しい需要が生まれる。配線、保守、設備——仕事は必ず増える」
正しい。論理も通っている。でも、その後に続いた一言が、わずかに空気を変えた。
「——だが、同じ仕事じゃない」
私は黙った。まる助さんも、それ以上は言わなかった。言葉の先を、あえて置いたままにした。
(あの手は、電線を引く手じゃない)
頭に浮かんだのは、さっき見た手だった。
(蝋燭を作る手だ)
「……わかりました。そのようにお伝えします」
まる助さんは何か言いかけて、やめた。視線が一瞬、窓の外——目抜き通りの方に向いた。
ーーー
ヨルグさんに、まる助さんの言葉を伝えた。
「新しい仕事が生まれるから、心配はいらない——と」
ヨルグさんは黙って聞いていた。それから、ゆっくりと立ち上がった。
「……そうか」
それだけ言って、背を向けた。扉に向かう足取りは静かだった。
「ヨルグさん」
私は呼び止めていた。自分でも驚くほど早口だった。
「……何かあれば、いつでもこの窓口に来てください。お話を伺います」
ヨルグさんは振り返らなかった。ただ、片手を軽く上げた。それが返事だった。
扉が閉まる。
私はしばらく、その場に立ったままだった。
(……新しい仕事が生まれる)
正しい。たぶん、正しい。でも……
あの人の五十年は、新しい仕事では埋まらない気がした。
ーーー
器はできた。公社も、学院も。中身を注ぎ込む準備は整った。
でも——器は、すべてを受け止めるわけではない。
窓の外では、目抜き通りの電灯が夕暮れの中に灯り始めていた。
明るい。間違いなく、前よりも。
制度は整った。仕組みは回り始める。
ならば、その外にいる人は——誰が拾うのか。
私は、窓から目を離した。




