062_矛盾と代償>>
商会の執務室。窓から差す夕日が書類の山をオレンジに染めている。
収支報告の公開は済んだ。世論は概ね好転。ただ、クロノスには釘を刺された——「数字に出ない被害がある。家や家族を失った人間の怒りは、収支報告書では消えない」。正論だ。返す言葉もない。
ニックの帰還報告を読んで少し笑い、決算書に目を戻したところで、ノックが聞こえた。
「どうぞ」
セシリアだった。
いつもの穏やかな表情。だが、目の奥に何か——決意のようなものがある。
「まる助さん。少しよろしいですか」
「はい。座ってください。お茶でも——」
「あの仮面の戦士、楽しかったですか?」
俺の手が、茶器の上で止まった。
……は?
「……何の話ですか?」
「救護テントから見ていました。仮面をつけた二人の戦士が前線に現れて、人間離れした動きで魔王軍を押し返した。一人の体格と動きが、どうしてもまる助さんに見えてしまって」
沈黙。
茶器を置く。音が妙に大きく響いた。
(バレてた。完全にバレてた)
言い訳はいくつか浮かんだ。人違いだ。似た体格の傭兵がいた。仮面をつけていたなら顔は見えないだろう。——全部、この聖女の前では紙くずだ。
「……楽しかったか、と聞きましたね」
「はい」
「楽しくはありません。必死でした」
セシリアは小さく頷いた。予想通りの答えだった、という顔。そして本題に入る目の色になった。
「私に奇跡を控えろと言った人が、自分は——反則を使った」
声は静かだった。責めているのではない。事実を置いている。
「はい」
否定しない。言い訳もしない。事実は事実だ。
「なぜですか」
俺は椅子の背にもたれた。天井を見る。言葉を選ぶ——いや、選ぶな。正直に話せ。
「貴方の奇跡を制限したのは、医学のためです。奇跡に頼り続ける構造が変わらなければ、この世界はいつまでも同じところに留まります。聖女がいなければ機能しない社会には、未来がありません」
「それはわかっています」
「俺とウォーダがやったのは——一回限りの戦術的介入です。人々の意識は変わらない。次も使えるわけじゃない。次があったら、また別の手を考えなきゃならない」
セシリアは黙っている。聞いている。
「繰り返し使えるものを制限した。一度きりのものを使った。詭弁かもしれませんが——同じではありません」
言い切って、自分で苦笑した。
理屈だ。一応筋も通る。でも、それで失われた命が帰ってくるわけじゃない。もっと早く介入していれば、という「仮定」は俺の中にもある。
「……もっと早く動いていれば、犠牲は減りました。それは認めます」
セシリアの目が少し揺れた。
「私も同じです。奇跡を使うべきだったのでは、と何度も考えました」
「使うなと言ったのは俺です」
「使わないと決めたのは私です」
静かな声だった。けれど、そこに込められた重さは——俺の理屈なんかより、よほど重い。
しばらく、二人とも黙っていた。夕日が沈みかけて、部屋の色が変わっていく。
「正直に言います。貴方の問いに完璧な答えは持っていません」
「知っています」
「……知ってるのですか」
「完璧な答えがあるなら、あんな必死な戦い方はしません」
不覚にも笑ってしまった。見抜かれている。全部。
セシリアも、少しだけ口元を緩めた。
「納得はしていません」
「でしょうね」
「でも——あなたたちも苦しんで選んだのは、わかります」
二人とも、しばらく何も言わなかった。俺は上から指示を出す側で、セシリアは奇跡を封じられた側で——その構図がずっとあった。でも今、この部屋にいるのは、それぞれの矛盾を抱えた二人だった。
「お茶、飲みます?」
「いただきます」
今度は止められずに茶を淹れた。湯気が二つ、並んで立ち昇る。
「神官長から小規模試行の許可をもらいました」
「聞きました。やるじゃないですか」
「半年で結果を出します。出さなければ打ち切りですから」
「手伝います。私の商会を存分に使ってください」
セシリアが茶碗を両手で包んだまま、少し驚いた顔をした。
「……お礼を言うべきですか?」
「いいえ。投資です。医療教育が根づけば、防衛コストも下がります」
「そういうところが、まる助さんですね」
「褒めてくれるのですか」
「半分くらいは」
軽口の応酬。でも、さっきまでの重さが消えたわけじゃない。ただ、重さを抱えたまま前に進めるようになった——そういう空気だった。
セシリアが帰った後、俺は窓辺に立った。
街の明かりが一つ、また一つと灯っていく。ガルネス、ヴォルテン、ケッサ。あの三つの街にも、いつかまた明かりを灯さなければならない。
クロノスの言葉が頭に残っている。収支では消えない怒り。
(それでも、背負うと決めたんだ)
机に戻る。再建計画の草案を開いた。
戦いは終わったが、代償の清算には終わりがなかった。




