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061_戦後>>

朝は、不思議なほど静かだった。


私は高台から、魔王軍の残党が退いていくのを見ていた。黒い点が少しずつ小さくなり、やがて谷の向こうに溶けて消えた。隣の兵士が、ようやく息を吐いた。


「……終わったのか」


誰に向けたわけでもない呟きだった。私も同じ気持ちだった。


終わった。守りきった。


そう言いたいのに、城壁の下には白い布が並んでいる。


布の下にいるのは、昨日まで共に戦っていた兵士たちだ。私が手当した人。私に笑いかけてくれた人。その人たちが、もういない。


(守りきった、とは言えない)


それでも、グレイスは崩れなかった。今の私を支えていたのは、その事実だけだった。


ーーー


その日の昼、捕虜になっていた探索者の一団が帰還した。


砦の前が急に騒がしくなる。兵士たちの声。笑い声。誰かが大声で叫んでいる。


「おーい! 腹減った!」


私は高台の上からその声を聞いた。


下を見ると、門の前で獣人の男が大きく手を振っている。服はぼろぼろで、毛並みも泥だらけだったが、妙に元気だった。


「……あれが?」


隣の兵士が笑った。


「ええ。冒険者のニックです。捕虜になってたらしいんですが、なぜか元気に帰ってきました」


下では兵士たちが口々に話している。


「こいつ、捕虜の間ずっと看守と腕相撲して飯を勝ち取ってたらしいぞ」

「三日目からは看守が避けてたって話だ」


笑い声が上がる。獣人は照れくさそうに頭を掻いた。


「いや、だって腹減るだろ?」


探索者たちが生きて帰ってきた。それだけで、胸の奥の何かが少しだけ軽くなる。


(……よかった)


ただ、それだけを思った。


ーーー


数日後、首都オルデスト。


探索者ギルドの受付で、エリナは書類を整理していた。


扉が開く音がした。


「おーい」


聞き慣れた声だった。


エリナの手が止まる。


ゆっくり顔を上げると、入口に獣人の男が立っていた。ぼろぼろの服。泥だらけの毛並み。でも、いつもの笑い方。


「……ニック、さん?」


「おう。ただいま」


その瞬間、エリナの手から書類が落ちた。紙が床に散る。


エリナは両手で口を押さえた。涙も拭かずに言った。


「帰還届、書いてください。二枚……おかえりなさい」


ニックが困った顔をする。


「二枚? めんどくせえ……」


「書きなさい」


エリナの声は震えていた。でも、ちゃんと笑っていた。


ーーー


三つの街を失った直後、世論は激しく荒れた。

なぜ守れなかったのか。なぜ見捨てたのか。そうした声は、聖女である私にも容赦なく向けられた。


その空気が変わったのは、オダリオン市場維持軍が作戦概要と収支報告を公開してからだった。


広場に貼り出された文書には、三つの街の放棄が場当たり的な失策ではなく、最初から計算に基づいて立てられた策だと明記されていた。


ガルネス、ヴォルテン、ケッサ。

この三つの街は、国全体の防衛体制を維持するために、一時放棄を前提として選ばれていた。

住民避難と物資撤収は事前に進められ、人的被害と再建コストを比較した上で、損失が最も少なくなる形が選ばれていたのだ。


広場では、貼り紙を前に人々が足を止めていた。


「避難完了率、三街の合計で九十八・七パーセント……」

「物資の事前撤収が九割以上? 最初から退く前提だったのか」

「民間人の死者、ゼロ……三つの街で?」

「この策を採らなかった場合の想定死者は三千二百超。でも実際の犠牲は――」


感情では飲み込めない話だと思う。

街を囮として切り捨てた判断に、割り切れない思いが残るのは当然だ。


けれど、数字が示されたことで、少なくとも一つのことは明確になった。

あの放棄は無策ではなかった。より大きな崩壊を防ぐための、冷徹な選択だった。


事実が共有されるにつれ、世論は次第に静まっていった。


ーーー


首都に戻った私は、別の戦いの場にいた。


神殿。

相手は神官長だった。


「――以上の理由から、神殿は医療教育の枠組みを整えるべきだと考えます」


私がそう言うと、神官長は白髪を揺らしながら、長い沈黙の後に口を開いた。


「セシリア。神殿の癒しは、信仰の賜物です。それを教育として広めろと?」


「はい。癒しの魔法を広めるのではありません」


神官長の目が細くなる。私は言葉を継いだ。


「教えたいのは、止血、消毒、安静、薬草の使い方といった基礎医療です。治癒魔法を使えない者でも、傷の悪化を防ぎ、命をつなぐことはできます」


「それは神殿の役目を弱めることになりかねません」


「逆です。神殿にしかできない治癒があるからこそ、その前段階を支える人手が必要です」


穏やかに言ったつもりだった。だが、自分でも声の奥に熱があるのがわかった。


「前線では命が失われました。基礎的な処置と衛生管理を学んだ衛生兵がもっといれば、救えた命は確実に増えたはずです」


神官長の指が、杖の頭を二度、三度と叩いた。考えている時の癖だ。


やがて、低い声が返ってきた。


「……小規模な試行を認めましょう。一地区、半年。」


「十分です」


私は深く頭を下げた。完全ではないが、扉は開いた。


神殿を出たあと、私はタブレットに目を落とした。

帰恩きおんはレッドからイエローになっていた。


正しい選択だったのか、まだわからない。それでも、『神が望む方向』に進み始めたことだけは確かだった。

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