053_魔王発動
オルデス商会の会長執務室。窓から差し込む夕光が、磨き上げられた床に長く鋭い影を落としている。俺は椅子に腰を下ろすなり、机の向こうのウォーダに切り出した。
「ギルドの現場を見てきた。実地検分だ」
ウォーダは研究資料から顔を上げ、瞳をこちらに向ける。
「どうだった? お前の『三本柱』の進捗は」
「完璧だ。BPOが定着して窓口のボトルネックは解消され、保険もファンドも帳簿上は右肩上がり」
「それで、その『完璧』の問題点は?」
相変わらず察しがいい。俺が緊急の相談をもちかけた時点で、違和感に気づいたことを見抜いている。
「行方不明パーティーの捜索依頼が、無視できない比率で混ざり始めている」
俺は脳内で整理した解析結果を補足する。
「依頼のランクも、モンスターの分布も変わっていない。条件は同じはずなのに、帰還率だけが高い値を示している。……偶然の範囲を超えているな」
ウォーダは一瞬だけ視線を落とし、それから短く、だが重く頷いた。
「そうか。始まったか。これは初期段階だな」
「何の初期段階だ?」
「魔王イベント。間違いなく、システムがトリガーを引いた」
迷いのない断定。俺は腕を組み、かつてウォーダから聞いた「世界の仕様」を反芻した。
「やはりか。魔王軍の侵攻、ってやつか」
「ああ。ただし、いきなり街を焼き払うような非効率な真似はしない」
ウォーダは椅子の背にもたれ、指を組んだ。
「魔王はこの世界の『破壊装置』として最適化されている。まずは斥候を出し、冒険者をサンプルとして捕らえる。この街の地形、防衛制度、そして『人の動き』――社会の内情をスキャンしているのさ」
「……だから連れ去るのか。情報源として、あるいは交渉のカードとして」
「そうだ。極めて合理的な軍事行動だ。街が平和を享受している間に、敵側はすでに盤面を支配し始めている」
嫌な話だが、ウォーダの語るロジックは冷徹なまでに筋が通っていた。
「つまり、俺たちが効率化を進めた結果、皮肉にも次の『試練』の発動条件を満たしたわけか」
ウォーダが、薄く笑う。
「その通り。ヌルゲー防止。アンチ・イージーモードさ」
「……やっぱり、そうなるか」
「世界が停滞を検知して揺り戻しをかけに来ている。魔王という名の『難易度調整装置』を使ってな」
俺は窓の外、穏やかに暮れていく街並みを見下ろした。
「制度を整え、誰もが『誰かが何とかしてくれる』と安心しきった瞬間、人は思考を止める。その“ぬるい安定”を、このシミュレーションは嫌うんだ」
ウォーダが静かに言葉を継ぐ。
「他人に丸投げせず、自分たちで工夫し続ける。それさえ守れば、魔王イベントの閾値は超えなかったはずなんだが……今回は俺たちが、世界を快適にしすぎたようだな」
仕組みを整えたことに安心した隙に、システムが『停滞』と判定し、強制的な刺激を投入した。後手に回った感は否めない。
「……それでも、やるしかないな」
俺が言うと、ウォーダは口元を少し緩めた。その目は、絶望ではなく、攻略法を練るゲーマーのそれに変わっている。
「軍との連携も必要だよな」
そう言うと、ウォーダは短く頷いた。
「そうだな。オダリオン市場維持軍には、賢者クロノスもいる」
「賢者?」
「最高司令官だが……お前とは相性がよさそうだ」
その言い方が妙に含みを持っていて、俺は眉をひそめた。
「どういう意味だ?」
「さあな。会えば分かる」
それ以上は語らない、というより、語る段階ではないのだろう。
「いずれにせよ、始まった魔王イベントは止められない。なら、潰すんじゃなく『沈静化』だ。システムに『停滞は解消された』と誤認させる」
「被害を最小限に抑えつつ、社会に『発展のための緊張感』という学習効果を残すわけか」
「そうだ。二度と同じ停滞を招かないためにな」
俺は頭の中で、商会とギルドの優先順位を書き換えた。
「最優先事項を切り替える。情報遮断と救出作戦の立案。それからダメージコントロール。無茶なクエストが被害を広げないよう、ギルドの評価基準を一時的に変更する」
「いい判断だ、まる助」
ウォーダは短く頷いた。
世界というシステムは、もう動き出している。ならば、俺たちも「運用」で対抗するまで。
俺は立ち上がり、もう一度、あの掲示板の違和感を思い浮かべた。そこには世界の「綻び」と共に、「進歩のチャンス」が示されているような気がした。




