052_不吉な前兆>>
この世界の宿命――最終的に訪れる「電源オフ」についてウォーダとの話し合い以降、まる助はオルデス商会で科学振興の舵取りに追われていた。
久しぶりに冒険者ギルドを訪れたのは、現地の状況を報告書という「二次データ」で把握するだけになっていたからだ。
仕組みが整うほど、現場の生きたノイズは削ぎ落とされる。報告書が完璧であればあるほど、その裏側に深刻な齟齬が潜む危険性を、彼は平沢だった頃の経験から熟知していた。
ギルドの重厚な扉を開けた瞬間、まる助の視界には「最適化された日常」が広がった。
かつて受付前を埋め尽くし、殺伐とした空気を生んでいた冒険者の長い列はない。BPO(業務外部委託)によって配置された事務専任スタッフが淀みなく窓口を回し、職員も冒険者も、かつての苛立ちを忘れたかのように穏やかな表情を浮かべている。
掲示板の依頼票は項目ごとに整然と整理され、動線も滑らか。損害保険の加入率は右肩上がりで、投資ファンドへの出資者も増え続けている。帳簿上の数字だけを見るならば、非の打ち所がない。
(順調だな)
まる助の脳内で、AI特有の解析アルゴリズムが高速で回る。
ちなみに、聖女セシリアのステータスも良好だという。「つながり」を意識することで感恩はレッドからイエロー、そしてグリーンへと推移し、今や彼女の微笑みは街の不安を払拭する象徴となっていた。
かつて漂っていた「ブラック企業」然とした停滞感は消え、世界はスムーズに回り始めている。
だが、執務エリアを一巡した後、壁際の掲示板の前でまる助の足が止まった。
――行方不明の冒険者パーティー、捜索依頼。
ひとつやふたつなら誤差だろう。だが、まる助が認識を加速させ、掲示板全体をスキャンするように見渡すと、違和感は明確な「有意差」となって浮かび上がった。
急増ではない。だが、確実にその比率が高まっている。依頼の難易度に変化はなく、魔物の分布に異常もない。それなのに、帰還しないパーティーの数だけが増加していた。
(表明的には現れにくい『隙間』で、何かが起きている……)
まる助は、そのまま事務責任者であるモランの席へ向かった。
「最近、保険の支払額の推移はどうなっていますか?」
唐突な問いに、モランは一瞬だけ眉を動かした。
「想定の範囲内だよ、まる助会長。行方不明案件が増えてはいるが、加入者数に対する比率で見れば、許容リスク内に収まっている」
見せられた帳簿の数字は、確かに正しい。続いてエリナにもファンドの状況を確認すると、返ってきたのは言葉にしづらい、わずかな違和感だった。
「ファンドの損失原因の多くが、行方不明になったパーティーへの投資によるものです……特定の要因に偏っている気もしますが、偶然かもしれません」
言い終えたエリナは、ほんの一瞬だけ言葉を探すように視線を伏せた。
「……それと」
声を落とし、周囲を気にするようにしてから、彼女は続けた。
「最近、帰ってきていない冒険者の中に……ニックさんも、含まれていて」
まる助は、わずかに息を詰めた。
遺跡探索専門の獣人。報告書の書き方を覚え、冗談を言いながらも、現場の危険には誰より敏感だった男。無謀なタイプではない。
「まだ、捜索依頼として扱う段階ではないんです。以前も、何日か遅れてひょっこり戻ってきたことがありましたし……それでも……」
エリナは、言葉を切った。
「普段なら、何かしら連絡を入れてくる人なので……少し、気になって」
それ以上は言わなかった。言えなかったのだろう。
まる助は、微かな寒気を感じた。
保険がある。ファンドがある。BPOによって効率が高まり、聖女によって人々の心は平穏に満たされている。この世界は、かつてないほど「安定」している。
そしてその安定の裏側で、冒険者たちが、まるで世界から消えるように姿を消し始めている。
(……間違いない。これは仕様の揺り戻しだ)
まる助の脳裏に、ウォーダが語っていた言葉が蘇る。
世界が安定し、ヌルゲー化し、停滞や思考停止が一定の水準を超えたとき――難易度を強制的に引き上げ、世界を再び「動かす」ために立ち上がる装置。
魔王。
まだその姿は見えない。だが、噛み合い始めた文明の歯車が、目に見えない異物を噛み込み、軋み始めている。
「……ウォーダの分析と照合しよう」
まる助は踵を返し、オルデス商会へと急いだ。
穏やかに、美しく調和しつつある世界の内側で、何かが音もなく崩壊し始めている。その嫌な感触が彼の心に不安を刻んでいた。




