047_感恩レッドの処方箋>>
セシリアの声には、焦りがにじんでいた。
理由のわからぬ不安に急き立てられ、言葉だけが先に出てしまう――そんな戸惑いを帯びた焦りだった。
俺はわずかに目を細め、静かにうなずいた。
「確かにその通りです。感謝しようと思っても、すぐに心から感謝できるわけじゃありません」
その言葉に、セシリアは小さく息をついた。ずっと胸の奥に抱えてきたもどかしさが、少しずつ言葉になり始めていた。
「だったら私は……どうすることもできないんですか?」
その問いに、俺は静かに微笑み、首を振る。
「いいえ。ひとつ、試してほしい方法があります」
セシリアが顔を上げる。その瞳に、かすかな光が差し込んだ気がした。
「“感謝しなきゃ”と無理に思う必要はありません。まずは、“つながり”を意識してみてください」
「つながり、ですか?」
セシリアは眉を寄せながら、その言葉を繰り返す。
「はい。たとえば、このお茶」
俺はそっと、冷めかけたお茶のカップに目を落とし、指先でその縁をなぞった。
「誰が茶葉を育てて、摘んで、運んで、いれてくれたのか。自然の恵みと、たくさんの人の手を経て、ようやくこの一杯がここにある――その“つながり”を丁寧に考えてみると、ふと感謝が芽生えることがあります」
セシリアは黙ってうなずいた。さっきまでの曇った表情に、わずかに明るさが戻っていた。
「まる助さんは、そうやって感謝を感じているんですか?」
「はい。“縁があったから今がある”って思うと、自然と“もらったもの”に目が向くようになるんです。『ありがたいな』って気持ちも、少しずつ湧いてくる。少なくとも、俺はそうですね」
自分でも苦笑する。偉そうに語ったが、これは平沢の受け売りだ。ただ、「つながりの尊さ」を想う気持ちは、自分に深く根づいている。
セシリアはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと息を吐き、顔を上げた。
「わかる気がします。“感謝しなきゃ”って思うと苦しくなる。でも、“この人がいてくれたから助かった”って考えれば、自然に感謝できる気がします」
納得の色が彼女の表情に浮かんだのを見て、俺は次の提案を口にした。
「ひとつ、提案をしてもいいですか?」
セシリアは素直にうなずいた。
「まずは“感恩”だけに意識を向けて、イエローを目指してみませんか。一度にすべてを変えようとせず、少しずつ。心の変化を確かめながら進んでいくのがいいと思います」
「……イエロー」
セシリアがその言葉を噛みしめるように口にする。
「はい。少しでも変化が見えれば、自分の頑張りを実感できます。続けやすくなりますし、なにより“前に進んでいる”って思える」
そう話した瞬間、セシリアの表情がふっと変わった。何かに気づいたような顔。彼女の中で、何かが静かに動き出したのがわかった。
「……やってみます。一つずつ、まずはイエローを目指して」
その言葉には、確かな決意が宿っていた。
俺は内心でほっと息をつきながら、やわらかく言葉を添える。
「もし、感恩がイエローになったら、連絡をください。そうしたら次は“帰恩”について、一緒に考えましょう。あなた自身の役割についても、きっと見えてくるはずです」
「……はい。わかりました」
セシリアは、確かに笑った。まだほんのわずかだけれど、その笑みには、前向きな光があった。閉ざされていた表情に、あたたかな明かりが射し込んだように思えた。
「今日は、お話を聞いてもらって、ありがとうございます」
そう言って、セシリアはすっと立ち上がり、深く頭を下げた。
「こちらこそ。お役に立てたなら、うれしいです」
少し間を置いて、俺は言葉を継いだ。
「今日のことは、もちろん誰にも話しません。ただ……一人だけ。昔から信頼している親友がいて、その人にだけ共有させてもらえませんか。今後の対策を考えるうえで、大きな助けになるんです」
セシリアはわずかに目を見開いたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「ふふ……まる助さんにも、そんな方がいてくださるのですね。その方が、まる助さんの信頼している方なら、私は構いません」
その笑みに、俺も静かにうなずいた。
扉を開けると、外には明るい陽射しが差し込んでいた。午後の光はまだ高く、商会へ向かうにはちょうどいい時間帯だ。
ふと振り返ると、セシリアが静かな神殿の空間に、一人立っていた。
その姿は繊細でありながら、どこか凛とした力強さがあった。
「それでは、失礼します」
扉が閉まりかけたとき、小さく「はい」という声が返ってきた。
その声には、迷いを振り払ったような、確かな意志の響きがあった。
神殿を出た俺は、小さく息をついた。
セシリアの“レッド”が、これからどう変わっていくのかはわからない。
けれど、自分の意志で踏み出したその一歩は、間違いなく、確かな始まりだ。
石畳の道を踏みしめながら、俺は商会へと向かった。




