043_セシリアとの個人面談>>
まる助は扉の前で一度、深く息を吐いた。
形だけのやり取りでは終わらない――そんな予感があった。
静かに扉を押し開け、神殿の一室に足を踏み入れる。
天井の高い石造りの空間には、外界の喧騒とは無縁の静寂が満ちていた。香炉から立ちのぼるかすかな香りが、空気に神聖な重みを加えている。
中央には、すでにセシリアが座っていた。
白銀の刺繍が施された衣の裾が、床にふんわりと広がっている。淡い光に照らされた横顔は清らかだが、どこか陰りを帯びていた。
その佇まいには、聖女としての気品と威厳がある。けれど完璧に整ったその美しさの奥に、言葉にできない寂しさがわずかに滲んでいた。
そして何より――その瞳には、抑えきれない何かが宿っていた。祈りの光でも、使命の重みでもない。ただ“ひとりの人間”としての、切実な欲求。まる助はそう感じた。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
まる助が礼儀正しく頭を下げると、セシリアも静かに会釈を返す。
「こちらこそ、急にお呼び立てして申し訳ありません。さっそくですが……画面を見せていただけますか?」
いきなりの核心。まる助は思わずまばたきをした。
画面を見せてほしい――この世界では、無礼と言われることもある要求。しかも唐突すぎる。そこに何か事情があると直感する。
「理由を聞いても……よろしいですか?」
まる助の静かな問いかけに、セシリアのまつげがかすかに揺れた。
「……儀礼のためです」
「儀礼というのは? 就任の式は、すでに終わったはずですが」
まる助が確認すると、セシリアは小さく息を吸い、一拍の間を置いてから口を開いた。
「形式的なものですが、聖女として確認することになっていて……」
言葉は丁寧だが、答えは曖昧だった。まる助は違和感を覚え、少し角度を変えて質問を重ねる。
「これまでの儀礼でも、商会長の画面を確認されていたのですか?」
セシリアは口を開きかけて、数秒の沈黙の後、かすかに首を横に振った。
「いえ……見たことはありません」
「では、今回から儀礼の内容が変わったのでしょうか?」
「……いいえ」
「変わっていないのに、どうして今回は画面を?」
まる助が静かに問いかけると、セシリアはまぶたを伏せ、居心地悪そうに沈黙した。“儀礼”という言葉はただの建前――その事実が、答えよりも先に空気から伝わってくる。
やがてセシリアは、ゆっくりと息を吐き、声を落として言った。
「ごめんなさい。本当は、儀礼なんて建前で……ただ、気になってしまって。どうしても……知りたくて」
その声には、飾りのない本音と、どこか後ろめたさが混ざっていた。まる助はそれを咎めることなく、穏やかに問い返す。
「どの部分が、気になるのですか? 所持金? 保有株? それとも……感恩と帰恩のステータス?」
淡々と項目を並べるまる助の言葉に、セシリアは一瞬たじろぎ、視線を落とした。だが、すぐに顔を上げ、迷いを押しのけるように答えた。
「……感恩と、帰恩です」
その表情には、恥じらいと戸惑い、そしてそれでも言葉にしようとする覚悟がにじんでいた。
「隠したいのであれば、無理に見ようとは思いません。ただ……本当に、ただ……見たいんです。私の、わがままなんです」
まる助は小さく息をつき、微笑んだ。素直に本音を打ち明けてくれたことが、うれしかった。
「話してくれて、ありがとうございます……結論だけ言いますね。個人ID以外なら、お見せできます」
セシリアはまる助をじっと見つめ、それから小さく頷いた。
「いえ、わがままだなんて思いませんよ。誰だって、知りたいことはあるものです。きちんと話してくれたから、俺も応えたいと思えました」
そう言ってまる助は、手のひらにタブレットを呼び出す。指先で個人IDを隠し、感恩と帰恩のステータスが表示された画面をセシリアの前にそっと差し出す。
「この範囲であれば、お見せできます」
セシリアはその光を静かに見つめた。
淡い光に照らされた横顔は、美しいだけでなく、どこか痛みを帯びていた。凛とした輪郭、揺れるまなざし。その中に、いくつもの感情が折り重なっていた。
「……ありがとうございます」
彼女が満足するまで、まる助は画面を開いたままにしていた。神殿の小部屋には静寂が満ち、わずかな呼吸の音だけが空気を満たしている。
やがてセシリアは、そっと顔を上げた。まる助に視線を向け、言葉を選ぶように口を開く。
「ありがとうございます……ご迷惑をおかけしました」
「理由を話してくれたから、俺も応えることができました」
まる助の声は、落ち着いていて、どこまでも穏やかだった。セシリアは、わずかに微笑みながら、タブレットから視線を外す。
“見たいもの”を見た彼女の中で、何かが変わったのか。それは、まだわからない。
けれど、今日のこの面談には――
“聖女”と“商会長”、あるいは“NPC”と“AI”という設計の違いを超えた、心と心の対話が、確かに存在していた。




