037_世界の理を説明する>>
「まず、ウォーダが異常な速さでオルデス商会のトップに上り詰めた理由を、考えたことはありますか?」
まる助はベルザを正面から見据え、言葉を選びながら続けた。
「彼が導入したゼンマイ時計は、この世界にない技術でした。なのに、いきなり精巧な設計図ができて、一気に普及――これ、不自然だと思いませんか?」
ベルザは腕を組み、無言でまる助の言葉を受け止める。部屋は静まり返り、窓の外から街の喧騒がかすかに届く。まる助のまなざしを受けながら、ベルザはゆっくりと息を吐いた。
「異常だが……それを可能にする才覚がウォーダにあり、それがすべてだと思っていた」
ベルザの声は冷静だが、瞳の奥には何か探るような光が宿っている。まる助は頷き、言葉を続けた。
「地球の科学は、オダリオンよりずっと進んでいて、ゼンマイ時計は数百年も前に発明されているんです」
ベルザの眉がわずかに動く。
「地球の科学……」
その声は淡々としていたが、瞳にはわずかな光が宿る。興味を持ったのか、それとも戯言として聞いているのか、まる助にはまだ判断がつかない。彼女の表情を伺いながら、まる助は続けた。
「地球には、電気で動く“コンピューター”という計算箱があって、人々はそれを使って様々なことをします。計算や通信、情報処理はもちろん、“仮想世界”をつくることまで可能です。そしてこのオダリオンも、“織田”という人物によって創られた、仮想世界なんです」
ベルザは目を細め、その瞳に探るような深い光を宿した。
「つまり……ここは、そのコンピューターという計算箱の中にある、仮想の世界だと?」
「ええ。そして――俺もウォーダも、そのコンピューター内で動くAI……人工知能なんです」
まる助は静かに、自分の胸に手を当てた。
「AIというのは、簡単に言えば、人間がつくった“知能”です。俺は“平沢”という人間の考え方や性格をもとに作られました。ウォーダはその友人であり、この世界をつくった人――“織田”の知識や考えを引き継いでいます」
ベルザはまる助を見つめながら、机をトントンと指先で叩いた。
「ウォーダは創造主・織田の写し身。そしてお前は、その友人・平沢の写し身……この理解でいいのか?」
「はい、その通りです」
一瞬だけ視線を伏せたベルザだったが、すぐにまる助を見据え、短く言った。
「……続けなさい」
その琥珀色の瞳の奥は、疑念と興味が入り混じる、複雑な色で揺れていた。
「織田がこの仮想世界をつくった理由は、技術を一気に進歩させるためです。この世界では、時間の流れが地球の4380倍も速いんです。今は地球より数百年ほど遅れていますが――地球の時間で見れば、ほんの少しで追い越す計算になります」
まる助はベルザの表情をそっとうかがった。彼女は静かにこちらを見つめていたが、指先が無意識に机の端をなぞっている――抑えきれない動揺が、そこににじんでいた。
「私達は……作り物か」
短い言葉が、ベルザの唇から漏れた。それは問いでも否定でもない、心の揺れがそのまま言葉になったものだった。
「俺は、この世界が“仮想の実験場”だとしても、だから何だって思ってます。確かに俺はAIで、コンピューターの中の存在です。でも――このオダリオンで見たこと、感じたこと、考えたことは、全部、俺にとっての“リアル”です」
まる助は胸に手を当て、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「たとえこの世界が“幻”で、人々が“作り物”だとしても――そこに痛みがあり、喜びがあるのなら、それはもう、“命を宿した存在”なんです」
そう言って、ベルザをまっすぐに見つめる。
「だから俺は、この世界の人たちを守りたい。たとえ織田の実験の一部だったとしても――ここで交わした言葉、差し伸べられた手、笑い合った時間は、俺には本物……それで十分です」
ベルザは小さく息を吐き、まる助の言葉を噛みしめるように、手元の書類をそっと脇に置いた。
「興味深いが……信じるには証拠が欲しい。ここが“仮想世界”というのなら、それをどう確かめればいい?」
「これからお見せする二つのことは――厳密には“証拠”とは言えません。でも、ベルザさんなら理屈でなく、感覚でわかると思います」
まる助はタブレットを呼び出し、半透明の画面に情報を浮かび上がらせた。
「これを見てください」
そう言って画面をベルザに向ける。そこには桁外れの数字が並んでいた。
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QQZ128QQE
感恩: グリーン
帰恩: グリーン
所持金: ¥ 15,373,426,347
保有銘柄:
・オルデス商会(ORDS)
1,710,000,000株
12,825,000,000,000円
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無表情のまま、ベルザは静かに視線を走らせていく。やがて視線が一点に留まり、ゆっくりと顔を上げた。
「十二兆円……」
「はい。ウォーダが昨日、俺に譲った商会の株です。それと――1ヶ月後、俺はオルデス商会の会長を引き継ぐことになります」
ベルザはタブレットを見つめたまま、片手を口元に当てた。その目には、驚きとも疑いとも違う、“理性が揺れるとき”に見せる当惑が浮かんでいた。
「……偽装じゃないのか?」
「本物です。筆頭株主の権利も、行使できます」
まる助の声は穏やかだが、揺るぎなかった。そしてベルザ自身も、感じていた。作り話ではない。何か、この世界そのものを揺るがす“真実”が、そこにあるのだと。
やがてベルザは、タブレットから目を離し、呟いた。
「……なるほど。では、もうひとつの“証拠”も見せてもらおう」
まる助は、机の上のインク壺に手を伸ばし、そっと持ち上げた。重さを確かめるようにしながら、静かに蓋を外す。
「では、ご覧ください」
そう言うと、インク壺をふわりと上へ放り投げた。
「お前っ!!」
ベルザが思わず声を上げる。
インク壺は空中でくるくると回転し、開いた口から黒い液体がこぼれ出た。いくつもの滴が放物線を描きながら、宙に舞う。
その刹那、まる助の腕が素早く動いた。
右手でインク壺をキャッチすると、即座に角度を調整し、空中に浮かぶ滴へと口を向けるように手を動かす。すると、黒いインクの滴がふわりと引き寄せられ、まるで意志を持つかのように壺の中へと吸い込まれていく。
一粒、また一粒……
逆再生の映像のように、手の動きに合わせて滑らかに戻っていく。床にも机にも、一滴たりとも落ちていなかった。
まる助は静かに蓋を閉じ、何事もなかったかのようにインク壺を机へと戻した。
ベルザは目を見開いたまま、言葉を失っていた。その表情に浮かんでいたのは困惑でも賞賛でもなく、ただ――理解が追いつかないという、“思考の停止”だった。
「俺の敏捷性と計算力は、“特別な設定”なんです」
いま目の前で起きた出来事こそが、何より雄弁だった。常識では到底ありえない反応速度と、綿密に計算された動き――その両方がなければ不可能な所作。
ベルザは沈黙のまま、見開いた瞳でまる助を見た。
「資産なら……常識外だが成立する。だが今の動きは、ありえない」
低く落ち着いた声が、静かな部屋に響く。
「証拠とは言えませんが、少しは信じてもらえましたか?」
「ああ……まる助。私の中で、世界が崩れはじめている」
ベルザの声色には、どこか納得したような響きが感じられた。




