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029_忍び寄る影>>

「……おい、まる助、聞いてるのか?」


 顔を上げると、向かいに座るウォーダがこちらを見ていた。その目には、呆れながらも優しい心配の色が混じっている。


「すまん。考え事してた。色々ありすぎて……」


 深夜までマーケティングの分析をしていた頃を思い出す脳の疲れ。疲労を感じているその時、ぐぅ~っと腹の虫が鳴った。


「はは、頭を回転させると腹が減るよな。俺たち、そういう設定なんだろうな」


 ウォーダはおかしそうに笑いながら、引き出しを開け、紙袋を取り出してポンと机に置いた。


「ほら、アンパン。頭の疲れには、これが一番。いろいろ試したが、糖分と炭水化物のバランスが絶妙だ」


 まる助は少し驚いたように目を瞬かせる。


「お前、何でも研究熱心だな……」


 まる助は目を丸くしながらも、アンパンの甘い香りにほっと息をつく。その香りをかぐと、仕事に追われてコンビニで買い込んだ菓子パンやチョコバーを思い出した。袋を開いてひと口かじると、しっとりした生地と餡の優しい甘さが口の中に広がっていく。


「……ありがとう。ちょっと元気出た」


 アンパンを一旦置くと、まる助はウォーダに向き直る。


「で、会長就任なんだけど……さすがに今は厳しい。最低でも一ヶ月、猶予が欲しい。いろいろ掛け持ちしすぎるとパンクする」


 ウォーダは意外にも、すぐに納得したように頷く。


「そうだな。いきなり全部やれってのは無茶だしな。無理しない範囲で頼む」


 まる助は、あっさりと了承されたことに拍子抜けし、瞬きをする。


「もっと抵抗されるかと思った」


 ウォーダは肩をすくめる。その仕草に、まる助の肩の力もふっと抜けた。


「じゃあ、ベルザたちのところに戻る。全部は話せないけど、『全面的に協力が得られる』ってことは伝えておきたい」


「了解。引き継ぎの件はまた連絡する。くれぐれも、休憩は取るんだぞ」


 まる助は小さく頷き、会長室を後にした。



 会議室に戻ると、ベルザとモラン課長、エリナが待っていた。扉を開けるなり、ベルザが短く声をかける。


「どうだ?」


 まる助は疲れたような、それでいて安堵したような笑みを浮かべて告げる。


「全面的に協力してもらえることになりました」


「おお、さすがだな!」


 ベルザが軽く拳を握り、モラン課長もほっとした表情を見せる。周囲は明るい空気に包まれるが、まる助は疲れの色が濃い。そんな様子を見て、エリナが心配そうに声をかけた。


「でも……大丈夫ですか? なんだか顔色が悪いですよ」


「ええ、消耗しました……頭を整理したいから、詳しい話は明日にしてもいいですか、ベルザさん」


 切実なまる助の口調に、ベルザは何か考えてから「いいだろう」と頷く。瞬間、まる助は少し肩の荷が下りたような表情になった。



 商会を出て皆と別れた。


 夜の空気がひんやりと肌を刺し、まる助は思わず肩をすくめる。見上げた空には、雲の切れ間から顔をのぞかせた月が、路地に細長い影を落としていた。


 昼間の活気が嘘のように、街は静まり返っていた。かすかな風の音と、遠くで犬が吠える声。以前なら少し寂しいと感じたかもしれないが、今はむしろクールダウンするのにちょうどいい。


(まずは、腹ごしらえだな)


 思考が回らなくなる前に、エネルギーを補給しよう。そんな自分の“お決まりのパターン”を思いながら、食堂へ足を向けた。


 扉を開けると、コトコト煮込まれたスープの香りと焼きたてパンの匂いがふわりと広がる。遅い時間にもかかわらず、数人の客が思い思いに静かな会話を楽しんでいた。必要以上に騒がしくなく、かといって沈みすぎもしない、程よい落ち着きが感じられる。


 カウンターに腰掛け、ステーキとスープ、パンを注文する。盛り付けられた料理をひと口食べるたびに、じわっと体にエネルギーがしみこんでくるのがわかる。


「よし……ちょっと復活」


 自分に言い聞かせるように小声でつぶやき、食事を終えて店を出る。すると夜の冷気がまた頬をかすめたが、満たされた胃のおかげで先ほどより心が軽い。


 このまま寮へ帰るのもいいが、頭を使いすぎたときは、体を動かすのが一番だ。まる助はストレッチと準備運動を兼ねて、まずはゆっくり歩き始めた。


 やがて、だんだんと足が弾み、早足から小走りへ。冷たい風が頬を刺し、体温がじわじわ上がってくる。デスクワークに疲れたときによくやった「夜の散歩&ジョギング」を思い出す。前に進むことだけに集中すると、頭の中で渦巻いていた考えごとが不思議と整理されていく。


 だが――


 まる助が走り出したのとほぼ同時に、少し離れたところから、その後ろ姿を静かに追う影があった。その影は、足音を立てないように、夜の暗がりに溶け込みながら、慎重に距離を保っている。


 雲が途切れ、月の光が街角を照らす。しかし、その淡い輝きでは追跡者の姿を捉えきれない。それでも、夜風はやさしく頬を撫で、まる助の心は軽やかになった。


「よし。もう少し走って、さっぱりして帰るか」


 まる助の気楽なつぶやきとは裏腹に、闇の影は、その背を逃すことなく追い続けていた。

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