025_オダリオンの時間加速>>
ウォーダはペンを置き、まる助の顔を真っすぐ見る。
そして静かに問いかけた。
「ところで、いつ来た? 具体的に」
「今日で五日目。元の世界の最後の記憶は……会社のデスクでの寝落ち」
「五日でギルドに入り込み、ここまで来たのか!……随分と早いな」
ウォーダは驚嘆と呆れが半々の表情を浮かべ、それから静かに微笑んだ。
「俺はこの“ゲーム”を相当やり込んだクチだが……さすが平沢ベース。動きが速い」
その“平沢ベース”という言葉に、まる助は苦笑する。
「……ウォーダは、いつからここに?」
「ちょうど、3年前だな」
ウォーダは棚から一冊の資料を取り出し、「実装時期の記録」と題されたページを開く。そこには細かい日付やイベントがびっしりと書き込まれていた。まる助が興味深そうに覗き込むと、ウォーダは続ける。
「で、お前が最後に覚えてる寝落ち……それはいつだ?」
「2035年3月21日。時間は深夜1時前後だったと思う」
「そうか。俺の“実装”は前日の19時ごろ。つまりお前が寝落ちした約6時間前……ってことは――」
ウォーダは資料を指先でとんとんと叩きながら言った。
「地球の6時間が、オダリオンの3年に相当する」
まる助は思わず眉をひそめ、頭の中で比率を再計算する。
「じゃあ……地球の1時間が、こっちだと半年近くってことか?」
「そうなる。オダリオンは地球の4380倍の速さで時間が進んでいる」
「経済シミュレーションだしな。1時間の稼働で半年先まで予測できる。まあ、妥当な速さだ」
まる助が答えると、ウォーダが静かに言った。
「経済シミュレーションか……表向きはな。だが、織田の“本当の目的”は違う」
ウォーダの瞳がわずかに光を帯びる。
「本当の目的は――地球文明の飛躍的な進歩だ。織田は、恒星間移動の実現を模索している」
「は……?」
理解が追いつかない。まる助は呆気に取られ、ウォーダの言葉を待つ。
「時間加速がカギだ。地球の1日はオダリオンの12年、地球の1年は4380年に相当する。中世レベルの文明も、あっという間に地球を追い越す。そして、オダリオンで生まれた数学理論や技術革新を地球にフィードバックする」
追い越す――確かに、時間が数千倍の速さで進むなら、理論や技術の蓄積も数千倍の速さで進む。
人類が何百年もかけて築き上げた科学が、たった数ヶ月のシミュレーションで達成される。
まる助は乾いた笑いを漏らし、頭を抱えた。まさか、そんな壮大な構想に巻き込まれるとは……
ウォーダは静かに微笑んで言った。
「織田は金に興味はない。俺たちがいた会社の年俸? そんなもの鼻くそレベルだ。世界中の投資家から研究費が集まり、量子チップも電力も十二分に確保した」
「羨ましいな。ゼロが一つや二つ増えても、もう何も感じないってわけか?」
「そうだ。織田の興味は、ただひとつ――『科学の急速な発展による恒星間移動の実現』だ」
「……だから、オダリオンを?」
「そう。オダリオンでは、科学技術を中世レベルからスタートさせ、時間加速の中で発展させる。科学進歩のシミュレーション実験だ」
ウォーダは軽く息をつき、続けた。
「もし産業革命が別の形で起きていたら? 蒸気機関が中世に実用化されていたら? ここは、そうした仮説を検証するための実験場だ」
「なるほど……技術の分岐点を観察できる、と」
「そしてポイントは、経済と科学の関係。どんな経済システムなら、技術革新がもっとも効率よく進むのか。まさに、お前の得意分野じゃないか?」
まる助は驚きを隠せない。確かに、“平沢”の記憶を継いでいる自分は特に経済に強い。その自分が、このオダリオンに実装されたのも――織田の“計画”の一部かもしれない。
「でも……最初から高度な文明を与えれば、もっと早く発展できるんじゃないのか?」
まる助がそう問いかけると、ウォーダは肩をすくめて答えた。
「いや。織田は“発展のプロセス”こそが肝と考えている。最初から産業革命以降の技術を与えたら、どんな理論が省かれ、どこで躓くのかが分からなくなる。下から少しずつ積み上がっていく――その過程こそが重要という考えだ」
「たしかに……車やスマホをいきなり与えると、その背後にある基礎理論や社会インフラが抜け落ちるからな。つまり、科学の発展そのものを一から追体験させるってことか?」
「そうだ。それと『科学文明の進歩』のためには、地球そのものを再現する必要はない。むしろ、異なる文化や条件を持つ世界での実験のほうが効果的だ。例えば、エルフやドワーフが存在し、ギルドや商会が経済を主導するような世界――だから織田は、オダリオンだけでなく、並行して様々なシミュレーション異世界を運用している」
「……どういうことだ?」
「異なる条件で複数の異世界を走らせ、そのなかから、新たな数学理論や技術の芽を生み出そうとしている」
「つまり……この世界は、そのシミュレーションのひとつ?」
「ああ、そういうことだ。織田は俯瞰的な視点で、複数の異世界を同時並行で観察し、そこから未知の理論や発見を引き出そうとしている」
「織田……そこまで考えてたのか」
まる助は、呆れ半分、感嘆半分の声を漏らした。まるで神の視点だ。
「まあな……って、自分が褒められてる気がして、なんだか妙な感じだな」
ウォーダは苦笑しながら、話を続ける。
「で、俺なんだけどな……もう金は腐るほどある。三年も同じゲームを続けていると、さすがに飽きる」
「飽きるって……おいおい」
まる助は呆れ半分で相槌を打つ。ウォーダは視線を外し、窓の外へ目をやった。午後の日差しが会長室の壁を柔らかく照らしている。
「俺もな……織田から引き継いだ思考パターンのせいか、新しいことを研究したいって欲求が強いんだよ。そろそろ次のステージに進みたくてな」
「いや、待てよ。大商会の会長だろ? それを“飽きた”って……」
ウォーダは不敵な笑みを浮かべ、まる助をまっすぐに見据える。
「そこで提案がある。まる助、オルデス商会の会長になれ」
「……は?」
あまりにも突飛すぎて、まる助は素の声を漏らした。




