017_静寂の中で描く青写真>>
遅めの昼食を終えた俺は、ギルドではなく寮へと向かった。
扉を開けて部屋に入ると、そこは喧騒から切り離された静寂の空間だった。狭いながらも整った寮の一室。壁のランプに火を灯し、椅子へと腰を下ろす。
「……今は集中するしかない」
小さく呟き、紙と羽根ペンを手に取る。「1ヶ月目:準備フェーズ」と書き記し、タスクを次々と箇条書きしていく。
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■1ヶ月目:準備フェーズ(0〜30日)
1週目:BPOプロジェクト立ち上げ
・BPOの全体方針と目的をギルド幹部に共有し、合意を取る
・メンバー(ギルド職員、ベテラン冒険者、商会代表)の選定
・スケジュールとマイルストーンの確定
・KPIとモニタリング項目の定義
2〜3週目:現状業務の洗い出しと分析
・現場ヒアリング:ギルド職員から現行業務と課題を聞き取り
・業務フローの可視化:クエスト管理、冒険者管理、会計などを図式化
・工数調査:各業務の所要時間と発生頻度を把握
・問題点の整理:ボトルネックや重複業務を明確化
4週目:BPO対象業務の一次選定
・寄与度が低く、外部委託が可能な業務を仮選定
・BPOによる効果試算(削減時間・コスト)
・選定理由と期待効果を資料化し、ギルド幹部から一次承認を得る
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「なぜBPOなのか……最初にそこを示さないといけないな」
手元の羽ペンを揺らしながら、ぽつりと呟く。BPOはあくまで手段であり、目的はギルドの本来の役割――すなわち「冒険者支援」の最大化だ。ベルザにはその意図が伝わっているが、問題は他の職員たち。
(彼らが納得しなければ、計画は動かない)
まず必要なのは、“BPOの目的”を簡潔にまとめた資料だ。まる助は紙の隅に『BPO目的概要』と走り書きする。この資料がなければ、ヒアリングの時に「忙しい」「意味が分からない」などと追い返される可能性が高い。
続いて「2ヶ月目:委託準備フェーズ」と書き込み、さらに計画を進めていく。
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■2ヶ月目:委託準備フェーズ(31〜60日)
5〜6週目:委託先選定準備
・委託候補の選定:実績のある商会から複数候補を抽出
・選定基準の設定:業務品質、コスト、対応力などの基準を明文化
・評価班の起用:ベテラン冒険者によるクエスト評価班を正式任命
7週目:商会との協議と比較検討
・候補商会(例:オルデス商会、フレイヤ交易組合)と個別打合せ
・委託範囲、業務フロー、報酬モデルを提示し、商会の対応力を確認
・評価基準に基づく比較表を作成し、ギルド幹部に提出
8週目:委託先の決定と契約準備
・最終選定会議を実施し、委託先を正式決定
・契約条件を整理し、ギルド顧問と法的確認を行う
・仮契約を締結(3ヶ月目のテスト運用を含む)
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昨日、宿で観光ガイドを参考に書き留めた地名と商会のメモを広げ、注意点を一つひとつ列挙していく。
(……商会か。異世界に来て、まだ三日。知識なんてあるはずないよな)
羽根ペンを止め、無意識に頭をかく。この世界の商取引の仕組みは、まだ霧の中。手探りのまま交渉に入れば、痛い目にあうのは目に見えている。
(エリナ、ニック、モラン課長……協力を仰ぐしかないな)
商会の実情を知るためのリサーチと、街での評判の確認。それが、この月の成否を左右する鍵となる。
次に浮かぶのは「クエストの評価」という重要な課題。クエストの難易度やリスクを適切に見極めるには、現場の知見――すなわち、ベテラン冒険者の判断が不可欠だ。
報告書代筆の際に控えていたベテラン冒険者のリストを手に取り、じっと見つめる。誰もが実力者だが、同時に「扱いづらい」と評判の猛者ばかり。ギルド内でも一目置かれつつ、敬遠されているタイプの連中だ。
(……だが、クセ者ほど、ハマれば強い)
自分に言い聞かせる。戦力としての彼らは間違いなく必要だ。クエスト管理の成否は、彼らの知見にかかっているといっても過言ではない。癖があるのは承知の上で、その力を引き出す工夫をせねばならない。
最後に「3ヶ月目:テスト・調整フェーズ」と書き込み、タスクを整理していく。
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■3ヶ月目:テスト・調整フェーズ(61〜90日)
9週目:BPO試験運用開始(パイロット運用)
・一部業務を委託先に試験的に運用させる
・ギルド職員は評価・モニタリングに専念
・冒険者からのフィードバックを収集
10週目:試験結果の分析と問題点の洗い出し
・BPOの効果検証(工数削減・品質・対応速度など)
・課題と改善案を商会と協議
・ベテラン冒険者評価班の意見も反映
11週目:最終調整とガイドライン策定
・業務フローに問題点を反映し、調整
・BPO業務の運用マニュアルを完成させる
・ギルド職員への引継ぎ研修を実施
12週目:稼働準備完了と本格稼働宣言
・最終成果報告をギルド幹部に提出
・委託契約の本契約を締結
・3ヶ月後、BPOの正式運用を開始
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当然、問題は山ほど出るだろう。だが、この最終フェーズで洗い出せれば、それだけ最適解に近づける。
最後の一行を書き終え、まる助は深く息を吐いた。たった3ヶ月という短期間。それでも、枠組みを守りながら柔軟に調整していけば、道は拓けるはずだ。
一通り書き上げたあと、静寂がいっそう濃く感じられた。ギルドの喧騒も街の賑わいも遠く、まるでこの部屋だけが時の流れから切り離されたようだった。集中できる反面、わずかな心細さも胸をよぎる。
「……計画が上手くいけば、依頼者も、冒険者も、職員も救われる」
呟いた言葉に、自分の中の意思がこもっていくのを感じた。まる助は表紙にゆっくりとペンを走らせる。
『BPO計画:ギルド業務改革3ヶ月プラン(Draft)』
その文字は、未来への誓いのように紙面に刻まれた。
ふと窓の外に目をやると、空は夕暮れを過ぎ、深い紺色に染まっていた。街に灯る明かりがちらほらと見え始め、遠くから人々の声がかすかに届いてくる。だが、部屋の中は依然として静かだった。外界の喧騒が届かないこの空間は、まる助にとって思考を研ぎ澄ませる最適な場所だった。
(情報収集は明日からでいい。今は、この計画を磨き込む時間だ)
まる助はそう決め、再びペンを取り、資料を見直し始めた。不備がないか、ロジックに穴はないか、何度も目を走らせる。失敗は許されない。気づけば、夜はすっかり更けていた。
スマートウォッチに目をやり、まる助はゆっくりと背伸びをする。
(そろそろ休むか)
椅子を引いて立ち上がり、窓辺に寄る。月の光が石畳の街道を優しく照らしていた。その銀色の光は、机の上の計画書の表紙にも、静かに降り注いでいる。
「……よし、明日から形にしていこう」
胸の奥からじわりと湧き上がる決意を感じながら、まる助は部屋の灯りを落とした。静寂の中で描かれたこの青写真が、ギルドを、そしてこの世界を、どのように変えていくのか。
その未来を思うだけで、心は温かく満たされていた。