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惑いの域  作者: 風雨
9/20

怪異として、

 田舎の駅とは不便である。電車の本数は一時間に一本。通勤ラッシュでも二本。

つまり一本乗り過ごすだけで遅刻が確定する。だが問題はそれだけではない。

電車が来ないということは待ち時間も長い。

家を出てから信号に摑まることなく駅に来たのは喜ばしい事である。だがその分、待ち時間が余計に長くなり電車が来る頃には肉体疲労の回復に反して精神疲労が溜まった。


 朝のラッシュが過ぎれば電車の中は快適である。一つの車両に乗客は十人ほどであり全員が座ってもまだ空席がある。乗客の顔触れに老人の姿はなく商談に向かう若者が幾人か。


「ふわあぁ、春眠暁をなんとやらだな」


珠ノ美高校の前を通り過ぎると到着間際と頭で判断しながらも体はリラックスしている。

穏やかな陽の光と静かな車内に併せてゆりかごの様なリズムは逸海を入眠へと手招きをする。窓の外を走る景色に眼を向ければ普段は気に留めない自然の風景に想いを馳せる。

橋の下を流れる川の流れ、水面に移る太陽、刹那に聞こえる子供達の愉し気な声。

目の前に広がる光景が日常であることに心の底から安堵する。


「電車が緊急停止します」


心の平穏を脅かす出来事はすぐに訪れた。

女声のアナウンスに反射的に立ち上がった逸海に襲い掛かったのは貧血によるふらつきではなく慣性によるもの。近くに手すりに縋りつき弾かれる身体を必死に抑え込む。

────。

さらに不安を煽るように乗客全員が一瞬の浮遊感を味わった。

寝ている者は飛び起き、立っていた者は手すりに縋り、座っていた者は床へと放り出される。


ゴゴゴゴゴッ ゴッ ゴッ ゴッ 


それは日常生活では聞くことのない異音と光景である。

夏バテで歪む視界が如く外の景色が回転し、空が映る車窓には砂利が映り込む。

不意の揺れに襲われた乗客は耐えること能わず横転した電車の壁に叩きつけられる。

逸海が縋りついた手すりは鉄棒に変わり、何度か壁に身体を打ち付け床に投げ出された。

逸海を含めて乗客は十人前後。その誰もが周囲を見渡しているものの誰一人として現象の把握ができていない。まるで餓者髑髏の再現の様に誰かの模倣のために最初の一人を探している。


 逸海は天井となった出入り口の扉を見上げて高さの確認を行う。

座席に足を掛ければ腕を伸ばして届くかどうか。幸いにも扉の近くには手すりがある。それを使えば何とか出られるだろう。


「昨日のハリウッド映画続きでもしているのか?」


乗客と協力して電車から脱出した逸海は最寄り駅まで歩いて移動した。

道中、最寄り駅の駅員が駆け寄り担架を提供によるその後の対応によって現在の死者はゼロ。怪我人の多くは痣や切り傷はあるものの事故の被害に対して軽傷である。

 事の顛末はその場のサラリーマンが代表として駅員に報告することになった。

残りの乗客は駅側に名前や住所を伝えてその場で解散。本来であれば警察が来るまで待機すべきである。だが仕事に追われるサラリーマンが暴動を起こす前に駅員の提案により用事のある人以外は解散することになった。

 逸海はこの場に残ることを決断した。学校に行き昨日の出来事を話す必要があるが、花蓮と氷菜音が事情を語るだろう。あの場に逸海はいなくてもよい存在。

 電車の横転から十分ほど。あれほどの事故にも関わらず野次馬の姿はほとんどない。警察の到着により数が増えるかと考えたがそれもない。

 実況見分、事情聴取、運転手を主とした取り調べは一時間を越えようやく一段落。警察曰く、まだ聞くことがあるそうで今しばらく拘束される。

逸海は紫月に事の次第を電話で伝えると先ほどまでの話を思い返す。

 運転手は駅に向かう直前のカーブで唐突に眩暈、吐き気の体調不良に襲われた。それが原因で減速せずカーブに進入。そこへ追い打ちをかけるように線路の上には野生の動物の死骸が置かれていた。他の細かな要因を含み電車が横転する事態に至った。

ブレーキを掛けた記憶はないが結果を見れば無意識のうちに掛けたのだろう。だが、そこは自信をもって返答してほしい部分である。

 立て続けに起こる不穏な出来事。そのどれもが日常の枠を超え身近な『死』を色濃くする。生者にとって死は表裏一体。されど死から程遠い若者は死を気にすることなく生を謳歌する。それを否定し知らしめるような出来事が起きている。

 結局、解放されたのは警察が到着してから二時間後。

後日、警察署に来てくれと言われれば精神的疲労は溜まる一方である。

その気持ちを払拭しようと大きな伸びをして改札口を出ると昨日とは異なる感覚に襲われる。といっても不吉なものではない。朝と昼の人の流れが異なるといった小さな違和感である。

逸海の体験した人の流れは駅から高校へ向かう生徒の流れ。

違和感の原因は休校。通勤時間から外れ人通りが少ない事が小さな違和感を生み出していた。


「………それともう一つ、か」


駅から外へと一歩と半分を踏み出して逸海は辟易を態度で露わにした。


「東西東西、あなたに焦がれて幾星霜。これよりご覧に入れますは天より授かりし七変化ってちょっと待ちぃな。人の話は最後まで聴くのは子供の頃からの不文律じゃないですか」

「最期なら聴いてやるぞ」

「おっと同じ音でも不吉な予感がします、等と言いつつも昨日の今日では正論も正論」


昨日と変わらず逸海の神経を逆撫でする口調と態度に逸海のストレスは一気に上昇する。

やはり遺伝子レベルの嫌悪と言わざるを得ない。

気にするだけ無駄だと逸海はテンを視界から外し先に進もう。気にした時点で相手の掌の上。

だが視界の外から重く、低く、冷たい声色がその足を止めた。


「ですが、コチラの者として、ここから先へ立ち入る者、命の保証はない。疾く立ち去れ」


そこにはおちゃらけた姿も戯れも昨日のテンの様子はどこにもない。

恐怖の象徴たる怪異の姿が目の前にある。その声色はこれまでのテンにはない悪意の塊。背後から、耳元から。他方から一斉に声を発した様に反響する。

 その一言に逸海の毛は逆立ち全身が凍り付く感覚に襲われた。

見えない圧力に息を飲み、びりびりと痺れる肌は脳に逃避を命令する。

 逸海の足はテンの圧力で前に進むことができない。

昨日のテンは存在全てが虚偽で作られていたが、今のテンの真剣さに偽りがない。

確証のないことを簡単に信用できない逸海ではあるが今は本能が叫んでいる。

今のテンの言葉を信じる以外に道はないと。

逸海の心の警鐘が、微動だにしない足が、無意識に溢れる汗が、テンの言葉に屈服している。

 逸海は踏み出した足を一歩分後ろに下げた。

すると全身を覆う恐怖は若干緩み心身ともに落ち着きを取り戻された。

一歩先には見えない壁がある。その壁の中は不定形で人間には立ち入らせない結界がある。

逸海が足を下げたことが嬉しかったのかテンの表情は温和へと変貌した。

テンは逸海にどんな感情を抱いているのか定かではない。だが敵意、殺意、憎悪を向けない点では揶揄うのに都合のいい相手なのだろう。それが逸海には気に喰わないが。

テンの表情が柔和になれば口調も当然元に戻る。テンはにっこりと笑みを浮かべ、逸海にとって耳障りな声色で言の葉を紡いでいく。


「お手隙ならば、御覧に入れる………あの、私の変化の術ってそんなに興味湧かないですか?」


語頭は元気だったものの語尾に行くにつれて段々と萎びていく。テンは所謂『かまってちゃん』だが逸海にとって存在自体嫌悪の対象なので対応は変わらない。


「えっ……無視ですか? 今ならあなた様の好きな姿に変化しますよ。ボンキュッボンでも無乳でも美少年でも。あなた様が望むのなら……」


あれほどおしゃべりなテンの突然沈黙になり急激な変化が逸海の興味はテンに惹きつけた。

それを意図してか、テンはわずかに口角を上げた、だがそこから発せられた声色は先の警告を告げる時と同じ重く冷たい声色であった。


「望むならば今は亡きお父様である真人さんに変化しましょう」

「アァ?」


逸海の口から咄嗟に出てきたのは怒り混じりの音。言葉ではなく音である。

テンの言葉は逸海の逆鱗に触れるモノである。だが怒りを体現したわけではない。

疑問と怒り口調とその他諸々の感情が音となり外に漏れただけである。

 なぜ逸海の父親の事を知っているのか。それが疑問の正体である。

一介の妖怪が逸海の事情など知る由もない。否、人間でさえも自ら話さなければ知る由もない。

それに、逸海が反射反応を起こす言葉を昨日は用いることなく、今日になって用いた。

 様々な感情を内包した音を発した逸海だが行動を起こすことはなかった。鋭い眼光でテンを睨みつけるだけでその場から一歩も動かない。否、動けない。

一つはこれ以上進む覚悟ができていないから。

もう一つはテンに対する不信感が募り警戒せざるを得ないから。

逸海とテンは視線を交わすが言葉は交わさない。相手の行動を窺いながら思考を続けていく。

 沈黙はおよそ一分。口を開いたのは逸海であった。


「父さんの姿を見たことがあるのか?」


それは疑問ではなく警戒心を露わにした声色だった。

沈黙の間、様々なことを考えた。なぜ進むことができないのか、テンは何故警告するのか、敵意はないのか、など。口に出した疑問もその一つ。

逸海の父親は何年も前に亡くなっている。その父親を知っているということに対して、逸海は自身で納得のいく説明ができなかった。

 死者は死者の世界に行くと仮定する。父親は死者の国へ行き、テンも人ならざる者として死者の世界に行き出会った可能性がある。だがそれが逸海の父親と判別する術は?

 テンは逸海の記憶を覗けると仮定する。逸海の記憶の中から逸海が反応する記憶を選んだとして、逆鱗に触れる記憶をわざわざ選ぶ必要はあるのか。

 逸海の眼光に怖気づく様子を一切見せないテン。むしろ逸海の態度を見て尚わざとらしくおどけたりして逸海を煽る。テンのことだ、煽ることなく逸海の興味を惹くこともできる。

だがそれでも煽ることを選ぶのは怪異としての本質なのかもしれない。

 テンの口上には『狐』や『狸』といった人を謀る怪異の名前が頻出する。また『変化の術』と謀ることを口にしている。人を嘲り楽しむ怪異としての本質。態度は大袈裟でおふざけ全開。だが声色だけで真剣さが十分に伝わる。


「いかがですか。求めるなら私の身体を差し出しましょう。獣と肉体関係を持つのが嫌なら永遠と人の形を保ちましょう。元より私は獣に非ず、偶像が如き存在なれば」


声色と態度の差に逸海の感情は迷子になる。存在自体を嫌悪していたが真剣を含む声色を無視できない。いいや無視はできる。だが逸海の意識とは異なり耳を傾けてしまう。


「迷うことはないでしょう。先に進んで死の危険に晒されるよりも我関せずと帰る方がいい」

「どうして引き留めようとする。俺が死のうがお前に一切関係ない。むしろ生者を死へと引き込むことの方が本懐にすら思うが、どうなんだ?」


逸海にある根本の疑問。テンは人を謀ることを好む。それならば怪異に対し脅え、藻掻き、苦しむ様を眺めることに快楽を覚えるのではないのか。

それを制止して帰宅を促す、あまつさえ自らの身体を差し出してでも進むことを拒絶することにどんな意味があるのか。

純度100%の善意であるはずがない。何か裏があるはず。

これまでのテンの態度が逸海の思考をかき乱す。


「昨日の今日で態度が一変すれば信用できないのも無理なきこと。ですが、怪異は常に誰かの死を求めるものではありません。驚かせ満足する怪異、人と関わることに喜ぶ怪異、人を守る怪異。その本質は怪異によって違います」


テンは大げさな手ぶり身振り、挙句の果てにはお得意の変化で何役も演じていく。怪異に疎い逸海でも理解しやすい工夫が施されている。

テンの演技の一挙一動は逸海の関心を惹きつける。反面、胡散臭さの抜けないペテン師の雰囲気が漂っている。これは積み重ねた信頼によるものだろう。

そして逸海の警戒心は的を射ていた。


「私は八奼逸海の守護霊が如きもの。あなた様……のフフッ身の安全を守るのは────」


キキイイィィィィ────


タイヤのスリップ音と共にテンの神妙な面持ちは段々と崩れていき言葉には笑いが含まれていく。虚偽の積み重ねに感情の堰が崩れ、肩をピクピクと震わせ言葉を紡ぐ様は昨日と同じ。

これに逸海が何を思うかは明白であり、小さく舌打ちをするとテンを無視して通り過ぎていく。


「……ん? 動けるのか」

テンを無視することを決めた瞬間に一歩目を踏み出した。それは先程まで動かすことすらできない一歩。されど今回は簡単に踏み出すことができる。それが示すことは、


(テンが何かしていたのか……)


それは当然の帰結である。


「うーん、あの人は何も話さなかったのですかね」

「何言っているのかわからないけど、戯言が済んだのなら俺はもう行くからな」

「あぁ待ってください。せっかくですから怪異のお話でも聞いていきませんか?」

「いや、いらない。俺急いでいるから」


穏やかな微笑を浮かべたテンの提案をキッパリと断り珠ノ美高校に歩を進める。怪異の話に興味がないかと聞かれれば興味はある。だがテンと一緒にいたいかと言われれば否定する。

なにせ彼女の言葉には逸海をイラつかせる成分が配合されているのである。

 だが、テンも納得するわけではない。

逸海の足に縋りつくと駄々っ子の様な喚き声をあげて逸海を制止させる。足を振り上げ蹴飛ばそうにもテンが重く、無視して進もうにもテンが重たい。

結局のところテンの提案に乗る以外に選択肢はなかった。


「わかったよ、聞いてやるから離れてくれ」


根負けした逸海がしずしず提案を承諾しのだが、


「そんなに聞きたいんですか。それなら初めからそう言えばいいのに。落として上げようだなんて人間には通用しても怪異には通用しないぞ♡」


と、いつも以上に癇に障る言葉に逸海は爪を掌に食い込ませ流血することで感情を抑制した。


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