家族
家に帰り一段落した頃、珠ノ美高校から明日は事情聴取、明後日以降の休校の連絡が届いた。そのメールに逸海は小さな溜息を零しながらスマホを手から零してベッドに横になる。
ベッドに大の字で身を預けてゆっくりと瞳を閉じる。
過度な緊張で感じなかった精神的疲労が逸海をドッと襲い、肉体的疲労と併せて入眠へと誘い、逸海は流れに身を任せてゆっくりと呼吸を始めた。
鼻から空気を取り込み体外へと追い出す。二度、三度と繰り返すと穏やかな感情が逸海を包み込みそのまま意識を手放した。ら、よかったが奇妙な不快感が逸海の眠りを妨げる。
ヨウとの約束をそのままにして安寧も糞もない。
今の逸海が最低限行うことはヨウに対して何かしらの解法を見つけること。それが間違えていたとしても探し求め、初めて逸海は満足を感じ安心して睡眠に移ることができる。
逸海は自身に、
「難儀な性格だな」
と、自嘲気味に呟きヨウへの解法を模索する。
怪異について逸海が知り得るものは少ない。その知りえた内容すら今日、誰か、から教わったものであり逸海自身は無知である。今の逸海ができることはその内容をまとめること。
あとはネットで散見されている内容を適当に見繕ってヨウに伝えるだけ。
本題は、霊体を肉体へ戻す方法。前提条件として、本人は肉体へ戻る意思があるが肉体へ戻れない。これについて、テンの言葉で補うことができる。
身体が拒んでいるのではなく身体に入れない。身体が入ることを拒んでいる。
原因はヨウの身体ではなく別の『ナニカ』である。
そのナニカとはいったい何なのか。
例えば、体育館を破壊した巨大人骨。逸海が肉眼で確認した中で最も凶悪な存在。他には、テンが挙げられる。自称であるが、狐や狸よりも化かすことが得意、らしい。
この二つを天秤に掛けると、破壊の巨大人骨ではなく化かすテンの方が可能性はある。
狐や狸が人を謀る話は日本各地に点在する。
テンもその傾向があり、愉快犯として逸海の前に現れる可能性は十分にあり得る。
だがそこを逸海はそれを否定したくなる感情が沸き上がる。
なにせ、ヤツの言葉は正鵠を射ている。揶揄うならもっと別の方法がある。
ヨウの身体は外部からのアクセスを拒絶している。だがそれは物理的なものではない。物理的であればヨウは物理干渉を無視して行動できるので無関係である。
では物理的でないのなら精神的ではどうだろうか。
ヨウは自己の死を受け入れる性格。本来なら憤ることが普通であり、これにおいて彼女は異常な存在。彼女が真に望んでいないために身体に戻ることができない。という可能性もある。
ヨウがこの結論に思い至らない理由も自身が自覚していなければ不思議ではない。
他の可能性は何だろうか、と逸海は別の案を考える。
ゲームではアイテムを獲得して入れるダンジョンがある。ボスを倒すことで通れる道がある。ゲームの表現を使うのであれば『封印』されている可能性。それらを解決するには特定の行動をしなくてはならない。原因を倒す、特定の道具を用いるなどなど。
特定の道具で思いつくのは御札や塩だろうか。
身を清める道具、邪を祓う道具として使用されている気がする。だがそれすらも逸海にとってはわからないだらけである。
塩は普通の塩でいいのだろうか。御札はどこで手に入れればいいのだろうか。御守りではいけないのか。なんて疑問まで湧いてくる始末。最終的には迷いに迷って思考を放棄する。
だが『封印』の考えはテンの言葉と意見が一致する。
テンは、
「ははーん。それなら身体ではなく本人とは別の要因が絡んでいやすね」
と、逸海の思考に割り込んで話しかけてきた。
テンを思い返す度に憎しみが再浮上するがそれを必死に抑え込み要点だけを抜き出す。
本人とは別、ということはヨウに原因がないことになる。
どこまで信じればいいのかわからないが、今はこれが正しいと仮定する。
ヨウに要因がないということは他にある。それこそ巨大人骨は異常事態であり、無関係であると割り切ることはできない。では、巨大人骨が原因なのか。その答えはわからない。
「……まぁこんなところか。何もわからないけど、何かわかる一歩前ってところか」
逸海の思考をまとめると、ヨウが身体に戻れない原因は主に二つ。
一つはヨウの精神の話。もう一つは第三者の封印。
どちらかと言えば、後者の方が納得いく。
封印の原因の候補も主に二つ。
一つは不快害獣テン。もう一つは巨大人骨。
他の可能性もあるが、今の逸海では知るすべがない。
そしてこの二人が犯人である可能性もこれまた二つ。
一つはテンの言動の違和感。何か知っている素振りで近づいてきたこと。
もう一つは突如現れた巨大人骨。巨大人骨がなぜ破壊を行ったのか。
かもしれない。可能性がある。多分あっている。
そんなナイナイだらけの考えだが、未知の存在に対して初めから知ることなど多くはない。
逸海が行える最大限はただ流されるのではなく自己の意見をしっかりと持つこと。たとえそれが間違えていたとしても、自分の意見があればそれを頼りに行動できる。
「明日すべきことはヨウの精神性の確認と妖怪の捜索と意見交換……だな」
意見交換の言葉に逸海は一瞬だけ不快を露わにした。
霊感を持つ逸海だが霊と関わったことはない。視線を交わすことさえ滅多にない。人ならざるものが見えることに喜びはなく無関心。それが明日には積極的に関わらなければいけない。
それも不快害獣が最も口が軽そうな存在とくれば嫌悪に表情が歪むことは避けられない。
これまでと比べてわずかであるが前進した気がする。そんな心持が逸海を安寧に導く。
ほっと安心したのか逸海は突然降りかかる睡魔に身を預けて瞳を閉じる。
先程とは違い、ゴチャゴチャ考えることがなく邪魔するものがない。真っ暗な視界の中で二、三度深呼吸をすれば意識を手放す五秒前。逸海はそのまま静か寝息を立て始めた。
深い眠りから目を覚ました逸海が初めに感じたのは空腹である。大きな欠伸をして枕元で充電しているスマホをポケットにしまうとよろめいた足取りで立ち上がる。
締め切ったカーテンを開けてまぶしい日差しが視界を奪うとようやく意識が覚醒する。
「……眠り過ぎたな」
昨日の昼寝から一度も目覚めた記憶がない。であれば、今感じている空腹は昨日から何も食べていないことによるものなのだと合点がいく。
部屋の時計は午前七時を示す。ポケットからスマホを取り出し確認しても同時刻を示す。
今日は学校へ向かう必要があるが授業日と同じく早く登校する必要は無い。
ここで寝坊でもすれば漫画みたいな展開だが、元より十時間以上睡眠した結果が今であり、これ以上の睡眠は病気と疑う。
昨日の出来事はハッキリと覚えている。どれもこれも夢であれば良かった。
だが学校からの休校メール、背中に残る痛み、掌に食い込んだ爪の名残。そのどれもが昨日の出来事が偽りであることを否定する。
呆けるにも頭がはっきりと冴えている。寝ようにも脳が睡眠を求めない。幾らかの思考の末、逸海は身体の赴くままに階段を下りて居間に向かう。
居間の扉に手を掛ける直前、中から誰かの話し声や足音がないか耳を澄ませる。
一秒、三秒、五秒と息を殺して居間の音に意識を向け何も聞こえないことを確認するとホッと溜息を零しながら居間の扉を開けた。
「お兄様、おはようございます」
扉の音に反応して逸海を迎えたのは妹の志玲奈だった。
「……誰も来てないよな?」
妹の厳かな口調に怯えた逸海は居間の死角にまで視線を送り誰もいないことを何度も確認する。
「はい、会議は昨日までですから今日からは普段通りの我が家ですよ」
「なら、様はつけないでくれ。俺にとってそれは親族いる目印なんだから」
「えぇ、ちょっとした悪戯心にございます」
志玲奈はわざとらしく舌を出してお茶目さを演出する。だが逸海にとっては笑い事ではない。
「さぁご飯の準備はできていますから一緒に食べましょう。今後の一族の予定はその時に」
机の上には二人分の食事が準備されている。
起きて食事がある有難みは父が亡くなった時に味わった。だがその負担を妹に掛けている事実。それからこれから聞く話に逸海の気持ちは沈むばかりである。
「それは俺が聞かなきゃいけないことなのかな」
「お兄ちゃんの気持ちは理解します。しかし知らねばより邪険に使われるのではないですか?」
志玲奈は座布団の上に正座し逸海にも座することを促した。
逸海の家庭は少し複雑な事情を抱えている。
母は二人を産んだ数日後に亡くなった。父は数年前に飲酒運転に追突され亡くなった。
両親が残したものは子供二人では持て余す程の一軒家と財産、それと少しの思い出だけ。
「では簡潔にお伝えします。昨日まで行った一族の議題ですが───」
複雑な事情はもう一つ。それは父方の血縁の『八奼』の家系が何十代と続く名家であること。
一族に関しては父が主に取り仕切ってきたが不意の事故で亡くなった。
その皺寄せが子供である二人に回ってきた。
まだ幼い志玲奈が当主になることが決まったのは一族全員が血統を重視しているから。
しかし本来であれば逸海が当主になるところ、一族の総意で志玲奈が当主に任命された。
「やはりお兄ちゃんは一族としては見做されていないようです」
「それはわかっているけど、原因がわからないからな。血が繋がっていないならわかるが、」
「それはありえません。血縁家系に際して各々が確認を行った末の結論です」
逸海は八奼の血筋であるが一族として認められていない。
当主である志玲奈が全権を握り兄の逸海は厄介払いである。
父が生きている頃から志玲奈が優遇されていたが、父という後ろ盾を失った今の逸海は親族の顔を見ることが億劫である。
「では、本日から私も珠ノ扉高校へ通学いたしますので、」
「あぁ学校なら崩落したから今日は休校ってメールが来ていたぞ」
昨日の出来事の被害者の一人である逸海は端的に告げた。
志玲奈は四月に入り数日間、一族を呼集し今年度の討議を行った。
そのおかげか昨日まで学校に行っておらず一連の出来事に巻き込まれなかった。
学生としては認められないが、兄としては妹が崩落や昏倒に巻き込まれないのなら学校を休んで正解だった。
「崩落ですか? その様な話は私の元へは届いておりませんが」
「さぁな。親族の誰かも昨日まで会議に出席していたのなら知らないんじゃないか」
毎朝新聞に目を通す習慣のある志玲奈が知らないのなら新聞には載っていない。
あれだけの出来事。しかも午前中の出来事なら記事にするには十分な時間があるはずだが。
「いえ、このような件は大津様から通達があるのですが。ここ数日続いている地震の話も昨日お聞きしましたし」
「大津って志玲奈の養育係のあの人の家族か」
「私のではなく二人のですよ」
記憶が確かなら小学校の頃からこの家で世話を焼いてくれていた。
だがそのほとんどは志玲奈への対応であり、逸海の要望が叶えられた記憶はない。強いて挙げれば志玲奈が気を利かして逸海と同意見になった時に「本当にいいんですか?」なんて皮肉めいて逸海を睨んできた記憶がある。
「あの人、志玲奈にしか話しかけないし。俺は幽霊かって話だな」
「私達は幽霊ではありませんよ」
「わかっている、冗談だ。それよりどうする? 今後の話を聞くだけなら俺だけでも事足りるけど、志玲奈も一緒に学校に行くか?」
昨日届いたメールには、出席可能な生徒は出席するように。と記載されていた。
つまり出席できない生徒はしなくてもよいわけだ。
昨日、八奼家の親族会議を終えたがその全てをまとめきれていない。
先の口頭説明に申し分ないが、話の途中に何度か言葉を遮り思い起こす素振りがあった。
「忙しいなら俺の方で姉さんに伝えておくけど」
「そうですね。一緒の登校は楽しみですが難しいですから。本日も暇を頂くことにします」
兄妹が同じ学校に登校するのであれば一緒にすることは決しておかしな話ではない。
中には友達と行く時や喧嘩をした日には別々に登校するが。
逸海は普段から歩きや自転車で通学するが妹は別。志玲奈が家を出れば車が用意されている。
移動手段にすら格差が生じる。それが嫌で仕方なかったのはもう昔の話。
時の流れは残酷であり、異常に思える仕打ちも繰り返すうちに日常になってしまった。
「あっお兄ちゃん。まだ食べ終えていませんよ、ほら」
志玲奈は逸海の茶碗を手に取ると数粒の白米を集めると、
「はい、あーんしてください」
と、逸海の口元に箸を持っていく。
「お米一粒に七人の神様が宿っているんですよ」
「ならそれを噛み殺す俺は罰当たりだな」
「あらお上手ですね。では、」
これはご飯を残した逸海に非がある。それを自覚している逸海は若干の抵抗を感じつつも志玲奈の差し出したご飯の塊を口に入れた。
「はい、お粗末様でした」
「いつもご飯の準備ありがとな」
「このくらいでしたらいくらでも。それに、」
志玲奈はふっと視線を逸らした。それは逸海に対する罪悪感から来た様で。
「私が産まれなければお母様は今も───」
「それは違う‼」
逸海はバンッと机を叩くと志玲奈の視線を自身に引き寄せた。
「今の言葉は命を懸けて産んだ母さんへの暴言だ。志玲奈が勝手に背負った罪の意識を俺で解消することはいい。けど意味もなく生きることを否定するな。それだけは絶対にだめだ」
志玲奈は時折今のように、母の死因を自分の責任と考えている節がある。
それを埋めるように逸海の世話を行っている。要は罪滅ぼしのつもりである。
逸海達は産まれた時の状況を知らない。
父の話では元々身体が弱かったとか。双子の出産には様々なリスクが伴う為、片方を早い段階で流産させる話も一族の中では議題に上がっていたとか。
それを押し切って母は二人に生を与えた。
「生きることを否定しちゃいけないだろ。死にたいなら納得できる理由をみつけろ」
死は常に存在する。実行する勇気があればこの身一つでも生を放棄することが可能である。
逸海とて死ぬこと自体を否定するつもりはない。
一族から疎まれる日々の中、深層の自分が語りかけてきたこともある。
しかし自分が納得できる理由もなく、行う勇気もなく、死にきれない経験がそれを止めた。
「もしも志玲奈が死んでもいいと思うなら俺は止めない。止める権利もない。ただそれが自分を騙して作った理由なら………」
「理由なら?」
「どうすればいいんだろうな。怒るにも死んでいるし、忘れようにも忘れられないし」
怒りの感情は視野を狭める。
志玲奈の言葉に反射的に激情したものの結論を考えているわけもなく思考は迷子になる。
眉間に皺を寄せ、唇を噛みながら結論を考えるが浮かぶはずもない。
初めから結論を見出せていない以上、どこに着地しても違和感だけが残る。
「死ぬ人間には理由がある。志玲奈が納得できるなら止めはしないさ」
「では私が死ぬ理由はお兄ちゃんが亡くなった時にします」
「んんん、早計というか何と言うか。それ以外だって理不尽に殺されることだって──」
「私が定めた罪滅ぼし。どうか受け入れてください、そして私がまがってしまった時は矯正を」
死ぬ理由を定めることはできても叶えられる保証はない。
なにせ理不尽に線路に突き落とされる人間がいるのだから。子を産んで亡くなるのだから。
志玲奈の瞳には力が籠っている。日常会話から発展した生死を問う重たい話。
冗談のつもりでもなければ、真剣でもない。適当に会話していたが、志玲奈が暗闇を走るための道標になるのなら。
「頼りない兄ちゃんだけど優秀な妹の為だ。もしもの時は力になるさ」
力になれるかはわからない。勉学も運動も人間関係も志玲奈は優秀である。逸海が勝る部分など身長の高さ以外に自分でも思いつかない。
そんな人間が困窮する時、逸海はどう力を貸せばいいのだろうと思案する。
(志玲奈が困ったら渋川さんや吉備さんが手伝うから死ぬに死ねないか)
志玲奈が悩みを口にすれば一族総出で解決に動き出す連中である。
下手すればこの家に数台に盗聴器が仕掛けられていても驚かない。
「まぁなんとかなるのかな」
「どうかしましたか?」
逸海は、なんでもない。と首を横に振るとポケットにスマホが入っていることを確認した。
「では私は片づけをしますからお兄ちゃんは高校の支度を済ませてください」
「いつも悪いな。それと帰ったら高校の事故と今後の事を話すから時間を作ってくれ」
志玲奈の返事を聞くよりも早く居間の扉を開けて二階に向かった。
急ぐ理由はない。ただふと気になることがありそちらを優先する心が勝った。
志玲奈との会話の中で気になる単語が自分の口から零れていた。
それはどこかヨウを意識しているようで、洗脳されているようで気分が悪い。
一昨日までの日常は沈み、昨日からは新たな日常が到来した。
だが頭の片隅に追いやっていた事項を思い起こすきっかけになったのも事実である。
逸海はネットという便利な道具を用いて鮮明に記憶している怪異を調べていく。
天井から逸海を見下ろし、逸海が見上げていた巨大な怪異。人間の何倍もの巨躯を持つが肉を持たない骨だけの存在。骨格標本の巨大化した姿の怪異。その名前を。
その名を『餓者髑髏』という。
死者の怨みの塊。悼む気持ちなく貶す存在に恨みを晴らすために姿を現し暴虐の限りを尽くす。戦争で亡くなった人間、恨みをぶつけられなくなった人間。様々な人間の感情が創り出す。
人間の骨格をしているのは死者の怨みが人間のモノであるから。
「餓者髑髏も信仰されてきたのか? それとも不完全だから長時間は存在できなかったのか?」
普通、死者の安寧を願うことはあれども貶すことをするだろうか。
逸海はヨウが事故に遭ったことに対して何の感情も抱かなかった。
逸海は授業が潰れたことに喜びはしたが『死』に関する情報は知らされていない。死者への感情など持ち合わせることがない。では誰かが死者を侮蔑した可能性があるのか。
「……例えば殺そうとした張本人とか」
いいやそれでは成立しない。ヨウが死んでいれば成立するが彼女は生存している。今は身体に戻ることができないが決して死んだわけではない。半死半生をどう定義するかは不明であるが。
更に、死者を侮蔑した存在に恨みを晴らすのであれば逸海を執拗に狙う意味がない。ともすれば餓者髑髏は逸海ではなく別の何かを狙っていた。
「……ヨウか? いやあの時、ヨウは離れたところにいたはず」
では餓者髑髏はなにを狙い、破壊の拳を振るったのか。
「……やめだやめだ。何もわからん」
思考は沼の中に沈み込む。余計な汚泥に包まれて身動きが取れず、されど汚泥が汚泥を集め思考はいつしか別の塊となる。それは意味を持たないゴミに等しい『なにか』である。
だから逸海は考えることを放棄した。結論は『思いつかない』で終える。
神も怪異も同じ存在、信仰がなければ生きていけない。
昨日の不快害獣との会話を思い出す。ヤツの言葉を鵜呑みにするわけではないが、納得させられたのもまた事実。であれば、
「父さんを想えば幽霊として再開できるのか?」
なんて心の片隅にある父への残滓に想いを馳せる。
父親へ会いたいかと聞かれれば逸海は迷うことなく首を縦に振る。逸海が父親を思い出そうとすると初めに浮かぶのは血塗れに姿。
あの日、病院帰りの逸海は父の運転で花見をしていた。
穏やかな陽気に助手席の逸海は大きな欠伸をしながらもその美しい光景に目を奪われていた。
しかし春の陽気は変質者を呼び寄せるモノである。
飲酒した車が信号を無視し逸海の乗る車と衝突した。奇跡的に逸海は生きていたものの父は病院に運ばれそのまま亡くなった。
悲惨な父の姿を上塗りすることはもうできない。だが霊体としてでも新たな思い出を作れれば、
「っふふふ、くだらねぇ」
珍しくナイーブな感情に逸海は自嘲気味に呟いた。
父親に会いたい感情に偽りはない。だがそれは是非を問われればの話。
普段から会いたいとは思っていない。亡くなったから会えないことは当然である。
さらに月日が経過すれば感情は薄れる。現に今は父親に対する感情は無にちかい。親不孝だが時の流れで忘れてしまうモノもこの世には存在する。逸海にとってはこれがその一つである。
堂々巡りの思考を終えるといつの間にか高校に行く時間。それほど熱中していたことに気づくと溜息が零れる。
なにせ自由時間の浪費である。休日に学校の事を考えるように嫌気だけが靄の様に残る。
「いってらっしゃい、お兄様」
志玲奈は玄関に立つと人が変わったように眦に皺が寄る。
如何にも真剣な表情を訴える皺、正した姿勢は逸海にはない真摯さが備わっている。
いつ、だれに見られても問題ないように玄関だけ志玲奈は八奼家の当主の風格が宿る。
逸海は志玲奈の眉間に指をあてると掘られた様に深い皺を優しくほぐしていく。
「行ってくる。帰りはまた連絡する」
妹の顔が柔和になったことを確認した逸海は揶揄うように笑うと玄関の扉を開けた。