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惑いの域  作者: 風雨
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昏倒と混沌

途端、立て板に水の如く話し続けた花蓮が口を噤んだ。

それは満足したからでも、逸海が制止したからでもない。

廊下から響く耳を劈く女性の悲鳴と教室の机が倒れる音が二人の会話を遮った。

異常事態の連続に逸海は嫌な予感しかなかったが、花蓮の好奇心と不安を内包する視線と交わるとトイレから出ることを余儀なくされる。

 トイレから一歩外に出ただけで何が起きたのか理解できた。廊下は何十もの生徒が倒れ床を埋め尽くす。立っている者はわずか数人。死屍累々のおぞましい光景が広がっていた。

 逸海は花蓮に声を掛けるよりも先に臥した生徒の間を縫って教室の扉を開く。

あの時聞こえた机の音が確かなら廊下だけでなく教室も同じ光景が広がっているはず。そんな当てって欲しくない予測を検証するように教室を確認する。


「………いや、さすがに、」


教室も廊下と同じく死屍累々。否、それ以上に酷い有様である。

ある人は口からは泡を吐き出し、ある人は失禁し、またある人は机の下敷きとなり血を流す。


「他の教室も数人を残してみんな気絶。先生たちも幾人か倒れているってのが現状だな」

「……色々言いたいが、まずは保健室、は無理だから救急車か」


一緒にトイレを出て教室に入ったはずだが、花蓮は他の教室の惨状を把握していた。

この一瞬で隣のクラスを確認したらしい。


「俺が電話するから兄弟は……なにかしていてくれ」


花蓮はすぐさまスマホを取り出すと119番に連絡を入れる。


「……なにかって何をすればいいんだ?」


逸海を含めてクラスで立っている生徒は三人。逸海と花蓮と女生徒が一人。

どこか見覚えのある容姿に逸海は身動きを止めて思考する。


「えっと……俺と同じ風紀委員さんだっけ」


数秒のフリーズのうちに呼び起こした記憶には目の前の女生徒が風紀委員であること。

だがその確証はなく語尾は不安げで首を傾げていた。この状況で呑気だと思っていても異常に次ぐ異常は日常を渇望する。知らない人との会話が逸海にとって非日常だがこれまでに比べれば日常の範疇である。

 三十人以上が倒れている現状において異常なのは逸海達三人。何が現状を分けているのか不明だが、二人を除く残り一名も花蓮と同じくどこか嬉々とした瞳をしているように見えた。


「私? 私は、宇良糸氷菜音。風紀委員さんじゃなくて氷菜音って呼んでね。逸海君」


屍の合間をヒョイっと縫い間合いを詰めると愛らしいウィンクをする氷菜音に逸海は視線を方々に逸らす。目を合わせてしまえば彼女の虜になりそうで、その瞳に引力を感じ逸らせなくなりそうで、不慣れな緊張に一瞬だけ視線を交わしては天井、床、足元に視線を向ける。

その際に逸海の眼に映る悲惨な現実に意識はギュッと引き戻される。

屍の中に存在する華。その不釣り合いな彼女の雰囲気は彼岸花の様に不吉な雰囲気を漂わす。


「えっと……氷菜音さんね。よろしく」

「ねぇねぇ、花蓮君が話していたけど逸海君が体育館から落下したって聞いたけど本当なの?」


目と鼻の先の氷菜音の瞳には逸海がクッキリと映り込む。純粋な好奇心を向けられた逸海はすぐに視線を逸らす。花蓮の時は進むべき方向に視線を向けるだけで事が済んだが今は違う。

一対一で距離を置くに置けないこの状況。逸海に必死の抵抗はそれしかなかった。

緊張、不安、恐怖、羞恥。喜怒哀楽の混じる感情が逸海の口内の水分を奪い心音を加速させ、いくら絞り出しても言葉が口から出てこない。

相対するは見知らぬ人間。名前も顔もカーストも不明なれば対応の仕方は不明瞭。


「………えぇと落ちたね」


必要最低限で会話を済ませようと結果を伝えたがヨウの話までは必要ないと飲み込んだ。


「それでケガしていないんだ。でも五mならそれもあり得るのかな。ねぇちょっと腕出して」


腕を出してと言いながらも氷菜音は逸海の右手を取ると手首や一の腕を握っていく。右腕を握ることに満足した氷菜音は左腕を握り始める。途中、肘付近を握った際には、


「イタッ!」


と、これまで感じていない痛みに襲われ思わず声を出て氷菜音の腕を振り切った。


「やっぱりね。あの高さから落ちたら打ち身があると思っていたんだ」


痛がる逸海を余所に氷菜音は満足し嬉しそうに笑みを浮かべた。その行動、表情、態度に逸海は驚き戸惑いの表情で氷菜音を捉える。


「あぁごめんね。カサブタを剝きたくなるように気になったら確かめたくて。痛かったよね」

「それは別にいいけど、」


それ以上の言葉は出てこなかった。彼女の表情と言動が一致しない不気味さに逸海は形容し難い感情に呑み込まれていた。恐ろしさはないが無関心に割り切れない違和感。

 屍山血河の教室に彼女は花畑にいるような雰囲気。昼間の遊園地で行うデスゲームのように交わる事のない事象が恐怖を生み出す。無形の鬼胎、音無き空間と同様に常ならざる世界。

逃避を望む逸海、現状維持の逸海。その他大勢の人格が別々の意見を主張する。

全ての行為を同時に行う衝動に狩られ多くの感情が発露し百面相。不格好な笑顔、困惑による表情の歪み、恐怖への対抗の憤怒。表情と行動の指令系統の情報処理が行えずそれらが交じり合い無となる。


「うん、でも怪我がそれくらいでよかったね。花蓮君の話だと爆発に巻き込まれたって話していたからね。まぁみんながどうして倒れたのかは……」


口を開く逸海は二の句を告げることができずに硬直する逸海を前に一人頷いた。氷菜音は近くに倒れているクラスメイトの顔に手を当てると慣れた手つきで呼吸、心拍を確認していく。


「前に集団食中毒があったけど朝食はバラバラだし、あとの可能性は───」


現状から得られる情報を淡々と述べていく様に逸海の感情は混迷を極め、意識が彼女に向いてしまう。だが恋慕ではない。紅一点、掃き溜めに鶴。不釣り合いな存在であるが故の興味。


(……コイツは花蓮か?)


先程名前を覚えた春の陽気に誘われた変質者である神楽沙紀花蓮。彼は自己中心に考え気になることを口にしては満足そうに去っていく。花蓮は欲望を抑制の出来ない性格をしていたが、彼女は自己中心のままに押し付ける性格。そんな印象を受ける。


「うっし、とりあえず連絡は済ませたけど……」


電話を終えた花蓮は教室を見渡し面倒臭いと溜息を吐く。現状でそれが行える思考回路を理解できないが花蓮の二の句を聞いて逸海は少しだけ納得がいった。


「人数の把握をしておいて欲しいそうだ。いやぁ言っちゃ悪いが、面倒臭いことこの上ない」

「まぁ否定はしないけどさ。とりあえず、」

「私が放送で伝えるよ。私達と同じように無事な人もいるだろうし、逸海君と花蓮君は念のため二年生と三年生の教室に行って伝えてきて。私は一年生に伝えながら放送室に行くから」


二人は現状に対して驚きはしても自我を保ち続けている。対する逸海は起こる出来事に右往左往。いいや、逸海が普通であり他二人が異常なまでの対応力に優れている。

二人は予行演習でしたのでは? と疑ってしまうほどの対応力に猜疑心を向けてしまう。

 逸海は氷菜音に指示された通り教室を出ると三年生の教室へと向かう。

二年生の教室は一年生と同じ北校舎でありで階段を降りれば辿り着き、三年生の教室は南校舎にあり渡り廊下を渡る必要がある。

 教室から逃げてきた逸海が渡り廊下を訪れると、教室や廊下と変わらない生徒たちだけで築かれた死屍累々の光景が広がっていた。ここで倒れている人達は崩落した体育館に近づこうとしていた人達なのだと予測ができる。

逸海が教室に戻る前にここを通った時は好奇心に駆られた猛者であったが今では亡者。正確には生きているが、ミイラ取りがミイラになったのだろう。


「ここを通ったのは十分前、それから一斉に倒れたのか。本当にわからねぇな」


二十分前に体育館が崩落、それから数分で生徒が一斉に気を失う。映画の撮影か、ドッキリでも行っているのだろうか。偽りの出来事であることを熱望するが、現実は非情である。


 三年生の教室に辿り着くとやはり各クラスの幾人かは無事に意識を保っているようでただ茫然と立ち尽くしていた。非常時に最適な行動をとれる人間が少ないことに逸海は喜びを覚えるが、その感情は心の中に留め倒れて人数の把握をお願いした。

彼ら彼女らからすれば逸海はおかしな人間に映る。するべきことを淡々と告げて次の教室に移動する。全て逸海が企んだ計画であると思われるかもしれない。だがその実、逸海も花蓮と氷菜音に言われたことを遂行する機械も同然。そこに逸海に自我は存在していないのである。


 三年生の全クラスに赴いた逸海は教室に戻ろうと再び渡り廊下を渡る最中に足を止めた。

何か発見したわけでもなく、思いついたわけでもない。ただこれ以上自身の無力さを知りたくない現実逃避。教室に戻るための足を止め中庭をぼんやりと眺める。

異常事態の中、鳥たちは我関せずと会話をするように美麗な鳴き声を響かせている。

それほどの穏やかな日常が校舎の外には広がっていた。

 珠ノ扉高校は中庭を囲むように四方に校舎が建っている。授業を行う教室は北と南校舎でありそれらを繋ぐ廊下が東と西校舎である。囲われた中庭には小さな池を囲うように木々が植えられており、木々の木陰に溶け込むように石碑が置いてある。

その石碑は珠ノ扉高校が戦時中に訓練学校として設立したことに関わっている。そして誰か世話をしているのか、それぞれ異なる色の花が供えられているのが渡り廊下から見える。

 疲労感と緊張の緩和に眠気を感じる頃、放送が流れ始めた。

今にして思えば放送の機械を操作していることに関心が向く。氷菜音の優秀さは逸海にとっては迷惑なほどに輝いている。

誰かへの嫉妬などいつものこと。自分より優れた人間はいつでも、どこにでも存在する。

いつからそれを羨むことなく諦める選択をしたのか。もう思い出せない。

 放送が終わると逸海は大きな伸びをして教室へ歩を進めることを再開、することを拒むように三年生のいる南校舎から聞き覚えのある大人の女性の声、北校舎から不謹慎を装備した男が逸海を挟み込むようにして迫ってきた。


「もうなんなの、先生は倒れちゃうし急に放送が流れるし。体育館が崩落するし、部室棟では爆発が起こるし。どうしたらいいのよ‼」

「兄弟に当たるよ吾平ちゃん。こんな機会は滅多にないんだ。怒るより起こったことを愉し、対処しないと。次の機会に生かせるようにな」

「イライラアイラなわけか。そりゃ生徒が勝手に放送したら教師の責任になる。自己防衛で必死にもなるわな。まぁアイラ先生を叱責する先生も倒れている可能性はあるわけだが」


花蓮の軽口は逸海の気分を解すには十分であった。それが同じ思想を持つ者同士、軽口を叩ける相手ともなれば花蓮に釣られて口が動く。

アイラ先生とは逸海、ヨウ、花蓮、氷菜音の副担任である。本名『吾平(あいら)()(づき)』。


「名は体を表すように愛らしい先生こと吾平紫月です」


と、重たい沈黙が蔓延する入学式直後の教室でさらなる沈黙をもたらした教師。

だがその意は教師を知らない事、クラスメイトを知らない事に起因し、紫月は見目麗しい教師であることは教室の誰もが首を縦に振る。

逸海と花蓮の言葉がストレスを与えたのか、元より怒っていたのか。怒り混じりの溜息を吐き出し眉間に皺を寄せる。


「あのね、先生を敬えとは言わないけど立場が違うことを忘れないように。それよりも、」


紫月は自分の手で眉間をほぐし気持ちを切り替えると愛らしい朗らかな表情を浮かべた。


「よく判断したわね。救急車の手配、生徒の確認。不安の中で十全な働きでした」


紫月は二人の頭に手を伸ばす。だがその手は頭に到達する前に自制によって制止した。


「癖って怖いわね。今は身内でもセクハラになるもの」


行き場のない手を引っ込めると誤魔化すように髪をかき上げる。


「それじゃ私は救急車の案内をしてくるから二人は氷菜音さんと集まって……どうしようか」


紫月の言葉に逸海も花蓮も呆気にとられたが道理も道理であり顔をしかめた。

 帰宅するにも証言者として残る必要がある。だが危険な場所で待機させるのもおかしな話。


「残るのも一興だが明日集まるのはどうだ? どうせ休校だ、平日の学生にとって集まることは難しくないだろ。なぁ兄弟?」

「………ん?」

「どうしたの逸海君、具合でも悪いの?」

(あぁそうか。だからヨウは、)


逸海が思い返していたのはヨウとの再会の約束である。


「明日の十二時ちょうどに下駄箱でどう? お互いに時間があるから問題ないでしょ?」


あの時のヨウは数秒の沈黙の後にそう告げた。

逸海はその言葉に違和感を覚えたが今なら合点がいく。そして彼女が聡明だと再認識する。

 逸海は眉間をほぐすように親指の甲を当てた。彼女はどこまで考えついていたのだろうか。まさか全校生徒が倒れるところまでが手の内だったのか。


「いや、明日ここ……いや近くの施設でも借りて集まればいいか」

「そうね、詳細はメールで知らせるけど、生存者を確認して明日学校に集合にしましょう」

「なら俺は倒れた人の様子見てくるからこれで、」


花蓮はこれから遊びに行くような雰囲気で教室に駆けていく。

彼のあの性質は死んでも直らないだろう。彼はこの状況を嬉々としているわけではない。だが滅多にない経験に自己の好奇心を抑えられない。迷惑でも憎めない、そんな存在。

 残された逸海と紫月は彼の背中が見えなくなるまで苦笑いを浮かべていた。小さな溜息と彼らしいと諦める渇いた笑いが廊下から消えた頃、二人の視線は中庭に移る。


「ねぇいっちゃん。私、しっかり先生できているかな?」

「先生を知らないのに先生を語れないよ。異常事態に先生らしいことをしているからいいんじゃないの? ただ従姉弟とはいえ高校生の頭を撫でるのはおかしいかな」


紫月は先程までのクールな表情を崩して舌を出すと反省の色が見えない謝罪をした。

紫月は逸海の従姉弟にあたる。八奼に親戚は多くその全員を把握できない。

母方の従姉弟であり幼い頃から世話をしてくれた母親代わりでもある。

先生の姿と従姉弟の姿。そのどちらも知る逸海からすれば先生の姿は新鮮に映る。コスプレしていると言えば伝わるだろうか。


「ねぇどうしてこうなっちゃったんだろう。昨日までは普通の学校だったのに」


紫月は逸海と同じように中庭を眺めると重く冷たい声色で問いかけた。答えを持ちえない逸海はその言葉に返事をせずに中庭から目を離さないままに現実逃避のために思考に耽る。

 沈黙が続いて十秒、二十秒、三十秒。

互いの呼吸の音だけが廊下に響き渡りそれ以外に音がない。

普段なら聞こえる声も足音もない学校は一種の異世界のようで気分が悪くなる。


「そうよね、誰にもわからないわよね。よし、私は救急隊に説明するからいっちゃんはみんなに玄関に集まることを周知して。それと明日集まることもね」


紫月は精神を鼓舞するために頬を叩き紅葉を作ると校門に向かうべく去っていく。


「姉さん……また明日」


何か声を掛けたくて、されど何も思いつかなくて。

昨日までは当然の様に訪れた『明日』という日の再開の約束を口にした。


「えぇまた明日、学校でね」


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