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惑いの域  作者: 風雨
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身体の理由

これは個人によって異なる。割に合わない事なら断り、簡単であれば受け入れる。

命を救った見返りは彼女を霊体から肉体へと戻すこと。それは無知の世界での挑戦である。

灯りの無い暗闇で歩を進める恐怖といえば逸海の抱く恐怖は伝わるだろう。

逸海は硬直中に必死になって思考を張り巡らせ、小さくため息を吐いた。


「……わかった。でもまずは情報の共有だ。お前は何者なのか、まずはそこからだ」

「えっ、自己紹介したよね? 他に聞きたいことなんてあるの?」


ヨウは逸海を揶揄う声色だった。おまけにおどけた表情で煽る始末。


「……俺が質問するからきちんと答えてくれ」


逸海は何度目かの溜息を吐くと質問事項を頭の中で復唱し言葉にしていく。


「ヨウは電車にぶつかったが死んでない。霊体の状態は生霊である。ここまではあっているな」

「うん、私の話を聞いてくれていてよかった、よかった」


実際はヨウの話の一部は聞き流していた。あくまで緊急集会の話と現状から導いた結論である。


「次に質問。身体に戻れない理由はわかっているのか?」

「わかっていたら頼まないかな。帰る場所があるけどガラスで隔てられているって感じかな」

「なら当面は戻る方法を探す………俺には無理だな。諦めてくれ」


逸海は顔の前でブンブンと手を払いあっちに行けと動作で示した。


「へぇ、男に二言があるんだね」

「男女平等の世の中では不適切な発言だな」

「だってそれは人間の中での話でしょ? 生きやすいために新しい規則を作るのは人間だけ。当然、霊体の私に適応されるわけもなく、」

「言っていて虚しくないか? 自分は人間じゃありません、と言っているようなものだぞ」


意気揚々と語るヨウの言葉を遮った逸海の視線はどこか寂しさと怒りが混じていた。

対するヨウは表情を変えることなく柔和である。

これまでも彼女の言動に違和感があった。だがその答えが今分かった気がする。

ヨウは自己の状態においてあまり頓着していない。

身体に戻りたい。という最低限の感情はあれども熱望するほどではない。戻れる状態であればこのままでも構わない。ヨウの応対はそう彷彿とさせる。それが逸海には気持ち悪く映る。

人ではない状態を許容することにケチはつけない。なにせ逸海は常に人である。

だから逸海の抱く感情はヨウにとっては迷惑かもしれない。

それでも逸海はヨウにむかついている。イラついている。憤怒に塗れている。

死を許容する彼女に、現状に不満を抱かない彼女に、ニヘラと笑う彼女に。

だから逸海の言葉の端々には怒りが見受けられる。


「なぁ、線路に落ちた理由はなんだ?」


線路に落ちる理由はいくつか挙げられる。だがそのどれもが不自然すぎる。

スマホを見ていても、友達と話していても。電車の接近には気づくだろう、線路に落ちると気づくだろう。ヨウは高校生である。乳飲み子同様に何も知らない無垢な存在ではない。

高校生が線路に落下する危険に気づかずに落下。電車に撥ねられてしまう。そこまでの流れに至る自然な手順は自ずと絞られてしまう。

これはあくまで逸海の推測に過ぎない。だからこの推測が外れて欲しいと願っている。


「まさかとは思うが、誰かに突き落とされたわけじゃないよな?」


それを口にすることが億劫だった。なにせ『殺された』なんて人に聞く機会がない。

 互いに視線を交わしたまま気まずい沈黙が流れる。

逸海は睨み凄むような鋭い視線を送り、ヨウはそれを包み込む穏やかな視線を送る。

暫くの後、逸海の熱視線に観念したのか眉を上げると小さな溜息と共に穏やかな口調で告げた。


「うん、私は線路に落とされて殺されかけたよ。運よく無事だったけどね。それで────」


バンッ!

ヨウの言葉を遮ったのは巨大人骨の拳の音でも耳を劈く爆音でもなかった。

異常な行為を日常の様に語るヨウに怒り猛る逸海の拳が壁を殴った音だった。


「痛ァ‼」


勢いに任せに殴った拳は当たり所が悪かったのか痛みが骨に響く。骨に反響する痛みに顔を歪めながらもヨウへ向けられた感情は尚も昂った。


「なんで死を当然のように受け入れる。お前の感じている事全てが理不尽なことのはず……」


逸海の嘆きは静かな廊下に響き渡る。まるで自分のことの様に逸海の悲しむ態度にヨウは笑顔を辞めて目を丸くした。

 逸海は言葉を絞り出す度に拳を壁に叩きつける。

一回、二回、三回。壁を叩く力は数を増すごとに小さくなっていく。


「理不尽なはずだろ。なのにどうして………受け入れるんだよ」


最後の一回。壁を叩く音はとても弱く無意識に滴る涙の音が耳障りに響いた気がした。

何故自分は涙を流しているのか。おそらく過去に類似体験があるからだろう。

怒り過ぎて感情の制御が効かなくなった。あまりの哀れみを自身のこととして受け止めた。

どれもが適当であり不適当。それらが混合と乖離を繰り返した不定形の感情だった。

 必死に自分の感情を押し込めようとすれども溢れ零れる。言葉にしようとすれば罵詈雑言で満たされる。だからそれを堪える喘ぎが口から零れる。

 逸海の抱く感情など自己満足の産物。

納得の出来ないことに対して自分の都合のいい解釈をしようとしているだけ。

それは逸海もわかっている。けれども死を許容しているヨウが正気には思えない。

受け入れざるを得ない理由があるのかもしれない。それだけの行いをしたかもしれない。

死を受け入れる彼女は『生者』ではなく安寧に眠る『死者』そのものである。

 逸海は口を動かし言葉を模索する。しかし適当な言葉が見つからずサカナの様にパクパクと動かすばかり。それに見かねたヨウは眦を下げた。


「私のために嘆いてくれてありがとう。でも逸海が感情を昂らせたように、誰かにだって私を殺したいほど憎む感情はある。それを否定することは個人の意思を否定すること。例え、世間一般に間違っている思想であっても、『その瞬間』の『その人』にとって『その行動』は紛れもない是だよ。私はその瞬間にそれを否定する言葉を見つけられなかった。それだけの話」


ヨウは終始穏やかな声色、穏やかな表情、穏やかな感情であった。

 彼女の意見は賛否の入り混じるものである。

間違いを犯すその瞬間に、間違いを指摘できなければ意味がない。

結果を見ていた人が、


「そんなことしなければよかったのに」


と言葉にしても意味も価値もない。結果を見て嘆くことなど誰にでもできる。

正しき言葉を『その瞬間』に言わなければ当事者たちは間違いを犯してしまう。

 人を殺すことは悪である。罪である。しかし法で禁止されていない。あくまで暗黙の了解。

それでもその道理を相手に告げ、納得させられなければ意味がない。

彼女は相手に対してその理由を告げることができなかったのである。


「それなら俺がヨウの頼みを断る行為も俺にとっては正しいのか?」

「そうだね。だから私も逸海に頼みはしても強要はしていない。まぁ助けてもらうために頷いてもらえるように仕向けはしたけれども、断ることはできるよね」


ヨウの言葉に逸海は内心で頷いた。逸海がヨウの依頼を受けたのは借りを返すため。だが決してそれを強要されていない。

 逸海はヨウの人となりが分かった気がした。

ヨウは負の感情を知らない。恨むこと、怒ること、蔑むこと、悲しむこと。

負の感情を持つことなく生を送ってきたのだろう。もしくは持つことの赦されない存在に造り上げられたのかもしれない。清廉な状態を理想として生み出された存在。

そんな人造人間に近い生物それがヨウである。

なにせ彼女はここまで一度も負の感情を持っていない。常に逸海を擁護する穏やかな口調で諭している。自分が殺されかけたことすら差し置いて。否、それを思案すらしていない。

これらは逸海の妄想だが、彼女が負の感情を抱く場面で抱かないのは事実である。

当然、負の感情を持っている。それが人間である。だがそれを表に出すことがない。

人としてどこか不完全に思えるヨウに少し同情する。いいや彼女の境遇に心惹かれていた。

恋ではないが好意ではある。友人ではなく別の何かに対する想い。

棄てられたネコを見るような形容し難い感情である。

 逸海は自己の感情を誤魔化すように小さな咳払いを一つすると眼差しを鋭くしてから人差指を立てて最後の質問をした。


「最後に………ヨウを殺そうとした奴は誰だ?」


それはこれまでの問答の中でも重要な問の一つ。

彼女が霊体になった原因であり人の道を踏み外した存在。

逸海の質問に対してヨウは初めて表情を曇らせる。それが意味することに想像がつく。

初めから知らないのか。記憶が消えてしまったのか。言いたくないのか。

どの理由でも加害者が分からない以上今後の行動に不安が残る。


「根本から解決しないと、ヨウの身体を取り戻してもまた一度狙われるぞ」

「まずは身体を取り戻さないと。逸海に頼んだのはそのことだけ。何も犯人を捕まえて欲しいだなんて頼んでいないから。それに覚えてもいないし」

「犯人を見つけることなく日常に回帰するだろうし、これを繰り返すのは後味が悪い」


面倒事は背負いたくないのが逸海の性分だが加害者を見逃した場合を考える。

加害者はこのまま社会に溶け込み全てを忘れて生きていく。ヨウが死ねば罪の意識を感じるが、生きているなら罪悪感は軽いものになる。それこそ時間で風化していく。

そしてもう一つ。人を殺したい思考は理解できない。だがそれほどの憎悪ならば、ヨウが生きていることを知れば再犯することも考えられる。

その考えに至りながらヨウが再び死に遭遇すれば、見捨てた逸海もある種の加害者である。

 逸海は荒く息を吐きながら髪を搔きむしる。もう感情の抑制すら忘れてしまった。


「条件の追加だ。身体を取り戻すだけではなく加害者を突き止める。それであれば協力する」

「それなら私も追加。逸海は休日も私と一緒にいること。それなら逸海の提案に乗ってあげる」

「……なんか俺だけ損してないか? 協力して、休日返上して。俺、なにか利得ある?」


ヨウは満面の笑みで首を横に振った。それに対して逸海は賛同するように首を縦に振る。

冷静に考えると逸海にはデメリットしかない。だが自ら提案した以上断れるわけもなく。


「あぁわかったよ。土日だろうが祝日だろうが協力してやるよ」


それは覚悟を決めたというより自暴自棄。

ここで退いては罪の意識を背負う。それを背負い生きることは窮屈だ。

 逸海はヨウに手を伸ばす。

それは和睦の意味ではあるが、ヨウは逸海を嘲笑する。

最初、逸海はムッとしたがすぐに理解すると後頭部を掻いて伸ばした手を誤魔化した。

 握手とは友好を示す意味を持つ。スポーツでも、他国間の会議でも。互いに相手を尊重しその意を示すための行為。心の内は黒くとも対外的には友好を主張できる。

だが物理干渉の不可の半人半霊の彼女が生者と物理的に触れ合うことはできない。


「……でも、手を握る真似してくれてもいいだろ?」


逸海が照れ笑いを浮かべるとヨウもつられて笑みを浮かべる。

そして今度はヨウから手を伸ばし、逸海はヨウの掌に自分の掌を合わせる。


「これからよろしくね逸海」


跳ねるような声色。まるでこれから恋人にでもなるような陽気さ。

自分の身の上を知り、それでも明るく振る舞う半透明の彼女。


「あぁなるはやで終わらせるつもりだけどな」


対する逸海は喜怒哀楽を含蓄する声色。まるでこれからの苦労を察したような。

相手を知り、深入りしすぎたことに辟易する。されどこの結果に後悔はない意志がある。


「さて、それじゃまずは────」


逸海はゆっくりと起き上がる。それから溜息混じりに呟いた。


「教室に戻って今後の流れを聞かなくちゃな」


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