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惑いの域  作者: 風雨
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病院

 意識が覚醒し瞼の裏の暗闇を晴らすとそこは白を基調とした独特なアルコールの香りのする病室。外の景色は等間隔に植えられた木々が春風に揺られ、木漏れ日が窓から差し込む。

それは穏やかな日常を強調し精神に安寧をもたらす一助となる。

 昏睡の逸海の覚醒は待ち望まれたものであった。ただし、本人は望んでいない。

逸海の手を握るのは妹の志玲奈である。白い手から段々と視線を上げ肘や肩まで視線を上げると逸海は思わず溜息を吐いた。

それは決して妹に対しての溜息ではない。その後ろに逸海を毛嫌いする一族の面々が気怠そうな態度で逸海の顔を眺めていた。


「お兄様弁明は後で聞きます。今はゆっくりと休んでください」


志玲奈の声色は重厚な音であり逸海の返答など不要と悟らせるには十分な威圧である。

二人きりの時に聞く穏やかなものではなく一族と話す時の厳粛な態度。建前とわかっていても身の毛のよだつ雰囲気に逸海は委縮する。

 志玲奈はスッと立ち上がると後ろに控える面々に頭を下げて病室を後にし、一族はそれについていく形で病室から出て行った。


「全面的に俺が悪いんだけどさ、後ろのおっさんたちは───」

「必要ないよね。私もそう伝えたけど体面としてなんだって。大人って面倒ね」


突然背後から差し伸べられた合いの手にビクンと体を跳ね上がらせる。


「イッタアアアァァ、姉さんもいるなら先に声を掛けてくれよ」


声に反応した身体は自身の現状を把握しておらず声の方向へと顔を向けるだけでも体中から悲鳴が聞こえる。


「残念でした、今は教師としての立場なのです」


そう告げる紫月は少し渋い顔をした。


「何があったなんて説明できないよね。ただあの場にいたのが逸海くんだけだから」


紫月は珠ノ美高校の今の状況を簡単に説明した。

目下重要なのは大穴の理由とその近くで意識を失った逸海である。

 逸海が体験した出来事は紫月が説明しようと考えるも一般人に話すには言葉を選ぶ。

中庭にある石碑は地下深くに繋がる階段になっていた、と。

階段を降りれば戦時中に使われた地下施設があることを説明すれば話の大筋は終わりである。

決して、餓者髑髏や棺桶、両面宿儺の存在は話しても伝わらないため伏せておいた。

逸海は立ち入り禁止を破り侵入した不良生徒であると自称する。

目に見えない存在、誰も証明できない存在を信じることは難しい。

逸海とて逆の立場なら鼻で笑うだけである。


「ここ数日は地震があったはずです。それがきっかけで地盤沈下だと思います」

「あの池の部分だけが?」

「たしかどこかの駅前で陥没事故がありましたよね。あれと似たような経緯では?」


何年も前に駅前の道路が陥没する事故が発生した。原因は岩盤が水圧などに耐えきれなかったと言われている。今回の件を含めれば、それが真実かどうかは不明だが。


「まぁ逸海君一人であれだけの穴を作ることはできないでしょうし。地下室も……ね」


紫月に翳りが見えると逸海の好奇心は無意識に己の口を動かした。


「何か知っているんですか?」


秘密の地下室などゲームでしか見ない設定。『そこでは秘密の実験が』なんて設定で物語を膨らませる定番である。それを現実として疑うことなく肯定することに疑問が浮かんだ。


「七不思議ってところね。珠ノ美高校は戦前からある学校だから地下研究室が、なんて話はきいたことがあるの。ただ眉唾だから信じていると聞かれれば否定しちゃうけど」

「七不思議か。小学校の頃は友達と校舎に侵入して音楽室や理科室に行きましたけど、」

「高校生になってもでしょ。それじゃ私もこれで戻るから、逸海君は診察してもらってからね。学校はしばらくないけど、近いうちにクラス単位で集めて今後の話をするから忘れないでね」

「すみません、ありがとうございました」


逸海は心の赴くまま言葉を口にした。それは素直な謝意。心を偽らず、言葉を偽らず、表情を偽らない八奼逸海本人の言葉である。


「ンフフフ、素直な逸海君を見るのは十年ぶりかな。なんだか気持ち悪いわね」

「いつも素直ですよ。素直になることが許されない妹の分まで自由に気ままに心のままに」

「そのせいで高校に侵入したのね」

「それは………否定でいないから辛いな」


逸海はバツが悪そうに頬を掻きながら罪悪感の籠る視線を紫月へと送る。

二人の視線が交わると互いにプッと堪えられずに笑いが溢れてきた。

 どこか幼さを取り戻した逸海を見た紫月は満足気に頷くと逸海の頭に手を置いた。

それは母のような穏やかさと友のような友愛のある顔。

親代わりであり年の近い従姉弟だからこそ知っている。逸海が苦しみ藻掻くが、それは他者からは介入できない怨嗟。それを乗り越えた今の逸海の表情は大人びていると同時に年相応の純真さを持った表情をしていた。


「あーぁ逸海君が遠くに行っちゃったな。お姉ちゃんって言ってくれなくなっちゃったし」


懐古する紫月の言葉に逸海の顔は一気に赤くなる。それは忘れていた幼い頃の過ち。否、過ちではないが昔の出来事を語られるのは慣れていない。

それに大人びたつもりの今、甘えん坊だった頃の話となれば黒歴史という負の遺産である。


「あぁ逸海君照れてる? それじゃ一緒にお風呂入ったり、手を繋いでお祭り行ったり」

「────っ‼」


逸海の言葉は獣の咆哮の様にその他の生物には理解できない叫び。羞恥のあまり自分の状態を忘れ、力づくで紫月の口を閉じようを身を起こしては痛みに身体が悶えて飛びあがる。

だが、逸海の身体はベッドから離れることはなかった。


「……いってえぇ。身体が上手く動かねぇ」

「ほらほら無理しないの。他にもいろいろあるよ」


紫月は逸海を介助し布団を掛けると子守唄を歌う様な暖かな声色で思い出を語っていく。


「他人事だから私にはわからないけど、よくあの家から逃げようと思わなかったわね」

「自分だけでは逃げられないですよ。志玲奈と一緒なら今すぐにでも縁を切ります。でも」


一族との関係が悪いだけで好影響も受けているのは事実。

両親が亡くなった今でも金銭や学業に苦労がないのは一族が世話をしたおかげである。

例え嫌われていても。救われている事実が変わることはない。


「まぁその恩恵の多くは志玲奈ですけどね。俺は姉さんに助けてもらって……直接言うのって恥ずかしいですね」

「いいじゃない。学校ではお互い忙しくて話せないし、中学からは近所なのになかなか会わなくなっちゃったし。ゲームでもあるでしょ、幼い頃にお姉ちゃんと遊んでもらった記憶がある。あれが僕は忘れられない夏の思い出。みたいな展開」

「ははっ、姉さんに? ないない」

「逸海君、生殺与奪は私にあるから言葉を慎重に選びなさい」


適当にあしらった逸海を狂気の笑みで封殺する。その言葉に偽りがないことを示すように紫月の手は逸海の頭から顔を撫でると顎を触る。

まるでこのまま首を潰さんとする予備動作。逸海は思わず唾を吞み込んだ。


 紫月の精神攻撃もとい思い出話は三十分続いた。逸海が動けないこと、赤面し事実を肯定することを良い事にその口は止まることを知らない滝のよう。

だがそれも平和の証。紫月の言葉は逸海の過去。それも偽りのない真実。怪異の話とは違い眉唾物ではない。逸海という人間の軌跡であり生きてきた証。そしてそれを聞いて羞恥するのは今も生きている証左。

彼女は怪異の世界を知らない。その恐ろしさも。そして、


(テンのような人想いで忠実な存在も)


紫月が怪異を知らずに楽しい生活を送っているなら逸海の頑張りも、テンの努力も、ヨウとの冒険譚も意味を成す。


「それじゃあね逸海君。情欲に駆られて看護師さんを襲わないようにね」

「はいはい。退院したら伺いますね」


去り際に欲望の心配をされたが適当にあしらい別れを告げる。

 それからしばらくは病室で安静にしていた。先の一方的な精神攻撃は心身ともに蝕み疲労を溜めた。そして逃走劇の名残である肉体の痛みが治まるまでの休息時間。

退屈な時間は過ぎるのも遅い。スマホを確認すれば示す時刻は然程変化しておらず、枕の位置を直し布団に潜っても睡眠時間が足りているのか眠気がやってこない。

この退屈な時間を逸海は知っている。

高校入学してから逸海はこの感情で過ごしていた。妹へのコンプレックスによって本能のままに素直になれない反抗期。楽しみなものも楽しめなかった。

ここ数日に思いを馳せれば、喧しい存在につきまとわれていた。

花蓮やヨウはその典型。否応なく逸海を連れ回しては逸海の幼心を擽った。

けれども。テンの存在は逸海の中で虚空であり花形である。

『命を賭してお守りします』

それが父との約定ならば彼女は本望だったのだろう。

それが逸海ではなく真人しか見ていないことに少し嫉妬してしまう。

あれほど嫌いだったはずなのに。嫌よ嫌よもなんとやら。嫌うことを考えても思考の中心にはテンがいたのである。

ほろりと流れる涙に気がつき袖でそっと拭う。

命を賭すこと。

そこまでして約定を守ったテンの気持ちを知る日が来るだろうか。

脳裏に焼き付いた雄姿を、命を賭す美麗さを、死を前に満足そうな笑みを。


「……無理だな」


妄想、想像の世界でも逸海は逸海の性格は変わらない。英雄譚は英雄の物語。逸海には関係のない話だと自嘲気味に笑った。


 逸海は皮膚の表面が削れて筋肉がむき出しになったが適切な処置のおかげで退院は可能だと診断された。というより逸海が懇願し了承してもらった。その他、痣が数か所あるがそれも安静にしていれば問題ない。

両面宿儺に頭を掴まれて壁に押し付けられ疾走されたが人間の身体は丈夫に作られている。骨も意識も無事であり我慢できる範囲である。


「……けど、歩く時は別なんだよな」


診察を終え病室に戻るよう促された逸海は自分の足で病室に向かう。

一歩踏み出す度に人間はあらゆる筋肉を使っていることがわかる。踏み込む足、踏ん張る身体、周囲を確認する頭部。そのどれもが僅かに痛み次の一歩を踏み出すことを躊躇わせている。

 平日のそれも田舎の病院は人がいない。と、思っていたが高齢者が我先にと集いて待合室に待機している。若者は逸海くらいで皆が学校や会社に向かい仕事に従事している時間である。

 苦痛に耐えながらも安寧を目指す逸海はようやく自分の病室のある階まで辿り着いた。健康体であればここまで三分と掛からない距離。それが今では十分経過している、若干迷ったし。

病院は似た構造をしており階段を登れども自分が目指す階を不明瞭にする。自分の病室がある階についても自分の部屋は角を曲がった先、と思えば曲がった先は職員の部屋であり実は反対側こそが目的地。


「ふぅ、ようやくたどり────」


疲労を癒すためにいち早くベッドに横になりたい。そう願う逸海は病室の扉を開けた。


「と、とと、とじゃいとーざい。お初お目に掛けまする、口下手ゆえにお聞き苦しく思いますがお時間いただきたく存じます」

「アァ⁉」


鼻につく文言対して、眉間には皺を、声にはドスを、身体は嫌悪から撃墜命令を下す。

だがそれは一瞬のこと。耳障りながらも聞き覚えのある言葉に逸海の感情は温和に移行する。


「……あの、お話してもよろしいでしょうか」


扉の先には人間に変化したにしては未完成の贋作。人には付いていない白く美しい耳と尾を生やした奇怪な生物が逸海の圧に怯えながらも潤んだ瞳で見上げていた。

その正体を逸海は知っている。その言葉選びは逸海の気を引くためということも。

嫌悪の感情とは相手の意識は自分に向けられている証明になることを彼女は知っている。

ヘンテコな変化も逸海の認識を集めるため。初めて会う大事な人を相手にふざけた格好で赴くはずがない。その恰好こそ、逸海と出会うための礼装である。


「テン?」

「えっへへ、何からお話すればいいんでしょう、って逸海さん、私以外に急に抱きついたら浮気で訴えますよ、もう……」


気がつけば逸海は膝をつきテンに抱きついていた。数秒前の嫌悪を誤魔化すように、テンの温もりを感じるようにその肌を感じるように強く、撫でるように優しく。


「あの……逸海さん、言い辛いのですですが」


逸海の温もりに頬を緩めながらテンは慎重に言葉を選んでいく。


「えっとですね。実は、私は逸海さんの知るテンではないんです」

「……あぁそうか、テンの置き土産ってことか」


言い辛い事とは何だろうか、と逸海は自身に問いかけた。

その答えはいくつか浮かび上がる。例えばこれが残滓である事。これが本当の別れである事。これが偽りの虚像である事。これが────。

現状におけるテンの言い辛い事とは即ち逸海が傷つく解答である。

 テンという個体はリョウメンスクナに身体を奪取されたことで終わりを迎えた。

あの状況で生きていたとなればリョウメンスクナも生きていることになる。

それだけは絶対あり得ない。そう確信している。

 テンとの会話の中にはいくつか隠された意味の籠る言葉が存在した。

親の気持ちがわかること、今後のヨウの手伝いを認めたこと。

最後のは顕著であり危険地帯に自ら飛び込んでいくことを了承するのには裏がある。その詳細までは把握できない状況だったため記憶の端に留めていた。


「その答えがこうなったのに驚きはする。けどそれよりも嬉しいんだ。アイツに恩返しはできなくともテンと一緒にいられるのがね」


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