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惑いの域  作者: 風雨
18/20

人を殺す怪異

 逸海の肉体の主導権を握るヨウは緊迫の場面でも間の抜けた表情で首を捻る。だがこの顔は逸海であることを自覚し振舞を反省する。

 テンは瞳孔の開いた目を一点から微動だにせず何かブツブツと呟いている。

 ミイラとは肉体があり魂がない状態を指す。この怪異はその器に魂が宿った。

 この数分で幾度も反芻した内容をさらに吐き出し咀嚼する。


(リョウメンスクナは身体を求めていて、ターゲットのヨウは身体に戻れないって考えでいいんだよな)

「そう考えるのが自然かと。ヨウさん自身の抵抗力も相まって簡単に乗り移れないようですが」

(ヨウの肉体に入れば移動しながら呪いをまき散らすことができるのか?)

「そうですね。ミイラとして秘密裏に災厄を撒いてもいいですが、一般人に紛れれば意図も容易くパンデミックを引き起こすことができますね」

(もう一つ、テンは俺を殺すことはできるのか?)

「「えっ?」」


 普段通りの声のトーン、日常的な会話をする声色の逸海にヨウもテンも表情に戦慄が走る。


(肉体を持つならそれは生者だろ。ならヨウの身体に魂が入った状態で殺すことはできるだろ。分かりやすく言えば、お盆に作る精霊馬だな。別の物体に魂を移しす方法)


 精霊馬。それは花蓮が逸海に教えた霊を乗り移させる手法である。


「逸海、私を怒った言葉を覚えてる?」

(あぁ、命は大事、殺されかけたのに仕方ないで済ますのはおかしいって話だな。だけど今回は違う、明確な意味がある、一つの犠牲で多くが救えるならそれは無価値でも無意味でもない)


 逸海の言葉は穏やかなものであった。それは逸海の人生譚による教訓である。

 真人は自分の命を引き換えに逸海の生存を願ったように。

 生きている以上、誰も彼もが何かを犠牲に何かを得る。基本的に失うモノ一つに対して得るもの一つという等価交換であるが稀にどちらかの数が増減する。

 私達はお金と引き換えに衣食住を手に入れ、時間と引き換えにお金を手に入れている。


(俺は決して命を犠牲にすることに怒ったわけじゃない。自分が納得する理由もなしに殺されることに怒ったんだ)


 決して命を一番に考えているわけではない。天秤にかけて優先順位のままに行動しているだけ。ヨウに対しても殺された事へ怒りを爆発させたわけではない。殺されかけた理不尽さに対してである。ヨウが自ら望んで線路に落ちたのであれば逸海は不満の表情を浮かべるが否定はしない。それは勇気ある決断をした人間に対する侮蔑である。

 要するに、納得できる理由があれば逸海はそれに従う。


(クラスで決めたことに文句を言い続けるのはダサいだろ。それと同じだよ)

「逸海さん、その言葉をありがたく頂戴いたします」

「何言っているの、テンちゃん⁉」

「私は主君に忠実な家来なればその決断を否定はできません」


 テンの言葉に逸海はリョウメンスクナの対処法が間違いでないことを自覚し小さく喜ぶ。

 ここに来て初めて逸海は明確に役に立つことができた。であれば心残りは妹のことだけである。


「しかし、命を散らすは家来が先。それに、逸海さんの肉体は魅力的ではありませんから」

(……はぁ?)

「それにそのつもりでした。ただ約定果たせず消えることに怯えていたのです。ですが逸海さんが提案するのであれば覚悟を決めなくてはなりますまい」

「ねぇ、私置いてけぼりなんだけど」


 ヨウは逸海の肉体を右往左往させて困惑を体現するが、腹を決めたテンを前にして口を閉ざす。


(簡単に言えば、テンが命を使ってミイラと共に死ぬってことだ)

「でもどうするの? テンの肉体だって魅力的ならとっくに攻撃されているんじゃない?」

「私は千変万化、タヌキもキツネも舌を巻く変幻自在なれば。それに私の変化は怪異にも聞きますからご安心を。元々、人間を怪異から誤魔化すための変化ですので」

(介錯は必要か?)

「お願いしたいですが、逸海さんでは殺せませんので私が独りで行います」

「本当にいいの?」


 逸海の頬に涙が伝う。肉体の主導権を握るヨウは自身の状態を逸海に悟らせる。

 この涙は決してヨウのものではない。霊魂として納まる逸海の感情から溢れ出た結晶である。


(………)


 逸海が返事をすることはなかった。

 時間を掛ければ、言葉を掛ければ、この感情を捻じ曲げてしまう。


「あぁ最期に私がいないからとヨウさんと縁を切る必要はありませんよ。それこそ自己嫌悪して死んでしまいますから」


 よくわかっているな。と言葉にせず霊魂の状態で逸海は頷いた。


「それでは、最期の晴れ舞台を」


 テンはそっと目を閉じて静かに手を合わせる。


「掛けまくも畏き伊邪那岐大神───」


 テンの呪文にヨウは「祓詞」と呟いた。


(なんだそれ?)

「浄化の言葉。テンちゃんが死ぬ前に身を潔白にする為のね」


 その姿に特別な演出はない。

 中空に光の玉が浮かび上がり、テンの周りを光が包み込む派手な演出があれば目を惹く。

 だがそんなことはなく、滝行する修行僧が如く、必要な行為を必死に行っている。

 死した後、真人に会う前に綺麗な身でありたいと願う一途な想い。天国の実在はともかく、テンの真人への純真な想いは美しく映る。


「それではお二人とも息災で」


 テンは満足そうに微笑むと両手を叩き獣耳の生えた人間の姿を変貌させる。

 テンの変化に関しての自負は逸海の知る以上に高い。その最高点を終ぞ知ることはない。

 されど覚悟を決めたテンの雄姿は逸海の想像を超えた。

 テンが変化したのはリョウメンスクナの求める肉体。否、両面宿儺の肉体である。

 身長は二mを優に超え、その膂力は太腿の太さが逸海の腹部と同程度。筋骨隆々では表現が足りない。桃太郎に登場する鬼、金太郎のクマの様に人を越えた偉丈夫である。

 眼力は金剛力士像を彷彿とさせる射殺す眼差し。そして一番の特徴はリョウメンスクナのミイラと同じく、頭部が二つに腕と足が各四本。腕の一本が逸海の足以上に太い丸太である。それが四本となればかつて剛力無双を成した逸話にも頷ける。


「逸海、あれっ‼」


 ヨウはリョウメンスウナを指差し逸海の注意を誘導させる。その先にはミイラの身体から靄のかかったナニカが浮かび上がり両面宿儺の方へとフラフラ揺れながら近づいていく様が見える。

 それがリョウメンスクナの意思なのか、両面宿儺の意思なのか、二人に判断はつかない。

 だがそれらが重なると靄は両面宿儺に溶け込み一体化した。

 両面宿儺はリョウメンスウナの魂と融合すると四本ある腕のうちの一本を真っ直ぐ伸ばし手刀の形を作ると躊躇いなく自らの心臓を抉るために胸の中心を貫いた。


「(うわぁぁぁ)」


 逸海とヨウは同時に感嘆の声を漏らして自らの肉体を貫いた両面宿儺の腕の先を見つめていた。

 それは自らの血に塗れた悲惨な手先。そして手の中には今もまだ脈動する内臓が握られている。

 ()()()()

 と、弾力性のある不快な音と共に心臓が握りつぶされると胸を貫く腕はそのままブラリと力が抜けると同時に他の三本の腕も垂れ下がった。

 呪いは物体ではなく概念である。

 それを倒すには命あるカタチに落とし込んで初めて損傷を与えることができる。

 リョウメンスクナがテンの変化を求めたのは人間への怨みを晴らす最適な形。両面宿儺という同名である親和性。テンの名前が不定形であり呪詛を受ける条件が整っている。

 それが今回の窮地を救った理屈である。

 目先の事に囚われ足をすくわれる。それは怪異の本質の一つ。

 存在を証明する人間を殺戮し自らの証明を失う。しかしその衝動を抑えることができない二律背反こそが怪異である。

 両面宿儺の機能停止を実感したのは逸海の肉体の主導権が本人に変換されてのこと。身体から抜け出たヨウが周囲を捜索し何か探している最中、逸海は肉体に変化がないかをドアノブを触れて確認する。

 呪いの権化が倒れた今、生ある人間を襲う呪いは存在しない。

 逸海はテンの変化した両面宿儺を見上げては涙が零れないように努めた。

 絵本で読んだ鬼のような体躯をしているテンだが逸海の視線に映るのは無邪気で気ままに絡んでくる愛らしい姿である。

 テンが絡んだ後には必ず悲惨な現場が存在した。テンが逸海を窮地から救っていたことを告げれば話は早いが、なぜそれをしなかったのか。今となっては聞くことはできない。


「……ヨウ、帰るぞ」


 周辺を照らす灯が点滅し始める。恐らくテンの術の効果が切れ始めているのだろう。スマホを持っている逸海だが狭く暗い道を照らすには心もとない光である。


「ねぇ逸海、一つ聞いてもいいかな?」

「帰りがけならな」


 この場にいては自己を苛む枷になると悟った逸海は雄姿を目に焼き付けて来た道を引き返す。

 来た道は一度通った道なれど、どこか初めての感覚である。

 ミイラの封印されていた扉から一歩出ればそこは見慣れたようで見知らぬ道。基本的に一本道のため直感的に帰路が判別できるが周囲に対する不安は無くならない。


「それで、何か気になるのか?」


 ヨウと出会ったのはつい昨日。それなのに隣を歩くのが当然になった。

 逸海は慣れた角度でヨウに視線を向け、ヨウにしては珍しくどこか難し気な顔を浮かべていた。


「あのさ、テンちゃんは死んじゃったんだよね」

「まぁそうだな。心臓潰せば死ぬのは生者の価値観だが動力が無くなれば死ぬのが定めだろ」


 リョウメンスクナの呪いの概念を殺すためには死した身体から生者の肉体に移すことで物理的な死を齎すことができる。生者における物理的な死とは心臓や脳を破壊することにある。


「私もそう思うの。でも死んだとして、立ったままっておかしくない?」

「…………」


 帰路につく足を止めた逸海は目を見開いて後ろを振り返る。

 視線の先はもう暗闇が包み込み両面宿儺の姿は正確に捉えることはできない。だが記憶の残る姿は弁慶の仁王立ちの様な誇り高き立ち姿。


「それにさ、顔二つ、四肢も人間の倍なら心臓だって二つあっても───」


 言葉を遮るように逸海の地を蹴る音が地下通路にこだまする。

 ヨウの言葉も然りだがそれ以前の問題。逸海が感じ取ったのは獲物を捕らえる猛禽類の如き視線による死の恐怖。二つの顔が僅かに動き逸海を狙うように動き始めた。

 逃げる? どこへ行けばいい?

 その答えは明確である。

 だが目の前の恐怖が逸海という人間が生物界の弱者であることを自覚させ逃避以外の選択肢を思考させない。

 隠し通路は基本的に一本道。隠れる場所は存在しないため扉の存在する通路まで引き返す必要がある。距離にして五〇mに満たない。だが人間という立場に甘んじていた肉体は生存本能が恐怖に負けて肢体を自由に動かすことができない。

 アアアアアアアアアアァァァァ

 怪物の慟哭が如き咆哮が逸海の背面に襲い掛かる。

 背中に受けた衝撃は体育館からの落下の衝撃同様に全身を硬直させ数秒間呼吸が止まった。

 ヨウは逸海を鼓舞するが咆哮が鼓膜を麻痺させ音を遮断している。

 呪いに対して逸海は耐性を持っている。そのため大抵の効果は度外視にしていた。

 だが単純な暴力の前では対等であり体格差からして圧倒的な差を持っている。


「オイオイオイオイオイオイオイオイオイ」


 生まれたての小鹿の足取りで逃避を続けながらも後ろを確認した逸海はその光景に乾いた笑いが込み上げる。否、笑う以外に音が出てこない。

 ミイラの封印されていた扉は発泡スチロールの様にパンッと弾け飛び、剛力無双の怪人が首をゴキゴキと鳴らして姿を現した。足をひかがみの無い足を曲げられるかはともかくクラウチングスタートの構えを取るとピンボールが弾かれたように射出された。


「逸海避けてっ‼」


 ヨウは逸海を庇うために逸海と両面宿儺の間に入り肉壁となる。両面宿儺はヨウを視認し狙いを定めたように手を開くと雄叫びと共に握りつぶす。

 当然、霊体に物理が通用するはずもなく両面宿儺は空を握る。

 ヨウの作り出した二秒の間。逸海はテンの発見した隠し通路から抜け出し戦時中に利用されていた地下室へと到達する。胃から溢れ出る胃液を軽く吐き出すと大きく息を吸い込み覚悟を決めて地上への階段まで走りを再開する。

 通路の両脇には不気味な痕跡の残る扉がいくつも点在する。だがそのどれに入るかという思考は一切ない。入るまでの時間がない事もそうだが、そもそもの話。

 リョウメンスクナは人間に対して特攻を持っている。

 それは日本の神話に記された両面宿儺であっても人を脅えさせる伝説を持つ。

 リョウメンスクナという存在自体、人間を殺すための兵器である。つまり人間が息を殺して隠れようとも関係ない、というのが逸海の考えである。

 それならば日の光の当たる場所まで誘き出す方が怪異に対しては有効と考えた。

 階段まで三〇m。後方五mに両面宿儺。正確にはその足音。

 逸海が走り出すと同時に両面宿儺は隠し通路をその肉体で粉砕し突破する。


「あぁ無理だぁ‼」


 渾身の叫びが通路に響くと両面宿儺は逸海の位置を捕捉する。

 アアアアアアアアアアァァァァ


「……逸海、身体借りるよ」


 両面宿儺の叫びを意に介さずヨウが逸海の身体に入り込むと胃からあふれ出る液体への歯止めが外れ口から体外へと排出される。口元を拭ったヨウは肉体の限界を考えず出口まで奔走する。

 両面宿儺はまたもやクラウチングスタートの構えを取ると地を跳んだ。のだが、逸海の吐瀉物に足を取られ減速する。


(おぉゲロが役に立つとは)


 肉体の主導権を取られた逸海は心の中で呟いたが両面宿儺が減速したのはほんの一瞬。彼の一歩は逸海の二歩、三歩に相当し開いた距離は瞬く間に消えていく。


「……ごめん、私でも逃げ切れない」


 逸海の身体で走るヨウが弱音を零した。その一m後方、両面宿儺の腕が逸海を仕留める射程に入るとその拳を万力の如く握りしめた。


「オン クロダナウ ウン ジャク」


 どこからともなく無性に腹の立つ声が響くと逸海を取り囲むように火の玉が浮かび上がる。

 次の瞬間、寝起きを一発で覚ます朝日の差し込み様に鋭く発光し地下通路全体を照らす。

 アアアアアアアアアアァァァ

 弱々しい雄叫びを上げると両面宿儺の心底を震わせる足音が止まった。


「逸海さん、表まで逃げてください。おそらく───」


 テンの伝言を聞き届けた逸海はもう一度覚悟を決める。


(……ヨウ、交代だ。後は俺が逃げる)

「いいの? 本気で逃げるなら私が走った方が」

(テンに託されたんだからな)


 ヨウが肉体から抜け出ると逸海は再び地面を蹴って走り出す。

 テンが残した置き土産はテンがこうなることまで予期した結果だろう。最悪の結末、逸海がリョウメンスクナに襲われた際に逃げ切るための手段。


「まぁできれば大量の花火でも打ち上げてくれれば華があったかな」


 何度もテンに救われた逸海がテンに返せる音はこの命を残すこと。

 テンの心残りは逸海を守ることでありそれが真人との約定である。逸海を守るために命を賭したのであれば、ここで命を散らせるほど不幸なことはない。

 テンが背中を押し精神的な回復を得た逸海はテンの言葉を信じて地上までの道を駆け抜ける。長いようで短い地下通路の先。階段を目前に迫ると、後ろでけたたましい咆哮が聞こえる。

 それと同時に地上からも圧倒的暴力の音が逸海の耳に届く。

 背後を振り返る余裕はない。目前の無限に続く階段という山場に逸海の心臓がキュッと握りつぶされたが身体はそれを意にも介さず階段を駆け上がることを選択する。

 テンの飛行時間は約一分。それは幅の狭い道ならではの進みづらさが影響しての時間である。だが階段の先は闇に包まれており地上の光が見えない彼方。

 逸海はふっと息を吐くと一段飛ばしで駆け上がる。不安が筋肉を委縮させ階段を駆け上がるために上手く踏ん張れず一歩進む度に上体を不安定に揺さぶる。


「逸海、気を付けて」


 ヨウの声に逸海は振り返ることなく肉体に鞭打って階段を蹴る。

 この状況での『気をつけて』に複雑な意味など存在しない。

 左右に道はなく地上までを繋ぐ一本道。後方から迫る破滅の足音が逸海の耳に届けば否応なく身体は生を渇望し脚を動かす。

 背後から迫る足音は階段を踏みつぶしている様に猛々しく悍ましい。耳に届くその音はその後の顛末を容易に想像させる。

 逸海とて必死に走るが階段を駆け上がる度に疲労が蓄積し次の一歩が鉛の様に鈍重になる。

 階段の到達点が視界に入る。だがそれよりも先に逸海の嗚咽に塗れた喘ぎが零れる。

 歴史書に名を残す存在に対して平凡な人間がいつまでも優位に立てるはずがないのは自明の理。いつの間にか逸海のすぐ後ろ、普段ならヨウがいる位置に両面宿儺がいることに気がつくと次の瞬間、逸海は土壁に叩きつけられる。


「───ッ‼」


 あまりの突然の出来事に逸海の視界は真っ白のまま他の情報を処理できず、強く打ち付けられたことを身体の骨が軋む痛みで理解した。

 両面宿儺は壁に埋もれた逸海の後頭部を掴むと階段を一直線に駆け上がる。

 逸海は咄嗟に目を閉じると足を壁に押し付け逃れようと試みる。だが両面宿儺の剛力に適うはずもなく逸海の顔の皮膚は段々と壁に削がれて剥がれていく。

 両面宿儺に対して何もできないヨウは咄嗟に逸海の身体に入り込み逸海の負担を減らす。


「……うん、やっぱり私じゃ無理」


 だが感じたことのない痛みがヨウに襲い掛かると強制的に体外に押し出された。

 地上に繋がる階段を土壁に擦りつけられながら疾走する両面宿儺は階段を上り終えるとゴミを捨てるように逸海を校舎の壁まで投げ飛ばした。

 オオオオオオオオオオォォォォ

 両面宿儺は復讐の第一歩を踏み出したことに歓喜したのか天に向かって咆哮する。

 壁に背をぶつけ意識が薄れゆく中、逸海は音なき声で口を動かした。


(後は頼んだ………餓者髑髏)


 この顛末を予期したように餓者髑髏は両面宿儺を拳を振り上げていた。

 その拳は迷うことなく両面宿儺を狙う。瞬きに満たない刹那、


 ──────ッ‼


 逸海の鼓膜はその音を拒絶した。だがその分、視覚にはその有様が鮮明に映る。

 拳が振り下ろされる直前、両面宿儺は拳を見上げて餓者髑髏の行動を探る。

 コンマ数秒の思考の時間、両面宿儺は回避行動をとるが射程外に逃げるよりも早く餓者髑髏が鉄槌を下ろした。

 その破壊力は災害そのもの。校舎は地面のうねりにグラグラと揺れ、中庭の中心には大きな穴が作られる。その深さはミイラの眠る地下空洞を遥かに超える深さに到達する。

 当然、それに巻き込まれた両面宿儺は灰燼と帰す。あの一瞬で回避や防御したのであれば天晴と称賛し死を受け入れる以外に道はない。

 満足げな餓者髑髏は綺麗に映る月を眺めて全身をガシャガシャと鳴らして歓喜を体現する。逸海を認識して尚攻撃してこないのは逸海が粛清対象ではないことを示す。

 餓者髑髏は最初からリョウメンスクナを狙っていたのだろう。

 呻き声を上げながら立ち上がった逸海の元にヨウが駆け寄ってくる。

 人間は存外頑丈で土壁に叩きつけられ、抉るように擦りつけられ、最後に投げ飛ばされて尚、五体満足で立ち上がる。

 だが動けるかは別問題で、立ち続けるだけでも骨が痛み筋肉が悲鳴を上げる。

 逸海は疲労と痛みに身を任せてその場に尻もちをついて地面に寝そべった。

 テンの残した置き土産の言葉。


「逸海さん、表まで逃げてください。おそらく───」


 の、その続き。


「餓者髑髏がいます。彼は死者の正しい在り方を求める怪異なれば死んだミイラが生きていることに憤るが道理。彼は元よりリョウメンスクナを倒すために存在したのですから」


 テンの言葉に逸海はすぐに納得がいく。

 餓者髑髏の行動の違和感はテンの行動にある。

 体育館の崩落の際、テンは餓者髑髏の行動に気づかなかった。それを餓者髑髏に悪意が無いからと説明していた。つまり餓謝髑髏が逸海に対して悪意ある行動をしていないことになる。

 そして我謝髑髏が拳を振るった場所はリョウメンスクナの眠る棺の近く。その場所が体育館の場所と一致する。

 餓者髑髏は死者を嘲るものに裁きを下す怪異。それは何も生者だけを攻撃するわけではない。死んだ者は安らかに眠る。それをせずして蘇ることもまた死者の在り方を否定する。餓者髑髏がリョウメンスクナを攻撃した理由を推察するにこれが妥当だろう。


「それなら、どうして餓者髑髏は地下だけではなく体育館を破壊したの?」


 大の字で寝そべる逸海は疲れの影響で眠気に襲われていたが、ヨウの質問に重たい瞼を持ち上げて餓者髑髏に視線を送る。


「だって、骨だぞ? 脳が無いから本能のままに行動しかできないだろ」


 電源が切れれば機械は動作を停止する。だが怪異の原動力は心臓でも脳でもない。

 他者への憎悪、執着心、恩義など。多種多様である。

 だが概念として心臓を破壊すれば動作が止まるといった行動もまた存在する。それは人間が創り出したが故の弱点である。それはテンが両面宿儺となり証明した。


「思考を脳に委ねるのが人間。それを模した姿をした怪異なら?」

「脳がなければ考えられない、でもそれってこじつけじゃない?」

「ならアイツの要石は地上にあるから地下に出現できなかったんだろ」

「うーん、要石の話だと私が自由にも行動範囲が存在することになるけど?」

「知らねぇよ。怪異のことなら怪異に聞け。俺は人間だが人間のこともろくに語れん。それにもう疲れた、少し休ませてくれ」


 逸海はもう一度餓者髑髏を見つめるとそのままゆっくりと目を閉じた。


「おーい、あれ寝ちゃった? ねぇ逸海───」


 もう耳に音は届かない。霞む視界にヨウが満足そうに微笑んでいる。それだけがわかった。


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