異様な力
突然、逸海ポケットに入ったスマホが振動した。
反射的にスマホを取り出し画面に表示された文字を読む。
「……悪い、妹からだ」
「妹、身体? 逸海、近親相関はよくないよ」
「ちょっと黙れ。はい、逸海です」
逸海はヨウに背を向けると妹との電話をつづけた。
「ねぇテンちゃん、逸海の妹ってどんな人なの?」
「個人情報なので細かく話せませんが、逸海さんの分まで苦労されている人ですよ」
テンは真人の約束を遂行するために逸海の傍で警護している。
逸海自身がこの事実に気づいていないが、逸海も誰かに守られて今日まで生きている。
目に見える警護の志玲奈と目には見えない警護の逸海である。
「逸海の分まで? それって……どういうこと」
「まぁ私の存在ということが説明の限界ですね」
ヨウはテンと逸海を交互に見つめると鋭利な眼差しで宙を凝視した。
「今は珠ノ美高校の近くにいるけど。帰れねぇんだよ、電車の横転にタクシーも事故で動かない───。いらない、あの人は二人きりだと舌打ちが煩くてな。ん? すぐに帰れって、だから帰れないの───」
逸海の言葉遣いは荒いが声色はおとなしい。ヨウやテンとの最初の会話の時の様に敵意のない声色を聞いた二人は少し驚いた様子で逸海を見ていた。
「ふーん、逸海の家はそれなりの金持ちなんだね」
「どうでしょうね、貨幣概念のない獣にはわかりかねますね」
「ところでテンちゃんはとっくに原因に気づいているんでしょ?」
「……えぇ、ここまで派手に動いて気づかないほど落ちぶれてはいません。犯人はわかりますが入口は見当たらず。まぁ逸海さんの意思を優先するので私からは何も言いません」
「そう、なら準備はしておいてね。場所はわからなくともある程度は予測しているからね」
出会ったばかりのヨウがキッパリと断言する。まるで逸海の心境を手に取るように。
ヨウの言葉にテンは心臓の位置を確かめるように弄るとギュッと拳を固め決意を新たにした。
「なぁ志玲奈。昨日から珠ノ美高校周辺で起きた事故を時系列順に教えてくれ───、了解。今日の飯は適当に済ませるから。帰りはわかんないけど時間があれば治療費を用意して病院に来てくれ。多分、無事には帰れないから、じゃあな」
志玲奈の返答を聞かずに電話を切った逸海は周囲に視線を送る。
視界に映るのはテンとヨウと閑静な住宅だけ。動くものは空を飛ぶ鳥だけである。
「さて本題だ。とりあえず消火活動は不可能。けど帰宅する手段がない。つまり暇なので洞窟探検をしたい。可能なら呪いの根源を叩く、不可能なら神主呼んで地鎮祭」
「……逸海さん、キャラ変しました? らしくないといいますか、年相応ですね」
逸海はうるせぇ、と柔和な表情を浮かべるとここまでの情報から導かれる結論を口にする。
「昨日の学校の一件から呪いの根源は珠ノ美高校にある」
あくまで推論であるが志玲奈の話では、
昨日の体育館の崩落以前の事故は滅多になかった。あくまで日常の範疇の数である。
体育館の崩落、生徒の昏倒、近所の建築物の崩落が数か所。
今日に入って、高校前を通過した付近で電車が脱線、建築途中の建物の崩落、同級生の飛び降り、離れた位置での電車の横転、車の運転手の昏倒。
「イメージとしては高校を中心に段々と距離を伸ばしている。それに危険性も増している」
昨日より今日の方が命を刈り取る事故が多発している。今も火災の可能性を孕んでいる。
「テンは中庭に地下への階段があることに気づいたか?」
「いえ、知りません」
テンの返答は些か逸海の予想から外れるものであった。石碑に埋もれ隠れているとはいえテンならば知っていると鵜呑みにしていた。
「俺は………あの下に行ってみたい」
発言する直前、逸海は花蓮の顔が浮かび上がった。他者を巻き込み外部の疑問へと突入する性格に辟易していたはず。それなのに今は鏡でも見せられている気分になる。
鏡に映る自分であり、別の自分でもある鏡の世界の住人。
太陽と月の様に反射したモノは真逆の性質を帯びると自己解釈。だがこれは鏡の世界でもなければ反射したわけではない。好奇心の従順な幼心を持った逸海である。
「昨日から度々起こる機会な現象は珠ノ美高校で事件が起きてから発生している。根拠はそれしかないけど、あの地下に何かあるんじゃないかと思うわけ」
逸海の意見に二人はそれぞれ視線を逸らし何か考え始め、逸海は不安そうに眉を寄せる。
逸海は友人との交流経験が少なく先導の仕方も、誘い文句も小学校で止まっている。
不手際、不備、不躾。それらが一気に押し寄せ発言後に後悔した。
「逸海さんの話は本当ですか?」
暫くの沈黙、逸海は後悔の念に押しつぶされ表情が萎れた頃、テンが沈黙を破った。
「地下探検? 皆やる気なければやめるけど」
「そうではなく。火の始末の際、反対側にも行ってきたんです。感覚的には学校が中心くらいの位置にあった気もしなくないかも」
「へぇテンちゃん、反対側にも行っていたんだね。遅かったわけだ」
「逸海さんのお願いですし。『妾、ここにあり』と知らしめようとした次第にて」
「それで、消火活動は?」
「えぇ一通りは済んだはずですよ。小さな火種は目下捜索中ですが大本は全て解決したかと」
「「・・・・・・」」
「それでですね、呪いの伝播が円形であれば珠ノ美高校付近に呪いの根源があるはず……いかがされましたか? もしや、私キャラ立ってない問題ですか。こりゃ失敬、キャラがなければわしゃ死刑なんつって」
怒りを煽るテンの言葉も今の二人には届かない。なにせ前情報のインパクトが強すぎるあまり聴覚が他の情報を遮断している。
アホ面の逸海は定まらない視界の中、朧げな白耳を探すように手を動かした。
「えっと……私はどうしたら」
「大丈夫テンちゃん。ちょっと驚いて心肺機能が動いていないだけだから」
お化け屋敷、心霊番組、ホラーゲーム。驚き方は人それぞれだが、心臓が跳ねる経験はあるだろう。一瞬だけ呼吸が止まり全身冷たくなる感覚。それが今の逸海を襲う体験である。
触り心地の良い毛並みが手に当たると逸海はテンを抱き寄せた。
テンが苦しくない様に、されど言葉にできない感情を体現するように。
テンが成した事は逸海が放棄したことである。無力に打ちひしがれ諦める以外の選択肢が存在しない。自己の信念を曲げられて自分を見失う逸海に手を差し伸べた恩人。
「い、いつみさん、本能的な欲情は獣だけの特権ですよ。人間なら理性的に襲わないと」
「エンダアアアアァァァイヤアアアアアァァァ」
「……ヨウ、それ別れの時の曲だから別の選曲にしてくれ」
興が削がれた逸海はテンをそっと抱きしめると少し惜しそうに手を離した。
「まぁ、私くらいになれば辺り一帯に雨を降らせることも可能ですがね」
「あぁ今ならどんな言葉だって信じるさ。なにせ、」
逸海はスマホで時間を確認する。
志玲奈との電話は十分前に終わっている。電車の横転から考えれば三十分程度。
火災により家が燃えるのは木造建築で二十分程度かかるとされている。
時間からして火が燃え広がる時間だが辺りにその気配がない。
まだ確定ではないがテンが消火活動を行ったのはおおよそ事実だろう。
冷めた合いの手を入れたヨウのおかげで話を戻すきっかけになることも事実。
テンの話でも逸海の根拠なき自信と同様に珠ノ美高校が怪しいと睨んでいる。
「私も地下探索は賛成です。ただ危険な思いをして欲しくないのも事実ですが、」
テンは逸海をちらっと見やるが逸海の表情を見てその意見を下げた。
「なら私も行こうかな。逸海だけに任せるのも気が引けるし」
満場一致により地下探索が決定した。ともすれば行動に移すのは早い。電車が動かないおかげで帰宅することがなかった。否、電車が動かないおかげで今に至る。
全ては誰かが仕組んだ因果の流れか。それとも偶然の一致か。
珠ノ美高校に戻って来た逸海達を待ち受けていたのは闇夜に染まる校舎である。
何もいない、されど何かいる気がする。
そんな被害妄想、つまりは自分の妄想に怯えて恐怖心を煽る。
教室の窓から覗く人、校舎の影から伸びる影、響き渡る足音。木々から聞こえる鳥の声。自ら作り出したモノと妄想が交わり恐怖を増長させる。
昼間と同じ場所。されど夜とは生者が範疇外の時間。魑魅魍魎が跳梁跋扈する。
普段以上に周囲を警戒しながら中庭に辿り着いた三人。目的地を知っている逸海は石碑を足で動かして地下へと繋がる階段を露わにさせた。だが、
「……そこに何かあるんですか?」
テンの反応は逸海の予想の外れる疑問符であった。
「ん? 階段が見えないのか?」
逸海は階段を一段降りてここにあるとアピールする。だがテンはそれでも認識できていないのか眉をひそめて首を傾げる。
「なら俺が降りたらどうなるんだ。テンから見たら地面に潜っているのか?」
逸海は一歩一歩階段を下りていく。階段は逸海にしか見えない幻影ではなくたしかに存在する。それは花蓮が発見し、ヨウが否定していないことが証左となる。
逸海はテンの立つ地面よりも下まで階段を降りる。
今にも足を掴まれ闇に引きずり込まれそうな恐怖が待ち受けるが、自己を騙してゆっくりと階段を下りていく。
「どうだ、見えるか?」
「……なるほど、これは怪異に対しての認識阻害ですね」
ようやく合点がいったテンの言葉を聞き逸海は逃げ出す様に階段を駆け上る。
「うわぁ、こええぇぇ」
「逸海、これからこの先に入っていくんだよ」
無邪気な好奇心から行動指針を立てたが心の隅で頓挫して欲しいと切に願う。
一度恐怖を覚えてしまえば、それがトラウマとなり次の一歩を進む勇気を挫く。
「逸海さんの言葉通り、この階段は怪しいですね」
「人間から隠すならわかるけど怪異から隠す理由があるとすれば……どうなのテンちゃん」
さすがのヨウも怪異に精通しているわけではない。趣味で調べた知識と推察力では解決できない世界。そんなヨウが何とも人間らしく映るのは逸海の心情が衰弱しているからだろうか。
「候補は二つ。一つは怪異に対して無力な怪異。二つに人間は度外視している。この二つが両立の可能性もありますね」
「なるほど、人間が昏倒しているのを見れば後者に納得がいくが」
怪異同士でも縄張り争いがあるのかと疑問になるが、人間に殺意を向けるだけとは限らないと言われれば納得もいく。あくまで人間を好んで殺しているのが怪異であり、より気に入った領地があればそこに住まうこともある。
「日の光を浴びない怪異、吸血鬼か?」
「いや、吸血鬼なら夜は活動するんじゃないのかな。むしろ夜も地下にいるなら……」
「「「…………」」」
逸海は当然の事、思考における頼みの綱である二人も沈黙のまま固まってしまった。
こうなれば適当に会話を切り上げて次の行動に移るのが吉。されど未知の世界、未知の敵を相手にする恐怖を克服しなければ足が思うように前に進まない。
逸海の思考も堂々巡りで足も一進一退を繰り返す。
月が雲に隠れると辺りは深淵に包み込まれたように何も見えない。
遠くで光る街灯だけが心の支えだがその場所も距離があれば不安しかない。
恐怖に身を竦めて拳を固く握った逸海はふと思い出した。
「………俺、思ったんだけどさ」
暗がりに慣れない視界で自身の拳を見つめる。そこに映るのは逸海の拳と重なるあの時の拳。
「餓者髑髏ってどうなったの?」
「「……アッ‼」」
知らぬが仏。触らぬ神になんとやら。
あれほどの脅威すら時間の経過で忘却することに驚きを隠しえない。だが本題は別。昼間に活動し破壊の限りを尽くした餓者髑髏は人類昏倒計画の犯人ではない可能性がある。
それにあの破壊力であれば怪異すらも度外視できる膂力を持つ。
そしてもう一つ、怪異とは人間の認識を持って初めて存在が成立するものである。
崩れた石碑がカラカラと音を立てて振動を始めたかと思えば次の瞬間には立っていることも不可能な地震が発生する。
「オイオイ、ボスは演出がつきものだけど」
現実とゲームを重ねて興奮が治まらない。この気分の高揚は一種の現実逃避でもある。冷静さを欠けば現実を知らなくて済む。そんな結論が逸海の中で行われた末の脳内麻薬の分泌である。
「テンちゃん、逸海をこっちに」
足場が揺れようが関係ないヨウは一目散に地下通路の階段を下り退避するよう合図を送る。その声にテンは頷くと自身に姿を白鷺へと変貌させる。
「失礼しますね」
断りを入れたテンは返事を聞く前に襟元を掴み階段下へと飛び降りる。
闇夜から最後に見た地上の光景は白い骨の怪物がガラガラガラと骨を弾ませた異音を出しながら拳を振り上げる姿であり、それは破壊の化身の攻撃前の予備動作であった。
鷹に摑まった野兎状態の逸海は為す術がない。せめてテンが運びやすいように騒がず藻掻かず慌てない。襲撃され気を失った野兎を演じることにした。
暗がりではテンの飛行速度を判断する基準もないため時間だけで距離を測ることができない。ヨウはついてきているのか。振り返ろうにもテンの邪魔になるため確認もできない。
逸海にとって暗闇であるがテンにとってはこの暗がりはお手の物。怪異の本場は夜。その時刻に何も見えないのであれば主を護ることもできない。
「そう言えば、テンちゃんはどうしてテンちゃんなの?」
飛翔するテンの後方から追走してくるヨウが話しかけてきたことに逸海は身体を耳を傾ける。
「哲学の話ですか。我々とは、みたいに」
「ううん、真人さんと仲良かったのに特別な名前を名乗らないのかなって話したでしょ。その後にテンちゃんは怒って話が脱線したけど、その理由を聞いていないと思って」
「たしかに、テンって動物の名前だからな。狸や狐と同じ害獣の貂」
「端的に言えば、生贄の代用です。恨む相手の髪の毛や血液、皮膚片を手に入れて行う感染呪術。藁人形を人に見立てて呪う共感呪術と同様に容姿を自在に変化させる力は呪力を高めます」
「藁人形って丑の刻参りだっけ。なんか聞き覚えがあるな」
丑の刻参りとは、丑三つ時に神社の御神木で人間に見立てた藁人形を釘で刺す。その結果恨み相手が呪われる。
「名前を持たないのはその効力を更に高めるためです。名前とは番号と同じ個体を識別する目印です。逆に個人名を持たないということは目印がないことになります。つまり私は誰の名前をも語ることができるわけです」
「でも個人の名前を持たないなら藁人形とかも意味ないんじゃないのか?」
「違うよ逸海、名前を持たないからこそ藁人形として完璧なんだよ。あれは人間に見立てて行うわけでしょ。それが本人と同じ容姿であれば」
遥の補足で合点がいく。藁人形はあくまで藁である。だが人間に見立てて行う以上、より対象にちかい容姿であれば呪力が高まること。
だが同時にこんな疑問が浮かんでくる。
「なら、誰の名前も語れるって部分がおかしくないか? 藁人形であれば名前を語れないことに意味があるんだろ?」
「名前はあくまで容姿があって初めて意味を成します。例えばイメチェンした友人に対して『あれ?』なんて疑問を持ちますよね。名前が分かっていても疑ってしまうものですね」
「つまり名前の一致よりも容姿の重要だと」
「まぁ昔から呪術はDNAよりも思い込みの方が大事だからね。恨む相手の身体の破片だからこそ感染呪術があるわけだから」
つまりテンを利用すればおおよそこの世全ての人間を対象に呪いをかけることができる。
「だけど名前を持たないことの説明にはなっていないよな?」
ここまでの説明はあくまで呪術の効力を高める話である。
逸海の疑問である名前を持たない理由の説明はなされていない。
「実は本来の名前は持っているんです。ただ主と同じ名前なのでややこしいんですよね」
「つまりテンの名前は八奼真人ってことか?」
「いえ、正確には『昔は』ですね。今は名前のない存在です」
「それはどうして?」
「これはテン一家の伝統です。主人が呪われることがあるならこの身を犠牲にして主を助けるといった考えです。先程の容姿の話と相まって名前も容姿も同じであれば呪術の効果は私が身代わりになることもできますから」
例えば、八奼逸海が呪いを受けたとする。
それは逸海に対する呪いであるが、呪いをかけた相手は逸海という名前であり、逸海と聞いて想像できる容姿をしている相手に呪いをかけたことになる。
対して呪いを受ける側は、呪う側の条件に当てはまる存在が呪いを受ける。
つまり同一の名前で同一の容姿であれば肩代わりすることができる。
それがテンの説明である。
感染呪術:相手の皮膚片などを用いる呪術
類感呪術:藁人形に釘を打ち込むように類似したもの同士は互いに影響しあう呪術