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惑いの域  作者: 風雨
12/20

テン

「さて、話を整理するか」

「ねぇ逸海。彼女の事よくわからないけど大丈夫? 毒とか呪いとか被ったりしないのかな?」

「あれはゴキブリと同じだから。見つけたら駆除するレベルで動かないと不快になるから。それよりヨウはどうして身体を乗っ取れたんだ?」


ヨウの言葉を聞いてテンに一瞥しピクピクと動いていることを確認すると話を本題に戻す。


「私を視認できない人の身体は乗っ取れなかったからそれが条件の一つとしてあると思う」


条件の一つという言葉に逸海は眉を顰めるがそれはそれ。


「なのに自分の身体に戻ることはできないと。やっぱり第三者がヨウの身体を塞いでいるのか」

「いえいえ、塞いでいるというよりも入れないよう阻害している方が正しいと言えましょう」

「さてもさてさて、ここでお助けマンの登場でぃ」

「誰もを惑わす百花繚乱、千変万化。艱難辛苦を乗り越えたテン、見参」


背後から声が聞こえたと思えば次は隣、最後には正面から。三人のテンが出現すると逸海とヨウを困惑に溺れさせ、三つの不快なサラウンドが逸海のコメカミに血管を浮き上がらせる。


「逸海。私もわからなくなってきちゃった。いや始めからわかっていなかったけど、この人外生物って分身するんだね」

「いや俺も始めてみたし、ゴキブリと同じことを証明したからには仕留めるより他にないな」


逸海の印象ではヨウは賢い印象がある。だがそのヨウが思考を放棄するほどにテンは不可解な存在である。そもそもヨウは人から離れようとも人の枠組みを超えることはない。

領域外の存在には冷静な思考は保てないのだろう。


「逸海は私に隠れて面白珍獣と仲良くなっていたんだね。なんだか、遠くに行っちゃったな」

「いや遠くに行ったのはヨウだろ。人から離れているし」

「そうじゃなくて。なんだろう、昨日の今日で人の枠から離れている気がするんだよね」

「そりゃ……困ったな。やっぱり怪異から離れるために害悪は駆除する必要があると」


逸海の眼光はテンを捉える。テンはあれほどの仕打ちを受けてなお「てへっ」と舌を出して可愛い仕草で逸海を扇動する。憤怒の逸海は盲目となりテンの掌の上で踊ることに気づかない。


「ねぇ君の名前ってテンっていうんだよね。それって個体名じゃないよね?」


逸海がマウンドに上がり肩を作るより前にヨウが疑問を口にする。そのため逸海の煮えたぎる憤怒は落ち着きを取り戻した。ヨウの疑問に対して逸海はテンから聞いたことを話す。

それは『テン』とは『個人名ではなく総称』であること。

しかしその疑問に対してヨウがなぜ疑問を抱いたのか。逸海は自己問答し首を捻る。


「例えば鬼がいるけどその中には酒呑童子といった個人名を持つ者もいるよね。まぁ怪異は総称が多いから個人名持つ方が珍しいけど、」


ヨウは舐めるような視線でテンを観察する。


「それだけ人の近くで生きているのに名前がないのはどうして?」

「それって疑問に持つことか?」

「私も人間だから怪異はわからないけど、犬を飼っている人が『犬』なんて呼ばないでしょ。適当な愛称で呼ばれるくらいには近い存在な気がするけど。それとも、」


意気揚々と説明するヨウの目は光をなくし獲物を狩るように敵意をむき出した。


「名前を付ける前に殺しているとか、ね」


ヨウの言葉に逸海は戦慄した。肉体は警告を訴え全身の血液は一瞬だけ氷のような冷たさを持ち、確認せずとも腕に鳥肌が立っていることが分かる。

 逸海の猜疑心が募り視線に鋭利さが伴う。

周囲は異常なほどの静寂が三人を囲い逸海の呼吸音だけが廊下に反響する。

ヨウが指摘してから一切の反応をしないテンの不穏さが周囲を包み込んでいる。

先程まで粗雑な扱いと軽口の被虐は全て演技。どこからどこまで掌の上の事象なのか。


「いやはや狩りの基本は油断した瞬間だというのに見抜かれては気も抜けぬ。人間の癖に慧眼ではないか、其の方」


テンの口角が人の限界を越えて吊り上がると心身を蝕む悍ましい声色に変化する。

白く美しい尾がふわふわと無重力に動くと一本、また一本と増えていく。

九尾と呼ばれる狐の大怪異。それが逸海とヨウに殺意を向けていた。


逸海とヨウは咄嗟に耳を塞ぐも抵抗虚しく脳に直接響き恐怖を増長させる。鼓膜を震わせる奇怪な音と憎悪に満ちるオーラは生者を委縮させ思考する隙を奪う。


「人ならざる者と人智を超えた力を持つ者。芥を喰らう日々もこれで終わり、抗うなよ」


獣のような口を開けば瘴気と唾液が溢れ出る。

火の持たない人間が野生を生き残れないように持たざる者は怪物には無力。

逃げる選択肢すら浮かばない恐怖。

 人の心に取り入る仕草も、心を読み注意を集める言動も、嫌悪を抱かせる雰囲気も。


逸海を捕食するための演技。周到さと執拗さに嫌悪と尊敬と少しの裏切られた気持ちがある。


「なぁテン一つだけ聞かせてくれ」


だからこれだけは確認したかった。どうせ死ぬのであれば後顧の憂いを晴らすが吉。

その疑問はテンとの二度目の出会い。今日、駅に到着してからのことである。逸海の思考を一瞬白紙に戻し怒りを買った言葉に対するものである。

恐怖に打ち克つことはできない。だが自分を鼓舞し恐怖を誤魔化しテンと対峙する。


「俺の父親が死んだ原因はお前か?」


思い起こせば父の死に様は記憶の中で再現できる。逸海を含め八奼家を混沌に堕とした原因。それが人為的に起こされたとすれば、せめて一発だけでも殴らなければ気が済まない。

鼻で笑うテンを睨む逸海は大きく息を吐き捨てた。耳鳴りがするほどに激しい鼓動を抑え込まなければ意識を保てない精神状態を必死に落ち着ける。震える拳は恐怖が緊張かわからない。

 ヨウは震える逸海に声を掛けようと迷うが言葉が思いつかない。二の句が告げられずされど逃避するにもテンの圧に負けて身動き一つとることができずにいた。


「仕掛けたと言えばどうする。さても泣かずば意味は無い」

「冥途の土産ってことでここは一つ」


震える声を押し殺し平生を装うもヨウやテンを誤魔化すには至らない。それは逸海が一番理解している。脅える逸海は虎の威を借りられない狐である。ただの獲物であり格好の的。


「…………」


それは震えている逸海の沈黙ではない。余裕の笑みを浮かべる圧倒的強者のテンが僅かに口を開いたまま沈黙を貫いていた。

 テンの沈黙が周囲に静寂をもたらすが逸海の鼓動は相変わらずうるさいままである。荒れた呼吸と相まって廊下に響いている。そんな錯覚に陥るほど精神が安定しない。


「………か」


しばらくの沈黙の後、テンは口を開いたが語頭が聞き取れず逸海は首を傾げて聞き返す。


「「か?」」


「そんなわけないじゃないですか。私が一番悲しんだんですからね。あなたよりも、妹君よりも、このわたしがっ‼ あの日、誰より泣いたんですよ。どうして死んだんですか、なんで自分の身を守らなかったんですか。おかしいじゃないですか。それなのに私が悪人であるような扱い、怒られずにいられますか、二人ともそこに座ってください、さぁ、さぁ、さぁ」


「「………」」


あまりの豹変ぶりに逸海もヨウも言葉を失い呆然とするより他にない。

数秒前まで命の危険に晒されそれを受け入れないよう必死に心身共に覚悟を決めていた。

だがテンの表情、言葉、態度。それら全てを受け止めるだけで逸海の容量は限界を超えた。

テンの心の叫びに気圧された逸海はその場で正座となり、浮遊しているヨウもまた正座する。

それに満足したテンは選挙演説でもするように二人の顔を交互に見ながら説教をした。


「ヨウさん。あなた私が誰かを殺している、そう言いましたね」

「えっ、えっと……はい」


ヨウはテンの言葉に言い淀むが睨みを利かせたテンに為すすべなく敗北し肯定した。


「いいですか、人を殺す存在は主軸が悪意にあるんです。たとえ取り繕うとしてもそこに悪意を介入させないなんてことはできないんです。泥の付いた手で何か触れば泥がそこに付着するように、人と関わる際に不信、疑心、猜疑が混入するんです。で・す・が、私が逸海さんと行動する際に常に殺意を纏っていましたか? ないですよね。私の存在をすんなりと受け入れた印象すらありましたし、むしろ逸海さんが殺意を抱いていたほどです」

「たしかに殺意を持っていたのは俺の方だな」

「そうでしょ‼ 怪談の冒頭が必ず嫌な予感がする、怖い噂がある、なんだか怪しい、から始まり怪異に巻き込まれていくんです。まぁ例外もあるので一概に言えませんがね。ですが私はどうですか、負の感情を感じたのは言動であって存在ではないでしょ、違いますか?」

「そ─────」

「その通り、違わないんです」

「おい、俺はまだ言ってないぞ」


ただ言うことはテンの通り。存在に嫌悪したのではなく口を開きその仕草、

文言に嫌悪を抱き不快害獣として逸海の中で定義した。

テンの存在に疑問は持てども不快はない。逸海がテンに抱く初対面の印象であった。

 テンの猛攻は立て板に水の如く止まることを知らず逸海やヨウが口を開けばそれを察知し話を制止しさらに説教が続く。まるで自分が正義の存在であるかのような振舞いは逸海の心身を蝕み憎悪を煮え滾らせるが反抗する余地がなければこの怒りはどこへ行くやら。

 テンの冗長の言い分を要約すれば、

自分は逸海にとって善の存在であり悪に間違えられたことが許せない。

と。それ以外に彼女の口から文句が告げられることはない。

ただただ多くの例えを用いて理解させようとする優しさだけは受け入れることができる。

 睨みを利かせ気を逆立てるテンの諫める意味と疑問を晴らすため逸海はテンの言葉を遮るように挙手し意見を述べる意志を示す。

怒りは維持するにも苦労する。

怒りを露わにするには仕草より言葉が伝わりやすいが、その文言を常に考え尚且つ声を荒らげるとなれば休憩を挟みたくもなる。

それが怪異に対して有効かはさておき逸海はテンと視線を合わせると意を伝える。


「なんですか、人の話を遮るほど重要な事ですか」


声を荒らげているが疲労を隠そうと必死になっている様子は荒い呼吸と言葉と言葉の間として伝わってくる。


「テンが善性の存在なのは理解した。ただ疑問点はそこじゃない、父さんとどういう関係なのか知りたいんだ。できればお互いに落ち着いた状態でな」

(お互いにか。逸海や私は落ち着いているのに。そういうところが私と違って上手いんだね)


ヨウの関心のモノローグが伝わるはずがない。ただそれが微笑として現実に生まれた。


「真人さんですね。あの人は私の主であり、私はあの人の守護霊のようなものです」

「「守護霊?」」

「守護霊ってなんだ。何となくはわかるが、ヨウは知っているか?」

「憑いた人を守る霊魂だけど、真人さんが亡くなって尚存在しているのはどうしてだろう」

「ふぅ、細かい話をすると長くなりますが如何致しましょう」


テンは獣耳をピクリと動かす。人では近くできない音を拾い上げた合図。姿は視認できないがその音の正体は紫月か花蓮。花蓮を見つけ身を竦ませる咆哮でも出しているのだろう。


「父さんの話だ。聞いておきたい。それに俺から振った話だからな」

「なんか大事な話をすると死亡フラグがビンビンな気がするのですが、大丈夫ですかね、私」

「知らね、フラグなくとも死んだ人間が横にいるんだから時の運だ」

「別に私はフラグがあったかどうか不明だけどね。恨みがなければ殺されないから、無自覚のうちにってこともあるのかなって」


逸海は適当な相槌で、ヨウは頬を掻きタハハと笑う。

ヨウの殺人未遂の要因はまだ謎である。だがヨウが話す気がなければ聞くものも聞けない。まずは身体を取り戻して恩を売ることから始める。それが一番の近道と信じている。


「ではお話しましょう、逸海さんとの出会いから」


テンは両手をパンッと勢いよく合わせる。すると校舎内に反響する音は無くなり、外で喚いている野次馬の声が遮音される。


「念のために姿隠しをしておきますね。といっても大した効力はありませんが。さて、逸海さん、私と初めてお会いした日のことは覚えていますか?」


テンの質問以前に姿隠しに疑問を抱くがそれに触れることを許さない雰囲気を醸し出すので逸海は質問事項に意識を向ける。

 昨日の出会いの衝撃にテンとの記憶の大半が支配されている中、思い出すのは苦労する。ムカデ逃走劇、身震いする威圧は今日の事。前世からの嫌悪は昨日の事。それ以前は?

 首を傾げる逸海の顔をヨウが覗き込む。自分とは関係ない様に無邪気ないたずらっ子は惚れた男を眺めるように満足げである。


「うん、まったくもって記憶にございません……おっと、ヨウどうした?」

「ううん、普段ぶっきら棒な人も目を閉じれば年相応だと思って」

「べつに表情筋死んでいるわけでないから。友達がいないから表情筋が硬直していただけ……」


逸海はヨウを見つめたまま意識を現実から深層へと移行する。シームレス過ぎるためヨウとテンは逸海の二の句を待つがそれを発せられることはなく沈黙の中に期待だけが高まる。


「父さんが死んだ時だ。あの時、テンに逢っているはず」


沈黙が一分経過し逸海がようやく口を開いた。

 逸海の父が事故に遭い亡くなって数日、逸海は感情を失いかけた。だがあの時、見知らぬ女の子と二人で遊んでいた記憶が残っている。そのおかげで心身の喪失をせずに済んだ。


「……可能性があるとすれば、あの時の子だな」

「正確には違いますが大枠は正解です。逸海さんとの出会いは事故直後です。真人さんは自分の身ではなく逸海さんの身を守るように命令しました。その結果逸海さんは無傷で済みました」

「ふーん、だからさっき怒った時に、どうして自分の身を、って言っていたんだね」

「えぇ本来なら逆の結果が起きていました。今となれば親の気持ちも理解できますね」


テンの視線は母性の籠る穏やかで温かいものであった。


「さて、吾輩が今になって逸海さんの前に現れたのか。それはヨウさん、あなたの影響です」


名探偵が犯人を特定するような仕草でヨウを指さし、ヨウは迫真の表情でそれに応える。


「本来、生者と死者は交わる事がありません、例外はありますが。半死半生のヨウさんは別です。生と死の境目にいるあなたを懸け橋として怪異が生者の世界に干渉しやすくなっています」

「……なるほど、昨日今日の事故の乱発はその影響か」

「えぇ怪異は実在しながらも概念でもあります。例外としてはムカデでしょうか。あのムカデは私が出した幻影。あのままでは家の倒壊に巻き込まれていましたから」

「テンが五体満足だから何かあるとは思っていたけどな」


醜い悲鳴を含め演技なのはさすが化かすことを生業としている怪異なだけある。

否、彼女は怪異ではなく守護霊か。なんて自分にツッコミを入れる。


「ムカデに投げつけるのは倫理的にどうかと思いますけどね。怪異が現世に関与しやすくなりましたが普段から現世に関与することがあります。あくまでは頻度が上がった感じです」

「それはヨウの責任ではないな」


テンの言葉に被せるように逸海はきっぱりと言葉にした。

テンの言葉に若干表情を曇らせるヨウを突き放す気にはなれない。

これは本音である。

ヨウが半死半生なのは被害者だから。これを意図的な可能性を否定できないのが恐ろしいが、電車に撥ねられたことを含め演技であるとは思えない。文字通り正気の沙汰ではない。

彼女がこの姿になったのは望んだからではない。あくまで副産物のようなもの。

この姿にした存在、この姿を願った存在は別にいる。


「ところで、餓者髑髏の時にテンが助けに来なかったのって理由があるのか?」


これまでの所業に感謝をしながらも逸海は考えた。

守護霊が存在し目の前で偉そうに講釈垂れている。実際、テンの言い分に賛同しているが最初の一件だけはテンの介入がなく逸海は負傷した。

そしてその部分の説明がされていない。

空白のままに有耶無耶に誤魔化している……気がする。


「えっ⁉」


あまりの素っ頓狂な声に逸海とヨウは驚き身体をビクンと跳ね上げた。


「……体育館の天井を破壊して、体育館に落下して」

「それから二度も爆発に巻き込まれたね」


交通事故、電車の横転、家の崩落。どれも命のかかわる出来事。

それらを回避しただけでも宝くじで一等が当たるほどの幸運である。だがそこまで守ってくれているならば最初の一件はどうなのかと疑問に思う。図々しいことは百も承知である。しかし、


((それにしても気になるなぁ))


その眼差しは期待と切望と謝意。

好感情を詰め合わせた恩義の眼差し。そして少しの侮蔑が入り混じる。


「えぇっとですね……」


その眼差しを受けたテンはほんの一瞬だけ視線を逸らした。

追い詰められ視線を逸らす。それだけで何を意味するかは察しが付く。


「なるほどね、あまりに唐突な出来事に寝坊助さんってことかな」

「いえそうじゃないんです。そうじゃなくないっていいますか」


ヨウの言葉にテンは慌てて訂正するも歯切れが悪い。言えない理由に心当たりはないが、守れないことを悔やむのならそれは露呈している。むしろヨウはそれを暗に示した。

では他の可能性は? 寝坊したから遅れてしまった以外に何が挙げられるのか。


「そもそも気づけなかったのかな。私だってあの拳は振ってくるまで分からなかったし」


ヨウはテンを護るように思いつく案を口に出していく。その内容の一つにテンの耳は反応し逸海とヨウはようやく意を理解した。


(……気づかなかったか? あれだけ巨大な餓者髑髏に気づかない。屋内だったからか?)


姿を目視できない状況であれば対応が難しいことは察しが付く。だがテンの行動はある種の未来予知。危険を回避するため先手を打っている。それが屋内であることで制約になり得るのか。


「違うよ逸海。テンちゃんが言っていたでしょ、死を招く怪異は常に死が纏わりつくって」

「そんなこと言っていたか? まぁ似たようなことは言っていたけど」


人を殺す存在は主軸が悪意にある。たとえ取り繕うとしても不信、疑心、猜疑が混入する。

たしかそんなようなことを言っていた気がするが、時間経過とともにあやふやになる記憶に自信が持てない。


「命の危機から逸海を守るテンが気づけない、それ即ち?」

「餓者髑髏は悪意のある怪異ではない。だからテンは反応できなかった、と」


ヨウの機転の良さには舌を巻く。あれだけの情報を拾い集めて尚ヨウの誘導で合点がいく。


「まぁ死者の恨みを晴らす餓者髑髏に悪意がないとは思えないから、逸海に対する悪意がないと考えるのが妥当なのかな」

「けど、どうして落ち込んでいるんだ。結果論だけど生きているわけだし」

「そこは逸海のお父さんとの約束だからでしょ。まったく乙女心が分かっていないんだから」

「いや乙女心は関係ないだろ。天皇陛下万歳とか、我が主の為に、とかそっちだろ」


ヨウの言葉に逸海は適当に返答していく。

普段の学校では拝めない逸海の会話に逸海自身が戸惑う。なにせここまで他人と会話が続いたのは中学卒業以来。二ヶ月ぶりともなれば深層意識の逸海も心が躍るというもの。

逸海が生えていない尻尾をフリフリと振り会話を楽しむ様をテンは少し驚いた様子で見ていた。


「いやいや逸海、やっぱり乙女心をわかっていないよ。逸海の安全『も』大事なんだよ。大事な人に言われたから守るだけじゃないの。本来は影に隠れていればよかった。誰に知られず逸海が幸福であればそれだけで幸せだった。しかし表に出なければならない事情ができた。彼女は考えた末にこう結論した。何されようとも、嫌われようとも、逸海の前に出よう。嫌われれば遠くから監視できる。でももしも、好いてもらえれば、逸海の傍で守ることができる。あぁでも人との接し方なんてわからない、そうだ、私を意識してもらえばきっと───」


ヨウの妄想と現実を混ぜた観劇は熱の入るものである。動作一つに言葉の真意を組み込み見ている者へ感情を届け、声色を変えれば感情の抑揚が演技の完成度を高めていく。

 愛や恋など気にしない逸海だがヨウの演技には魅入るものがある。ヨウがそれほどまでに感情を込めるのは性分だからなのか、テンを慮って言わざる感情を逸海へ届けようとしているのか。それこそ乙女心なのだろうか。逸海の知る由もない。

 ヨウの恋愛劇は花蓮の雑談と同じように留まることを知らない。否、逸海が静止を促して尚進む様は狂気に呑まれた殺人鬼か野生の獣。周りからすれば迷惑極まりないが本人は己が欲望に忠実に話しているだけ。つまり罪の意識はない。

だが、ヨウの演目も嫌悪するほど雑な内容ではない。劇の端々にテンの気持ちを代弁しているかのように、テンを見やり次の言葉を紡いでいく。その様はまるで、


「いじめだな、こりゃ」


深層心理とは自分の認識の外にある意識。それを暴露されることを喜びに思う人はいない。むしろ秘めているのだから公にされたくない方が強い。

ヨウが悪気の無い素振りで演じるものだから逸海は嫌でも何を伝えたいのか理解できてしまう。

 気持ちを手紙にしたため相手に送るように。

言葉だけでは伝わらない些細な感情をも演技というものは相手に伝えてしまう。

その演技がほら吹きではないことを、壊れかけのロボットの様にぎこちない素振りで止めに入ろうとしてはヨウの言葉に赤面し弱々しく唸ることで証明する。

 テンの行動に悪意がないことは理解した。好きな子には意地悪したくなるように、逸海との接し方にドギマギしわからないなりに近づいた結果、逸海は本気の嫌悪を向けた。


(いや、隣を歩いている時は何も感じなかったんだからそのままでいれば俺も受け入れたのに)


怪異の心人知らず。逆もまた然り。同じ人間でありながら乙女心を理解できないのだから、人ならざる者の心などより理解できるはずもない。


「ヨウ、テンが可哀そうだからやめてやれ」

「はたまた悲恋の末の、っていいところなのに。恋の行方は君の目で確かめようなんて昔の漫画みたいに終わるのは興醒めだよ」


逸海はブーブー不満を漏らすヨウに顎でテンのいる方へと視線を誘導する。そこには白い耳と尾と肌が裏目に出たように真っ赤になったテンが床にしゃがみ込み顔を抑えていた。


酒呑童子:平安時代の鬼、金太郎でおなじみの坂田金時に殺された。

九尾:玉藻の前とも。平安時代の化け狐。

大嶽丸を含めた三人を日本三大妖怪と呼ぶこともある。


守護霊:対象を保護しようとする霊。

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