第九話「家族との再会」
「頼もう!」
里の入り口で、リイニャは声を張り上げてそう告げた。するとすぐに野次馬とともに、里の警備隊の制服を着た者たちが数人駆けつけてきた。
「貴様たち、何者だ!?」
「私はリイニャ。三百年前にこの里を出奔した者だ。背中の人族の女がゴルゴンスネークの毒を受けた故、解毒剤を譲って欲しい」
「わたくしはローグリア王国の第二王女セルティア・ローグリアです! 解毒剤を譲っていただけるのであれば、望みの対価をお支払いするとお約束いたします!」
リイニャの腕から降りたセルティアも、そう言って頭を下げた。
「お前、サリエリの娘のリイニャか!?」
野次馬の中の一人がリイニャのことを思い出したのか、そう指摘をすると、野次馬たちは一斉に騒ぎ出した。
「あのエレルファン様を殺めた悪鬼と共に、里を出た忌まわしき娘ではないか! 今更何をしに戻ってきた!」
「なんと! あの悪鬼の弟子か!?」
「氏族の恥晒しめ! よくも顔を出せたものだ!」
露骨な嫌悪と敵意を向けられたリイニャだったが、すでに捨てた故郷。
今さら心が動くこともなかったが、すんなり解毒剤を譲ってもらえそうもないことに苛立ちを覚えた。
いっそ力づくで奪うか?
リイニャから僅かに闘気が漏れると、里の人々からは悲鳴が上がり、警備隊の者たちは顔を青ざめさせながらも臨戦態勢を取った。
「待て! ここは俺に任せてくれ!」
そう言って人垣をかき分けて現れたのは、警備隊の制服を着た弟のライオスだった。
「リイニャ、俺だ。わかるか? 弟のライオスだ」
「わかる。大きくなったな」
記憶の中のライオスよりも更に頭ひとつ分、背は高くなり、それなりに鍛え込んだ身体をしていた。
「リイニャは見た目からして全然変わらねえな。あの人族の男と里を出て行ったきり、戻ってこないで何してたんだ?」
「剣の修行をしていた。ライオスは警備隊に入ったのか」
「ああ、そうさ。今、警備隊の隊長は親父やってるんだぜ? 兄貴と一緒に巡回警備に出てるけどな」
「そうか。それよりもゴルゴンスネークの解毒剤はあるか? 急を要する」
リイニャが家族の話にも興味を示さず本題に入ると、ライオスは苦笑いを浮かべながらも、頷いた。
「警備隊の屯所に備蓄がある。案内するからついて来い」
「そうか、感謝する」
ペコリとリイニャが頭を下げると、ライオスは驚いたように目を丸くして、少し照れくさそうに頬をかいた。
里の北端にある警備隊の屯所で解毒剤をもらい、熱にうなされるリリーベルトに注射で打ち込むと、しばらく経ってから熱はひき始め、リリーベルトはそのまま眠りに落ちた。
「ああ、なんと感謝すればよろしいのでしょうか。リイニャ様、ライオス様。我が騎士リリーベルトを救ってくださり、ありがとうございます」
大きな瞳を潤ませながら、そう言って頭を下げるセルティアの頭を、リイニャは優しく撫でた。
「この広く深い森で出会ったのも森神様の導きだろう。それに侍は『仁』の心で、広く他者を愛せよと師も言っていた」
「広く他者を愛せよ、ですか。リイニャ様のお師匠様は慈愛に満ちた素晴らしい方だったのですね」
「うむ…まあ一方で多くの者を斬り殺す人でもあったがな」
リイニャがそう告げると、セルティアは難解なパズルを前にしたように訝しげに首を傾げた。
そうこうしているうちに日が沈み、未だ深い眠りに落ちたままのリリーベルトを担いで、ライオスの家で一晩泊めてもらうことになった。
ライオスはすでに結婚をしていて、妻と二人の子供に恵まれていた。
賑やかな食卓で久しぶりのまともな食事を取ったセルティアは疲れもあったのだろう。
食卓に座ったまま舟を漕ぎ出したのを見て、リイニャはセルティアを抱え、リリーベルトの寝る客室へと連れて行くと、隣に寝かせてあげた。
そんなリイニャの一連の動きを、ライオスはじっと目で追いかけていた。
「リイニャ、良い顔になったな」
「そおふぁ?」
ライオスの子供はまだ幼く、余所者のリイニャにも興味津々で二人して両側から頬をつねってきたりしたが、リイニャはさせるがままにしていた。
「ああ、昔のあんたはもっと余裕がなくて、卑屈で、いつも不幸面してた。まあ、家でひでえ扱いされてたから当然かもしれねえが」
リイニャは黙ったまま、戯れてくる子供をあやしていた。
「あんたがいなくなって、俺と兄貴が家事や雑務を手伝うようになって驚いた。男二人がかりで大変なことをあんたは毎日一人でやってたんだってな」
訥々と一人語るライオスは、頭をかいてため息をついた。
「そんで自分にもガキができてようやくわかった。あんな扱いをガキにするべきじゃなかった。俺は親父やお袋のようにはならねえぞって、本気で思った」
そう言ってライオスは、リイニャに向かって深々と頭を下げた。
「だから…許されるとは思わねえが、あの時はすまなかった」
「…過ぎた話だ。それに一度仕返しをしているので、お互い様だ」
「ああ、あの時は容赦なくボコられたっけ」
リイニャに馬乗りになって殴られた時のことを思い出したのか、ライオスは顔を引き攣らせた。
それからライオスの妻と子供達が寝室へと向かった後も、お互いが三百年の間どう過ごしてきたかを語り合い、夜が更けていった。
「…何かあったか」
先に気づいたのは、リイニャだった。
窓を開けて耳を澄ませると、途端に里の物見櫓に設置された鐘が打ち鳴らされた。
里の非常事態を告げる、警告の鐘であった。
「っ! まさかまた魔族の襲撃か!?」
ライオスはサッと顔色を変えて、すぐに妻と子供を叩き起こすと、里長の屋敷に避難しろと告げた。
リリーベルトも毒からある程度回復したのか、目を覚まして状況を理解すると、セルティアを伴い里長の屋敷まで送り届ける役を買って出た。
「魔族が以前にもこの里を襲いにきたのか?」
「ああ、二年程前から何度かな。魔族は今の魔大帝を戴いてから、エコーテの森の開拓に本格的に乗り出してきやがったのさ」
「森の開拓? なぜそのようなことを?」
「どうやら人族の領域に本格的に侵攻するため、大森林を南北に貫く道を作ろうとしているらしい。そのせいでいくつもの森族の里が焼かれた」
悔しそうに奥歯を噛み締めるライオスを見て、まさかエコーテの森にそのような異変が起きているとは知らなかったリイニャは驚いた。
広場まで出ると、負傷した警備兵の一団が声を張って指揮を飛ばしていた。
「親父、兄貴!」
「おお、ライオス! …おまえは、リイニャか!?」
サリエリも肩を負傷しているようだったが、リイニャを見つけると目を剥いた。
「説明は後だ! 状況はどうなってやがる!?」
「魔族が攻めてきた。しかも今回は正規軍一個中隊の規模だ…」
「なっ! 百人以上の軍人相手かよ!」
ライオスの顔にさっと絶望の色が差し込んだ。
三百人程のエルフが住まう里に中隊規模の軍を向けるとは、過剰とも言える戦力だった。
「そんな数の軍に勝てるわけねえ。それなら警備隊で足止めして、そのうちに戦えねえ老人や女子供は里の外に逃すべきだろ」
「里を捨てることはできぬ! 里長の屋敷を砦とし、里の者皆で最後まで戦うことが我ら誇り高きリシャルカ氏族の取るべき道である!」
サリエリがそう大声で告げると、ライオスは怒りで顔を赤く染め上げた。
「ふざけんな! 無駄死にでしかねえだろ、そんなの! 兄貴はどう思ってんだ!?」
ライオスは双子の兄のギルスに噛みつくように問いかけたが、ギルスは淡々とした口調で返した。
「ライオス、親父の言うとおりだ。魔族共に背を向けて里から逃げるなど、そんな恥を背負って生きていくことはできん!」
「はあ!? 兄貴もガキがいるだろ! ガキ共はどうなる!?」
「親と共に死んだ方が子供らも安心だろう」
三百年の年月が経てば、双子の兄弟でも考え方がここまで異なるものなのかと、リイニャは妙に感心してしまった。
「自分の嫁さんやガキたちをそんな無益な戦いで死なせるなんて、俺はゴメンだ! 死ぬならテメエらで勝手に死ね! 俺は嫁とガキ連れて、里を出る!」
「それはならぬ。一人逃げ出せば、それに続いて逃げ出すものが現れる。私の命に背くならば殺す」
サリエリは冷淡にそう告げて、指先をライオスに向けた。ライオスは顔を青ざめさせながら、唇を噛んで父と兄を睨みつけた。
「人は変わる者もいれば、変わらぬ者もいるのだな」
リイニャはため息をついてから、刀を抜いた。
途端にサリエリの顔に緊張が走り、後ろに飛び下がるとその指先をリイニャに向けた。
「父上。ライオスを殺すと言うならば、私が貴方を殺す」
「貴様っ! 落ちこぼれの分際で大きく出たものだ! 悪鬼の真似事をしたところで、貴様如きが私に勝てるとでも!?」
「試せばわかる」
リイニャは刀に切先をサリエリに向け、意図して殺気を発してみせた。
そのあまりに濃密な死の気配に慄き、サリエリはすぐに魔法を撃ってきた。
「『風切』『風切』『風切』!」
この三百年でサリエリも鍛錬を積んだのか、かつての『風切』を詠唱なしで撃ち出すことができるようになっていた。
だが、それだけ。
あの時見たエレルファンの『風絶』には、威力も速度も比べるべくもない。
「ふっ」
リイニャは『風切』の三連発を、刀の一振りで斬り裂いた。
「なっ!? 我が『風切』を斬っただと!?」
サリエリも一刀斎がエレルファンの魔法を斬った瞬間を見ていたはずだが、リイニャに同じ芸当ができるとは思わなかったようで、声に動揺の色が混ざっていた。
「だが…これは目で追えぬだろう! 『疾風矢』!」
ナイフで手のひらを切り裂いたサリエリは、血で濡れた指先をリイニャに向けて、超高速の風魔法を撃ってきた。
『疾風矢』も詠唱を省略できるようになっていたサリエリは、今ならばかつて苦い思いをさせられた悪鬼をも倒すことができると本気で信じていた。
「ハッ!」
しかしそれもリイニャには見えていた。
目の鍛錬を積むこと三百年、リイニャはしかとその魔法の軌跡も捉えていた。
その軌跡に刀の刃を重ねるようにして振り抜き、『疾風矢』を斬り裂いてみせた。
「ば、馬鹿な! 悪鬼ですら避けることしかできなかった『疾風矢』を、斬っただと…?」
呆然としたまま次の魔法を放ってこないサリエリに、リイニャは戸惑いを覚えた。
「まさか…今のが父上の奥の手か? この三百年、鍛錬が足りていなかったのではないか?」
「くっ! 無才の貴様に魔法の何がわかるというのだ!? 貴様なぞに『疾風矢』を何度も斬れるはずがない!」
そう叫んで二発目の『疾風矢』を撃ったサリエリだが、リイニャはそれも余裕を持って斬り裂いた。
「う、嘘だ!? あ、ありえないっ! 無才の娘にこんなことができるはずがない!」
魔力切れを起こしたサリエリは、その場に膝をつき粗く息を吐きながら見苦しくわめいた。
そして気づけば、リイニャの刀の間合いまで歩み寄られていることを知り、サリエリは「ひゃ!」と悲鳴を上げた。
「斬るまでもない、か」
サリエリの首筋を峰打ちで叩き、昏倒させた。
かつて何もできずに打ち据えられた父を倒したリイニャだが、余りの呆気なさに物足りなさを覚えるだけで、ため息を一つこぼした。
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