第二十四話「誓い」
「リイニャ様! リイニャ様、起きてください!」
牢の床で不貞寝をしていたリイニャは、声をかけられて目を覚ました。
すると、そこにはランタンを持ったセルティアとリリーベルト、そしてミーティア傍付きの魔法使いであるシスカーンが鉄格子の扉を開けて立っていた。
「助けに来ました! 逃げますよ、リイニャ様! お急ぎください!」
「お、おお、わかった」
急かされたリイニャは慌てて起き上がり、牢を出た。
「リイニャ殿の刀もお持ちしました」
リリーベルトから差し出された刀を腰に差すと、リイニャは久方ぶりの再会に愛おしそうにその柄を撫でた。
「シャリオン、共に逃げるか?」
「いや、私は良い。大賢者が私を生かしたということは、この王国にはまだ私の武力が必要と判断したのだろう。利用価値がある間は極刑にはなるまい」
声をかけたところ、シャリオンはそう言って首を横に振った。
一瞬、リリーベルトとシャリオンは見つめ合った。
「父上、ナイトライト家のことはお任せください」
「苦労をかけてすまんな」
語りたいことは山ほどあるだろうが、親子は短い言葉だけ交わし、リリーベルトは毅然と背を向けた。
その瞳には涙が滲んでいたが、リイニャは気づかない振りをした。
それから真っ暗な螺旋階段を上がり続けた。
牢があったのは魔道塔の地下深くであったようだ。
「先ほどリイニャ様の処刑が決まりました。執行は明日早朝。そのため日が昇る前にリイニャ様にはこの国からお逃げいただきます」
セルティアは簡潔に経緯を説明してきた。
「王族の方々はリイニャ殿の助命を支持されていたのですが、大賢者様が大貴族たちを抱き込んで頑なにリイニャ殿の処刑を主張されたのです」
リリーベルトは悔しそうにそう続けたが、リイニャはそれも仕方がないと考えた。
余所者の命のために、王国内で強大な権力を持つ大賢者に盾つこうとするほどのお人好しは少数派だったということだろう。
「シスカーンはなぜここにいるんだ。貴方は大賢者の右腕なのだろう?」
「今回の裁定には納得いかないからなあ。三百年も前のことを蒸し返して処刑しようというのは、道理に反する。それにミーティア様に嬢ちゃんを助けてやれと頼まれてねえ。珍しく恩を感じてる様子だったなあ」
そんな会話をしているうちに、リイニャたちは階段を登りきった。
「ここからは魔導塔の研究施設と居住空間さ。俺から離れるな。『隠形』」
シスカーンがそう唱えると、透明な衣がリイニャたちを包み込んだ様な感覚があった。
「良いと言うまで声を出すな」
そういうとシスカーンは歩き始め、その内何人かの魔法使いたちとすれ違ったが、シスカーンに会釈をかわすだけでその後ろをついて歩くリイニャたちに気付いた様子はなかった。
そのまま魔導昇降機までたどり着き、中に乗り込んで扉を閉めると、ようやくシスカーンは小さく息を吐いた。
「ミーティア様が大賢者を王城に呼び出してくれていてねえ。今、魔導塔に大賢者は不在なんだ。でなければ、脱獄もたちどころにバレていただろうさ。ここまで来れば俺の部屋までもう一息だ」
昇降機はそのまま塔の上層階まで上がり続けた。
そしてようやく昇降機が止まると、再び『隠形』の魔法をかけ直したシスカーンは、油断なく歩み続け、自身の私室へとリイニャ達を招き入れた。
「さて、ここからどう逃げたものか。すでに夜明けも近いだろう」
リイニャが窓の外を眺めながらセルティアに訊ねると、セルティアは困った様に眉を寄せた。
「申し訳ありません。わたくしもシスカーン様に策があると伺っていただけで、具体的な方法は教えてもらっていないのです」
「あー、それは今から説明する」
そういうとシスカーンは、壁にかけられていた大きなタペストリーを外し、裏返しにして床に広げた。
裏地には羊皮紙が貼られており、そこに複雑怪奇な魔法陣がビッシリと描き込まれていた。
「リイニャを今から移動魔法でエコーテ大森林まで飛ばすのさ。細かな座標指定まではできないが、リイニャなら死なないだろう?」
「そうか…やはりセルティアをエコーテの森に飛ばしたのは貴方の魔法だったか」
リイニャがそう告げると、セルティアとリリーベルトは目を丸くしてシスカーンを振り返った。
「ああ、俺の魔法研究の専門は『瞬間移動』。今はまだざっくりとした方角と距離しか指定できない上に、膨大な魔力を必要とする。実用化には数十年単位の時間がかかるかなあ」
「そうか。実用化されれば、世界に変革をもたらす魔法だな」
素直に賞賛するリイニャに、シスカーンはニヤリと不敵な笑みを返した。
「起動させるまでに少し時間がかかる。その間に別れの挨拶でも済ませておいてくれ」
そう言うと、シスカーンは魔法陣に手を当てて、ブツブツと小声で長大な詠唱を始めた。
「リイニャ様、これをお受け取りください」
セルティアはそう言うと、真っ黒な手のひらサイズの長方形のプレートを手渡してきた。
「これは?」
「『亜空盤』と呼ばれる魔道具です。生き物以外、あらゆる物をこの板の中に収納し、好きな時に取り出すことのできるものです」
「おいおい、そりゃあ国宝級の代物だろう」
思わずといった様子で驚いた顔のシスカーンが口を挟んできたが、セルティアは笑顔で続けた。
「ミーティア姉様からも承諾はいただいています。中にはすでに様々な武具や金貨を入れてあります。リイニャ様から受けた大恩に報いるには不十分だとは思いますが、どうぞわたくしたちの精一杯の感謝の気持ちとして受け取ってください」
「感謝するセルティア。ありがたく使わせてもらおう」
リイニャは袖に『亜空盤』をしまい、セルティアから使用方法について細かな説明を受けた。
「リリー。シャリオンのことだが…一度腹を割って話し合うといい」
「父上と、ですか」
「シャリオンと貴女の剣は似ている。実直で素直な気持ちのいい剣だ。そして剣に嘘はつけない」
リイニャはシャリオンから聞いた話を伝えることはしなかった。
それは自分から伝えるべきことではなく、シャリオンが直接自分の口から娘に話すべきことだ。
だから代わりにリリーベルトを思い切り抱きしめ、バンバンとその背中を叩いた。
「頑張れ、リリー」
「…はい!」
リリーベルトは力強くそう頷き返した。
「むう、リイニャ様、わたくしにはないのですか」
「ん?」
セルティアが拗ねたような顔をしていたので、リイニャは苦笑しつつセルティアとも抱擁を交わした。
「セルティアも頑張れ。民や配下を大事にし、それ以上に自分を大事にすることだ」
「はい!」
満足したのか、セルティアは満面の笑みで元気よくそう返事をした。
「準備が整った。リイニャ、魔法陣の真ん中に立ってくれ」
シスカーンがそう告げてきたので、リイニャは指定された場所に移動すると、魔法陣全体が発光し始めた。
「リイニャ様。わたくしだけでなく、この国を救っていただいた御恩、生涯忘れません。またいつの日か必ず再会しましょう」
「リイニャ殿! ボクもリイニャ殿の剣に少しでも近づけるように、また再会できるその日まで精進して参ります!」
セルティアもリリーベルトも二人して人目をはばからず涙を流していたので、リイニャも思わず微笑がこぼれた。
「ああ、私も二人と出会えて楽しかった。必ずまた会おう!」
リイニャは大きく手を振って別れを告げると、途端に魔法陣から放たれる光は強くなり、視界が真っ白に染まった。
まぶしさに思わず目を閉じたリイニャが次に目を開けた時、そこは見渡す限りの平原であった。
空は暗い雲が覆い、小雨が降り注いでいた。
「…エコーテの森ではない?」
辺りを見渡したリイニャは周囲の景色を見て、それが己の見知った大森林ではないことをすぐに察した。
シスカーンの魔法に不備があったのかと思い始めたその時、上空から声をかけられた。
「やはり、シスカーンが移動魔法を使ったか」
「…大賢者、貴方の仕業か」
見上げると、上空に大賢者が浮かんでおり、こちらを憎々し気に見下ろしていた。
「ミーティアとセルティアが貴様を逃がそうとしているのは察しておった。その手段としてシスカーンの移動魔法を使うのも予見し、魔法陣に細工をしておいたのじゃよ」
「ここは…そうか、師匠が傭兵王を討ち取ったかつての平原か」
「そうじゃ。貴様を葬るにはうってつけの場所じゃろう」
大賢者はゆっくりと大杖の先をリイニャに向けてきた。途端に重くのしかかるような、ねっとりとした殺気が降ってきた。
「それにこの魔法は王都では使えぬのでな。我が最強の魔法じゃ。『星堕』」
そう大賢者が唱えた瞬間、リイニャの本能が最大限の警報を鳴らした。すぐに目に見えて迫る魔法の気配はない。
だが、圧倒的な危機感だけが募り続けリイニャは鳥肌が止まらなくなった。
そしてその脅威は空からやってくると直感して、リイニャは上空を睨みつけた。
しばらくしてその正体は分かった。
空を覆っていた雲を突き破って、巨大な岩石が空から降ってきた。
「んなっ!?」
なんという大きさだろうか。
遠近感が狂うほどに巨大な岩石であり、ローグリアの王城そのものが堕ちてくるようなものであった。
恐らく質量でいえばそれよりも遥か上。
あんなものが堕ちれば、この周辺は吹き飛んでしまう。
逃げるという選択肢はなかった。
逃げたとしても、その衝撃に巻き込まれて間違いなく死ぬ。
誇張なく、国一つを滅ぼす理不尽な超大魔法であった。
「命を捨てたか!」
「カッカッカ! 老い先短い儂の命、仇を滅ぼすために捧げてなんの後悔があろうや!」
大賢者がどれほど優秀な魔法使いといえども、これほどの魔法はそう易々と発現はできない。
己の命を犠牲にして放つ、最期の魔法であった。
斬れるか?
迫りくる巨大岩石を見上げながら、リイニャは己に問いかけた。
「いや…斬るか死ぬか、だな」
リイニャは居合いの構えを取った。
足を大きく広げて地面に踏ん張り、限界まで身体をねじり上げて剛力を蓄えた。
骨がきしみ、筋肉が悲鳴を上げるが、無視をしてただ斬ることだけに全神経を集中した。
「愚かな! 斬れるわけがあるまい!」
「斬る」
迫り来る圧倒的な死を前に、リイニャは斬るという選択肢以外を自分の中から排除していった。
例え死んだとしても、斬ってみせる。
剣に捧げた人生を一振りに全て乗せる。
『某を超える剣を身につけるその日まで死ぬな。もし死ねば、あの世で某が貴様を殺す』
不意にかつての師匠の言葉が蘇った。
ハッと我に帰ったリイニャは、居合の構えを解いた。
冷静になれ!
あんなものを斬れる技は今の己は持ち合わせていない。剣と共に殉じることに陶酔しているだけだ。
最後のその瞬間まで、頭を使って生き残る道を探ることこそ、師匠と交わした約束に則すというもの。
リイニャは迫り来る『星堕』を見上げながら思考し始めた。
リイニャは袖から先ほどセルティアから貰い受けた『亜空盤』を取り出し、迫り来る岩石に向けた。
「『収納』!」
対象に向けてそう唱えることで、無機物ならば収納できるということだった。
だが、特に変化は起きなかった。
「驚いたのう。『亜空盤』を持っていたとは。しかしこの『星堕』の質量は収納できる容量上限を超えておる。諦めて死ねえ!」
いや、まだだ!
まだ諦めるな!
更にリイニャは思考の速度を早めた。
打開策につながるものがないかと、『亜空盤』に収納されていた全てのものを目の前に出してみた。
金貨の入った宝箱の他に、弓矢や鎧兜、剣、ナイフ、斧、槍、盾、ランスなどなど。
様々な武具が収納されていたが、どれも役に立つものではなかった。
あと持っているものとすれば、刀と、そして実母から受け継いだ翡翠の首飾り。
「………そうか!」
リイニャは思いついて刀を抜くと、すぐに地面にその切先を突き立て始めた。
そんな様子を上空から見ていた大賢者は訝しげに眉をひそめたが、最後の悪あがきだと冷酷な笑みを浮かべた。
「時間切れじゃ。さらば、狂剣鬼の弟子よ」
『星堕』は遂に平原へと堕ちた。
その一撃は容赦なく地表のあらゆるものを吹き飛ばし、爆発の様な轟音を響かせ、一里先まで衝撃波が襲った。
巻き上げられた土煙が収まるまで、時間がかかった。
ようやく顕になった地上は『星堕』の衝撃により周囲から草花が消し飛び、地面が抉られて大きな陥没が出来上がっていた。
当然リイニャの姿は跡形もなかった。
大賢者は地面に降りると、膝をついて血を吐いた。
だが命を捧げた己の最後の大魔法が生み出した光景に、自然と笑みが浮かんだ。
「…凄まじい威力だ。今まで見てきた魔法の中で間違いなく最強だった」
「なっ!?」
背後から声をかけられた大賢者は、動揺のあまり裏返った声を上げ振り向くと、そこには五体満足のリイニャが立っていた。
「なぜ生きておる!?」
「移動魔法を使って安全圏まで避難したのだ」
「なん、だと? なぜ貴様が移動魔法を使える!?」
「『彼を知り己を知れば百戦殆からず』と師匠がよく言っていてな。魔力を持たぬ私も魔法使いとの戦闘を有利に進めるため、魔法の勉強は続けていた。シスカーンの部屋で見た移動魔法の魔法陣を模倣する程度ならばできる」
さらっと言ってのけたリイニャだったが、並の魔法使いでは魔法陣を見ただけで複雑な移動魔法を模倣することなど出来はしないだろう。
使えもしない魔法を、師匠に言われるがまま真摯に学び続けてきたリイニャの異常ともいえる根気強さがなければ、窮地を脱することは叶わなかった。
「だ、だが貴様に魔力がないはずじゃ! それくらいのことは儂も看破しておった! なぜ移動魔法を発動できたのじゃ!?」
「翡翠の首飾りに、母が込めてくれていた魔力を使った。短距離の移動魔法一回分で、空になってしまったがな」
そう言ってリイニャは、翡翠の首飾りを大賢者に見える様に胸元から取り出して見せた。
「クックック…そうか、母の愛に負けたか」
大賢者は愉快そうに笑い、さらに激しく吐血をすると背中から仰向けに倒れた。
「本気で殺そうと思えば、私が投獄されている間に何度もその機会はあっただろう?」
「…儂は人生に倦んでおった。周りから大賢者などと持ち上げられ、ぬるま湯に浸かりながら老いて死にたくはなかった。最期は強敵と命を賭けた戦いの中で死にたかったのじゃ…傭兵王様のように…」
「そうか、願わくば私もあなたと同じ様に死にたいものだ」
「貴様はまだ数百年は死にそうに見ないが…感謝する、我が強敵よ」
それが大賢者の最期の言葉となった。
次話、本日18:10に投稿予定です。
最終話となります。




