第二十二話「技の名は」
「さて、残るは貴方一人だな」
リイニャがそれまで静観していたシャリオンに話しかけると、シャリオンは真っ直ぐにリイニャを見つめ返した。
「ああ、二人は十分な刻を稼いでくれた。おかげで負ける要素はない」
虚勢かとも思ったが、シャリオンの言葉にそんな気配は微塵もなかった。
「聖剣解放…『羅刹剣』」
シャリオンがそう言葉を紡ぐと、剣を持つシャリオンの腕から顔にかけて、蛇が這ったような黒い痣が浮かび上がった。
そして、シャリオンの瞳の色も赤黒く変化し、纏う闘気の質が明らかに重く荒々しいものへと変化した。
「代々の近衛騎士団長が受け継ぐこの聖剣は、かつて傭兵王が使っていた剣だ」
「なんだと?」
「解放するまでに時間をかけて魔力を練り上げねばならないのが難点ではあるが、その力は所持者の運動能力を数倍に引き上げる。全ての敵を倒してきた不敗の剣だ」
そう説明したシャリオンはリイニャに向けてその切っ先を向けてきた。
「降参しろ、リイニャ。娘の恩人を殺したくはない」
肌を焦がすような殺気に、リイニャの口角も釣り上がった。そして返事の代わりに刀を一息に抜いた。
「…仕方あるまい」
シャリオンはそう言ってゆっくりとリイニャに歩み寄っていった。
リイニャもまたシャリオンへと歩み寄っていき、互いの剣の間合いに入る寸前で立ち止まった。
一瞬の静寂。
詰めかけた三万の観客たちも一様に押し黙り、呑み込む唾の音すらも響きそうであった。
「シッ!」「オウッ!」
二人の気迫は重なり合い、共に剣を振るった。
それぞれが互いの命を刈り取るために砥がれた技であり、冷酷な美しさを孕んでいた。
一振り目は互いに躱された。
二振り目、三振り目は互いに服の裾や髪先を斬り飛ばした。
そして剣の交錯は、その速度と激しさを増していった。
強い。
剣を交わす中で、リイニャはシャリオンの剣技の鋭さに感嘆した。
人族の短い生の中でこれほどまでに剣を練り上げたとは、己よりも遥かに天に祝福された剣才の持ち主だと素直に認めた。
同時に、剣には振るう者の性根が現れる。
シャリオンの剣は、実直に合理を極めた王道の剣。
このような剣を修めた者が、権力欲に溺れ計略を企てたことがリイニャには不思議に思われた。
「真面目で曇りのない剣だ。くだらぬ野心を抱く者には見えないがな」
一度、互いに間合いを取った際、リイニャはシャリオンにそう語りかけた。
しかしシャリオンは答えず、逆に問いかけてきた。
「貴様は…何者だ?」
「エルフのリイニャ、侍だ。紹介は済んでいただろう」
「捉え所のない剣だ。幼子のように自由奔放でありながら、時に達人のごとき老獪さを見せる。どれほどの年月を修練に費やしてきたのだ?」
「まだ三百年ほどだ」
「そうか…長命種のエルフは見た目で判断できぬものだな」
フンと鼻で息を吐いたシャリオンは剣を構え直した。
「命を削らねば勝てぬ相手と認めよう。聖剣二次解放…『阿修羅剣』」
そう唱えた途端、シャリオンの全身は徐々に漆黒に染まり始め、髪の毛は白に変色し腰の長さまで急激な速度で伸びた。
まるで魔族のごとき異相に変化したことで、観客席からも悲鳴が上がった。
「私の寿命を喰う代わりにわずかな時間、人の域を超える力を聖剣は与えてくれる」
「聖剣と言うよりは魔剣だな」
「正義のために振えば、魔剣も聖剣となる。貴様は何のために剣を振るうのだ」
「私はただ強くなりたいから剣を振るう。それだけだ」
「…その様な何も背負わぬ軽薄な剣で、俺に勝てると思わないことだ!」
そう言い放った直後、シャリオンが消えた。
直後、右脇腹に衝撃があり、リイニャの体は、くの字に折れた。
そしてゴム毬のように地面を勢いよく跳ねて転がり、そのまま闘技場の壁に激突した。
「ガフッ!」
一撃で内臓を痛め付けられたリイニャは小さく吐血した。頭からも血が滴り落ち、頭を打ったせいか耳鳴りが止まらない。
アッシュゲル以上の速度とパンジー以上の怪力。
更に天に愛された剣の才。
同じ三宝剣といえど、シャリオンは他二人とはまさに別格であった。
「胴体を両断するつもりだったが、今の一撃を防いだか」
シャリオンは素直に賞賛を送った。
リイニャは視認できてはいなかったはずだが、超高速で移動したシャリオンが横に振るった一閃を、刀を滑り込ませることで紙一重で防いでみせた。
衝撃は殺しきれずに吹き飛んだが、その野生の勘とでもいうべき反応は油断ならない相手だと再認識させるには十分だった。
「ふふふ…あははははっ!」
未だ壁にもたれかかったままのリイニャが、唐突に笑い出したのを見て、シャリオンは眉を寄せた。
「死の恐怖を前に、おかしくなったか?」
「いや、私は嬉しいのだ。貴方を通してかつての傭兵王の強さを肌で感じ、それを倒した我が師の強さを改めて知ることができた。やはり師匠は天下無双だったのだな!」
「…何を言っている?」
「感謝するぞ、シャリオン。貴方を倒せば、また一つ師匠に近づける」
立ち上がったリイニャは目をキラキラと輝かせていた。
シャリオンにはなぜリイニャがそのような表情を浮かべられるのか、理解ができなかった。
しかし時間をかけるのは悪手と判断したシャリオンはすぐに切り替え、再び自ら仕掛けた。
またシャリオンはリイニャの視界から消えた。
だが、眼球の動きが間に合わなくとも、リイニャの耳が音を捉えていた。
今度は完全にシャリオンの剣撃を避けたリイニャに、シャリオンはわずかに目を見開いた。
然りとて動揺は見せず、そこから次の攻撃に繋いだシャリオンもまた一流。
観客たちには二人の動きは早すぎて、とても目で追えるものはいなかったが、誰もが固唾を飲んでその立ち合いを食い入るように見つめていた。
リイニャは、濃密にまとわりつく冷たく甘美な死の香りにうっとりと頬を染めた。
同時に深い集中の淵へと堕ちていった。
シャリオンの呼吸、目の動き、鼓動の音、筋肉の初動をよく観察し、次なる動きを予測する。
剣の虚実を見極め、思考を読み合い、先の先を奪い合い、後の先を狙い合う。
シャリオンの剣は、まともに受ければ刀を砕かれるであろう重さと威力を乗せていた。
そんな剣先が睫毛に触れ、首筋を切り裂き、脇腹を掠めた。
リイニャには飛び散った鮮血が重力に負けて滴となって、落ちていく様まではっきりと見て取ることができた。
リイニャは緊張と興奮と過集中で、脳味噌が沸き立つような感覚を覚え、釣り上がった口角は戻る気配がなかった。
思考よりも先に、体が反応して剣が奔る。
三百年の鍛錬は思考を超えて尚、最適な動きの答えを導き出す。リイニャの剣はますます冴え渡り始めた。
死闘の中でしか芽生えない超感覚。
鉄炎龍との戦い以来、久しく感じてこなかった感覚にリイニャは陶酔にも近い感情を抱いていた。
一刀斎が語った『死闘の中でしか得られぬ経験』が、まさにリイニャの剣を磨き上げていた。
もっと疾く、もっと鋭く、最速で最短で最高の軌道で刀を振るうことだけに集中する。
三万の観客は意識から消え去り、リイニャとシャリオンの二人だけの世界がそこにはあった。
「『六黒閃』…!」
シャリオンの呟きと共に繰り出されたのは、超速の刺突六連撃であった。
一、ニ撃目はかわし、三、四撃目は刀で受け流したが、五撃目は肩を掠め、六撃目はリイニャの脇腹に深々と突き刺さった。
「グッ!」
脇腹を貫く痛みにリイニャの動きが一瞬止まった。
すかさず聖剣を引き抜き様にシャリオンは容赦なくリイニャの鳩尾を蹴り上げ、リイニャは血反吐をまき散らしながら後方に吹き飛んだ。
「我が必殺の技ですら殺せぬか。だが、その腹の傷では長くは持つまい」
そう語りかけてきたシャリオンの前で、リイニャは刀を杖代わりに起き上がると、抉られた脇腹を抑えながらも笑みを浮かべていた。
「今の六連撃、刺突をあそこまで滑らかに繋ぐとは意表を突かれた。素晴らしい研鑽だ」
口元から垂れる血を手で拭いながら、心の底から楽しそうに話すリイニャに、シャリオンは眉を寄せた。
「降参は…しないか」
「ああ」
「ならば次で殺す」
シャリオンは冷酷なまなざしをリイニャに向け、聖剣を構えなおした。
次の一撃で確実に命を狩る。
シャリオンは殺意を漲らせ、リイニャへと向かって歩き出した。
一方のリイニャは、刀を大上段に構えた。
ふいに一刀斎との過去のやり取りが鮮明に思い返された。
*****
『貴様はどの様な剣を好む』
一刀斎のもとで修行を始めて十年が過ぎた頃、不意にそんなことを聞かれたリイニャは首を傾げた。
『強くなるために剣の鍛錬を積んでいるので、好きとか嫌いとか、考えたことがありません』
『だから貴様の剣は詰まらないのだ。我を出せ、我を』
一刀斎は嗜めるようにリイニャは頭をこづいた。
『王道、邪道、小手先、騙し討ちと数多の技を繰り、己の命を賭けて死線に遊ぶのが某の剣だ。それが最も某が好む剣でもある』
『そうなのですか』
『剣は己の鏡だ。己が刀を振って最も好む型を探るのが肝要。貴様も基本はある程度固まってきた。次は己の剣を探せ』
『己の剣…ですか』
単純だが、リイニャには難しい課題だった。
『私は師匠の振るう剣を模倣し、少しでも近づくために鍛錬を積むことが楽しいです。それでは駄目なのでしょうか』
『それでは俺を超えることはできん。師を超えようともせん弟子ならば殺す』
殺されたくはないリイニャはそれから必死で考えた。
提示された正解に近づくために努力することと、正解を自らの中から探ることはまるで異なる作業であり、リイニャは答えを出せないまま悩み続けた。
一人で悩み続けても答えを見つけられなかったリイニャは、一刀斎の剣だけではなく、一刀斎が戦う相手の剣を観察するようになった。
確かに遣い手によって剣は千差万別であった。
攻めの剣と守りの剣、粗野な剣と美麗な剣、実直な剣と変則の剣…。
人の数だけ剣の型は異なり、そこには遣い手が歩んできた生き様が反映されているようだった。
だがリイニャには自分がわからない。
誰にも負けないほど強くなりたいと思って剣の鍛錬を積んできたつもりだったが、なぜその様な高みを目指しているのだろうか。
元々は里から出て、自由な冒険者になりたかった。
剣はそのための手段でしかなかった。
師匠に弟子入りしてからは、強くならねばと思い続けてきたが、果たしてそれは己が本心なのか。
そんなことを考え出し、いよいよ混迷したリイニャは鍛錬中にも雑念が入るようになり、一刀斎から叱責されることが増えていった。
『師匠から見て私はどういう性格でしょうか』
『愚図で呑気で才能がなく、頑固で不器用で負けず嫌い、気が利かない上に無鉄砲』
『全部、悪口ではないですか!?』
『事実を並べたまでだ』
いよいよわからなくなって一刀斎に聞いてみたところ、憎まれ口だけが返ってきたので、リイニャはまた一人で考えることにした。
悩み始めてから一年が過ぎた。
悩みに悩んだ末、リイニャが出した答えはあきれるほどに単純で明快なものだった。
『やはり私は師匠の剣が一番好きです。この一年、様々な剣の遣い手を見てきましたが、今も昔も変わらず心惹かれるのは…憧れるのは師匠の剣だけです』
『この頑固者が。師のいうことに従おうともしない。だが、それも貴様の元来の性根なのだろう』
ため息をつきながら、諦めたようにそう言った一刀斎は、厳しい顔をした。
『しかし某の模倣で終わるような弟子は認めん。さて、貴様はどうする』
『それについては答えを出しました。師匠を殺せる技を磨きます』
『ほう、面白い。それはどのような技だ』
『まだわかりません。師匠の剣を学び続けた先に、師匠の剣を破る技が見えてくると思います。百年か二百年はかかりそうですが』
リイニャがそう告げると、一刀斎は苦虫を噛み締めたような顔をした。
『それでは某は死んでいるではないか! 某が寿命を迎える前に技を完成させよ!』
『それは無理というもの。私には剣の才がないと、いつも言っているのは師匠ではないですか』
開き直ったリイニャを殴りつけ、一刀斎はつまらなそうに鼻を鳴らすと、不貞寝を始めた。
『好きにせよ。だが某の死後も約束は守ることだ。技の研鑽を怠る様であれば化けて出るぞ』
リイニャはそれからというもの、師匠を破り得る剣とは、どんな剣かということをふとした瞬間に考える様になった。
一刀斎は剣の天才であった。
技の引き出しは数知れず、見た技をすぐに盗んで己のものにしてしまう器用さも持ち合わせ、剣の駆け引きで見せる悪辣さはリイニャが到底及ぶものではなかった。
剣の技術や駆け引きで勝負すれば、たとえエルフの長い寿命を以ってしても追いつけないとリイニャは考えた。
となれば、師匠を殺し得る剣というのは技術や駆け引きではない、もっと単純明快で理不尽な剣だ。
その考えに行き着いたリイニャは、その日から理不尽な剣を追い求め始めた。
例え、技や思考が読まれようとも、防ぐことができない理不尽の剣。
そんな非現実的な剣を身につけるため、リイニャは鍛錬の合間も黙々と技について考え、試行錯誤を続けた。
『生み出した技には名をつけろよ、リイニャ』
ある日、思い出したかのように一刀斎はそうリイニャに命じた。
『魔法と同じように、剣術の技に名をつける意味などあるのですか?』
『ある。技に名を付けることで命が宿る。さすれば不思議と技の型は整い、鋭さを増す』
断言する一刀斎に、リイニャも真剣に技の名を考え始めたものの一向に良い案が浮かんでこなかった。
『技の名は師匠がつけてください』
『なぜ某を殺そうという技の名を、某がつけなければならない?』
『弟子への餞別だと思って』
『まだまだ死ぬ気はないわ!』
等とは言いつつも、一刀斎はその場で腕組みをして熟考し始めた。
『…日ノ本には桜という春先に花を咲かせる美しい木がある。某の生まれ故郷の里山には、一本の大きな桜の古木があったのだが、幼き頃一度だけ花を咲かせた後に雪が降った。雪景に見る満開の桜は真に幽玄であったな』
突然、昔話を始めた一刀斎だったが、生まれ故郷の話を一刀斎がすることなど珍しかったため、リイニャは黙って耳を傾けた。
『己の死に際に見る幻であれば、あの時の景色が良い。故に某を殺す技というのであれば、その技の名はーー』
*****
「『六黒閃』!」
シャリオンは剣の間合いに入った瞬間、恐ろしい踏み込みと共に、必殺の技を再び繰り出した。
生涯をかけて磨き上げたこの技を破られるはずがないという自信が、シャリオンにはあった。
「――『雪桜』」
振り下ろされたリイニャの刀は静かだった。
シャリオンには、その刀の軌道をはっきりと見えていた。
不意にシャリオンの鼻をついたのは、ほのかに甘い花の香りだった。
そしてシャリオンは、リイニャの背に幻を見た。
しんしんと降り積もる純白の雪と、雲間から差し込む月光に洗われて燃えるように咲き乱れる桜の古木。
シャリオンはその美しさに見惚れて、息を吞んだ。
そのまま振り下ろされるリイニャの刀が、痛みもなく己の身体を通り過ぎていくのを感じた。
どこまでも静かで、冷たい雪景の中で、シャリオンの視界はゆっくりと闇に包まれていった。
本日、18:10に次話投稿予定です。
 




