第十一話「二度目の旅立ち」
戦いを終えたリイニャの元に、ライオスたち警備隊の面々が駆け寄ってきた。
「すげえ…本当に一人で全員殺しちまったのかよ」
ライオスは顔を青ざめさせて、惨状を見つめた。まだ年若いエルフは、その余りに凄惨な光景と鼻をつく血肉の臭いに後ろの方で胃の中身を吐いていた。
「同士討ちで倒れたものも多い。何よりライオスたちが風魔法で煙幕を制御してくれたおかげだ」
「…にしても、よくあの煙の中で戦えたな」
「私たちエルフの聴覚は他種族よりも優れている。訓練すれば、視界がなくとも耳だけで敵の位置を把握することはさほど難しくないぞ」
リイニャは簡単に言ってのけるが、そんなことできるエルフをライオスはリイニャ以外に知らなかった。
「弓も凄かったです! 隊長の『疾風矢』よりも威力があったんじゃないですか?」
一方で中には目をキラキラさせて強者への憧れの眼差しをリイニャに向けてくる若いエルフもいた。
弓矢は里長が趣味でかき集めていた武具の一つだった。
怪力で知られるオーガ族が作った巨大な強弓で、屋敷のインテリアと化していたが、リイニャが初めて弓に本来の役割を果たさせた。
「刀以外も最低限の弓術や槍術などの武芸一般を師匠に仕込まれたが、どれもまだまだ未熟だ。貴方もあれくらいの弓ならすぐに射ることができる」
「ホントですか!? オレ、魔法そこまで得意じゃないので弓も頑張ってみようと思います!」
「ああ、励むといい」
リイニャは照れくさそうに頬をかき、そう若いエルフに伝えた。
ちなみに後日、リイニャが自在に操った強弓を若いエルフも真似て使おうとしたが、張られた弦は恐ろしく硬く、三人がかりでも弦を引くことすら叶わなかった。
リイニャは返り血を落とすため、一人里を離れ川までやってきて、服のまま飛び込んだ。
すぐに川は赤く染まったが、根気強く全身を上から下までゴシゴシと洗い続けた。
半刻もすればある程度の汚れは落ちて、返り血で赤黒くなった髪も本来の銀の輝きを取り戻していった。
それから焚き火を起こし、捕らえて焼いた川魚を食べながら、衣類を灰で洗い乾かして里に戻ると、避難した里の者たちが続々と戻ってくる最中だった。
「リイニャ殿!」
リリーベルトがリイニャを見つけると、すぐに声をかけて駆け寄ってきた。
「聞きましたよ! 百以上のオークの軍勢相手にお一人で立ち向かい、そのことごとくを斬り伏せたと! 物語に出てくる英雄の如きご活躍、感服いたしました!」
「いや、策がうまく嵌まっただけだ。警備隊の魔法がなければこうも上手く事は運ばなかっただろう」
「ご謙遜を! 我が王国でも同じことをできる猛者は片手で数える程しかおりますまい!」
「ほう、その猛者たちはどんな者たちなのだ?」
思わず興味を持ってそう訊ねたリイニャだったが、それに応えたのは笑みを浮かべたセルティアだった。
「我が王国の精兵に興味がございますか、リイニャ様」
「ああ、もちろんだ」
「もし王国に戻るまで、わたくしたちの護衛を請け負ってくださるならば、我が王国随一の実力者であるリリーベルトの父、近衛騎士団長との立ち合いの場をご用意しますがいかがでしょう?」
突然の提案ではあったが、リイニャは自身の心が大いに揺らいだことを否定できなかった。
セルティアはそんなリイニャの反応を見て、ますます笑みを深めた。
「天下無双とは他者と己の強さの比較の上で決まる以上、強者を倒さずして名乗れる称号ではありませんよね?」
「……なるほど、これは一本取られた」
セルティアは的確にリイニャの欲するものを理解した上で、リイニャの心が揺れる提案をしてきた。
そしてリイニャは狡猾さを持つ者を好ましく思う癖を持っていた。
「いいだろう。王国までの護衛の任、承ろう」
「やったあ! やりましたよ、リリー! これで百人力ですね!」
「流石です姫様! 天才すぎます!」
途端に飛び跳ねて子供らしく喜ぶセルティアと、手を繋ぎ共にはしゃぐリリーベルトを見て、リイニャはため息をついた。
そしてその日は夜通し、宴会が催された。
木の実の粉を練って焼いたパンや、川魚の燻製焼き、きのこや山菜の鍋、虫の甘辛煮、川海老や沢蟹の素揚げ、多種多様な果実など豪勢な料理が次々と主役であるリイニャの卓の前に並べられた。
久しぶりの故郷の料理をリイニャも遠慮なく胃袋に収めていったが、勧められた果物酒だけは断った。
酒を呑めば感覚が鈍ると一刀斎から戒められており、その死後もずっとその言いつけは守り続けてきた。
「リイニャ…いやリイニャ殿。この度は里を救ってくださり、誠にありがとうございました」
酒の代わりに、果物の果汁の飲み物を持ってリイニャに近づいてきたのは里長であった。
リイニャがまだ里で暮らしていた頃の里長の長子が、その任を引き継いでいた。
「リイニャ殿、過去には行き違いがあり里を離れた貴方様ですが、どうかこれから先は里に留まり、里の平和のため警備隊の長を務めてはいただけませんか」
「断る」
即答したリイニャに面を食らった様子だったが、それでも里長は引き下がろうとはしなかった。
「魔族共はこの里の近くに森を貫く道を通そうとしておるのです。奴らがまたこの里を襲ってきた時、貴方様がいなければ今度こそ里は終わりだ!」
「この場所を離れて別の場所に新たな里を築けばいい。他の氏族の里を頼ることもできるだろう」
「馬鹿な! 先祖代々、大切にしてきたこの土地を手放せというのですか!?」
「死ぬよりはマシだ。魔族の大軍相手では多勢に無勢。私一人が立ち向かおうと、大きな流れを変える事はできん」
そんな無駄なことに命を張るのはまっぴらごめんだという本心は、流石のリイニャも口にはしなかった。
しかし里長が騒いだために、リイニャと里親の会話を宴会の参加者たちの多くが耳にしたようで、皆一様に俯き、沈んだ顔を見せた。
「…だが、私はこれから人族の姫を国まで送り届ける任を授かった。魔族が計画する道の建設は人族の国々にとってこそ脅威だろう。私から人族の王にそのことを伝えれば、何か協力を仰げるかもしれない」
「おお…おおっ!」
皆の反応に気まずくなって、そんな気休めの言葉をかけたところ、里長はパッと顔を輝かせ、目に涙を浮かべて喜び始めた。
「リイニャ殿! この里の命運、貴方様に託し申した! 聞いたか皆のもの! リイニャ殿がこの里を救ってくださるぞ!」
「待て待て待て!? 勝手にそんなものを託されても困る!」
慌てて首を振るリイニャだったが、周りのものは大いに盛り上がり、誰もリイニャの言葉など聞いてはいなかった。
余計なことを言ってしまったと後悔に襲われたが、時すでに遅し。
里の皆が涙を浮かべながら、次々とリイニャに感謝の言葉をかけてくる事態となり、途中で面倒くさくなって言い訳することも諦めた。
翌朝、リイニャがセルティアとリリーベルトと共に里を出る際には、里の者たちが総出で見送りに来た。
過度な期待を背負わされたリイニャはゲンナリとしていたが、三百年前に里を一刀斎と共に出奔した時とは真逆の光景におかしみも感じていた。
「ありがとうな、リイニャ。嫁やガキたちが生き残れたのはあんたのおかげだ。一生、恩にきるぜ」
ライオスはそう言って乱暴な抱擁をしてきた。
今回里に立ち寄ったことで、あれだけ苦手だった双子の片割れと、心を交わすことができたのはリイニャにとっても予想外の出来事だった。
長く生きていれば何があるかわからぬものだな。
などと年寄りめいたことを考えていたリイニャだったが、人垣の中から一人の女がリイニャを憎々しげに睨みつけながら歩み寄ってきた。
「持ってきな」
女の正体は継母のフィフィであった。
そう言ってフィフィが放り投げてきたものを受け取って見てみると、それは首飾りだった。
リイニャの瞳の色と同じ、鮮やかな深緑の翡翠に紐が通された首飾りで、装飾品にまるで興味のないリイニャも思わず見惚れてしまう逸品であった。
「これは?」
「あんたを産んだサーニャが遺したもんさ。あたしはサーニャが大嫌いでね。あたしより魔法も下手で馬鹿で不器用で、そのくせ毎日楽しそうな能天気な女だった」
それは初めて聞く、実母の話だった。
フィフィもサリエリも、リイニャを産んだ母のことを語ってくれたことはなかった。
「サーニャの両親が魔物に襲われて亡くなった日、サーニャは何も言わず里を出ていった。二百年ほどしてまた何事もなかったかのように戻ってきたかと思えば、サリエリに嫁いであんたを産んで、ポックリ逝っちまった」
「そうか、母上も里を出ていたのか」
母の顔など覚えてもいないが、その血はしっかりと引き継いでいたということか。
「その首飾りは里の外で手に入れたものらしく後生大事にサーニャが身につけてたもんさ。死に際にあたしに寄越してきて、娘が成人したら渡してほしいと頼んできた」
エルフの成人は五十歳となっている。リイニャが里を出たのは、その遥か前のことであった。
翡翠は魔力を蓄える特殊な性質を持つ石であり、首飾りには生前の実母が込めたであろう魔力が遺されていた。
初めて己を生んだ実母の存在に触れたような気持ちとなり、リイニャは胸が熱くなるのを感じた。
「貴女が最期を看取ったのか…二人は友人だったのか?」
「まさか! ただの腐れ縁さ! 生まれた日が同じだっただけで、趣味も考え方も何もかも違った。何よりあたしはサーニャが嫌いだった。当然娘のあんたも嫌いさ。だから二度とそのツラ見せんじゃないよ!」
そう吐き捨てて、踵を返してフィフィは立ち去っていった。
「本当に嫌いだったならば、首飾りも売るか捨てるか、していただろうに…」
リイニャは、父のサリエリや双子の弟たち以上に、継母のことが家族の中では一番苦手であったし、より正直に言えば恨んですらいた。
だが、自分の知らない実母のサーニャと継母のフィフィ、二人の物語があったのだろうと思うと、今までと同じように素直に恨めなくなってしまった。
「人の心の内というのは、難しい」
ぽりぽりと頭をかいたリイニャは、改めて里の皆と別れを告げ、遥か南方の人族の領域へ向かって歩み始めた。
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