7. 鎖が繋ぐ未来
僕の心情を、僕ではない声が紡いだ。
ケーザーのものでももちろんない。
では一体誰が、と思ったが、次の音で正体はすぐに分かった。
「星求:回復」
治癒魔法の詠唱だろう、誰のためのものかは言わずもがな分かる。
震えていないだけでこうも違うのかと思うほど、力強い声色は凛と僕たちの鼓膜を揺らした。
「この方を殺すに足る理由があまりになさすぎるのではありませんか、スカーレット様」
自身の言葉通り、男がさらに取った行動は上の意にあまりに反しているものだった。
かちゃり、と金属が軽く擦れる音がしたかと思えば、ものすごい衝撃と共に何かが落ちた。
「ありがとう、ございます」
途端にケーザーの声の通りもよくなり、同時に彼の動揺の色も濃くなったのが分かった。
とてもではないが理解が出来なかったのだろう、突然人が変わったかのように、まさか回復魔法を自分のためだけに使われるなど。
「…何故、と伺ってよろしいですか」
何か思惑があるのでは、と穿った聞き方になってしまうのもある意味仕方がないと言えた。
けれど、表情すら見えていない僕には何となく分かる。
例え心に狙いがあったとて、今彼に手を貸すことの意味は全くと言っていいほどにない。
つまり、男の行動にはなんの理由もないのだ。彼を助けるということ以外には。
「申し訳ありませんが後にしましょう。今は話している猶予もないようです」
もちろん僕がどれだけ偉そうに語ったとて真意は本人にしか分からないが、答えはすぐには返ってこなかった。
お預けを食らったことにケーザーも文句は言わず、ようやく我に返ったかのようにはっと息を飲む。
「…どうやらそのようで」
おかげで僅かに緩んだ隙をついて僕もようやく顔を出せたが、出してすぐに後悔した。
「妾の顔に泥を塗って満足か、小猿ども」
もはや地獄の権化と言われた方がしっくり来るくらいの禍々しい雰囲気を纏う姿は、男が追い求めていたであろう美しさとは程遠かった。
「光栄に思えよ。貴様ら全員、妾の手で死地に送ってやるわ」
「少々手荒にします。ご了承を」
冷静さを失った相手が打つ一手など、僕もケーザーも先程の一件で既に心得ている。
要は考えている暇などない。申し出を受ける他なかった。
「星命:業火」
「星求:転移」
ほぼ同時に継がれた呪文は、向こうの方が少しだけ早かった。
青くて白い、自我を持った竜が三人を飲み込もうと大口を開けて襲いかかってくる。
空気はひりつくほどに熱いのに、恐怖を思うと身体は何よりも冷えて冷たくなった。
「っ、」
そんな化け物があわやケーザーの腕に到達しそうかというところで、何とか間に合ったらしい。
僕たちの身体はあっという間に空間へと消え、行き場をなくした炎だけが爆ぜ壁に大穴を空けた。
「……危なかった」
文字通り危機一髪、間一髪のところで何とか助かった、ということだろう。
まだ安心は出来ないが、張り詰めた空気を吸いすぎて肺が耐えかねたようにため息をこぼした。
「そうだな。本来なら死んでてもいいくらいだ」
なんて冗談にも聞こえない台詞を言いながら、ケーザーは笑う。
明るい声とは裏腹に、顔はかなりの疲労感に包まれていた。
「おふたりともご無事ですか、よかった」
正直僕たちは満身創痍と言ってもいいくらいなのだが、ひとり例外がいた。
表情は何か吹っ切れたかのように清々しく、出会った時とは別人に見える。
いや、見えるのではなく実際別人なのだろう、主に心が。
「ありがとうございました、助けていただいて」
「うん、僕からもありがとうございました」
命の恩人と呼ぶベき彼に、ふたり揃って深々と頭を下げる。
実際、僕たちだけなら確実に死んでいた状況を、たった一人で切り抜けてくれたことは感謝してもしきれない。
「いいえ、むしろお礼を言うのは私の方です。そして謝罪も」
なんなら横柄に振舞ってくれてもいいくらいなのに、彼は謙虚どころかむしろ申し訳なさそうに言った。
「いくら命令とはいえ、人道外れた行為を平然としていたことは事実です。本当に申し訳ございませんでした」
人の首をあらんばかりの力で締め上げていた両手には、今も鎖の痕がしっかりと残っている。
きっと心には手のひら以上の傷があるだろう、それでも彼は一切隠そうとしなかった。
「あなたがいなかったら、私はきっと、人殺しとしての人生を歩んでいたかもしれません」
ケーザーの性格が移ってきたのか、はたまた元々似ているのか、男も遠回しにすることなく言った。
恐らく今一番自身にとって最も痛い台詞を、屈託なく。
「そんな大層なものじゃないけど。俺も」
だからケーザーも気兼ねなく言えたのだろう。
お互いに包まない言葉は何よりも深く心に届く。
「俺の鎖の先にいたのがあなたでよかった。ありがとう」