5. がんじがらめな僕らの解き方
僕の少しばかりの反逆はそんな言葉で始まった。
聞いた男の顔がみるみるうちに険しくなる。
「お前は何を言っている?」
それは主に、嫌悪に塗れていた。
「このような仕打ちを全員が全員黙認するなど、何か強い圧力でも働いているのではと考えた故です。どうか隠さずに教えてはいただけませんか」
「黙れ、王様への無礼な発言は極刑に値する」
「今死ぬか、戦場で死ぬか、どちらが国のためになるかはあなたもご存知かと思いますが、前者だと思うのならばどうぞ」
まさか自分より格下だと思っていた相手に、加えて子供に煽られるなどと思ってもいなかったのだろう。
嫌悪はみるみるうちに憤怒へと変わる。
「餓鬼が一丁前に…」
人は怒り狂うと顔が真っ赤になるのだと初めて知った。
もはや男のことを縛り付けた方がいいのではないかと思うほど、様相は人ならざる何かに見えた。
「おい、危ねぇぞ!離れろ!」
「分かってるよ、でも、僕がやりたくてやったことだから」
ケーザーは止めてくれたが、魔法相手に逃げた方がより被害は甚大なものになるだろう。
彼には申し訳ないが、文字通りやりたくてやったことの責任は僕以外にあってはならないのだ。
だから僕は静かに目を瞑り、意思表示をした。
逃げない、という。
「お望み通り殺してやる。王様だけでなく俺も侮辱した罪だ」
対人に扱われるべきではない量の魔力が、どんどん練り上げられていくのが分かる。
火であれ水であれはたまた別であれ、かなり苦しい死に方になることは確実だろうなどとあくまで他人事のように思う。
「ぁ、ぐあ……!」
しかし、結果として魔法が実力を発揮することはなかった。
この悲鳴も僕のものではない。
かといって目を閉じていたせいで何があったのかてんで状況が飲み込めず、僕は静かに重たい瞼を開く。
「どう、して…」
衝撃だった。
「ぁぁぁぁぁあぁぁあぁぁああぁあ………!」
目の前にいたはずの人間が、燃え盛る炎の中で今まさに苦しみ悶えている光景は何よりの恐怖だった。
肉が焼け焦げていく臭いが徐々に薄れると同時に、男だったものは見るも無惨な骨と化していく。
「誰が、こんな」
「小猿の戯言に耳を貸し、冷静さを欠くなど魔道士の風上にも置けぬ馬鹿者がいたものだ」
僕の問いにもなっていない問いには、甲高い声が答えを返した。
振り返ると、真紅のドレスに身を包んだ男性が僕を、そして死体を静かに見下していた。
「貴様など死罪がお似合いよ。さっさと散れ」
罪の意識など微塵もない発言に、僕は全身が粟立つのを止められなかった。
今まで体験したものと比べ物にならない悪意が、僕の心をいとも簡単にへし折ってくる。
拒む術すらもない。それほどまでに強大だった。
「あなたが、あの人を…?」
「いいや?まるで違う。彼奴は自身の醜さに身を滅ぼしただけのこと。その証拠に燃えカスまで全てが汚い。死して当然だとは思わんか?」
「は、死んで当然…!?」
「もういい、喋るな」
激昂する寸前だった僕を、裏から引き止める手があった。
お前は何も見るな、何も聞くなと、目も耳も全て覆われる。
まるで宝物を扱うようなそのあまりの優しさは、今の僕の心にはとても痛い。
「何も言わないでくれ。頼む」
だが、僕は知らなかった。
彼が全てを隠したのは目の前の惨状を見せないためであり、そして、今の彼の状態を教えないためだということを。
「失礼致しました。出過ぎた真似を」
何せ、手錠や首輪は僕だけに嵌められている訳では無い。
僕のリードは持ち主が不在だから自由でいいものの、ケーザーは違う。
「…っ、ぐ」
今も尚力任せに引かれ続けるせいで首はあらぬ方向に曲がり、恐らくと言わずとも激痛を伴っているはずだ。
頚椎が悲鳴を上げ、いつ骨が折れるかも分からない中で、それでもなりふり構わず止めようとしたのだ。
「ほう?」
なのに、今一番苦しいのは僕ではなく彼だという事実を知らないまま、僕はただ涙を流すことしか出来なかった。
優しい鎧の中で僕だけが守られて、甘ったれたように泣いた。
「其方、彼奴を離してやれ」
だから、男の言葉の意味が一瞬分からなかった。
離す、何を、断片的な疑問が繋がった瞬間、僕の心は一瞬で罪悪の全てに包まれる。
「っ、ゲホ、ッゴホ」
「大丈夫!?」
苦悶からようやく解放されても、余韻は残る。
咳き込み、何度血を吐いたことだろう。
なのに、ケーザーは僕から一切手を離そうとはしない。
「…大丈夫、だ」
今までに聞いたこともないほどの濁った声が、僕を安心させるためだけの嘘を吐く。
「美しい友情とやらか。悪くない」
これが本当に男の言う通りなのだとしたら、確かに綺麗だ。
ただ一心に相手を思う気持ちが穢れているとは僕も思わない。
「なんで、僕なんかのために……!」
けれど、見せてほしくはなかった。
僕自身が傷つく方が何倍もマシだと思ってしまうほどに苦しかった。
「…お前だからだろ。馬鹿」
身を挺して守られた側の気持ちはこんなにも切ないだなんて、知りたくはなかった。
しかし知ってしまった今、僕は本心から思う。
ケーザーという人間の存在の大きさを、ただ一心に。
「そなた、気に入った」
自覚した今、男の言葉は僕の神経を大いに逆撫でした。
気に入った、などと物みたいに扱うなと叫びたかった。
「妾の騎士になるがいい」
なのに言葉のひとつも出なかったのは、次に聞いた言葉が僕にとってあまりに吉報だったからだ。
「騎士…?」
見てくれからも恐らく男は立場的に相当偉い人物のはずで、そんな人間お抱えの騎士にケーザーがなれる、つまり彼の安全はある程度保証されるということ。
まさに棚からぼたもち、断る理由など何もないように思えた。
「とても、光栄な話だと思います」
「そうであろう?では」
「ですが」
もちろん普通なら断らない。
などと前置く時点で、この先の展開はもはや決まったようなものだった。
「申し訳ありませんがこいつと約束したので。──歯、食いしばってくださいね」