3. 最後の晩餐たち
そして伝わっているからこそ、彼はこんな言葉に簡単に靡くことはない。
「……」
まだ夜の余韻が残る街にひとつ、小さな影があった。
似合わないほどまっさらな甲冑に身を包んでおり、歩を進める度に不慣れな金属からカチンと音が鳴った。
あまりの剣呑さに小鳥たちが喚く。まるで苦情のように。
「母さんも、わざわざこんな立派なの拵えてくれなくても良かったのにな」
思わずこぼれた不満はどこか優しかった。
言葉を発してより思い出が強まったか、惜しむように進んでいた足が止まる。
「…あと、あいつもか。俺のために死ぬなんて言って、馬鹿にも程があるだろ」
でも嬉しかった、と吐く声は白い息となって消えていく。
「けど。俺はお前を死なせたくはない」
昨日いつぞやの誰かが思っていたのと全く同じことを、彼は呟いた。
小さな独り言は、きっと誰にも聞かせるつもりのなかったものだろう。
「馬鹿でしょ、君」
だから同じ台詞を返した。
「僕だって一緒なのに。君だけ勝手に自分の気持ちを果たして満足するの?」
もちろん意味合いはまるで違う。
昨日の彼は色々な思いのこもった馬鹿を、そして今日の僕は文字通りの馬鹿を。
少し怒ったような口調も追加しておいた。
「…お前…!?」
彼は驚いた。
先程まで確かにひとりで歩いていたはずの道のりに突然人が現れたら、誰だって驚くものだ。
何故お前がいるのか、と口よりも分かりやすく目が聞いていた。
「僕が君の立場なら内緒で行こうって考えるから、って理由じゃ不服?」
「不服、って訳じゃないけど、でもな…!」
「文句は後でいいからひとつだけ聞かせて」
分かった上で放っておくことも出来たが、今の彼を見て、逃げるという選択肢を捨てて良かったと心から思う。
「君が僕の立場なら、たった一人で死ぬなんてこと、許してくれた?」
なんて言うものの、美談に出来ないくらい怒っているのも事実だ。
ひとりで行こうとするなとか、格好つけようとするなとか、他にも言いたいことは山ほどあったのだが、彼の姿を見たら何も言えなくなった。
「僕は絶対に許さないけど」
僕が言いたい文句には、全て僕を思った故の行動だと答えれば片付いてしまうと、またもや彼の目が教えていた。
「……許さないな。俺も」
「だよね」
しかし、僕だって頑固なのだ。
もうここにいる以上、上辺だけでも覚悟は決まっている。
死ぬという選択は、彼の優しさがあったとて揺らぐことはない。
「で、文句は何?聞くよ」
「…──ありがとう」
「うん、こちらこそ」
とん、と交わした拳からはもう血は流れていない。
代わりに流れる涙はとても澄んでいてあたたかかった。
どちらのものかはもちろん秘密で。
「ちなみに、殴る準備はしてきた?」
とはいえ戦場に行く前だ、あまり士気が下がりすぎても困る。
なので努めて明るいトーンで会話を投げると、向こうも分かっているのか、いつも通りの声より少し高めに返してきた。
「ああ、もちろん」
「では、そんな偉い子の君にはご褒美をあげよう」
「え?マジ?じゃあ伝説の聖剣で」
「やっぱりさっきの台詞なしで」
会話と同じくぽんぽん進む足が一瞬だけ止まったのは、何も思い留まった訳ではなく、カバンからタッパーを取り出すため。
一瞬ケーザーも何やってんだこいつ的な視線を向けたものの、中身を見るや否や、まるで伝説の聖剣をもらった時のように目を爛々とさせた。
「これ……」
「作って来いって言ったでしょ、忘れた?」
「昨日は嫌だって言ってたくせにか?」
「昨日は今日死ぬなんて思ってないからね」
どうせご飯も食べられなかったんだろうし、と付け加えるとお前もだろと返された。
当たっているので何も言えなかった。
「腹が減ってはなんとやら。ってことで腹ごしらえしよう」
「空きっ腹に揚げ物は天国だけど太るな」
「別にいいでしょ、もう見せる相手もいないし」
「いや、重みで走れなくなったら困るなと」
「心配しなくても大丈夫。後ろから剣振り回して意地でも走れるようにしてあげるよ」
「敵より先にお前に殺されそうで怖いわ」
やいのやいの言いながら、ふたりで今日初めてにして最後の食事を摂る。
がぶりと大口開けてかぶりつくと、空いた隙間を埋めるように全く同じ言葉がそろってこぼれた。
「美味い」
決して感想通りの味ではない。
冷めているのは当たり前だが、空きっ腹に叩き込む油は想像以上に重く、一口食べただけで胃が苦しくなった。
「なんだろう。美味しくないんだけど美味しいっていう妙な感覚」
「言おうとしてることは分かるがもうちょっとオブラートに包めよ、人が食べてんのに」
「ああ、なら思い出補正って言えばいい?」
「その言い方はとてつもなく嫌だが否定できないのが悔しすぎる」
もちろん美味しいと思ったのも嘘ではない。
嘘ではないからこそなんだか申し訳なくなるのは、僕だけが本来の美味しさを知っているからだろうか。
「でも、今の俺が食べても吐かないんだから、普通の状態ならめちゃくちゃ美味しいと思う」
「要らないフォローをありがとう」
「いやお世辞じゃなくて。昨日何も食べられなかったから正直助かる。ありがとうな」
「それは何より。なんならあとタッパーふたつ分あるよ」
「分量考えろお前」
しかし、どれだけ出来たてが美味しくても、今日食べた味には一生敵わないだろう。
なんて今日終わる一生を前に、そんなことを思うのはきっと僕だけでいい。