2. クエスチョンマークは赤で書く
突発的に始まった模擬戦のおかげか、湿っぽい気持ちも軽く晴れ、食堂に向かう足は比較的軽かったように思う。
早く飯にありつきたいという下心がなかったといえばもちろん嘘になるが。
「へー。剣士長になれるかもしれないのか、お前」
「まだ候補だから。くれぐれも大っぴらにはしないように」
「聞いた?こいつ未来の超エリートかもしれないからさ、皆で今のうちに胡麻すって、」
「人の話を聞け」
「いでででで」
例え長になったとて、剣士としての地位が上がるわけではないというのになんとも脳天気なものである。
むしろ待遇は今より酷いかもしれない。
「あー…魔導科の人たちも今から昼飯っぽいな。もう少し後にするか」
「いや、別に気にしない。行こう」
何故なら今の敵意の正体のほとんどは自分と同じ子供だ。
いくらない頭を振り絞ったとて、親の庇護下にあればできることは限られてくる。
例えば今のように、僕たちが来ただけで蜘蛛の子を散らすように逃げて行く彼らはまだマシだ。
犯罪ではないのだから、というのは極論かもしれないが、ノストーレスという国では起こり得る可能性も否定できないのが悲しいところである。
「さてさて、がら空きで座り放題ですよっと」
「毎度のことだからもう慣れたけど。俺たちが来たせいで飯が不味くなったとか思ってるのか?」
「そうなんじゃない」
「何もしてないのに飯が不味くなるって……俺も魔法が使えるってことにならないか?」
「そんな魔法使えたところでどこにも需要ないけどね」
「いや、ダイエットの時には有効活用出来ると信じてる」
「じゃあ今すぐかけなよ自分に」
「遠回しに痩せろって言ってくるなお前」
とはいえ、ほぼ全員に無言のまま避けられるというのはなかなかにメンタルに来るものはある。
つまり彼らの手法は決して間違っていないと言えるだろう、などとは褒め言葉にもならない。
「いただきます」
「いただきます……ってお前毎日よくこんな豪華な弁当作れるな」
「普通のお弁当でしょ。今日のは卵焼きが入ってるくらいで」
「なら明日は唐揚げ作ってきてくれ」
「一瞬でなくなるから嫌だ」
「頼む!ひとつしか食べないから」
「とか言いながらしれっと人の卵焼き食べてる時点で信用ゼロ」
「いやこれは俺の右手が勝手に…」
「うん、制御不能なのは危ないね。今すぐ切り落とそう」
「ごめんなさい許してください」
普通なら参っているかもしれない状況でも、底抜けに明るい人間がいればなんとかなるというのは学院に入ってから知ったこと。
恐らくムードメーカーというのは彼のことを言うのであって、自分は絶対になれないタイプだろうと察するところまではとても早かった。
「はー食った食った。これで午後からの訓練も頑張れる」
「居合切りだっけ。機械的にやるのどうにも苦手なんだよね」
「嫌いな奴を思い浮かべながらやると案外上手くいくからオススメしとく」
「じゃあ卵焼きの恨みをぶつけて切るか」
「やめろ」
だが皮肉なことに、いつだって狙われるのはそういう「空気」を作る人間だ。
士気を上げる長であったり、国を総べる王であったり。
そしてケーザーという人間もまた、例外ではなかった。
「訓練中止って…どういうことですか、教官」
昼ご飯も食べ、さあ今から頑張るぞと意気込んでいた矢先、教官もといハゲ親父が顔面蒼白のまま深刻そうに言った。
「……ケーザー君に、召集命令が入りました」
確かにその表情になるのも頷ける、というのは話を聞いて最初に思ったことだ。
命が下れば誰であれ駆り出されなくてはならないが、一人前の剣士ならともかく、まだ学生の身でいきなり戦場に行くのはすなわち死にに行くのと同義だ。
召集命令というのは名ばかりの死刑宣告といってもいい。
「俺に、ですか」
「申し訳無い。止めたのですが、どうしても戦力が足りないからと」
「いや、謝らないでください、教官に謝って欲しい訳じゃない」
本来なら怒ってもいいはずの彼は、ぐっと拳を握りしめて必死に堪えていた。
やり場のない気持ちが、感情を爆発させることも出来ないままどんどん膨れ上がっていくのが分かる。
爪が食い込んで、ぽたりと血が落ちたことにも恐らくは気づいていないだろう。
痛いと示した心の処理だけで精一杯だったのだ。
「明朝、日が出る前に出撃するそうです。詳しい連絡は追ってするとのことですが、まずは準備が必要かと思いますので、午後からは授業をお休みとさせていただきます」
敢えて淡々と語られる内容にも返事はないまま、最後まで済まなそうに教室を出て行った教官を呆然と見送った。
途端に降りる沈黙が重かった。
「……」
なんと言葉をかけたらいいか分からない。
けれどこのままにしておくのは絶対にだめだということは分かる。
せめて何かぶつけてくれたらと、名を呼ぶ声は自分でもみっともないほど掠れた。
「あの、ケーザー」
「……まあ、そうだよな」
だが掠れてくれたのが良かったのか、彼はこちらの声など聞こえていないかのように呟いた。
「使い捨てにされるのは俺の方が先だろうなって分かってた」
恐らく僕に聞かせたいであろう弱音を、呟いた。
「一般の域を越えられない俺は剣士になれればいいってレベルでしかない。……使い道があるだけまだマシだ」
ぐっ、とより一層強く握られた手のひらからは、雫だった血がいよいよ勢いよく流れ始める。
「ってことで、悪い。一足先に死んでくるわ」
しかし、彼は全てを笑って誤魔化し、終わらせた。
その、いつものように笑えていると思っている心情が、精一杯の強がりだと分かってしまう表情が、とても悲しかった。
「今までありがとう。元気でな」
とはいえ、向こうがこれ以上本音を見せないという選択をしたのだから、僕の立場ではもはや何も言うことは出来ない。
ましてや気休めでかける言葉など。
「さて、そうと決まればとりあえず支度するか」
「ケーザー」
だから、何も言わない代わりに行動に移そうと思ったのは僕のひとりよがりだ。
口だけでは伝わらないこともあると信じたかったなんて身勝手を、彼に思い切りぶつけた。
「…何?」
「手、貸して」
突然の申し出に一瞬彼も眉をひそめたが、自分の手を見てそれは驚愕へと変わった。
今なおとめどなく溢れるそれが、自分のものだなんて信じられないといった顔をした。
「あ、れ?何でこんな血出て…」
よほど無自覚だったのだろう。
だからこそ事実は彼の心を簡単に抉った。
自分の心を留めておくだけで手一杯な中、更なる痛みに耐えうる術はもうない。
「……なんで、俺なんだよ……」
血と共に流れ出る思いは止まらない。
制御出来ないままに、どす黒い感情が赤に乗る。
「俺だって頑張ってただろ、下手ってだけで報われないのかよ、だったら最初から努力なんてしなければよかった……!」
とうとう堪えきれなくなり、振りかぶる拳は見事に彼自身の心臓を捉えた。
いっそこのまま死ねたらいいと思うくらいの力で、何度も何度も殴り続けた。
このまま死なせてあげる方が彼にとっては最善なのかもしれない、なんて思わず過ってしまうほど。
「殴るなら、自分じゃなくてお偉いさんにしない?」
けれど認めたくないのは、僕が全く真反対のことを思うからだろうか。
彼を死なせたくない、という。
「…何、言って」
「だから、どうせ死ぬなら大人しく従われるだけじゃなくて、文句のひとつでも言ってやらない?」
自分でも馬鹿なことを言っていると分かっている。
分かっていても言わなくてはならないのだ。
何故なら人はどん底に突き落とされた時、上から差し伸べられた手は取ろうとはしない。
ましてや彼は特に。それくらいのことは理解出来る関係性であると思っている。
「僕も付き合うからさ」
だから共に手と手を取り合う以外にない。
なんて簡単に聞こえるかもしれないが、今回ばかりは話がどうにも重すぎる。
二人で死にに行こうと自分から軽々しく吐ける訳もなく、すなわち僕なりに覚悟が決まっていなければ言える台詞ではないと伝わってくれるかどうか。
「……馬鹿だろ、お前」
「うん、馬鹿でいいよ」
もちろん怖くないと言えば嘘になる。
半人前の状態で戦場に放り出されて、生きて帰ってこられたら伝説級だ。
そして僕たちにそんな才能はないからこそ、頭にちらつく死が離れない。
「だから一緒に行こう。ケーザー」
だがそれ以上に彼を失うことが怖い。
というのは本人には言わないが、恐らくは伝わったのだろう。
「……いい、なんて言う訳ないだろ。馬鹿が」
でなければ、人はこんなに優しい顔で笑うことはない。