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Q=N  作者: じじ子
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1. クイーンは二度散る

 数十年前、私は一度死んだ。正確に言えば殺されたのだ。


『いやだ、離せ…!』


 私が生まれた頃、世界は類を見ない程の不況だった。

 金品食料を求めてそこらじゅうで犯罪がわんさか巻き起こり、外を歩いて五体満足で帰って来られるものなどほとんどいないほどに治安は散々なものだった。


『……』


 私も、そこそこに地位のある家に生まれたのが悪かっただけなのだろうと諦めるのは早かった。

 猿轡を嵌められた口からは悲鳴のひとつすらこぼす気はなく、道のりが進むにつれ徐々に心が冷えていくのを感じた。


『……!』


 外から漏れ出る大人の声を聞く限り、私はどうやら高値で売り飛ばされる予定だったらしい。

 しかし、その計画は見事に狂った。たったひとりの少女の手によって。


「もうだいじょうぶ、だよ。いっしょににげよう」


 私以上に震えたその手は今でも覚えている。

 共に駆け出した足は私以上に小さく、そして勇気を持って乗り込んできてくれた心の大きさを知った。


『こわかった…』


 草むらにふたりで隠れて、猿轡をゆっくり外す。

 外の空気を思いっきり吸い込んでようやく安堵した私は、耐えられず泣いてしまった。

 今思うと失態だが、喚かなかっただけ偉いと自画自賛しておく。

 例え子供でも、今騒いだら見つかるという恐怖心はきちんと備わっていたのだろう。それは見事に私を自制した。


『こわかったね。ひとりでたくさんがんばったね。いい子、いい子』


 泣きじゃくる私を面倒くさがるでもなく、少女はただ優しく抱いて撫でてくれた。

 きっと母親がいつもそうするのだろう。何度も何度も、私が泣き止むまでずっとその不慣れな手が止まることはなかった。


『おちついた?』


 一度死んだ心を蘇らせたのは、禁忌の大魔法でもなく、希少な薬草でもなく、ただの小さな手だなんて笑える話だ。

 けれどそれほどに温かかった。ぬくもりが人を癒すということを、この時初めて知った。


『…ありがと…」


 だからなのか、これは私が大人になった今でも夢に見る。

 決してトラウマなどではない。大切な物語だ。


「ああ、起きた?おはよう」

「…人の部屋に無許可で入ってくるとはいいご身分だな」

「怖いなあ。さっきみたいに天使の笑顔でありがとうって言ってくれたら俺も嬉しいんだけど?」

「余計なことをほざく暇があるなら出ていけ」

「はいはい、失礼しました。『黒騎士』様」


 今あの少女がどこで何をしているのか、なんて無粋な現実は知りたくもない。

 ただ元気でいてくれればそれだけで。

 夢は夢のまま、覚めない方がいっそいい。

「…ふーっ、あと百回……」

「あいつ凄すぎるだろ、ひとりで何時間筋トレやってんだ」

「確か朝っぱらからだから大体六時間か?…えっやばくね?」

「人間だよな!?俺の目にはゴリラにしか見えねぇんだけど!?」


 なんだか耳の端でゴリラという単語が聞こえたような気がしないでもないが、褒め言葉だと思って無視しておく。


「おーいゴリラ」


 と思ったが、この男は確実に面白がっている。

 なので思いっきりとは言わないが、程よい速度で蹴りを入れたら当然のように避けられた。


「危な…っ、お前今本気で首狙ったろ」

「いや首じゃないよ。頸動脈」

「一緒だわアホ」


 まだ向こうはぶつくさ文句を言いたげだったが、元はと言えば人をゴリラ呼ばわりする方が悪いと言って黙らせておく。


「で、何か用?ケーザー」

「あー、なんか学院長が呼んでた。今すぐ来いってさ」

「なんだろ。嫌な予感しかしない」


 わざわざ学院のトップが呼び出すなど、相応の用件以外には有り得ない。

 とてもではないが気が重くなるのは、自分が呼び出される程の功績を成し遂げた覚えがないからだ。

 かといって待たせる訳にもいかないので、とりあえず先生に怒られないよう高速歩きで学院長室へと向かった。


「……訓練中だったから着替える余裕もなかったけど、まあいいか」


 一応礼儀として軽く服をはたき、砂をある程度落としてから四回扉をノックした。

 しばらく待つと、中から低い声で返事があった。入りなさい、という。


「失礼いたします」


 職員室もそうだが、どうにも僕は大人のテリトリーが苦手だ。

 珈琲の苦さに加え、書物から漂うインクの香ばしさがまるで学院とは別世界のような雰囲気を醸し出す。


「突然呼び出してすみませんでしたね」

「いえ。こちらこそ遅くなり申し訳ございません」


 社交辞令でぺこりと頭を下げると、礼儀作法も申し分ないですね、とまるで採点するかのように言われた。

 何を試しているつもりなのか、向こうの考えが読めないだけにこちらの顔も険しくなる。


「失礼。どうにも君に釣り合わない案件かと思いましたが、私の勘違いだったようですね」


 ペーペーの教官ではなく学院長が言うあたりから見てもよほどの内容らしいが、話もなしに勝手に見定められては僕としても気分はあまりよろしくない。

 と目で訴えると、向こうもようやく伝える気になったらしい。

 一枚の紙をぺらりとこちらに向けてきた。


「いえね、君に王都から直々に伝令が入ったのです。それも、剣士長候補として」

「剣士長?僕…いや私が、ですか」

「左様です。王の駒となり得る人材だという判断が下ったのでしょう」

「かしこまりました。拝命いたします」


 わざと棘のある言い方をしたにも関わらず、何も反論を返さない僕を面白くないと思ったのか、学院長は上辺だけの労いの言葉をかけ、早々に僕を部屋から追い出した。

 その分かりやすすぎる態度はいっそ尊敬する。


「…はあ、やっぱりろくな用事じゃなかったな」


 加えて今の世の中を見事に体現している。

 というのも、まだ子供である僕がこれほどまでの扱いを受ける程に剣士の地位は以前と比べてかなり低くなっていた。

 剣士は所詮魔導師の駒だ、なんて言葉も生まれるほど。


「駒、か」


 しかし、最近はあながち間違ってもいないと思うようになってしまった。

 先程の学院長の煽りに何も言わなかったのもそのせい。


「せめて金将か、クイーンくらいにはなりたいものだけど」


 まず欠点として、体力仕事なことこの上ない部分は外せないだろう。

 魔力さえあればドカンと一発大魔法をぶちかますことも出来てしまう魔導師と違って、剣士は己の身ひとつで戦わなければならない。

 例え類稀なる運動能力や反射神経を持ち合わせていようとも、いずれは衰える。

 せいぜい三十路を超えても前線に立てていればマシだと言われるほど、剣士としての寿命は短いのだ。


「おー、おかえり。もう昼だし片付け始めてるぞ」

「分かった、手伝う」


 他にも諸々あるが、諸々あるせいで剣士は今や最底辺の職と言ってもいい。

 昔は剣聖だの剣豪だのやたら仰々しい称号もあったが、今では見る影もない。

 剣士と名を呼ばれるだけでもまだいいレベルだ。


「…───あー、でもちょっとストップ」

「うん?何」

「ちょっと一戦、木刀でいいから模擬戦しないか」

「いいけど、なんで?」


 なのに、僕は剣士になろうとしている。


「お前のその顔見てたら腹立ってきただけ」

「何それ。ブスって洒落た風に言ったつもり?」

「なわけあるか馬鹿」


 何故剣士になろうと思ったのか、なんて崇高な理由はとっくの昔に忘れてしまった。


「準備できたか?」

「出来てるよ」

「よし、じゃあ──始め!」


 けれど今は、たったひとつの気持ちさえあればいい。

 ただ楽しい、という、まるで子供のような思いが僕に剣を握らせ続ける。


「どうせあの魔法至上主義の学院長のことだから、お前にもなんか言ったんだろうけどな」


 その、一番脆くて弱い感情は、弱いからこそ大切にしたいと思うものだ。


「あんま気にするなよ、おっさんの言うことなんて無視だ無視」

「いや、ごめん全然気にしてない」

「嘘吐くなよ、なら何であんな暗い顔してたんだ」

「お腹空いてたから」

「は!?ふざけ、」

「はい隙あり」


 こんな思いを芽生えさせてくれたのも、めげずに今まで頑張ることが出来たのも、全て仲間たちのおかげ。

 なんて気障な台詞が言えるのは漫画の中だけだ。

 そしてこの男には死んでも言わない、絶対に。

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