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中林さんの天球儀  作者: すたりむ
第1章:結婚詐欺編
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2-2.英雄崩れと天才

「その条件じゃちょっと予算内には合わせられないねえ」


 奴隷商は渋い顔でそう言った。

 交渉役のリシラは不満げに、


「えー、でも女の奴隷だよ? 外見度外視でもダメなの?」

「ダメだね。重要なのは条件の中のこれだ。信用」


 とんとん、と、机を指でたたきながら奴隷商。


「貴族相手に卸せるような奴隷となると、仕入れ元がはっきりしていて、信用がおけないといけない。でないと売ったこちらの責任問題に発展しかねないからね。

 そうなると値段は跳ね上がる。加えて、外見度外視っつったが、貴族の家の奴隷があんまりにも粗末な外見だとそれも問題になるんだよ。性的な仕事を一切しなかったとしても、外見が整ってないとダメなんだ」

「うぬぬぬ、思ったより条件が厳しい……!」


 リシラはうなった。

 俺もこれは予想外だった。女ならキリィが襲われる可能性もないし大丈夫だろうとたかをくくっていたのだが、よく考えるとたしかに、窃盗や逃亡のリスクは普通にある。そこの信用が紐付いた奴隷となると、厳しい条件であることには変わりないのだ。


「そうすると、金貨二十枚でどうにかなるプランってのは……」

「訳ありしかないねえ。目が見えないとか片腕がないとか。あとは病気を持っていると多少安くなるが」

「うぐぐぐ、どれもやばいじゃん!」


 リシラは頭を抱えた。

 キリィも困った顔で、


「ソーヤ、どうする?」


 と聞いてきた。

 そんなことを聞かれても、俺に妙案があるわけでもないのだが……と思っていると。


「そういえば、そちらの旦那は太陽の国の人か」

「ん? ああ、そうだけど」

「太陽の国の奴隷なら、エリアムの言葉が通じない訳ありの奴隷がいるぜ。おあつらえ向きなことに女で、しかも美人さんだ」

「あー、なるほど」


 運悪く奴隷として売られてしまった日本人、か……

 そういう例も、あるとは聞いていた。エリアムは比較的治安がよいが、それでも盗賊などにさらわれて売られてしまう可能性はある。市民権がない以上、救済もまずあり得ない。

 問題はその奴隷が信用おけるか、なのだが。日本人だからいい奴とは限らない。


「信用問題、どうなの?」

「正直、あんまりよくはない。なにしろエリアム語がさっぱりだからな。その上気難しくて、暴れたことも何度もある」

「そうか……」

「とはいえ、同郷のあんたがうまいこと懐柔すればなんとかなるかもしれないと思って提案したんだがね。その女なら、金貨十五枚だ」


 奴隷商の言葉に、俺は少し考え、


「よし、じゃあまずは見てみよう。会わせてもらえるか?」


 と言った。



--------------------



 問題の奴隷は、外側と内側、両側に鉄格子付きの窓がある部屋に捕らえられていた。


「住環境への文句はないらしい。食事も好き嫌いはない。ただ、本をいつも読んでるんだよ」

「本? どういう?」

「知らん。そもそも太陽の国の本だぞ。俺たちにはさっぱりだよ」

「名前は?」

「ナカバヤシ・ヤドリだとさ」

「ナカバヤシ……中林か。ヤドリってどう書くの?」

「俺たちに聞かないでくれ。太陽の国の文字なんて知らんよ」


 というわけで、後はもう直接見るしかない、ということでその部屋の前までやってきたのだった。奴隷商には外してもらっていて、リシラとキリィ、そして俺だけでだ。

 たしかに、奴隷商の言った通りだった。

 年の頃は、俺より数歳上。大学生か、あるいは社会人だろう。エリアムの服を着ているのでわからないが、スーツとかを着せたら滅法似合いそうな、きりっとした知的美人である。眼鏡とかも似合いそうだ。

 その彼女は、部屋の窓に背を向ける形で、本を読みふけっているようだった。時刻表みたいな外見の、独特な分厚い本だ。


「なんの本を読んでいるんだ?」


 窓から俺が声をかけると、彼女はちらりとこちらに目を向け、


「理科年表よ」

「…………。

 いや、なんでそんなの読んでるの?」

「これしかないから。本当は高木貞治の『解析概論』も一緒に転移したんだけど、大きかったから売れると思ったんでしょうね。奪われたわ」

「そ、そう……」


 微妙に気まずい沈黙が下りた。

 彼女はぱたん、と理科年表を閉じ、


「とはいえ、さすがに飽きたわ。なにかおもしろい話とかある?」

「どうだろうな。俺もいろいろ苦労してるから、あんまり楽しい話はできねえぞ」

「そうね。偉い人の苦労話って、実際のところ自慢だものね。聞いてて楽しくはないわ」

「いや、そういう意味ではないんだが……」

「冗談よ」


 彼女はそう言って、そして窓越しに俺とリシラ、それからキリィを見た。


「いっちょ前にハーレム築いてるわね」

「いや、この連れはべつにハーレムというわけじゃなくてな」

「その上で女奴隷まで買う気とか、エロ異世界転生ものの主人公なの? 死なないかなこいつ」

「口が悪いなあ!」


 俺が言うと、彼女はくすりと笑った。

 ちなみに後ろでリシラはにまにましている。こいつ、実はちょっとだけ日本語を聞き取れるので、状況についてきているのである。キリィはきょとんとした顔。

 このままリシラを楽しませているのも癪なので、俺は話を軌道修正することにした。


「で、理科年表のなにを見てたんだよ」

「天文のところよ」

「天文?」

「ええ。だってここでは実験もできないし、見えるのは窓から外の夜空だけ。天体観測くらいしかすることがないの」

「そうか……」

「まあ、だから天文のところを見ていたんだけど。けどやっぱり無理ね。せめて望遠鏡があればもう少しわかることもあるんでしょうけど、この国じゃそれも望み薄だし」


 彼女はそう言って、ため息をついた。

 俺とリシラは顔を見合わせ、


「天体望遠鏡、あるぞ?」

「嘘!?」


 がばあっ、と彼女が立ち上がった。

 そのまま窓までつかつかと歩いてきて、


「反射式? 屈折式? それとも反射屈折!?」

「い、いや、俺はそこまで詳しくは……」

「反射式だよー。屈折式はレンズの質が悪くって難しいって話だったから、鏡だけで作れる方式が合理的だろうって。上下反転しちゃうけど」

「そう。そうよね。色収差の問題があるものね。だから反射式か……合理的だわ」


 彼女はリシラの言葉に、何度もかみしめるようにうなずいた。

 ……いや、待て。


「おまえいま、普通にエリアム語を理解してなかった?」

「当たり前でしょ。どれだけ長い間この国にいると思ってるの」

「いや、でも奴隷商人はおまえがエリアム語をわからないって――」

「バラさない方がいいわよ。バレると値段が跳ね上がるから」

「…………」


 ていうか、自覚ありで騙してたのかよ、こいつ。


「改めて自己紹介するわ。私は(なか)(ばやし)宿(やど)()。漢字は宿屋の宿と李白の李ね」

「お、おう……珍しい名前だな」

「ええ。だけど私は珍しい人間なので、この珍しい名前を気に入ってる」

「そ、そう……」

「あなたたちは?」


 と、流暢なエリアム語で中林は言った。

 仕方なく、俺も会話をエリアム語に切り替える。


「宗谷俊平だ。俺も雇われている身でな、こっちのキリィが雇い主で、そこのリシラはただの付き添いだ」

「そう。じゃあ私はそのキリィって子に買われるわけね」

「いや、まだ買うと決めたわけでは」

「買わないと私が望遠鏡を使えないでしょ。買いなさい」

「おまえむちゃくちゃ言うな!」

「エロいことしていいから」

「いやそういう問題じゃなくてな、貴族の家で働くとなると奴隷にもいろいろ制約が」

「そんなの奴隷商が値段つり上げるための口実に決まってるでしょ。なってないわね」

「…………」


 俺がリシラを見ると、リシラは苦笑した。


「あり得るかもね。だって現に、貴族には信用ある高い奴隷しか売れないとか言いつつ、『信用には問題ある』ナカバヤシを紹介したわけだし。なんだかんだで売りつける気でしょ」

「そういうことか……でも、そうなるとまた最終的な交渉でもめそうだなあ。貴族に売るにはあーだこーだと」

「じゃあ宗谷が買えばいいんじゃない?」


 中林があっさり言った。


「どういう事情か知らないけど、宗谷が雇われていて、人手が必要なんでしょ。なら宗谷の名義で買えばいいでしょ」

「そ、それはそうだけど……」

「エロいこともできるし」

「さっきからエロいアピールしてくるのなんなの? 痴女なの?」

「え、男子高校生ならエロを匂わせれば飛びついてくると思って」

「おまえ男子高校生を馬鹿にしすぎじゃね?」

「そんでもって実際にはエリアムの奴隷はけっこう保護されてるからね。買わせてしまえばこっちのもんよ、ぐふふ」

「それを俺の目の前で言うか、おまえは」


 ジト目で俺は言った。

 そう、中林の言うとおり、実はエリアムでは奴隷身分、そこまでひどい立場ではない。

 いや、もちろん所有権もないし、逃げ出したりもできないのだが。一方で奴隷の所有者には奴隷に対して『倫理的な扱い』が求められる。

 もしも所有者が『倫理的な扱い』に反する行為をした場合、神殿から罰を食らうことになる。そしてここがキモなのだが……なにが『倫理的な扱い』であるかという基準は、ものすごくふわっとしているのだ。

 つまり、なんとなく決まっているラインがあって、そこを踏み越えて悪い扱いを奴隷に対して行ってバレた場合、なにが起こるかが予測できない。このため、奴隷の所有者には常に「奴隷から強い反感を買ってはいけない」というプレッシャーがかかっていて、あまり無茶をさせられないのである。

 制度が明文化されていれば常に抜け道があったのだろうが、エリアムの奴隷制は下手に明文化されていないから、結果としてバランスが取れているのだ。


「さて、そんなわけで話がまとまったので買いなさい。ほれほれ」

「いや、だからなんでお前が指図してるんだよ……」

「えー、いいじゃんいいじゃん。エロいことできるんでしょ?」

「リシラ、おまえは黙ってろ」

「……ていうか、さっきから気になってたんだけど。もしかしてその子って男?」

「は?」


 ぴしっ、とリシラが固まった。

 え、そうなの? と驚いているキリィはいったん置いておいて、俺は中林に尋ねた。


「わかるのか?」

「んー、まあなんとなく。女子の骨格的に動きが不自然な気がして……いや、勘だったんだけど」

「そのレベルの違和感でリシラの性別見破った奴はさすがに初めて見たぞ……」

「なんか目つきがエロかったというのもあるけど」

「そっちの方が大きかったんじゃね?」


 ジト目でリシラを見ると、見破られたショックで完全に力尽きていた。


「まあいいや。そういう細かいことは後でいいから、まずはちゃっちゃと値切って買ってきなさい。金貨十枚くらいまでなら行けるはずよ」

「おまえ自分の金銭的価値を自覚してるの?」

「もちろん。ぞんざいに私を扱う業者に可能な限りの損失を与えてやるべく、徹底的に自分の売却価値を下げておいたからね。安く買えることを感謝しなさい」

「おまえ、それを真顔で言える度胸、すげーな……」


 さっきエリアムでの奴隷はそこまでひどくないとは言ったが、それでも生殺与奪の権利を持ち主に奪われているのは変わらない。それでこの言いよう、生半可な度胸ではない。


「で、どう思う? キリィ」

「いいんじゃない?」


 と、意外にもキリィは即答した。


「頭がよさそうだし、仕事もできそうだし。それにソーヤとも相性悪くなさそうだし」

「いや、俺との相性はこの際関係ないんじゃ……」

「? ソーヤが持ち主になるんでしょ? 重要だよ」

「え、その話、本当にやるの?」

「そもそも」


 キリィは言った。


「ソーヤが奴隷を買うための元手って、シグから託されたお金でしょ。それはバルチミ家のお金じゃなくて、ソーヤのお金よね?」

「それはまあ、そうだけど」

「だったら、ナカバヤシはソーヤのものでしょ。わたしが買ったことにした方が安くなるとかなら話は別だけど、そうでもないみたいだし」


 意外なほど理性的な言葉に、俺はちょっと驚いた。

 キリィ、この年で思ったよりもずっとしっかりした金銭感覚を持っているらしい。


(……なんでその頭で結婚詐欺なんかに騙されたんだろう)


 と思ったが、言わないでおいた。

 恋は盲目、人間関係は難しいのだ。

 中林はそんな俺たちを見て、くすっと微笑んだ。


「どうやら、そっちもけっこう面倒な訳ありみたいね?」

「まあな。おまえも買われたら、それなりに働いてもらうことになる。わかっているな?」

「わかっているわ。エロいことよね」

「絶対おまえはわかってない!」


 洞察力があるのかないのか、どっちかにして欲しい。




 その後、俺たちはとって返してさらなる値引き交渉をし、金貨十二枚ということで折り合いをつけた。

 交渉役に来たはずのリシラは、性別を見破られたショックでずっとポンコツだった。そのためけっこう苦労したが、なんとかまとまった。

 相手も商売人。なんかアフターサービスのあれやこれやについていろいろ提案してきたのだが、それは全部断った。こちらも中林に事前に忠告されていた通りである。

 最後、購入契約が終わってから去るときに平然とエリアム語でキリィと談笑する中林を見て、奴隷商人はあんぐり口を開けていたが、それは見なかったことにするとして。

 こうして、俺たちはようやく最初の一歩、人材不足の解消を成し遂げたのだった。

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