1-3.英雄崩れと貴族の娘
屋敷の中は、予想していたよりもシックな感じだった。
といっても、それは豪華であることを否定しない。
貴族らしい上品さというのだろうか。床はカーペットが敷かれているが、基本的には磨かれた石のようだ。壁も同じく。マギさんの宿も外壁はレンガ製だったが、内部では木をけっこう使っていた。それを考えると、比較にならないほどレベルの高い建築物だ。
いま俺がいる玄関ホールの正面には扉があって、それを囲うように両脇に二階へ向かう階段が設置されている。この階段も木製ではあるが豪奢な造りで、ところどころにあしらわれた細かな細工が、明らかに金がかかっていることを主張している。
(……おかしい)
違和感を覚えたのは、そのあたりからだった。
ただ、この時点ではその違和感をまだ、俺はうまく言語化できていなかった。
なにかおかしい気がする。ただ、なにがおかしいとは具体的に言えず……
「なにをそこで硬直しているの?」
二階からかかった凜とした声に、俺は上を見上げた。
階段を上がった先の、テラスのようになっている部分。そこに、彼女はいた。
年の頃は、おそらく俺とリシラの中間くらいだろう。美しい、流れるような金髪。華奢ではあるが決して貧相ではないスタイル。整った顔。そして豪華なドレス。
……だんだん、違和感の正体がつかめてきた。
「ええと、あなたが……」
「ええ。わたしがこのバルチミ家の当主、キリアニム・フェ・バルチミ。皆、キリィと呼んでいるわ」
ピンと張り詰めたような、それでいて優雅さを失わない美しい声。
その言葉を聞いて、俺は……天を仰いだ。
間違いなく、この子が俺の雇い主。そして……
「で、なんで他の使用人がいないんです?」
「…………」
キリィは、曖昧な笑みで俺の言葉を受け止めた。
俺はそれを見て、確信した。
(ヤバい。これ、明らかになにかあった後だ……!)
そもそも、考えてみてほしい。
いくら俺が新人の奉公人だったとしても。この規模の大邸宅を持っている貴族が、わざわざそれを直々に出迎えるとか、あり得るだろうか?
しかも、側仕えの一人も連れずに?
つまり……
「誰も、いないんですか?」
「う……」
「う?」
「うわーんっ!」
突如として、彼女は泣き出した。
「だってだってだって、しょうがなかったんだもん! 妹の病気を治すためにお金がいるって! それが片付いたら結婚しようって……信じてたのに……信じてたのにー! うわあああああああああんっ!」
「…………。あー……」
結婚詐欺かあ。
ありがちではある。案外、こういう外見に秀でている子ほど、騙されやすいのだ。自分は美人だから相手がそう簡単に自分を捨てるはずがない、などと考えてしまうのかもしれない。
経験を積んで年を重ねれば、世の中にはもっといい男がいっぱいいることに気づいて軌道修正もできたりするのだが……この年齢だからなあ……
「じゃあ、使用人たちは?」
「お給金が払えませんって言ったら、みんな怒って出て行っちゃって……」
「まあ、そりゃそうだろうな……」
「だってだってだって……うわーんっ!」
「あー、まあ、落ち着け。まずいったん状況を整理するぞ」
俺は二階に上がって彼女に向き合いながら、自分に言い聞かせるように言った。
「まず……使用人はマジで全員やめたの?」
「使用人頭のシオが、これ以上は無理って言ってみんな引き連れていっちゃったから……」
「いつから?」
「昨日の夕方。だから今日から、わたししかいなくて……」
「奴隷は? この規模の邸宅なら、それなりにいるんじゃねえの?」
「みんな売り払っちゃった……お金なくて」
「いまの残金は?」
「銀貨十枚くらい……」
「それは俺の方がまだ手持ちが多いな……ていうか、食事は?」
答えるように、キリィのおなかがぐーと鳴った。
「……今朝からなにも食べてない?」
「料理人もやめちゃったから……」
「あー、もう! 八方塞がりか!」
俺は頭を抱えた。
なんで俺のまわりには、こういう俺がいないとヤバい系女子ばっかり集まってくるんだろうか……と考えて、首を振る。
とにかく、まずは目先の目標を再確認。
俺の目的は、ここで一ヶ月奉公して、対価として市民権をもらうこと。
本来ならなにも考えずに言われたことだけをしていればよかったはずなのだが、その道はいま絶たれた。
なにしろ食事の支給もない。給金もない。どこからか金を工面しないと、俺とこの子は揃って飢え死にである。
加えて……
「えぐっ、ひぐっ……うええええええん!」
「あーもう、仕方ないなあ!」
俺は最後の確認をする。
これは英雄の仕事ではない。
劇的な仕事ではない。ただ単に、結婚詐欺に遭って路頭に迷った年下の女の子を、自力で生きていける程度まで支援する、それだけのことだ。
それくらいなら……いまの俺にだって、できるだろう。
「よし! 行くぞ!」
「ひゃうっ!?」
がしっ、と手を取ると、キリィはびくっと震えた。
「い、行くって……どこへ……?」
「人間、腹が減ってたら悪いことしか考えられないんだよ。だったらまず最初にやることは一つだろ」
「へ?」
きょとんとした彼女に、俺は告げた。
「南に行けば屋台がある。買い食いに行くぞ!」