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幽霊たち

 


 翌朝になって目を覚ました司朗は、すっきりした顔をしていた。

 どちらかといえば、小萩のほうがげっそりだ。縁側で寝入ってしまった彼を小萩一人の力で運ぶことは不可能で、仕方なく枕と布団のほうを持ってきて、近くで見守るようにずっと起きていたからである。

 もちろん、げっそりの理由はそれだけではない。


「面倒をかけてすみませんでした。疲れが出たんですかね」


 司朗は昨夜のことを「話している最中に気分が悪くなって寝てしまった」と認識しているらしく、少し恥ずかしげに頭を掻いた。


「そ……そうかもしれません、ね……」


 小萩はそう答え、なんとか顔にぎこちない笑みを浮かべることに成功した。

 背中をたらたらと冷や汗が伝っていく。

 視線を「そちら」に向けないよう、とてつもない努力を要した。気になってしょうがないが、司朗にそれを悟られるわけにはいかない。どうしよう、胃がキリキリしてきた。

 だって、いるのである。

 向かいにいる司朗のすぐ後ろに、三人の幽霊が。


「ほんとに面倒なんだよ、司朗はダメだなあ」

「これが南条の現当主だなんて情けないったら。威厳を持ちなさい威厳を」

「このバカはまったく世話が焼ける。もっと女の扱いを勉強しろ」


 三人は司朗の背後に並んで座り込み、さっきからずっと渋い顔で悪態をついていた。しかも「ダメ」「情けない」「バカ」と、どこかで聞いた罵り言葉ばかりだ。

 言いたい放題されているのに、司朗はそちらに視線を向けることも、表情が変わることもなかった。すぐ真後ろにいるのに本当に何も見えず、何も聞こえていないらしい。

 小萩はヒヤヒヤしながら、何食わぬ顔を保つため、忍耐を絞り尽くした。

 幽霊が夜だけに限って出るものではないというのは小萩も経験上判っているが、それにしたってこうまで堂々とした幽霊、見たことがない。朝陽のせいか、昨夜見た時より少し身体が透き通っているものの、それでも今まで遭遇したどの霊よりも姿がくっきりとしていた。

 これが見えないのなら、そりゃ悪い霊なんて見えないだろう。

 司朗はそのまま幽霊たちの存在を無視して、今日は大学に行かなければならないと慌ただしく食事をとって出かけていった。


「小萩さん、昨夜の続きはまた次の機会に」


 それに頷いて彼を見送り、小萩は大きな息をついた。



          ***



 司朗がいなくなってから、小萩は改めて幽霊たちと向き合った。

 彼らはそれぞれ落ち着いた態度で、自らを名乗った。

 水干の男の子が(ろく)、振袖を着た女性が美音子(みねこ)、軍服の男性が新之輔(しんのすけ)というらしい。

 幽霊相手に茶を出すわけにもいかず、どこから話を始めたらいいものか迷う。とりあえず、最初に疑問に思ったことを訊ねてみることにした。


「皆さんはその……ずいぶん出で立ちがバラバラのようですが」


 三人は互いに面識があって交流もあるようだが、幽霊になってから知り合ったのか、もともと関係があったのか、そこからしてよく判らない。

 陸の衣服はボロボロなのに美音子の着物は実に高価そうで、年齢も恰好も雰囲気も統一感がないというか、やけにチグハグだ。


「あー、これは俺たちが死んだ時に着ていた服装でね。俺だって軍服なんて窮屈な姿でいたくはないんだが、白装束よりはマシかな」


 新之輔が苦笑いをした。


「バラバラなのは、俺たちは生きた時が違うからだ。ロクなんて嘉永生まれだとさ」

「かえい……」

「江戸時代ってこと。幕末の頃だな」

「江戸時代?!」


 小萩は驚愕した。


「おれが生まれる一年前に、ペリーのやつが日本に来たらしいぞ。大人たちはいつも、徳川が、朝廷がって大騒ぎしてた」


 なんでもなさげに陸が言うのを聞いて、ますます驚く。自分よりも小さな子どもがずっと昔のことを経験として語るのは、ひどく不思議な心持ちがした。


「その点、私は明治生まれだもの。文明開化でそりゃあ華やかな時代だったわ。おうちは立派な洋館で、こんな貧乏くさい日本家屋とは大違いよ」


 後ろに長く垂らした束髪を手で払い上げて、美音子がつんと鼻を持ち上げて続ける。頭に飾ってある大きなリボンがよく目立っていた。


「美音子さんは、おいくつなんでしょう」

「十七よ、悪い?! それから私のことは『美音子さま』と呼ぶように。いいわね?!」


 年齢を聞いたらなぜか噛みつくように怒られた。居丈高に言いつけられて、小萩は押されるように「は、はい」と返事をした。


「ロクは八歳、そして俺は二十二歳。この場合、享年と言ったほうが正しいな」


 新之輔が補足してくれたが、その口から出てきた「享年」という言葉に胸を衝かれた。

 今さらなのかもしれないが、彼らの年齢とはつまり、その幼さ若さで亡くなったという、いたわしい現実を示しているのだ。

 目を伏せた小萩を見て、新之輔はもう少しだけ苦笑を深くした。


「俺も明治生まれだが、大正育ちというところだな。いろいろゴタゴタとした揉め事が多かった頃でね、ちょうど俺が死んだ年に第一次世界大戦が終結した」


 彼の軍服は、そのような世情を反映しているのだろう。

 しかしこの口ぶりからして、戦死したというわけではなさそうだ。かといって、どうして亡くなったのですかと本人に訊ねるのも憚られる。


「それであの……この家には悪い霊が棲みついているということでしたが……」

「そう。俺たちのような真っ当で心優しい幽霊とは違って、災いを起こし人に害をなす、そういう類のやつだ」

「では、先代さまたちは」

「直接の死因は病気と事故だが、そこに至るまでに悪い霊の影響を受けていたとしたら、それは普通の死とは違う。怪異現象や霊障が続けば、人は健康な肉体と正常な判断能力を保つのは難しいだろう?」

「まあ……」


 小萩はぶるっと身震いをした。

 昨夜の司朗の苦しみ方を思い出し、恐怖心がぶり返す。


「司朗だけはなぜかこれまで、そういう影響をまったく受けていなかったんだがな。まあ、あいつの場合、並外れて鈍感だとか、植物にしか目が向かない変人だとか、そういう理由があるのかもしれん」


 なんだかひどい言われようだ。司朗さんに失礼だわ、と小萩は内心でむくれた。


「皆さんは、その悪い霊をどうにかしようとなさっているのですね?」

「そういうこと」

「そこには、一体どのような事情があるのでしょう」


 その問いには、一拍の間が空いた。

 少しして、新之輔が指で唇の端を掻く仕草をする。


「あー……それは、あれだよ、南条の人間として、この事態をただ傍観しているわけにはいかないだろ?」


 小萩は「えっ」と目を瞠った。


「南条の人間?」

「ん? 言ってなかったか? 俺たちは全員、南条の血筋だ。ちなみに司朗の母親は俺の腹違いの妹だから、俺はやつの伯父にあたる。俺が生まれた時にはすでに故人となっていたが、美音子は俺の叔母上だ。ロクは美音子の叔父……ということになる、かな? 俺と美音子は華族だが、ロクはお公家さまだぞ」


 新之輔のその説明に、陸と美音子はそれぞれイヤな顔をして、「叔母上なんて呼ばないでよ!」「おれは別に正式な血筋ってわけじゃ……」と異議を申し立てた。

 そうか、だから陸は公家の水干姿なのだ。美音子が言っていた「洋館」というのは、先代当主がこの家を買い取る前に住んでいたという、東京の豪邸のことだろう。


「そうですか……皆さん、司朗さんと縁続きの、本家の方だったのですね。それでご心配になって、司朗さんを守るためにいらっしゃったと」


 ようやく腑に落ちて、小萩は深く頷いた。

 司朗は南条本家の最後の一人である。お家断絶の危機を見過ごせず、三人は警告を発するため現世に立ち戻った、ということか。守護霊が血縁者なら心強い。

 幽霊たちはちらっと互いの顔を見合わせた。


「……ま、そういうわけだ」


 咳払いをして新之輔が目を逸らす。


「それでは、どうぞ教えてください。司朗さんをお助けするために、わたしはどうしたらいいのですか」


 ここからが核心だ。小萩は膝を揃えて身を乗り出したが、三人は気まずげな顔になった。

 微妙な空気が流れて、ん? と首を傾げる。


「うん……それはだな」

「はい」

「これから考えるんだ」


 は?


「……あの、悪い霊が現れたらどうすればいいのか、とか、どうやって追い返せばいいのか、とか……何か対処法をご存じなんですよね? 退治に必要な道具などがあるなら、どうにかして手に入れますから」

「あんたバカね。そんなものを知っていればとっくにどうにかしてるわよ。第一、私たちはものを持つことはおろか、触ることすらできないのに、退治の方法なんて判るわけないじゃないの」

「小萩はそのための協力者だろ。そういうのを調べるのが仕事なんじゃないか」

「えええ……!」


 美音子に喰ってかかられ、陸にはきょとんとされて、小萩は衝撃を受けた。前のめりになっていた身体が、今度は後ろへと仰け反ってしまう。


「み、皆さんはそれをわたしにご教示されるために、神仏があの世から遣わした存在なのでは?」

「神や仏が助けてくれたら苦労しないよ」

「身も蓋もない!」

「とにかくだな、司朗の周りで何か異変が起きないか、よく見ていてくれ。外に出ている時は大丈夫だと思うが、家の中は要注意だ。いいな?」

「それで異変が起きたら、どうすればいいのですか」

「その時は……頑張れ」

「そんな無責任な!」


 小萩は仰天して叫んだが、三人は「じゃあな」と言うと、そそくさと姿を消してしまった。

 守護霊のくせに、小萩に押しつけるだけ押しつけて、逃げたのである。さすがに幽霊だけあって、彼らは自分の意志で現れたり消えたりできるらしかった。


「どうしたらいいの……」


 結局、肝心のところがさっぱり判らない。小萩は頭を抱えた。





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