兄弟
それから半月ほどが過ぎた頃、司朗から招集がかかった。あの三人を呼び出してほしいという。
小萩が名を呼びながら屋敷内を廻ったら、新之輔、美音子、陸はすぐに現れた。
どうやら彼らもそれぞれ待ちきれない気分でいたらしい。その表情には、期待と不安が半分ずつくらいの割合で乗せられていた。
「とりあえず、先日小萩さんと推論を立てたところから説明しますね」
居間に全員が集まったところで、司朗がそう切り出した。
調べたのも推論を立てたのも司朗一人の功績なので小萩は身を縮めたが、彼は構うことなく話を続けた。その説明は小萩の時に比べ、ずっと滑らかで淀みがない。これの予行演習に付き合ったのだと思うことにしよう。
冬雪の所業の惨さに、新之輔と美音子は露骨に顔をしかめた。
陸のような子どもに聞かせていいことではないので小萩はハラハラしたが、彼は今一つ理解しきれていないらしく、きょとんとしている。とりあえず、南条の先祖が何か悪いことをした、という部分だけは呑み込んだようだ。
「……積極的に知りたい内容じゃないな」
腕組みをした新之輔が唸るように呟き、
「そんな鬼畜の上に南条家が成り立っているなんて……」
美音子は今にも吐きそうな顔をして袖先で口元を覆っている。
「小萩、コンパクってなに? どうやって剥がすんだ? 果物の皮を剥くみたいに?」
「え……えーとね、わたしも、難しいことはよく……」
無邪気に訊ねてくる陸に、小萩は首を傾げて誤魔化した。
「落ち込むのは後にしてください。質問も後で。本題はここからです」
掌で卓袱台をパンパンと叩く司朗は容赦ない。
本題ということは、これはあくまで前置きに過ぎないということだ。全員が緊張したように顔を引き締めた。
「ということは、進展があったんだな?」
「ありました。思ってもいない形で」
新之輔の問いに奇妙な返答をしてから、司朗は小萩のほうを向いた。
「実はあれから、面白いことが起きましてね」
「面白いこと、ですか?」
あれからとは、縁側での話からということだろう。
司朗は少し唇を上げているが、面白いとはどんなことなのか、小萩にはさっぱり見当もつかなかった。
「南条の当主たちが残した日記、記録、それらの冊子や巻物類は、すべてまとめて納戸内に保管されています。一応年代順に並べられてはいるんですが、大変な量ですよ。どっさり積まれたその中から冬雪の時代周辺に絞って探すのも一苦労で、これは時間がかかりそうだと僕も覚悟していたんですが……それがね」
何が楽しいのか、くすくす笑い出した。
「そのうちの一冊が、なぜか光を放っていて」
はあ? と一同が揃って口を開けた。
「光ってなんだよ」
「なんなんでしょう。僕もよく判りません。とにかく、大量の冊子の中で、一つだけ発光しているものがあったんですよ。まるで、自らの存在を主張しているみたいにね」
小萩と三人の幽霊は互いの顔を見合わせた。
新之輔は困惑顔、陸は何か言いたげに小萩のほうに身を寄せ、美音子に至っては「司朗がおかしくなっちゃったわ」とはっきり口に出している。
「し、司朗さん、少しお休みになったほうが」
やっぱり根を詰めすぎたのだろう。小萩が両眉を下げると、司朗は軽く手を振った。
「いや大丈夫、寝惚けているわけではありません。正直に言えば僕も、夢でも見ているのかなと思ったんですが、手に取ってみたら、このとおりちゃんと現実でした」
そう言って、司朗が横に置いてあったものを持ち上げる。
古ぼけたその冊子は、あちこちが破れて黒くなっているが、なんの変哲もなく見えた。
無論、光を発したりしていない。
「まあ、幽霊とか悪霊とかが身近にいるわけですから、そういう現象が起きても不思議ではないでしょう」
あっさりと言う司朗は、それについてはあまり気にしていないようだった。小萩もそうだが、いろいろと不可思議なことがありすぎて、感覚が麻痺してきているのかもしれない。
「では、ここで改めて考えてみませんか。かつて南条の家で続いた人死にが、一旦は途切れたのはなぜか。悪霊の存在はまだ残っているものの、その力が弱いのはなぜか。大体どうしてあの悪霊は、南条家に取り憑いているのに南条の人間の血が苦手なんていう、致命的な弱点を抱えているんですかね?」
小萩はぽかんとしたが、新之輔は「……つまり」と難しい表情で口元に拳を当てた。
「悪霊の力をそこまで弱らせた何者かがいる──と」
「たぶん、そういうことだと思います。その人物は、冬雪の呪詛を打ち破るか返すかして、大きな打撃を与えた。もしかしたらその時に、血を使ったのかもしれません。その結果、おそらく冬雪は死んだんでしょう。そして残りわずかな力を振り絞って悪霊となり、なんとか本家にへばりついて、削られた力を少しずつ取り戻し蓄えていくことにした──と考えれば辻褄は合います」
数百年かけて、少しずつ。恨みや憎しみの念を人から引き出して、それを自分の栄養にしながら。
小萩は、庭の低木のことを思い出した。
もうすっかり大部分の葉が茶色くなってしまった南天。
あの木が完全に枯れ果てて、魔除けの意味をなさなくなった時こそ、悪霊の力が満ちるということなのだろうか。
そうなったら、今はまだ花音子たちの後ろで暗躍するだけの黒い靄がどんな災いを引き起こすのか、予想もつかない。
「で、その何者かっていうのが……」
新之輔の視線が古い冊子に向かった。
司朗は頷いて、持っていたそれを丁寧な手つきでめくる。慎重に扱わないとすぐに崩れ落ちそうな冊子は、中身があまりないのか非常に薄かった。
「ここに小さく名前があります。読みにくいですが、たぶん『夏雲』だと」
司朗が指差す箇所を小萩も覗いてみる。
流れるような筆致は馴染みがなくて大いに戸惑ったが、言われてみれば「夏」「雲」という文字に見えた。
夏の雲──冬の雪。
「冬雪の身内か」
張り詰めた声で出された新之輔のその問いに、司朗はもう一度頷いた。
「家系図を見てみたら、冬雪の末の弟として名がありました。この人物については、冬雪よりもさらに不明な点が多いです。夏雲もまた陰陽師で、独身のまま亡くなったようだ、というくらいですね」
兄弟、と新之輔が呟いて、口を噤む。
いつも闊達な彼らしくもなく、その表情にはどこか沈痛なものが含まれているように思えた。
「夏雲が兄と対決することになった理由も経緯も判りません。それが南条家の者としての責任だと思ったのか、単に自分にまで危害が及ぶのを怖れただけなのか──どちらにしろ、自分がやり残したことの後始末を、子孫である我々に押しつけるとは迷惑極まりない話ですが」
司朗は冷淡に言い放った。
「ねえ、後始末ってことは、解決策が見つかったってこと? あの悪霊をどうにかして、花音子たちの魂を解放できるの? その本に何か方法が書いてあったのね?」
美音子が勢い込んで訊ねる。
陸は小萩の近くから離れなかったが、視線は司朗に据えられたままびくとも動かなかった。
「たぶん」
「たぶんたぶんって、さっきから頼りない!」
「実際にやってみないと判らないんだから仕方ないですよ」
「あんたのそういうところ、ものすごく苛々させられるわね! 大体、その夏雲ってやつは、なんだってきっちり退治しておかなかったのよ! そうすればこんなことにはならなかったのに!」
「まったく同感ですが……彼にも事情があったんじゃないですか。予想外の出来事が起きたとか、その時には何かが足りなかったとか」
「何かってなによ」
「さて……何でしょうね」
意味ありげに言って、司朗がちらっと小萩を見る。
なぜ見られたのか判らないので、小萩は肩をすぼめてもじもじした。
「それで、どんな方法なんだ?」
逸れていく話を戻したのは陸だった。いつもならこういう役目を担うはずの新之輔は、さっきからずっと何か考え事をして黙ったきりだ。
「冊子の破損がひどくて、肝心なところがほとんど読み取れないんですが……とにかく判ったのは、破魔矢が必要、ということのようです」
司朗の返事に、小萩は目を瞬いた。
「破魔矢って、あの、お正月に神社でいただく……」
「そうですが、正月飾りのために大量生産した破魔矢でいいというものではないんです。魔を祓い、邪を破る、そのためにきちんと念を込めた破魔矢と破魔弓、これが揃っていないと意味をなしません」
面倒くさいわね! と美音子が短気なことを言った。
「じゃあすぐにその破魔の弓矢とやらを出しなさいよ」
「ここにはありません。代々受け継がれていたものがあったらしいんですが、昔、火災が起きた時に周りのものがほとんど焼失した中でそれだけが無事だった、という不思議なことがあって、気味悪がった当時の当主が南条家ゆかりの神社に奉納してしまったそうなんです。確認してみたらまだそこにあるということなので、事情を話して借り受けるよう頼んでみます」
「だったらすぐに行ってきなさいよ!」
「もちろんそのつもりですが、その神社は少々遠方にあるので、今から出ても、戻るのは明日か明後日になるかと……」
「え、え? 司朗さん、その神社に行かれるんですか? 今から?」
早口で急かす美音子と、それに淡々と返す司朗の間でうろうろと顔を動かしていた小萩は、一足飛びに出てきた結論に、すぐには理解が追いつかなかった。
今から出発? そして帰るのは明日か明後日?
唖然としている小萩に、司朗が少し申し訳なさそうな顔になる。
「悪霊の出現に間が空くのは、おそらくあちらも美音子さんたちと同じく、姿を現していると消耗するからだと思います。力を取り戻すまではなるべく温存しておきたい、というのもあるでしょう。しかしあちらがいつまた動き出すのか判らない以上、一刻も早く対抗策を用意しておくに越したことはない。かなりの強行軍になるので、小萩さんを連れていくことはできません。留守をお願いできますか」
「あ、はい、それはもちろん……ですけど司朗さん、ただでさえお疲れなのに」
「僕のことは心配いりません。それよりも小萩さんのことが気がかりです」
「わたしですか?」
「僕がいない間、絶対に無茶なことはしないでくださいね。もし少しでも何か異変を感じたら、すぐにこの家の敷地から出ること。いいですね、小萩さん」
「は、はい」
念押しする司朗の真剣な顔と口調に、少々たじろぎながら頷く。
もしかして、また小萩が悪霊めがけて茶碗を投げつけたりするのではと心配しているのだろうか。
「小萩のことはおれたちに任せておけって」
「そうよ。私たちがいるんだから大丈夫に決まってるでしょ」
陸が自分の胸を叩き、美音子が高飛車につんと顎を上げる。
司朗はちょっと眉を寄せたが、反論はせずに軽く頭を下げた。
「──では、ご先祖、大叔母上、伯父上、不本意ですが、よろしくお願いします」
「なんで不本意なのよ!」
美音子がぷんぷんしながら言い返した。




