美音子
美音子と花音子の姉妹は、同じ日同じ時刻、この世に生まれ落ちたのだという。
双子は不吉だと忌み嫌う風潮もあったが、幸いにも近代的な思想を積極的に取り入れていた当主は、その説を一蹴して二人の誕生を大いに喜び、姉妹は大事に育てられた。
だが、手放しで祝うことのできない事情もあった。
双子の片割れ、妹の花音子のほうは、生まれた時から非常に虚弱な体質だったのだ。
少し運動するだけで動悸が激しくなり、立っていることすら難しくなる。
金銭的には余裕があっても、当時の医療では治療に限界があり、花音子は一日のほとんどをベッドの上で過ごす生活を送らねばならなかった。
一方、元気な産声をあげた美音子は、そのまま健康で活発な幼少時代を過ごし、行動的でハキハキとものを言う娘となった。
伯爵令嬢らしくいつでも自信に満ちて、社交家で、気に入らないことは気に入らないときっぱり言いきる。病弱で大人しく、自分の意見はあまり外に出さず、いつも静かに微笑んでいる花音子とは、双子なのに何もかもが正反対だと周囲の人間は口を揃えて言った。
そして同時に、やっかみ混じりの陰口を叩く者も多かった。
一方は籠の鳥なのに、一方は自由に飛び回って生を謳歌している。生き方も性格もまったく違う二人は、さぞかし仲が悪いのだろう、と。
「でも、そんなことはないの。私と花音子は、本当に仲が良かった。私は家にいる間はずっと花音子の部屋で過ごしたわ。そしていろいろなことを話したの。私は外の世界のこと、花音子は本で読んだことや家の中で起きたこと。お互いに相手の知らないことを教え合って、いつも笑っていた」
その当時のことを思い出しているのか、美音子はどこか遠くに視線を飛ばして、ぽつぽつと語った。
美音子が外出先で起きた不愉快な出来事について文句を言えば、それはひどいわねと花音子が宥め、花音子が家に来た客の心ない言葉に傷ついたとしょんぼりすれば、美音子が今度顔を見たら叩き出してやると憤る。
双子はそうやっていつも情報を共有し、感情を分かち合った。
互いについて知らないことはないくらいで、ベッドにいる花音子が知りようのない外でのことを、まるで自分が経験したかのように喋るので、家族も驚いていたほどだった。
「花音子は家の中から動けないから、私があの子の目の代わりになろうと思ったの。そのために私たちは双子で生まれたんだと信じてたわ。私たちは二人で一つ、私が得たものは花音子のものになる。花音子ができないことは、私が全部してあげようと思った」
美音子は周りが呆れるほどいろいろな場所に行き、多くの人に出会い、様々なことに手を出した。
楽しいこともあれば嫌なこともあったし、疲れることももちろんあったが、半分は花音子の血となり肉となるのだと思うと、まったく苦ではなかった。
「花音子の調子がいい時は、同じ服、同じ髪型で過ごしていたのよ。私たち、動きもそっくりだったから、一緒にお茶を飲んでいるとまるで鏡を見ているようで、どちらが自分でどちらが花音子なのかも、よく判らなくなるくらいだった」
それくらい、二人の絆は密接に結びついていたのだ。
……だが、双子だけの幸福な世界は長くは続かなかった。
「私が十五の時に、お父さまが婚約者を決めたの」
その時代の人間には珍しいことではない。美音子の周りでは、年頃の娘は大体もうお相手が決まっていたし、遅かれ早かれ自分もそうなるだろうとも思っていた。
ただ、いつも同じ服、同じ装飾品、同じ人形を持った双子でも、これだけは同じものを持つことはできなかった。
婚約したのは姉の美音子だけ。病がちな妹のほうと婚約したいという男性はいなかったし、父親も彼女を嫁に出す気はなかった。
嫁いだところで何かできるわけでもないし、肩身の狭い思いをすることは判りきっている。それくらいなら、このまま家で心穏やかに過ごさせてやればいいだろうと考えていたのだ。
普段は嫌なものは嫌だと言う美音子でも、この婚約話には従うしかなかった。
「婚約といっても政略的なものだから、恋も愛もないわよ。だけど、花音子をこれからも守っていくために、力のある家と結びつくのはいいことだと思ったの。相手も、悪い人ではなかったわ。花音子のことにも理解を示して、よく顔を出してはあれこれお喋りしてくれた。……たぶん、儀礼的な意味以上のものはなかったでしょうけど」
しかし、婚約者はどうあれ、花音子のほうは違ったらしい。
どんな理由でも、姉が婚約を決めたことに寂しさはあっただろう。唯一共有できないその存在に、憧れる気持ちもあったかもしれない。羨望も、そして嫉妬もあった。どちらに向けた嫉妬なのか、本人にもよく判らなかったとしても。
義理の妹になる花音子に、婚約者は優しく接した。手土産として花や菓子も持参して渡した。
そこには多分に、病人への気遣いと同情が含まれていたが、長い間、家族以外の他人とほぼ関わることのなかった花音子にはそれが判らなかった。
気づいた時には、本人もどうにもならないほど婚約者への片恋が燃え上がり、それとともに、いずれ彼の妻となる美音子への歪んだ感情が生まれた。
一度小さな亀裂が入ると、そこから溝は大きくなるばかりだ。
これまでの楽しかった記憶は疑念と自虐でまったく別のものに塗り替えられ、愛情はそのままの大きさで憎悪へと反転した。
自分が健康だからって、いつも外での自慢ばかり。あれをした、こんなことがあった、これはよかった……私は何一つやってみたことがないのに。できるはずもないのに。
ねえさまはさぞ、優越感いっぱいで、いい気分だったでしょうとも。
ねえさまとは同じ顔、同じ姿なんだもの。もしも私が元気だったら、あの人は私の婚約者だったかもしれない。
ずるい、ずるい、ずるい!
ふつふつと滾るような怒りを誰にも言わずに押し殺し、そのため余計に手がつけられないほど熱く膨れ上がった感情は、とうとう暴発して、終焉を迎えた。
「……ある日、花音子が、久しぶりに一緒にお茶をしましょうって誘ってくれたの」
ずっと塞ぎ込んで何か思い詰めているようだった妹が、その時は晴れやかに笑っているのを見て、美音子はほっとしたのだという。
またもとのように仲のいい姉妹に戻れると心を浮き立たせながら、お気に入りの赤い振袖を着て彼女の部屋に向かった。
部屋の中では、花音子も同じ振袖を身につけていた。相談したわけでもないのに、やっぱり自分たちの心は一つなのだと、美音子は喜んだ。
テーブルの上はすでに準備が整い、真ん中に置かれた大きな花瓶には大量の花が活けられていた。
『あら、スズランね』
『そうよ、お庭に咲いているのを、切ってもらったの。私、このお花大好きなのよ。白い鈴のようで、可愛らしいでしょう?』
『そうね。でも私はもっと大ぶりで派手な花が好きだわ。百合とか気高い感じがしていいわよね』
『ねえさまらしいわ』
楽しく笑い合い、二人でテーブルを囲む。
カップ等を用意したのは女中だが、コーヒーは花音子が自分でわざわざ豆を挽いて煮出したのだと言った。上流階級で広まりつつあるコーヒーが、美音子は正直苦手だったのだが、そう言われては断れない。
慣れない花音子が淹れたためか、コーヒーはひどく苦くて、たっぷりミルクと砂糖を入れないととても飲めたものではなかった。
二人は和やかに会話を交わした。花音子はよく喋ったが、内容は幼い頃のことばかりだった。
懐かしい気持ちで美音子はそれを聞いていたが、そのうち、だんだん気分が悪くなってきた。
吐き気がして、頭が痛く、眩暈もする。
ふと見ると、花音子も真っ青な顔をしていた。
心配になって、大丈夫? と聞こうとした美音子に、呼吸を乱しながら花音子は微笑んだ。
『ねえさま、スズランって可愛いお花よね……でもね、知っていて? こんな可憐な外見なのに、スズランは花にも実にも根にも、強い毒性があるのですって』
美音子の目は飛び出さんばかりに大きく見開かれた。
咄嗟に、テーブルの上の空になった二つのカップを見る。
『ごめんなさい……ねえさま。私、どうしても我慢できなかったの。私はきっと、長生きできない。だけど私が死んだ後、ねえさまはあの人と結婚し、子どもを産んで、年をとって、幸せな人生を過ごすのよね? 私が知らないこと、決して経験できないことを、またねえさまだけが独り占め……ひどいと思わなくて? 私のことなんてすっかり忘れて、彼と二人で笑うんだわ……そんなの、私は嫌よ。どうしても、嫌。あの人の笑顔が、今後はねえさま一人に、向けられる、なんて……許せない』
眼前がくらくらするくらい気分が悪いが、花音子はすでに息も絶え絶えだった。
同じ毒を口にして、もともと身体の弱かった花音子のほうにより強く影響が出るのは当然と言えた。
『ま、待ってて、花音子、今、医者を』
恐怖と焦燥でがくがく震えた。力が抜けて床に膝をついてしまったが、美音子はそれでも這うようにして部屋の扉へと向かった。
急がなければ、花音子が死んでしまう。
自分の半身、大切な片割れ、世界で最も大事な妹が。
『だめよ……ねえさま』
後ろから、弱々しい声が追いかけてくる。
振り返ると、目を血走らせ、汗びっしょりになり、顔を土気色にした花音子がふらつきながらこちらに迫っていた。
目から涙をぼとぼと落とし、手にナイフを持って。
『ねえさまは丈夫ですもの、スズランの毒だけでは、死ぬかどうか、判らないでしょう? だからね、こうして、ちゃあんと準備していたのよ。……弱らせた後なら、私の力でも致命傷を負わせることができる。……ごめんね、ねえさま……ほんとはね、ほんとは、判っていたの……あの人が私に、優しくしてくれるのは、ただの憐れみ、気の毒な子に向ける施しだと……ねえさまも、そうだったのでしょう? 私、知ってるのよ。私が何もできなくて可哀想だから、いつ死ぬか判らないから、だから、いつも』
『ちが』
『──うそつき』
泣き笑いで顔をくしゃくしゃにした花音子が、ナイフを振り下ろす。
それが美音子が見た最後の光景だった。