第八話:SST選抜試験(前編)
七月二十日、午前六時五十四分。夏休みの真っ只中、孝は大きなボストンバッグを抱えてSDF棟に入った。
「いよいよだな、緒方」「頑張れよ」
すれ違うSDF隊員たちから激励されるのをくすぐったく感じながら、孝はSDF司令室に向かった。ドアをノックし、「第二小隊、緒方二士です」 と告げると、「入れ」 と返事があった。
「失礼します」
広々とした司令室には、倉田一佐以外に、すでに三人のSDF隊員が待機していた。三年生が二人と、孝と同じ第二小隊に所属する二年生の岡田二曹。これから五日間、共に学校特殊部隊SSTの選抜試験を受ける生徒たちだ。
「あと一人だな」
倉田が言う。もう一人、一年生のSDF隊員が試験に参加することになっているはずだ。すると、集合時間の七時ちょうどにドアがノックされた。
「中原二士です」 そのドア越しの声は、女子のものだった。
「入れ」「失礼します」
孝は事務要員かと思ったが、ドアが開き、司令室に入ってきた隊員を見て、唖然となった。
結論から言うと、その女子は事務要員ではなかった。先日のコンビニ帰り、グラウンドのランニングコースで自主トレしていた女子隊員。肩から下げたボストンバッグが、彼女がSST選抜試験を受ける隊員であることを証明している。
まさか、もう一人の一年SST候補生が女子だとは。
少女は集まっている面々を見回してから、背筋を伸ばした。「よろしくお願いします」
整った目鼻立ちは明らかに美少女のそれで、残念なのは、むすっとした仏頂面であることくらいか。もう少し穏やかな表情をしてさえいれば、さぞ魅力的だろうな、と孝は思った。
倉田が椅子から立ち上がる。「全員揃ったな。出発する」
※
部活遠征用のマイクロバスで向かっている先は、陸上自衛隊の坂ヶ丘駐屯地。一個普通科連隊が所在する、それなりの規模の駐屯地だ。SSTの選抜試験は例年、陸自の演習場で行われる。試験官はSDF所属の教員が務め、SST隊員の学生が補佐をすることもある。
今日、坂ヶ丘駐屯地には、県内の各高校SDFからSSTに推薦された生徒が集まる。SST要員は各高校に数人〜十数人と少ないため、効率化を図るために、こうして県内全高校のSST選抜試験をまとめて行うことになっていた。
駐屯地に向かうマイクロバスの中で、簡単な自己紹介が始まった。
「三年一組、第一小隊の長野春利三尉です。SST選抜試験は二度目で、絶対にリベンジします。よろしく」 彼の顔は知っていた。第一小隊の小隊長だ。
「三年七組、第三小隊所属、荒井真。学曹長です。えー、この試験は初めてだけど、よろしく」
「二年五組、第二小隊の岡田清二二曹です。気合いで乗り切ります。よろしくです」 いつもの岡田らしくなく、緊張した様子ではあった。
残りは、一年生が二人。
孝はもう一人の一年の方を見た。葵が先にどうぞ、という仕草をしたので、多少緊張しながら口を開く。
「一年三組、第二小隊の緒方孝二等学士です。最大限努力します。よろしくお願いします」
「一年二組、第一小隊の中原二士です。女だからって、手加減はしないで下さい。よろしくお願いします」
性格は頑固そうだ。孝は葵にそんなイメージを持った。
選抜試験中は、この五人でチームを組むことになる。赤信号で止まったとき、倉田が運転席から後ろを振り返った。
「よし、覚悟はできてるな? 言っておくが、最終試験の前にリタイアすることは恥だと思え。最終試験まで行ける実力があると判断して推薦しているからな」
今回選抜試験を受けるSST候補生は、総勢五十三名。例年、SST選抜試験で最終試験までたどり着けるのは三分の二程度。つまり、この中から約十八名の脱落者が出ることになる。最終試験は最も難易度の高い試験とされ、その内容は公表されていない。事前の対策ができないのだ。
※
坂ヶ丘駐屯地に到着して、まず配られたのが、陸上自衛隊の戦闘服とブッシュハット、その他装具一式だった。
なぜ、迷彩服を使うんだ? 孝は不思議に思った。
試験期間中に宿泊する宿舎に案内され、戦闘服に着替えて十五分後の八時十分に集合するよう指示された。孝は岡田と相部屋だった。
「ったく、いきなり忙しいな」 岡田が戦闘服に袖を通しつつぼやく。
「この迷彩服、SDFの階級章が着いてますよ」 Ⅱ型迷彩の戦闘服の襟に、SDFの階級章がつけられていた。ネームタグには『坂ヶ丘/緒方』の文字があった。
「ホントだな」
「時間がありません。行きましょう」
午前八時十分。宿舎前のグラウンドに、五十三名が整列した。と思いきや、
「諸君! この試験では時間厳守は鉄則だ。遅れた者は直ちに荷物をまとめてもらう。いま、〇八一〇に集合できなかった二名には、もう帰ってもらった」
整列した候補生たちの正面に立つ、強面の試験官が太い声で言った。
試験が始まる前から、問答無用で二名が脱落させられた。残り五十一名の候補生たちがざわついたが、「黙れ!」 の一括で沈黙した。大柄な教師が正面に立った。SDF管理局の制服を着ていて、階級は一等学佐。
「私は今回の試験の責任者を務める、氷山高校の東田だ。よろしく。……早速だが、試験期間中に使用する銃を貸与する」
地面の一角に敷かれていたオリーブドラブ色のシートが取られ、そこにあった物を見た候補生たちは、息を呑んだ。
二脚が展開され、地面に陳列されていたのは、大量の89式小銃だった。自衛隊が制式採用している自動小銃だ。鈍く輝いている89式が、候補生全員に配られていく。
まるで、陸自の入隊式だ。
アサルトライフルである89式は、MP5サブマシンガンよりもかなり重い。使い込んだ銃のようで、ところどころボロさが目立つ。
「その銃が試験中、君たちの相棒となる。大事に扱え。よし、まずは執銃。ハイポートは、銃を抱えた状態でのランニングだ。
ストックとハンドガードを持て。アップ代わりに五キロほど走ってもらう。女子は三キロだ」
たった五キロか。余裕だな、と孝は思った。
「くっそぉ……。なんだこれ」
孝は五キロを完走してから、地面に倒れこんだ。
五十一名中、十五位で到着。悪くはない順位だが、ハイポートは想像よりかなり辛かった。腕が振れないため、足を前に出しにくい。しばらく走っていると、約三・七キログラムの小銃を支える腕が疲労してくる。こんな持久走は初めてだった。
その後は、体力トレーニングだけで初日が終わった。
午後七時、食堂。
「畜生、筋トレ以外にやることないのかよ!」 岡田が文句を言いながら、カレーを口にかきこんでゆく。
「岡田さん、筋トレは得意分野でしょ」 孝は突っ込みを入れた。
「あれはトレーニングじゃない。拷問だ」
確かに。孝は今日を振り返りながら思った。次々と課せられるトレーニング。試験官たちから矢継ぎ早に浴びせられる罵声。
「たぶん、去年より厳しくなってるぞ、訓練内容」 去年の試験を経験している長野が言う。
「本当か? ツイてないな」 と不満そうに言ったのは荒井だ。
「ハイポートの直後に腕立て百回とか頭おかしいだろ、絶対」
「今日のは小手調べ。本当にキツいのは、明日からだな」
※
SST選抜試験、二日目。
午前中は、身体能力テストだった。短距離走、長距離走、腕立て、上体起こし、反復横跳び、握力などの記録をとった。これで基準に満たない項目があれば、即脱落だった。女子は男子より基準が下げられている。
坂ヶ丘高校の五名は、全員が全項目をクリアした。SSTに推薦されるのはそもそも身体能力の高い生徒ばかりなので、ここで脱落する者は少ない。
「午前はラクだったな」 食堂で、昼食を食べながら長野が言った。
「ああ。問題は午後の射撃テストだが……」 と荒井。
「射撃と言えば、中原、得意だったよな」 長野は同じ第一小隊の葵に話を振った。
さっきから無言で食べていた葵が顔を上げた。「得意というほどでもないですけど……」
「そりゃ楽しみだな」 岡田が余裕そうに言った。
午後一時。89式小銃を持った候補生四十七名が、射撃場に集合した。
全員に、実弾が十発ずつ配布された。射撃試験では、この十発中、七発以上を標的に当てれば合格。七発未満だった場合はその場で失格。この試験で、かなりの候補生が脱落するらしい。
長野、荒井、岡田は、見事に合格した。特に荒井は、九発命中という快挙だ。荒井は狙撃手志望だと言っていた。
そして、孝の順番が回ってきた。射撃位置に立つ。
初弾装填。セレクターレーバーを単射に合わせる。
アイアンサイトで八十メートル先の標的に狙いを定める。
一呼吸おいてから、引き金を絞った。
アサルトライフル特有の鋭いリコイルショックが肩に伝わり、空薬莢が宙を舞う。
試験官が着弾をチェック。
「命中」
その後、六発を命中させ、二発を外した。そして、九発目。
「外れ」
まずい。最後の十発目を外したら、その場で失格だ。
孝は焦った。呼吸が乱れる。
自分に必死に言い聞かせた。落ち着け、落ち着け……。
そして、最後の銃声が響いた。
「……命中! よし、クリアだ」 試験官が告げた。
孝はほっと溜め息をついた。背中に冷や汗をかいていた。チャンバーに残弾がないか確認し、マガジンを抜いて射撃位置から離れる。
後方で試験を見ている候補生たちの集団に戻った。
「良かったな、緒方」 と長野。
「ヒヤヒヤさせんな、心臓に悪い」 岡田はそう言って笑った。
孝は苦笑で返した。
次に、葵が射撃場に入った。
「さて、お手並み拝見だな」 完全に見下している岡田が呟いた。岡田のときは89式がサブマシンガン並みに小型に見えたが、葵が89式を持つと、今度はまるで軽機関銃に見える。
体力があるのは孝も認めるが、葵が華奢な体躯であることは、戦闘服の上から見ても分かる。
射撃位置に立った葵が、89式を構える。
「反動で肩が外れるんじゃねぇか?」 岡田が真顔で言う。
さすがに……それはないだろう。
数分後。
「全弾……命中。ほぼ全弾、ど真ん中」 試験官が、唖然とした表情で告げた。
岡田は、開いた口が塞がらないといった顔だ。
あとで聞かされたが、この射撃試験で十三名の候補生が脱落していた。
三日目は、市街戦訓練に使われる模擬施設で、ペイント弾を用いた戦闘訓練が行われた。犯人役、人質役の試験官が待つキルハウスに、候補生のチームが突入し、制圧するというものだった。
そして四日目、午前七時。
三十四名の候補生たちは、今日の試験内容を聞かされないままグラウンドに集合させられた。
これから行われるのは、最終試験。内容は毎年変わるため、予想できない。分かっているのは、これが最後にして最大の難関だということと、二十四時間ぶっ続けで行われる試験だということだ。
東田がマイクを握った。
「これより、最終試験を開始する。まずは装備を受け取れ」
候補生たちに与えられたのは、マガジンや救急キットなどが収められた戦闘集約チョッキ、飲料水、そして89式小銃だった。
孝は嫌な予感がした。これは他の候補生たちも同じだろう。
「最終試験は、山中でのサバイバル訓練だ。戦闘集約チョッキには、ペイント弾三十発が装填されたマガジンが六本入れてある。君たちはこれから発表する相棒と共に、二十四時間”生き延びろ”。ペイント弾を食らった者は失格、これは同時にバディも失格とする」
候補生たちが、ざわめいた。
最終試験は野戦サバイバル。おまけにバディがペイント弾を食らえば、自分も脱落。あまりにも不条理な内容だ。
その後、ルール説明が行われ、バディが発表された後、最終試験が幕を開けた。