第四話:実戦
月曜日、午前八時。まだ教室にいる生徒は少ない。
「……どうしたんだ、山崎」 教室の座席でぐったりしている山崎に友井が声を掛けるが、反応はない。
「ほっとけ。中学のときから、たまにこうなるんだ」 孝は開いた教科書から目を離さずに教えた。
「緒方、冷たすぎないか!?」 山崎がいきなり起き上がって言う。
「いきなり叫ぶな。書き間違えたじゃないか」
予習の手を止めずに、緒方は昨日の出来事を友井に話した。
「ぶはははっ! なんだそれ、それだけ言って負けたのかよ!」 爆笑する友井。「そんでボーリング代と、自分は食ってないのに二人分の寿司代払ったわけ?」
「いや、こいつ二千円しか持ってなくて。おれが代わりに払った」 と孝。これは事実だった。
「二千円? お前よくそれで寿司なんかに……! ちょっと笑いすぎた、水飲んでくる」 友井は教室を出ていく。
「あんなに笑わなくても……」 と不満げな山崎。
すると、杏子と美菜が談笑しながら登校してきた。
「おはよー。緒方とビンボー人!」 杏子が教室で最初に発したのがこれだ。
「ビンボー言うな!」
「だって事実でしょ?」
「くっ……。反論できん」
可哀想なやつだ。孝は正直、そう思った。
「おはよう。緒方くん、山崎くん」 と美菜。
「おはよう」
「緒方くん、昨日はありがとう。奢ってくれて」
「いや、いいよ」
「山崎、あんた緒方に借りたお金ちゃんと返しなさいよ」 突っ込む杏子。
「あ、当たり前だろ! そんなこと!」
その言葉を聞いて、孝は中学時代のことを思い出した。
「そういえば、中三のときにお前に貸した五千円まだ返してもらってないな」
「余計なこと言うな……!」
「あんたって、ほんとに……」 杏子は完全に呆れ顔だ。
「山崎くん、お金はちゃんと返さないと……」
「分かった分かった! 次のバイトの給料日に返すよ!」
「何度その台詞を聞いたことか……」
「もうやめてくれぇー!」 山崎は教室を飛び出して、どこかに走っていった。
「情けないわねぇ」 やれやれ、とでも言いたげな表情で呟くと、杏子は自分の席に戻っていった。
「じゃあ、またね」 と美菜もあとに続いた。
そこで、友井が教室に戻ってきた。「あれ? 山崎は?」
「さあ。どこかに行った」
「もう授業始まるぞ。しょうがないヤツだな」
互いに苦笑したとき、チャイムが鳴った。
※
二時限目と三時限目の休み時間、ようやく山崎が教室に戻ってきた。
「どこ行ってたんだ?」
「屋上だよ」
「なんで屋上?」
「だって……傷ついた男の誇りを癒すには、屋上しかないだろ?」
「はぁ?」 相変わらずよく分からない男だ。孝は呆れのため息をつく。
「ま、どうせ数学はサボるつもりだったし」
「おまえ、そんなこと言ってると……」
突然、天井のスピーカーに短いノイズが入った。
(全教員・生徒に連絡します。当校敷地内で複数の不審者が確認されました。襲撃の可能性があるため、直ちに教室に入り、全ての窓を閉じて下さい) スピーカーから緊張した声が流れる。
孝は咄嗟に叫んだ。「窓を閉めるんだ、早く!」
学校の窓は全て、坑弾ガラスになっていて、弱装弾なら数発は防ぐことができる。
外から、複数の銃声が聞こえた。
「みんな落ち着いて! 机の下に入るんだ」 適確に指示を飛ばしたのは友井だった。
(SDF隊員に連絡。SSTと第二小隊は、直ちにSDF棟に集合して下さい。第一小隊、第三小隊は教室で待機して下さい。繰り返します、……)
スピーカーが言い終わるのをまたずに、孝と友井は教室から飛び出した。
※
坂ヶ丘高校の敷地内に、十二名のFDTが展開していた。
今日の襲撃の目的は、偵察だった。玄関から校内に侵入、応戦してくるであろうSDFと銃撃戦を展開し、適当な時間が経過してから離脱する。
十二人の指揮を執るリーダーの少年は、AK-102自動小銃のセレクターをフルオートに合わせ、生徒玄関に銃口を向けた。トリガーを引くと、暴力的な発砲音と共に吐き出された五・五六ミリ弾がガラス張りの玄関ドアに着弾の火花を散らす。フルオート射撃に耐えられず、ガラスが砕け散った。
それを合図に、リーダー以外の十一名もAKの発砲を開始した。連続した射撃音が交錯し、空薬莢が撒き散らされる。破壊衝動に突き動かされた、統制の取れていない射撃だった。
『未成年非行防止法への反発』 などという大義名分は、いつの間にか消え失せていた。十八歳の少年がFDTに参加するのは、ただ暴れまわる場を欲してのこと。FDTの一員であれば、強力な銃と弾薬が手に入る。警察もSDFも蹴散らしてやる。おれは何でもできる……!
思いのほか早く、弾が切れた。少年は舌打ちして、AKの弾倉を交換した。腰だめで適当に照準をつけ、トリガーを引き絞る。ガラスを粉砕されたドアを通り抜け、小銃弾は玄関のロッカーに直撃した。金属製のロッカーが蜂の巣になり、ぼろぼろになった靴が弾け飛ぶ。
「そろそろ突入しましょうよ」 AKの弾倉を交換しながら、締まりのない笑みを浮かべている金髪の少年がリーダーに声を掛けた。「早くぶち殺してぇ」
「……いいだろう、突入だ」 リーダーの指示で、十一名は玄関に駆け出す。
一人や二人死のうが、そいつの運が悪かったというだけの話だ。恨むなら社会を、大人たちを恨むんだな。AKを乱射しながら玄関に駆け込む金髪の後ろ姿を見ながら、リーダーは思った。
※
MP5を携えた孝たち第二小隊の隊員は、生徒玄関近くの廊下に展開した。SSTアルファ・チームの四人が先陣を切るので、その後方に追随する形だ。
発砲音が鳴り続けている。FDTは悪質だった。威嚇というよりも、だた破壊を楽しんでいるかのような射撃だ。孝の位置から直接は見えないが、銃声やFDT構成員の笑い声で分かる。
「これは、かなりの被害だぞ……」 孝の隣の隊員が呟いた。孝はMP5の被筒を握り締めた。
もちろん傍観するだけではない。SSTの隊員たちが、物陰に隠れながら少しずつ前進して行くのが見えた。孝は感心した。SST隊員たちの動きには、一切の無駄がない。素人目にも分かる、統率の取れた動きだ。
突然、ロッカーの陰から金髪の少年が姿を現した。動きにくそうなスウェットに身を包み、AK-102を持っている。笑っていた。「死ねやぁ!」 AKの銃口が近くにいたSST隊員を向く。
そのトリガーが引かれる前に、SST隊員はM4A1自動小銃を構えると同時に発砲した。
セミオートで放たれた初弾が金髪の肩を撃ち抜き、二発目が腕を抉る。金髪はAKを放り投げて昏倒し、声にならない絶叫を上げた。グレーのスウェットがみるみる血で染まってゆく。
人間が撃たれる光景を初めて見た孝は、軽く気分が悪くなるのを感じた。他の一年生たちも同様の反応だった。
上級生たちは慣れた様子で、痛みに暴れる金髪を押さえつけて拘束し、簡単な止血処置を始めた。その間もSSTの四名は敵に近づいてゆく。
「制圧射撃!」
SSTの四名がほぼ同時にM4をフルオートで撃った。直接敵を狙って撃つのではなく、弾幕を張って動きを封じる策だろう。拳銃弾を使うMP5とは違う、小銃弾の鋭い発砲音が生徒玄関に反響する。それに倣うようにして、第二小隊の面々もMP5を発砲した。
孝もMP5を構え、敵が隠れているロッカーの縁を照準してトリガーを引いた。フルオートで九ミリ弱装弾が撃ち出され、ロッカーの角を抉った。反動で射線が上に跳ね上がる。飛び出そうとした敵が引っ込むのが見えた。
制圧射撃で怯んだ隙に、SST隊員が斬りこむ。正確な射撃でFDT構成員を掃討していく。ガラス片が散乱する床に空薬莢が撒き散らされ、撃たれたFDT構成員が次々と転倒していった。
わずか数分で、生徒玄関に入り込んだFDT構成員はすべて駆逐された。
前線は生徒玄関と中庭の間に移っていた。
※
生徒玄関から、SDFの反撃が始まっていた。おそらく、玄関内に突入した六名は全滅だろう。
リーダーは中庭の植え込みに身を寄せ、生徒玄関に向けて弾幕を張った。照準はでたらめ。まともに照準をつけようとすれば、トリガーを引く前に撃たれるだろう。SDFの射撃はそれほど正確だった。訓練の賜物ということか。
このままでは、全滅だ。リーダーは撤退を決断した。「離脱するぞ!」 弾幕を張りながら、裏門から外に逃げるのがいいだろう。
だが次の瞬間、リーダーは近くにいた少年の足が撃ち抜かれるのを目撃した。アスファルトの地面に鮮血が散る。撃たれた少年は絶叫して地面をのたうち回った。
おかしい。ここは生徒玄関からは死角になっているはずだ。別の場所から狙われているのだ。リーダーはなるべく姿勢を低くして、校舎を見上げた。どこかの窓から撃ってきている可能性が高い。どこだ……!
探している間にも、別の少年が肩に被弾して動けなくなった。
校舎の屋上に、人影が見えた。スナイパーだ。
「屋上だ! 屋上を狙え!」
構成員たちの銃撃が屋上に集中する。しかし、まともに照準をつけられておらず、一発も命中しない。上から狙われている恐怖によるパニックを起こしている。
自分の近くに着弾の火花が散っても、屋上のスナイパーは動じることなく狙撃銃をこちらに向けていた。このままでは自分も撃たれる。そう確信したリーダーは、AKを乱射しながら裏門に向かって駆け出した。
「リーダー、助けて!」
足を撃たれた少年が叫んだが、リーダーは無視した。助ける義理も余裕もない。
なんとか被弾せずに中庭を脱出し、弾が切れたAKを背中に担いで走る。裏門はもう目と鼻の先だ。なんとか助かった。他の連中は気の毒だが、運が悪かったのだ。
施錠された裏門をよじ登る。勢いをつけて反対側に飛びこもうとしたが、いきなり足首を掴まれ、リーダーは学校側に引き戻された。
背中から地面に叩きつけられ、リーダーは後頭部を打った。目眩を感じながら起き上がると、目の前に戦闘服とボディアーマーに身を包み、M4A1を構えるSDF隊員の姿があった。
「銃を捨てなさい」
そのSDF隊員は、少女だった。胸にSST徽章をつけている。SSTといえば、SDFでも優秀な隊員を集めた精鋭部隊だ。リーダーは驚きつつ、「わ、分かった。撃たないでくれ」 と言いながらAKのスリングベルトを肩から外した。
この間合いなら、勝てる。リーダーはAKを少女に向かって投げつけた。AKは少女のM4に直撃し、弾き飛ばした。リーダーはすかさずサバイバルナイフを抜いて、M4を落とした少女に飛びかかった。逆手で握ったナイフで切りかかるが、少女はあっさりとその一撃をかわした。素早くレッグホルスターから抜いたシグザウアーP226を、リーダーの顔面に突きつけた。「残念でした」
「死にたくなければ、ナイフを捨ててね」
少女はにこりと笑った。ゴーグル越しでも、それが美しい笑顔であることがリーダーにははっきり分かった。こちらが不審なそぶりを見せれば、即座にトリガーを引くだろう。明らかな殺気をまとった美少女に恐怖したリーダーは、今度こそ降伏した。
※
屋上で狙撃銃のスコープを覗いていたSST隊員は、FDT構成員すべてが無力化されたことを確認し、「制圧完了」 とマイクに吹き込んだ。
(了解した。状況終了、撤収しろ)
「了解。撤収します」
彼はレミントンM24 SWSスナイパーライフルのボルトを引いて、チャンバーに残った七・六二ミリ弱装弾を取り出し、二脚を畳んだ。このM24は陸上自衛隊からの払い下げ品だが、性能は一級品だ。
「上出来だったな、結城」 隣にいる観測手役の二等学尉が、散らばった空薬莢を拾いながら言った。
「いえ。今回は敵が雑魚でした。素人の寄せ集めですよ」
「確かに」 二尉は苦笑し、自分のM4からマガジンを外した。
この学校に向かってくる救急車のサイレンが、すぐ近くで鳴り響いていた。