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高校戦争  作者: 波島祐一
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第二十三話:人質救出訓練

 午後六時。玄関のドアが開かれると、制服の上からグレーのダッフルコートを羽織った中原葵が姿を見せた。「こんばんは」 と視線を合わさずに言った葵は、どこか落ち着かない様子だった。

 病室で抱きつかれたときの感触が脳裏に蘇り、孝も無意識に目を逸らした。「ああ、こんばんは」


「調子はどう?」

「身体の痛みは治まってきたよ。明日から学校に行く」

「良かった」

「SDFの復帰はまだ難しそうだけどな」

「すぐには無理でしょ。……でも、さっさと完治してよね」 葵は少し怒ったような顔をした。「バディが不在だと、あたしも困るんだから」

「ああ、分かったよ」

「あと、これ」 葵は持っていた白い紙箱を差し出した。ケーキだろうか。「この前のお礼と、退院祝い」

「お礼?」 孝は箱を受け取り、聞き返した。

「その……守ってくれたでしょ」 葵は、少し恥ずかしそうにしながら言った。

「いや、別にそんなんじゃ……」 孝は目を逸らし、照れ隠しに否定した。

「……それじゃ、帰るね」


 踵を返そうとした葵は、床の一点を見て動きを止めた。孝がその視線を追うと、揃えて置かれた沙希のローファーが見えた。


「誰かいるの?」 葵の視線は孝をすり抜け、キッチンを通り越し、部屋の方に向けられた。

「ああ、実は……」


 孝の言葉を遮るようにして、部屋から沙希が顔をのぞかせ、軽く会釈した。「どうも」

 それを見た葵は一瞬だけ動きを止めて、会釈を返した。何を勘違いしたのか、葵はちらりと孝を一瞥すると、「ごめん、邪魔して」 と素早くドアノブに手を掛けた。


「待て! 彼女は宿題を持ってきてくれただけだ」 孝が慌てて声を掛けると、葵はドアノブを握ったまま振り向いた。

「宿題を持ってきただけなのに、部屋に上がってるの?」


 孝が説明の口を開こうとしたとき、「あの……」 と背中から沙希の声がした。沙希は部屋から廊下に移り、二人に近づいた。「ひとつ、訊いてもいい?」

 沙希の意図が読めず、孝は葵と顔を見合わせ、頷いた。沙希が次の言葉を発するのを待つ。


「二人は、付き合ってるのかな」


 全く予想外の問いに、意味を理解するまで数秒の間を要した。葵を見ると、目が合ってしまい、すぐに逸らした。全身がにわかに熱を帯びた孝は、「そ、そんなんじゃないけど」 と上ずった声で返した。葵も合意するように頷く。


「そうなんだ。なら良かった」 と微笑した沙希は、部屋に戻ってバッグとコートを持つと、再び玄関まで歩いてきた。「そろそろ帰るよ」

「あ、ああ」 と頭が混乱している孝をよそに、沙希はローファーを履く。

「改めまして」 沙希は、狭い玄関で葵に微笑む。「緒方くんと同じ三組の工藤沙希です。今日は本当に宿題を持ってきただけだから。中原葵さん」

「え、なんであたしの名前……」 と葵は困惑したような顔をした。

「正々堂々戦いましょう」 笑みを消し、きっとした表情で、沙希は葵に言った。

「は?」 葵はぽかんと口を開ける。

「じゃ、また明日!」 沙希はにこりと笑って手を振り、ドアを開けて出て行った。


 数秒経ってから、葵が「今の、どういう意味?」 と訊いてきたが、孝にも全く意味が分からず、首を横に振った。


「なんだかよく分からないけど、あたしも帰るね」 葵はため息をついてから、ドアノブを握った。

「ああ、気をつけて」


 葵を見送った孝は、部屋に戻り、机上の宿題に向き直り、シャープペンをとった。





 三月六日、土曜日。坂ヶ丘高校から数キロ離れた私立小架羽高校のグラウンドに、戦闘服に身を包んだ高校生たちが集まっていた。この日は、坂ヶ丘高校、小架羽高校、市立横崎高校の三校のSSTが合同訓練を行う。一般生徒の登校は禁止され、小架羽高校の校舎は訓練場として使用される。三十名ほどのSST要員に加え、教官役としてSDF担当教師や警察、自衛隊の人間も参加していた。

 雲のない晴天。グラウンドにはいくつもの天幕が並べられ、直射日光を防ぐ。渡瀬智久はその内のひとつで、M4A1自動小銃のマガジンにペイント弾を詰めていた。長机には、ペイント弾を撃つためにボルトとレシーバーを交換したM4が並んでいる。ちらと腕時計を見ると、G-SHOCKのデジタル表示が午後二時二十四分を表示していた。校舎からは絶えずペイント弾の発砲音や、教官の怒鳴り声が聞こえて来る。

 いまは、坂ヶ丘のアルファ・チームが人質役、横崎のアルファがFDT役、横崎のブラボーと小架羽のブラボーが突入部隊役で訓練中だった。合同訓練ということで、違う学校で組み合わせたチーム編成となっている。実戦でも、他校のSDFと協力して作戦を行う場合もあるため、こうした合同訓練は近隣校のSDF隊員と親睦を深め、より円滑な協力関係を築く目的もある。

 午後三時からは、渡瀬が班長を務める坂ヶ丘ブラボーと、小架羽高校のアルファが合同で突入部隊の予定。そろそろ、訓練開始前のブリーフィングに入りたいところだ。同じ天幕の班員たちを見ると、結城、緒方、中原の三人とも、銃のチェックや小架羽高校の見取図の確認などを行っていた。

 こちらは準備よし。声を掛けに行くか、と思って小架羽高校に割り当てられている天幕を見ると、ちょうど四人の少年少女がこちらに向かってくるのが見えた。

 坂ヶ丘の戦闘服は黒色だが、山沿いに位置する小架羽高校の戦闘服は、濃緑色。私立高校のSDFも、組織としては公立高校のSDFと同じ、公的機関たるSDF管理局の下に置かれている。使う装備や弾薬も基本的には同じだが、戦闘服の色や銃に取り付ける照準器など、高校により若干の特色がある。


「準備はいいか、渡瀬」


 四人のうち、小架羽アルファの班長、木村誠司(きむらせいじ)二等学尉が渡瀬に声を掛けた。平均的身長の渡瀬よりも五センチほど高い位置にある細面は、少し神経質そうに見える。実際も神経質で頑固な性格であることは、中学の同級生だった渡瀬は知っている。


「ああ。ブリーフィングに入ろう」 と答え、渡瀬は長机に置いた校内見取図に視線を移した。


 八人がその図を囲むように立った。昨年にも一度合同訓練を行っているので、顔と名前はそれぞれ分かるはずだが、簡単に自己紹介。そのあと、想定の確認から入る。A高校にて、FDT四人が校内で銃を乱射し、生徒四人を人質に取った。A高校のSDFは負傷者が発生。A高校のSSTと、応援に駆けつけたB高校のSSTが、合同で八人のチームを組み、校内に突入。人質を無傷で救出するのが目標だ。


「FDT役は坂ヶ丘のアルファ? 手強いわね」


 小架羽アルファ班員、紋別優里(もんべつゆり)三等学尉が口を開いた。少しふっくらとした輪郭と垂れ目が特徴的な、面倒見が良く優しい少女だ。彼女も渡瀬の同級生で、木村と同じく、お互いよく知った間柄だった。


「班長は三沢さんか。確かに強敵だね」


 小架羽アルファ副班長、小森陵(こもりりょう)三等学尉が同意する。渡瀬と同じ二年だが、彼は別の中学出身で、ほとんど話したことはない。常に微笑んでいて、穏やかそうな雰囲気の少年だが、何を考えているのかよく分からない所もある。

 もう一人は、狙撃員の灰川知恵(はいかわちえ)学曹長。緒方や中原と同じ、一年生だ。無口で、あまり感情を表に出さないタイプに見える。くせのあるショートヘアも相まって、不思議な少女というのが渡瀬の持つ印象だった。


「教室までの最短ルートは二つ。二手に分かれてのエントリーとなる」 木村がマーカーで見取図に線を引く。

「では、ルートAは坂ヶ丘、ルートBは小架羽で四人ずつにしよう」 渡瀬が提案し、突入ルートは決まった。


 質疑応答も終え、ブリーフィングは終了。訓練開始まで解散となった。


「訓練とはいえ」 木村が渡瀬に声を掛けた。「この三人でチームを組むのは、なんだか嬉しいな」

「合同訓練も、年に数回しかないもんね」 長い髪を後頭部で束ねながら、優里が頷く。

「ああ。貴重な場面だよな」 と渡瀬は苦笑した。 

莉子(りこ)も、きっと見ている」


 木村はすっと目を細め、かつて同じ中学の同級生だった少女の名を言った。渡瀬の脳裏に、眩しい笑顔が蘇る。中学生のときは、渡瀬、木村、優里、莉子の四人でよく一緒に行動していた。何度も忘れようとし、忘れられなかった少女。銃声とともに、鮮血が散り——


「もう少しで二年か」 たまらず、渡瀬は声を喉から絞り出した。「早いよな」


 渡瀬たちが通っていた中学校で起きた襲撃事件と、それにより亡くなった少女。あれから、もうすぐ二年が経つ。


「しかし、よりによって人質救出訓練とはな……」 木村は独り言のように呟いた。優里が少し目を見開いて、木村の方を見た。

「苦手なのか?」 違和感を感じた渡瀬は訊いてみた。

「いや、そういうわけじゃない。忘れてくれ」

 

 生じた一欠片の違和感が、嫌な予感に変わった気がした。だが、さらに木村に声をかけようとしたとき、スピーカーが空気を震わせた。


(第三想定、開始十分前!) よく通る教官の声が告げた。


「おっと、ゆっくりしすぎたな」 まだボディアーマーも身につけていない木村は、優里とともに小架羽の天幕に駆けて行った。


 嫌な予感が残っているが、あまり気にしていては集中力を欠く。今は忘れよう。

 渡瀬はボディアーマーを着て、ペイント弾の入ったマガジンをポーチに入れていった。





「移動は壁沿いに行け! 撃たれるぞ」

「廊下の左右に分かれて、お互いをカバーしろ」

「曲がり角で銃身だけ出すな! 座学で何やってたんだ!」


 教官の怒声を浴びながら、ブリーフィングで決めた侵入ルートを移動してゆく。人質が捕われた教室は三階。孝は、他の三人とともにM4A1を構えながら階段を上ってゆく。怪我も完治し、体の調子は完全だった。先頭の渡瀬が二階の踊り場で止まり、廊下を警戒。その間に結城、孝、葵の順で三階に向かう。

 発砲音。

 孝の前にいた結城が撃たれた。ゴーグルに直撃。「即死だな」 と結城は両手を挙げ、階段を下ってゆく。


「結城二尉が撃たれました! 即死です」 と報告しつつ、孝は踊り場から三階に向かって反撃のトリガーを引く。ペイント弾は掃除が大変なため、射撃はセミオートのみ。


 銃撃の切れ間を縫って、一気に階段を駆け上がる。角の先で、FDT役の隊員がM4のマガジンを交換していた。

 トリガーを引く。FDT役の坂ヶ丘アルファ、岡田清二三等学尉の脇腹に命中。ボディアーマーに青色のペイントが散った。


「うえ、やられた」 岡田は悔しそうな声を出した。

「骨折。重傷だな。ここで拘束したと仮定して、先に進め」 と近くにいた教官が指示した。

「三年A組前でFDT一名を拘束。そのまま前進します」 無線で報告した孝は、目的の三年E組に向かって移動を再開した。


 A組からD組までが一直線に並び、D組の奥を右に九十度曲がった先がE組だ。孝、葵、渡瀬と続く。


「渡瀬より木村。まもなく合流地点だ」

(こちらもあと少しだ) と木村の声がイヤホンから発した。


 発砲音が聞こえた。少し離れた場所だった。


(生物室前で接敵) 木村の声と発砲音が混ざった。


 孝は、曲がり角からE組の前を索敵した。正面に、FDT役の隊員。中肉中背の体格は、佐伯誠三等学尉だろう。こちらに背中を向け、孝と反対側にいる木村たちと交戦中らしい。

 素早くドットサイトで照準をつけ、発砲。背中に命中。FDT役は、残り二人だ。

 教室前の廊下はクリア。坂ヶ丘の三人と合流した小架羽は、二人だった。木村誠司と灰川知恵。残り二人は、佐伯に撃たれたのだろう。

 ハンドサインで突入準備を整える。教室後ろのドアから坂ヶ丘、前のドアから小架羽が突入する段取りだ。

 葵がドアの前に移動し、ドアの窓から教室内の様子を伺い、ハンドサインで報告する。

 人質四名。FDT二名。全員、教室中央にいる。突入可能。

 渡瀬から指示。渡瀬と孝は突入、葵はバックアップ。小架羽の方は木村が突入、灰川がバックアップの態勢をとった。

 カウント開始。緊張の瞬間だ。孝はドアのそばで、M4を構え直す。五、四、三、二、一。

 スライド式のドアを開け放ち、教室内に踏み込む。「SDFだ! 武器を捨てろ!」

 教室中央に、こちらに向かってM4を構えたFDT役の三沢理香。発砲音。

 孝の頭に重い衝撃が走り、ゴーグルの視界が半分ほど潰れた。撃たれたようだ。孝の後ろにいた渡瀬が理香を撃つ。もう一人のFDT役、大倉友美は木村に向かって発砲したが、木村は机に隠れ、バックアップの灰川が友美にペイント弾を命中させた。

 人質は無事救出。FDTは全員拘束または射殺。SSTは八名中、死亡三名、重傷一名。

 教室で突入を見ていた教官が、評価と指導を隊員それぞれに告げる。突入時の立ち回り、タイミング、銃口と視線の同期など、指導内容も細かい。

 その後も役割を入れ替え、合同訓練は、夕方まで絶え間なく続いた。

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