第十七話:SDFキラー(前編)
改訂しました。
十二月二十九日、午後一時七分。
坂ヶ丘高校から数キロ離れた、とある廃工場に、一台の大型SUVが進入した。黒塗りのレクサスLXが、廃工場のヤードに停車すると、二人の少年が降りた。運転手は初老の男だが、こちらは運転席に座ったままだった。廃工場には、すでに彼らと同年代に見える少年、少女たちが二十人ほどたむろしていた。事務室のテーブルにはコンビニ弁当や菓子類が散乱し、その外では、数人の少年がタバコを吹かしている。
「なんだここは。辛気臭せえなぁ」 到着したばかりの少年の一人、宇田川博紀が呟いた。
その隣で、瀬戸凌馬も顔をしかめた。都心から二時間弱、高速を走る車に揺られ続け、少しはうまい空気が吸えるかと思ったのに。次の仕事仲間はこんな田舎の不良か、と凌馬は落胆しそうになった。
「なんだ、あんたら」 たむろしていた少年の一人が、宇田川と凌馬の前に立った。
少年は右手に火のついたタバコを持っていた。吐いた紫煙がかかり、凌馬は舌打ちした。
「なに睨みかましてんだテメェ!」
少年はタバコを捨てて凌馬に殴りかかろうとしたが、すぐに動きを止めた。凌馬は、コートの内側から取り出したH&K USP自動拳銃を少年に突きつけていた。「タバコは嫌いなんだよ」
「FDTは不当な規制からの自由を求め、未成年者非行防止法に抗う組織だ」
無表情に言いながら、凌馬はUSPを片手で構えたまま少年に一歩近づく。少年は冷や汗を垂らしながら後ずさる。宇田川は声を殺して笑っているようだった。
「未成年者喫煙防止法ってのは、不当な規制なのかな? ぼくはそうは思わないが」
タバコの臭いに吐き気がして、凌馬は撃ってしまおうかと思った。報告は、『素人のFDT構成員が整備中の銃で暴発事故を起こした』 ことにすればいい。だが……駄目だ。それは正しいことではないなと思い直し、USPを下げようとしたとき、事務室のドアが開いた。
現れた小太りの少年は、「瀬戸くん。一体なにを……」 と驚いたようだった。
「久しぶりですね、岡部さん」 凌馬は微笑を作り、USPを下げた。「支部会以来かな」
FDTの関東支部は、各地のリーダーやスポンサー企業の担当者などを集め、定期的に支部会を行っている。この辺りの三校を担当するリーダーの岡部義樹に、凌馬は支部会で会っていた。
「そうだね。……すまない、そいつらが何か粗相でも?」
「少し規律が緩んでいるようですね。FDT関東では、未成年の喫煙は認めていませんよ」
「ああ……そうだな。おまえたち、タバコは吸うな!」 岡部は周辺にいた少年たちに怒鳴った。「こちらは、明日の襲撃のため、支部が特別に応援として寄越してくれたお二人だ。瀬戸凌馬くんと、それから……」
岡部は宇田川を見て言葉を詰まらせた。こちらは初対面らしい。
「”SDFキラー”こと、ジャック・バウアーだ」
宇田川は、不敵な笑みを浮かべて自己紹介した。寒いやつめ、と凌馬は顔を背けた。近くで聞いていた少年たちは、「聞いたか、あれがSDFキラーだってよ」「すげぇな、今回はいけるんじゃないか」 などとざわめく。
百人を超えるSDF隊員を病院送りにしたという"SDFキラー"の噂話は、日本中のFDT構成員に広まっていた。各地をさすらい、鮮やかな二挺拳銃さばきで敵を戦闘不能にしていく……。うさんくさい噂話の正体は、親が金持ちなだけの戦闘狂のこの男だ。
親が資産家らしいが、本来の在籍校である東京の高校へはほとんど行かず、親の金で日本中を周り、FDTに加担しては戦闘に参加する。相当な馬鹿であることに疑いの余地はないが、こんな馬鹿でも日本の役に立ってはいる。
FDT関東支部付という肩書きで、関東各地のFDTに参加しているぼくも、やっていることは似たようなものだ。目的は違えど手段は同じということかと、凌馬は自嘲気味に笑った。
二人は岡部に案内され、事務室に入った。明日襲撃をかける、坂ヶ丘高校の見取り図を前に、ブリーフィングを実施した。襲撃ルート、予想されるSDFの対応、撤退方法……等々。
「この部分は不要です。これでは近隣校のSSTが援護に駆けつけ、こちらが殲滅されてしまう。早めに撤収しましょう」 凌馬は岡部が作成した襲撃案に意見を出した。
「撤収……? いや、SDF棟に籠城して人質を取り、非行防止法の違憲審査を行うよう要求するのが我々の……」
「無駄ですよ。籠城などしていてはジリ貧になるだけです」 こいつも馬鹿だな、と凌馬は吹き出したくなるのを抑えた。「まずは、段階的な攻撃でSDFの戦力を削ぐことです」
いまさら非行防止法を無くせるなどと、本気で考えているのか。単に暴力を求めてFDTに参加している不良の方が、まだマシかもしれない。だがこの男は、こういう愚直さが評価されてリーダーにまでなっているのだろうなと、凌馬は納得した。
だが、こいつは全く分かっていない。FDTが存在する理由は、いや、存在を許されている理由は、全く別のところにある。そしてぼくは、その本当の理由のためにFDTに参加しているのだ。
「この近隣のSDFの人員を可能な限り病院送りにし、抗戦不可能な状態にしなければ、籠城作戦はまず確実に失敗するでしょう。それにはまず、人員が必要です」
もっとも、籠城作戦などぼくは参加しないがな。そもそも、全てが予定調和として成り立っているこの戦いで、FDTの勝利などありえないのだ。
「なるほどな……」 と生真面目に相槌を打っている一学年上の岡部を見て、凌馬は小さくため息をついた。
※
十月三十日、午前九時。
巡回を終えた孝と葵がSST室に戻ると、理香と友美が談笑していた。M4を置きに武器庫のドアを開けると、非番のはずの渡瀬と結城がいた。
「あれ、どうしたんですか?」 孝は戦闘服の二人を見て訊いた。
「自主練だよ」 M4を手にした渡瀬が答えた。「今日は訓練も休みで暇だったからな。射撃場で六十発ほど撃ってくる」
「さすが、熱心ですね」 葵も感心したようだった。
渡瀬に続き、レミントンM24 SWS狙撃銃を持った結城も戦闘服でSST室から出て行った。
孝はM4をガンラックに戻し、武器庫を出た。SST室の一角に置かれたデスクのひとつに腰掛け、ウェスを広げる。銃器整備用に置かれたデスクだった。シグザウアーP226のスライドを外し、バレルアッセンブリーも外して汚れたグリスを拭き取る。汚れを取り除き、新しい潤滑剤を塗布していく。基本的なメンテナンスだ。
つけっぱなしのテレビの音に混じり、女性陣の会話が耳に入ってきた。
「あー、今年も明日で終わりかぁ」 と、嘆くような友美の声。
「どうしたの、何か心残りでも?」 バディの理香が苦笑する。
「イケメンの彼氏ができなかった」
「何それ」 理香は声を上げて笑った。
「うまくいかないんだよね、やっぱSSTは暴力女とでも思われてるのかなぁ」
「それはありそうね」
「でも、理香はモテてるじゃん?」
「軽薄な連中にね……。そういうのはシメてやってるけど」
「本当にやるからすごいわ」
孝は組み上げたP226にマガジンを挿入した。これで、問題なく作動するだろう。戦闘服から制服に着替えてこようと、孝は立ち上がった。
「緒方はどうなのかな?」 ソファに座ったまま、友美が振り向いた。
「え?」
「あんたも唐変木っぽいし、彼女いないでしょ」
ひどい言われようだと思いながら、孝は「ええ、まぁ」 と返した。いつもながら、頭に浮かんだことはなんでも言う人だ。
「でも、改めて見てみると、顔は悪くない……」 友美は孝をじっと見つめた。無意識に視線を逸らした孝は、制服の上からでも分かる、友美の健康的な肢体を視界に入れてしまい、今度は顔ごと背けた。
「その辺にしときなって。葵が怒るよ?」 理香が笑い混じりに言った。
「おっと、悪ノリしちゃった。ごめんね、葵ちゃん!」 友美はSST室の女子更衣室に入っている葵に向かって大きめの声を出した。
葵が激しく咳き込む音が聞こえた。理香と友美が苦笑するのをよそに、孝は足早に男子更衣室に入った。
※
午前九時三十分。坂ヶ丘高校の裏手にある小さな山の斜面で、二十数人のFDT構成員たちが集まった。雪が積もっているが、歩行できないほどの量ではない。裏山の途中までスポンサーの車で運ばれた彼らは、戦闘服にボディアーマーを着込み、自動小銃で武装していた。
「全員いるな?」 岡部はAK-102を手に、構成員たちを見回した。
「もちろんです、隊長殿」 宇田川が真っ先に返答した。両手に、二挺のモーゼルC96が握られている。
「アサルトライフルはいいのか?」
「おれの得物はこれだけですぜ」 宇田川はモーゼルC96を掲げて見せた。
まさか、本当に二挺拳銃使いとは。漫画や映画では派手な演出となるが、実際の銃撃戦で合理性があるとは思えない。凌馬は眉につばをつけて聞いていたが、宇田川の戦闘を見るのはこれが初めてだった。モーゼルにしても、もはや骨董品と呼ぶのが正しい代物だ。ゴールドメッキされ、フレーム全体に彫刻を入れたセンスは最悪としか言いようがないが、メンテナンスは金をかけてきちんとしているのだろう。そうでなければ、SDF相手にこれまで戦い抜いてこれた説明がつかない。まぁいい、SDFキラーとやらの戦い方を見せてもらおうと、凌馬はAK-102を構え直した。
「A班は瀬戸くんと正門。B班は宇田川と裏口、C班はおれとグラウンドから侵入する。状況開始だ」
「了解!」
FDT構成員たちはAK-102を構え、一気に斜面を駆け下りた。
※
その、数分後。坂ヶ丘高校全体にベルが鳴り響いた。侵入者を検知したHSRS(高校警備通報システム)が作動したのだった。SST室のモニターに侵入箇所と人数が表示される。正門に七人、裏門に八人、グラウンドに八人。
「なんか来やがったわね……」 友美が唸り、素早く武器庫に入る。孝と葵も続いた。
「渡瀬、聞こえる?」 理香は無線を取っていた。
(ああ、ヤバそうだな。弾はそこそこ持ってるから、そのまま迎撃に行けるぞ)
「じゃあ、グラウンドをお願い。用具庫の辺りから八人ほど向かってきてるわ」
(分かった)
理香も武器庫に入る。「敵の人数多いわ、M4で出ましょう」
「緒方と葵は三階から裏門の敵を狙って。友美はあたしと正面玄関に」
「了解」
「待機室、誰かいる?」 続いて、理香はSDF待機室の普通部隊に呼びかけた。警備に四人ほど待機しているはずだ。
(第二小隊、北川です。待機の四人全員揃っています。状況はこちらでも確認しました)
「オーケー。では二人は裏口、二人はSDF棟の守備について」
(分かりました)
戦闘服に着替える時間はない。制服の上からボディアーマーと抗弾ヘルメットを身につけ、M4に弱装弾が装填されたマガジンを挿入した孝は、M24を持った葵とSST室を飛び出した。すでに、銃声が響き始めていた。
※
「ショータイム!」
校舎を背に野球のバックネット裏で銃を構えた渡瀬と結城の耳に、そんなふざけた声が入ってきた直後、連続した銃声が鳴り始めた。こちらには、まだ気づいていない。乱射しているだけだ。
「見えるか、結城」 渡瀬はM4を構え、グラウンドの端を駆けてくるFDT構成員を視認した。
「ああ」 結城は伏せ撃ちの姿勢でバイポッドを展開したM24を構え、スコープを覗く。「アサルトライフル所持、発砲確認」
「よし、射撃を許可する」
「射撃許可」 M24が火を噴く。FDTの一人が足を撃たれて転倒した。攻撃に気づき、他の構成員らは一斉に身を隠した。
結城の死角にいる構成員に向けて、渡瀬もトリガーを引いた。セミオートで二発、ボディアーマーに命中。他の構成員に引きずられて用具庫の裏に隠れる。
これでこちらの場所がバレた。案の定、バックネットの基礎部、コンクリート壁に銃撃が集中した。渡瀬は一度身を隠した。すぐそばを、銃弾の雨が通過してゆく。射撃モードをフルオートに変更し、弾幕を張る。「何人やった?」
「最初の一人だけ。あとは死角に逃げられた」 身を隠している間に、結城はM24の固定式弾倉に七・六二ミリ弱装弾を込める。
「ここはあと六人か……」 渡瀬は呟き、さらに弾幕を張る。
積もった雪が邪魔で、見通しが悪い。このまま持久戦になると、弾がなくなる。まずいな、と渡瀬は嫌な予感を覚えた。最初のマガジンを撃ち尽くし、ボルトストップがかかった。手持ちのマガジンは、あと三個。
FDTは物陰に隠れながら、着実に校舎への距離を詰めてきている。もっとも近いやつは、ここから五十メートルも離れていないだろう。
「出てこい! SDFキラーが相手だ」
そんな怒鳴り声が聞こえ、渡瀬は耳を疑った。SDFキラー、聞いたことがある。日本各地を転々とし、FDTに参加している正体不明の高校生だ。
「駄目だ、ここからじゃ狙えない」 結城の声に焦りが滲んでいた。
「見えた」 渡瀬は、SDFキラーを見た。両手で拳銃を構え、フルオートで発砲してきた。マシンピストルだ。
M4で応戦する。フルオート射撃。肩に反動の衝撃が走り、白い雪に空薬莢がばら撒かれていく。SDFキラーは俊敏な動きで銃撃から身を隠し、射撃の合間を縫って移動してくる。実戦慣れしている感じだ。
「このままだとまずい。SDF棟まで後退しよう」 渡瀬は結城に声をかけた。
「分かった」
「先に走れ。援護する」 渡瀬はM4を構え、トリガーを引き絞った。連続射撃で発熱したM4の機関部が、かじかんだ手を温めた。