第十六話:忘年会
改訂しました。
十二月二十六日、午後五時四分。
「山田三曹、入ります」
訓練を終えた隊員たちが集うSST室に、三等学曹の肩章をつけた女子生徒が入ってきた。「来週の警備ローテーション表をお持ちしました」 と、ポニーテールの女子はA4判の当直表を渡瀬に差し出した。
「ああ。ありがとう」 と、ソファに腰掛けていた渡瀬は紙を受け取る。
「では、失礼します」
華奢な女子は、ぺこりと一礼して踵を返し、SST室を出て行った。彼女は、SSTでも普通部隊でもなく、事務職種の隊員だ。
SDFの採用枠は、戦闘職種と事務職種のふたつがあり、志願者はそのどちらかを選んで採用試験を受けることになる。事務職種は、普段は監視カメラのモニタリング、予算管理、警備計画の作成、司令の補佐業務などを行う。戦闘時には後方支援業務、すなわち弾薬を戦闘中の隊員に補給したり、負傷者を手当てしたりする仕事もある。定員は少なく、事務職種は女子生徒がほとんどだ。
給料は、危険な戦闘職種の方が高い。それでも、収入は必要だが、戦闘などで重軽傷を負うリスクを少しでも減らしたいという生徒は多く、事務職種の競争率は高いという。
「お待ちかねの年末年始分だな」 渡瀬はローテーション表をホワイトボードに貼り付けた。近くにいたSST隊員たちがそこに集まる。
「元旦の朝からか……」 普段あまり感情を表に出さない結城が、顔をしかめた。
年末年始は休暇申請を出している隊員も多く、バディが揃わずバラバラなメンバーになっている部分もあった。
「年越しかよ……」 孝はぼそりと呟いた。十二月三十一日午後六時から、一月一日午前六時までの年越し警備に、自分の名前を見つけてしまった。
年末年始は休暇申請を出して実家に戻ろうかと思っていたが、父が一日まで仕事で不在らしく、孝は二日から五日まで帰省する予定にしていた。帰省といっても、鉄道とバスで一時間少々ではあるが。実家の近くにまともな進学校がないということが、孝が一人暮らしをしている理由だった。実家は辺鄙な場所にある。
元々は家族で都市部に住んでいたのだが、孝の兄が殉職してから、母が精神的に不安定になり、母の実家近くに引っ越したのだ。父は今も自家用車で二時間かけて通勤している。孝も実家を離れたくはなかったので、実家からバスで三十分の高校に行こうとしていた。だが、クラスでも上位だった孝の成績を見た祖父母の強い奨めにより、実家を離れ、この県立坂ヶ丘高校に進学することになった。曰く、「わざわざ可能性を捨てることはない。本当に行きたい所に行きなさい」 と……。
「ブラボーは今日忘年会だから、遅れるなよ。三年の先輩方も来るからな」 渡瀬が隊員らを見回しながら言った。
そうだった、と孝は思い出した。SSTの忘年会は、警備に穴ができないようアルファとブラボーで分けれて行われる。今日はブラボーで、明日はアルファの予定だった。十月いっぱいで引退した三年生らも参加することになっている。
孝は素早く銃の整備を済ませ、武器庫に戻し、制服に着替えた。更衣室からSST室に戻ると、時間は午後六時になっていた。忘年会の開始は六時半。今から向かえば、余裕を持って到着できる。場所は、坂ヶ丘高校から徒歩十分の串焼き屋だ。
葵は夕食を食べるテツの頭を撫でたりしていた。渡瀬は、結城と何やら話し込んでいる。
「あの、そろそろ移動しますか?」 孝は渡瀬と結城に声を掛けた。
「そうだな。もう少ししたら、おれたちも行く。場所は分かるか?」 渡瀬が訊いた。
「ええ」 前にクラスの友人らと行ったことのある店だった。
「そうか。中原は場所知ってるか?」
葵が振り向く。「いえ……初めて行くとこなので」
「じゃあ、緒方と一緒に先に向かってくれ」
「分かりました」
葵はロッカーから自分の通学鞄を取り出し、ブレザーの上からコートを着た。
孝と葵はアルファ・チームの面々に「お疲れ様でした」 と声を掛け、SST室を出た。SDF棟から出て、グラウンド脇の校内道路を歩いて正門へ。うっすらと雪が積もっていた。
しばらく、無言で歩いていた。クリスマス事件のあたりから、孝はなんとなく葵との間に壁を感じていた。普通に会話はするが、どこかそっけない気がする。
気のせいと言われれば、気のせいかもしれないが。そもそも、SST選抜試験で知り合ってから、まだ半年も経っていない。この中原葵という人物について、おれはまだ知らないことの方が多いのだろうな、と孝は思った。
正門から校外へ出る。歩道を歩いて、串焼き屋に向かう。
葵がなぜSDFの戦闘職種を志したのか、その理由も聞いたことがなかった。中学は陸上部だったと聞いたことがあるが、わざわざ危険なSDFに入ったのは、何か理由があるはずだ。ありがちなのは、金銭的に困って、というものだが、この少女がそんな理由で銃を持って戦っているのだとしたら、それは悲しいことだろう。
そんなことを考えながら、俯き気味に歩く葵の横顔を見た。今さらながら、すっと整った顔立ちだ。文化祭のときに葵と一緒にいた坂部のように、言い寄る男子生徒がいるのも不思議ではないだろう。目が合いそうになり、孝は慌てて視線を前に戻した。
「そういえば」 突然葵が声を発し、孝は再びそちらを見た。彼女は少し先の地面を見つめたまま、こちらと視線を合わせない。「クリスマスは、楽しかったかな?」
「うん」 美奈の誕生会兼クリスマス会を思い出した。「まぁ、盛り上がったよ」
「へぇ……」 と、葵は若干声のトーンを落としたようだった。
交差点で、横断歩道を渡る。融雪装置が作動しており、雪がぐちゃぐちゃになっていた。車道を越えると、運動公園に入った。ショートカットできるルートだ。
「でも、意外だったなぁ。全然そんなそぶりなかったし」 何か吹っ切れたように、葵はこちらを見た。
「え?」
意味が分からず聞き返すと、葵は畳み掛けるように続けた。
「誰か聞いてもいい? 同じクラスの子?」
「……何か、勘違いしてるぞ」
「え?」
「二十四日はクラス委員長の誕生日会兼、クリスマスパーティーだったんだ。同じクラスの七人で」
「……あ、そう」
葵は俯き、足を止めた。孝も立ち止まる。
次の瞬間、全身に衝撃が走り、孝は地面に倒れた。公園の芝生と、その上に十センチほど積もった雪が、ほどほどに衝撃を吸収してくれたが、孝は全身雪まみれになった。頬に直接触れた雪が、ひんやりと冷たい。
葵に突き飛ばされたのだった。孝は「なんだよ!?」 と抗議の声を上げたが、彼女は「なんでもない。手が滑った」 とだけ返し、そのまま背を向けて歩き出す。
理不尽さに納得がいかず、急に怒りが湧き出た。孝は雪を軽く握って雪玉を作り、「手が滑るかよ!」 と葵の背中めがけて投げた。一発目は、小さな背中に命中。素早く作った二発目も背中を狙ったつもりだったが、こちらを振り向いた葵の顔面に命中した。
雪玉が砕け、葵の顔が雪まみれになった。孝はしまった、と思ったが、葵は顔の雪を拭うこともせず、立ったままだった。微動だにしないので、孝は「中原はどうなんだよ」 と訊いてやった。
葵は手袋をはめた両手で、顔の雪を払った。「どうって、なにが?」
「文化祭で一緒だった、坂部ってやつ」 自分でも、なぜそんなことを訊いているのか、分からなかった。
「どうって……」 と、葵は目を見開き、少し眉間にしわを寄せた。「ちょっとウザいかなぁ」
「は?」 予想外の言葉に、孝は口を半開きにした。
「入学当初からよく声かけてきて、興味ないから断り続けてるんだけど。お化け屋敷のときも情けなかったの、見たでしょ?」
そう言った葵が苦笑するのを見て、孝は声を上げて笑った。葵も吹きだすように笑い出し、しばらくの間、二人の笑い声が公園の空気を震わせた。
※
午後六時三十分。三年含む六人が揃った串焼き屋の一室で、SSTブラボー・チームの忘年会が始まった。
「では、皆さん」 と言った幹事の渡瀬に続き、それぞれがソフトドリンクのグラスを持った。
「本日は、お忙しいところお集まりいただき……」
「固いぞ!」 隣の浦波が、渡瀬に軽く肘鉄を入れた。一同が爆笑する。
そうして始まった忘年会は、それなりに盛り上がった。食べ放題の串焼きが次々と運ばれ、グラスもすぐに空になってゆく。
「六人が一気に引退して、警備とか大変だろ?」 浦波がペプシのグラスを手に訊いた。
「そうですねぇ。夜間警備の日数が増えましたから」 渡瀬は牛タン串を頬張る。
「来年かな、新型SSRSが導入されるらしいけど。それで負担も減るといいね」 高林が言った。
幼稚園から大学まで、すべての教育施設に設置が義務付けられたSSRS(学校警備通報システム)は、数年おきに更新され、より高度なものに進化している。SDFが置かれている高校では、特にHSRS(高等学校警備通報システム)と呼ばれるものが置かれており、侵入者をいち早く検知し、SDFの行動を迅速にするだけでなく、警察やSDF管理局への通報、近隣高校SDFへの救援要請など、様々な面で役に立っている。
首都圏で先行導入されている最新型は、従来のものと比べ半分の人数での警備を可能にしているという。これは、他校SDFへの救援要請を効率化するとともに、学校の防護ドアと抗弾ガラスを強化し、さらに施錠を一元管理することによるものらしい。
「その前に新人が入ってくるかもしれないけどな」 と浦波。
「まさか一年が二年連続で二人も入ってくるとは思ってなかったからなぁ」 高林は孝と葵を見た。
「去年も二人だったんですか?」 葵が訊いた。
「うん。渡瀬と三沢の二人」
「へぇ……」 孝はしいたけ串を食べながら聞いていた。
「じゃあ大倉さんは?」 SSTの選抜試験は年一回だけだから、大倉友美がいつSSTに入ったのかという疑問が出てきた。
「大倉は転校してきたんだ。親が転勤族らしい」 渡瀬が説明した。
「あれ、三年連続じゃありませんか?」 烏龍茶を飲んでいた結城が口を開いた。「浦波さんと上木さん」
「ああ、確かにそうだね」 高林が頷いた。
「あいつはちょっと別格だからなぁ」 と浦波が呟くように言った。
「別格なんですか?」 と葵。
「親父さんが陸自の偉いさんで、小さい頃から英才教育を受けたエリートってやつ。徒手格闘もやってたし、毎年海外で射撃訓練までしてたらしいぜ。あえてSSTの狙撃課程には行ってなかったが、狙撃手の黒部よりも射撃の腕は上だったからな」
「すごい……」 孝は食べる手を止めて聞いていた。
「おれもあいつも防大志望だけど、あいつは幕僚長まで行きそうな気がする」 と浦波は苦笑した。
馬鹿騒ぎするようなタイプの面々でもなかったので、その後も落ち着いた雰囲気で時間が過ぎていった。二時間の食べ放題が終わり、忘年会は解散となった。浦波は「あとは現役メンバーで楽しんでくれ」 と言い、高林とともにバス停の方に向かった。おそらく、帰ってからも受験勉強があるのだろう。
残った四人で、近くのゲームセンターに入った。他に遊べそうな場所が近くになかったのだが、四人とも普段あまりゲーセンには来ないため、何をするか迷った。
レースゲームや射撃ゲームで遊び、午後九時過ぎには解散となった。