第十三・五話:三年引退
追加しました。
十月十五日、午後四時。
少し強めの雨が降り、運動系の部活動がこぞって校舎内でのトレーニングを行っている中、グラウンド外周のランニングコースに複数の人影があった。
「まだ遅い! ペース上げろ」
コース脇で仁王立ちし、ストップウォッチを持ったレインコート姿の浦波和樹が太い声を出す。その目前を走って通過した孝は、戦闘服にボディアーマー、抗弾ヘルメット、手にはM4A1という完全装備だった。雨にずぶ濡れになりながら、「はい!」 と声を絞り出し、走り続ける。
数十秒遅れて、葵が浦波の前を通過。孝と同じ完全装備だった。ストップウォッチを確認した浦波は「遅い! フラつかずに走れ」 と怒鳴る。小柄な体躯が「はい」 と背中で返事をするが、若干足元がおぼつかない。
射撃場からSDF棟に戻ろうとしていた数人のSST隊員が、少し離れた渡り廊下からその様子を見ていた。
「いつもより熱が入ってるな、浦波のやつ」 アルファ・チーム班長の三年、上木彰介一等学尉が呟くように言った。
「もう何周目だろう。二人とも、ぶっ倒れないといいけど」 副班長の三年、柿山裕作二等学尉がその隣で返す。
上木は、浦波と同時にSSTに配属されたSDF隊員だった。三年に上がるまでバディを組んでいたので、互いに性格も良く知っている。最近、浦波が普段より厳しく訓練指導にあたっているのは、一刻も早く新人を一人前に近づけるためだ。上木たち三年のSDF隊員は、今月一杯でSDFを引退することになる。大学受験が近づいているためだ。非常時には呼び出しを受ける可能性もあるが、あくまで予備役だ。
SDFの中でも少数精鋭のSSTは、人員が減ることによる影響が大きい。現在十四人いる坂ヶ丘高校のSSTは、来月から八人になってしまう。
さらに、その八人のうち三人は、七月にSSTに配属されたばかりの新人だ。練度はまだ低く、早急な能力アップが必要となっていた。二年の岡田は修学旅行に行っているため、今日は緒方と中原の二人が浦波の特訓指導を受けているというわけだ。
「しかし……おれたちもいよいよ受験か」 勉強、訓練、警備、そして実戦。多忙な生活に追われ、気がつけば三年になっていた。我ながら、よく体調も精神も崩さずにやってこれたものだ、と上木は思った。怪我や精神病で入院したSDF隊員を、上木は何人も知っている。
「上木はどこ受けるんだ?」
「防衛大」
「ほお」
陸自の幹部自衛官を父に持つ上木は、物心ついたころから同じ道を志していた。駐屯地の創立記念行事や富士の総合火力演習には毎年行っていて、自然と興味を惹かれていったのだ。自衛官になる上で役に立つと思い、中学までは柔道や剣道を習っていたし、レンジャー教官資格も持つ父から直々に徒手格闘の手ほどきも受けている。
そんな上木が、高校でSDFに志願したのは当然とも言えた。体力作りになるのは当然のことだが、実戦を前提とした知識と技能を習得できるし、自衛隊の採用試験ではSDF隊員だった学生を優遇する制度もある。
入隊してからも、座学・訓練ともに全力で取り組んだ。結果、SSTの選抜試験も合格できた。自分の努力の結果だと、上木は自負している。おれはそれに見合うだけの努力を積んできたと、自信を持って言える。
そういう人間もいれば、浦波のようにずば抜けた身体能力を買われてSSTに入る者もいる。中学ではサッカー部だったが、才能不足で続けるのは諦めた、と本人は言っていた。恵まれた体躯はSDFで必須の徒手格闘でも役に立ち、入隊してしばらくすれば、小さい頃から武道を続けている上木と同レベルにまで上達した。
ライバル視……いや、嫉妬かもしれないな、と上木は思った。同じように昇進し、それぞれ一等学尉としてアルファとブラボーの班長になっている現在も、この心境は変わらない。
「柿山は?」
「おれは普通に国立大狙い。SDF入ったのも、学費を稼ぐためだったからな」
SDFの志願理由として、それは珍しいものではない。日本でも貧富の格差拡大が叫ばれるようになって久しいが、学費の問題で大学に進学できない高校生は、年々増え続けていると何かのニュースで見た記憶がある。SDFは、そういった学生にとって魅力的なのだ。危険であっても、普通のアルバイトよりはるかに多い額を稼ぐことができる。
学費の心配などしたこともなかった上木は、自分が恵まれた環境にいることを改めて感じた。少なくとも今は、自分が望んだ場所で、自分が望んだことをできている。
ふと、手にしたM4A1自動小銃に視線を落とす。
給料を稼ぐため、持ちたくもない銃を持って戦っている高校生が大勢いる。それが今の日本なのだ。
※
SDF昇進試験は四月と十月の年二回行われる。今年は十月後半の週末を使い、前半は筆記試験、後半は実技試験。この試験の結果によって、十一月からの新編成が決まる。普通部隊であれば小隊長や分隊長、SSTであれば班長などの役職も、この試験結果に普段の勤務評価を加味して決められる。
三年生は受験や就職活動のため引退するので、この十月の試験では教官役に徹する。最後の大仕事とも言えた。
実技試験は、射撃や格闘、逮捕術といった基本的なものに加え、実戦形式の戦闘訓練も行われた。
今回の試験結果をまとめた坂ヶ丘高校SDF司令兼体育科教師の倉田は、「悪くないな」 と呟いた。SST要員が優秀なのは当然だが、普通部隊の練度も高い。
普段の実戦的な訓練が増えていることに加え、実弾訓練の回数も増えた。訓練要綱はSDF管理局の上層部が決定するが、やけに予算が潤沢だな、というのが倉田の感想だった。
自衛隊や警察では、実弾訓練の不足が問題視され続けているというのに……。
逆に、FDTも装備の向上が目立つ。地域によってバラツキはあるものの、この関東圏では、主要装備のAKは100シリーズが標準となりつつあるし、弾薬も良質な物を使っている。
それに伴い、SDFとFDTの戦闘は激化傾向にある。全国の死傷者数も、前年同期より十五パーセント増加していた。四十七都道府県で唯一、以前とほとんど変わらない厳格な銃規制を維持できているのは、今や北海道だけ。あと三年ほどで迎える定年を過ぎたら、安全な北海道へ移住するか……。
余計な考えを振り払った倉田は、十一月から更新される部隊編成の原案作成に取り掛かった。
まずはSSTから。アルファとブラボーで人員の入れ替えはせず、バディもそのまま固定。二年からそれぞれ新班長と新副班長を選出。八人だけなので、SSTの編成表はすぐ完成した。
アルファ・チーム
三沢理香 二等学尉 班長
大倉友美 三等学尉 副班長
佐伯誠 三等学尉 狙撃手
岡田清二 三等学尉
ブラボー・チーム
渡瀬智久 二等学尉 班長
結城翔一 三等学尉 副班長 兼 狙撃手
緒方孝 学曹長
中原葵 学曹長 狙撃手
なかなか面白そうなメンバーになったな、と思いながら、倉田はパソコンから編成表をプリントアウトした。次は、普通部隊。こちらは三個小隊で五十人近くになる。時間がかかりそうだ……。