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【連載】今生も灰かぶり  作者: 春野 今
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第2話


 □

 

「シエラ、突拍子もないけれど他には誰も知らないような秘密を交換しない?」

 

 そう、私に微笑みかけられたのはエリザベス殿下ことエリー様だ。

 キャスケットにその豊かな夜空色の御髪をすっぽりと隠され、地味なマントを羽織られた姿である。

 隣国への嫁入りという、正しく花嫁行列の最中なのだが、隣国は新王が立ってまだ日が浅く情勢が不安定なので、ご身分を隠されて少しでも安全に入国するために呼び名を変え、地味な装いをしていただいているのだ。

 何せ嫁ぎ先は新王。

 この新王のお隣にお届けするまでは、エリー様は親戚の元へ身を寄せられる、とあるご令嬢ということになっている。王女殿下にも関わらず大々的なパレードで出国、旦那さまの元へ輿入れ、とできないのはひとえに国政が不安定かつ治安がまだあまりよろしくないからだ。

 新王が即位するまでにはそれなりに熾烈な骨肉の争いがあり、権謀術数奸計渦巻く国にて薄氷を踏んで生き抜き、見事玉座を勝ち取ったセオ陛下は、最終的に戦でもって兄を破ったのだが。この兄がなんと命からがら逃れているのだ。

 そして、往生際悪くもいまだ起死回生のチャンスを伺っている。どこかで。

 そんな折に嫁いでくる他国の姫など、標的にしかなりえない。

 そもそも前王の時代から国情は荒んでいて、貧富の差も激しい国である。新王の人柄は決して悪くないが民草にまだ浸透しておらず、そもそも金持ち王族と見れば石を投げて襲え、というのが国境沿いの有様だ。

 世紀末か。

 いや、この世界に世紀末なんて概念ないんだけど。

 とやかく言っても、婚儀の日取りは決まってしまっている(もたもたしてるとどこの国に先越されるか分かんないしね)ので、護衛する我らとしては出来る限りの対策をして臨んでいる。

 乗る馬車は満席の乗り合い風を装い、王女殿下の親衛隊こと精鋭の護衛チームはそれぞれ充てがわれた役らしい服装に身を包んだ。ちなみに私は、お嬢さんにお仕えする下男役だ。女二人寄れば危険、という隊長の判断である。

 だが。

 

「お嬢さん、シエラって呼ぶのはやめてもらっていいですかね……」


 シエラは女性名だ。男性名として「シエル」を用意してもらっているが、エリー様は素知らぬ顔である。


「あら、いいじゃない。あなたってば本当に綺麗な顔してるんだもの。妹になってほしいくらいだわ」

「はぁ……」


 一応下男なんで、妹はちょっと。

 この提言もどこ吹く風である。上つ方の耳は時として下々の言葉がこれっぽっちも入らないらしい。

 

「じゃあ、私の秘密からね」


 エリー様はいたずらっぽく笑って私の耳元に口を寄せられると……ってほんと真面目にいい匂いすんなこの人。多分今生、いや前世まで含めて遡ってもこんなにいい匂いがする人は他に知らない。

 ちょくちょくメルには「エラは時々おっさん入るよな」と言われてきたけど、今は否定しない、できません。

 吐息が頬をかすめるほど距離を詰められ、身体がうっかり動かなくなる。

 男だったら大変なコッチャになってたな、と思って目の前で他人の振りして座っている同僚を見ると、真っ赤な顔でこっちをチラ見していた。気持ちは分かる。

 このお姫様、おっぱいもなかなかのボリュームで、それが私の腕に当たっていて。

 巨乳は世界を救う。なのに腰は折れそうなほど細いってどうなってんだ、王族。

 そんなワガママボディに密着されて耳打ちなんてされた日にはもう、それだけで“秘密”の花園の完成ではあるまいか。男装しているとはいえ、ついでに自画自賛とはいえ今生の私はそこそこの美少女なわけだし。

 そんなお姫様の“秘密”とは一体。なお、秘密のやり取りについては忠実な下僕たる私に拒否権はない。

 黙って“秘密”を待つこと少し。エリー様は砂糖菓子のような甘やかさで囁かれた。

 

「私の初恋、実はラートなのよ」

 

 はあ。

 ん? ラート?

 え? まじで?

 ラート、とはうちの隊長の名前だ。

 聞いてしまった瞬間、私の周囲から秘密の花園の雰囲気は吹っ飛んだ。

 エリー様とは親子ほども年が離れて、というより事実、王陛下と隊長は同い年である。

 恋バナという点では花園の会話に相応しいはずだが、私の気分的には「実は公表されている姉弟の他に倍は家族がいるのよ」とでも言われた感じだ。だって、ほぼオーガだぞ。あのおっさん。概ねそんな感想が脳内を駆け巡る。オーガは日本人的な表現をすると、地獄で獄卒でもしていそうな角の生えた巨大な赤鬼だ。隊長ごめん。

 

「……本当ですか?」

「本当よ。教える秘密が嘘じゃつまらないでしょう。あの大らかで温かい笑顔にずっと惹かれていて、エリーという愛称も私がねだってつけてもらったのよ」


 昨日から厳命されたエリー様への呼称の変更、まさかの命名、隊長か。

 ちなみに目の前の同僚はごくごく小さい声で「おおらか?」と呟いていた。

 確かにあれは大らかという大雑把という。部下はその雑さに苦労させられているだけに、怪訝になるのも頷ける。というより、私も激しく同意だ。禿同ってやつ。

 

「あら、信じてないわけ?」

「い、いえ、そういうわけではなく」

 

 うっかり真顔になったせいで、ぷう、とむくれたエリー様に見上げられる。私が女にしてはそこそこ上背があるほうなので、エリー様に見上げていただく形になってしまうのだ。この、美少女の上目遣いの破壊力たるや。もう、色気がすごい。色気と可愛さの超融合。うちの姫様最強。これを嫁にもらう男、すげえなぁ。いけ好かない下卑た好色爺とかだったら叩き斬ってやったのに、並ぶと対の人形みたいな夫だから如何ともし難い。

 と、セオ陛下の御姿を思い出して、はっとする。そういやこの人の旦那になる御人はオーガというよりエルフ寄りだ。ということは、隊長とは似ても似つくはずもなく。

 

「セ……許嫁殿とあまりにも正反対じゃないかなって思いまして」

「ふふ、そこは認める」


 不敬を承知で、それでも我慢できずに感想が口を衝いた。幸いにしてエリー様は意に介すことなく笑って頷かれたが。いや、だってさ。なまじセオ陛下を知っていると、どうしても隊長と比べてしまうと思うんだ。

 セオ陛下は、メルと同い年でエリー様と私より一歳年下だ。そして市井に身を置いて過ごされた機会も多く、決して色んな意味で弱くない方だがパッと見は華奢に見える御仁である。

 対してうちの隊長は、オーガと言えばいいのかトロールと言えばいいのか。どちらで例えても本人に聞かれれば殴られること請け合いなのだが、隊長の人となりを知る人が聞けば「どっちだろうね……オーガかな?」と一緒に悩んでもらえるような感じの大男なのだ。

 性格も、セオ陛下は為政者として有能な方ではあるものの基本は愛想がなくて無口……もとい、えっと朴訥なお人柄だが、うちの隊長は一挙一動大体うるさいしいちいちやることなすこと豪快がすぎる。有り体に言えば似通っているところは微塵もないのだ。対極と言ってもいい。

 それがどうして。

 何故にここまで驚くかといえば、実はこれは両国内でも知っている人は殆どいない話だが、政略も込みではあるもののセオ陛下とエリー様は思い思われてのご成婚なのだ。つまりは両思いの恋人同士なわけで。セオ陛下はエリー様が得られないのであれば我がウェリタス国とは同盟を結ばないとまで公言されている。

 エリー様もセオ陛下以外に嫁ぐくらいなら修道院に行かれるとごねたことがあると風の噂で聞いたことがあるが、そもそもこのお二人の婚約はコミティスの王位継承戦の少し前に流れているのだ。

 それを互いの気持ちと、メルの後押しが政略にまで持ち込んで、めでたく今回結婚となっている。もう少しすれば、多少脚色されて市井に「理想のラブストーリー」とかいうお触書で出回りそうな話だ。

 本人達が語るには「子供の頃からずっと培ってきた愛」。

 まさか、その間にうちの隊長が挟まっていたとは、青天の霹靂にも近い衝撃だった。

 だってこう、何度でも言うけど初恋泥棒的な雰囲気ないんですって、うちの隊長。男に惚れられるタイプの男で、一般的に女性には「汗臭い」と煙たがられそうっていうか、少なくとも幼気な少女がぽーっとなりそうな感じは一切ない。

 素直に考えれば、普段オーガを見慣れていたところに当時王道美少年だったであろうセオ陛下が現れて鞍替えしたというところだが、エリー様は美形を見慣れている。というより、彼女の側近ではオーガのほうが希少種だ。エリー様はそもそも家族の大体が美形だからな(王族は美人の嫁を娶ることが多いせいだろうか)。

 メルいわく、セオ陛下とエリー様は長く婚約関係にあったものの逢瀬は十歳頃から始まったらしいけど、なんならその三年後くらいからコミティスの玉座争い含める戦争が終わった去年の暮までは婚約関係が途切れていたわけで。

 あれ、そんな熱烈な愛を育む隙なくない?

 だって、十歳から十三歳だよ? 婚約破棄当時、セオ陛下は十二歳。どちらかというと、まだ初恋も知りませんみたいなお年頃では。

 疑問は次から次へと湧き、最初に流れた恋バナの空気が戻ってきた。

 

「いつ、その、隊……ラート殿から婚約者殿へ?」


 不敬を重ねて、再び素朴な質問が私の口から飛び出した。

 目の前の同僚の腰が浮きかけるが、エリー様が頬を染めて「え、それはね」と応じてくださったので天誅は免れる。どころか、語ってもらえるとなったら聞き耳を立てる気満々じゃないか。解せぬ。それでも見ず知らずの他人に扮している同僚に声をかけるわけにもいかないので、エリー様を見つめ――

 

「泣いて乞われたとき、からかしら」


 ぶっ。

 派手に吹き出したのは私ではない。耳を大きくしていた同僚である。

 いや、気持ちは分かるけどね。

 

「泣かれたんですか、婚約者殿」

「ええ、それも大号泣」


 エリー様は語尾にハートマークでも付きそうなイントネーションで暴露なされた。とてもいい笑顔だ。可愛い。そしてドSか。

 

「ほら、あの人が一度市井に隠れたとき。一度婚約が解消されたじゃない? 最後の定期交流会のときにはもう彼の中では色々決まってたみたいで、庭園を並んで歩いているときに今回が最後かもしれないって言われたのよ。だから私も、そうですかって返したんだけど、私の言葉を聞くなりこう、ぽろっとね。その後は決壊したみたいにボタボタ涙が出てきて」


 どことなくうっとりとされた表情で思い返されているが、私(と、多分同僚も)の脳内には褐色の精悍なお顔立ちをされたセオ陛下が浮かんでいる。きっと超真顔で。この世界の人々に分かってもらえないのが心苦しいが、セオ陛下はロボットのほうがまだ表情豊かなんじゃ、と思わせる人だ。

 あの、意識がありながら内臓ぶちまけても表情一つ変えず、兄から送り込まれてきた美人局には最近ハマっている建築様式について淡々滔々と語り通して無自覚のうちにお触りさせぬうちに追い返したセオ陛下が?

 友軍である我らの間でその人間味のなさから「自動人形」とまで言わせしめたセオ陛下が? 本当に? つか、あの人に涙腺なんてもの搭載されていたのか。

 いや待て待て落ち着け。言うても子供の頃の話。我らが知らないだけで、かの方にも表情豊かな時代もあったのでは。

 私達の逡巡など意にも介さず、エリー様は続けられた。

 

「自分はとても嫌だけど、貴女はそんなことないのかって。まさか政略結婚で想われてるなんて考えてもみなくてね。一緒にいてもにこりともしていただいたことはなかったし。涙を見たら絆されたとでも言えばいいのかしら。それまでは確かにラートを目で追っていたのよ。ちょうどその日、躓いたところを抱き上げてもらって夢見心地だった。……でも、会えなくなるって話をして涙を拭うこともできなくなったあの人を見ていたらつい、口が滑って心ではいつもお待ちしてますって言ってしまって」


 今に至ると。

 ではむしろ、離れている間に育まれた愛なのか。

 はあ。

 盛大にのろけられたことは分かる。でもうん、やっぱ若者の恋ってすげえなぁと思ってしまった。

 というか、ここまで聞いているとお互いそれなりに美化されてそうだけど、結婚生活はそれで大丈夫なんだろうかとか思ってしまう。老婆心的に。

 私には記憶だけで言えば、結婚生活の先輩である。

 庶民的な二人きりでの生活で、生活様式を歩み寄って家事分担してなんていう課程があるわけではないだろうが、習慣の不一致とか理想の食い違いから家庭内不和なんてのは結構ある話だぞ。

 まあ、そんなこと言ってられる御身分でもないんだろうけど。でも、まだまだ不安定な世界情勢の中で、信じていたお互いの愛さえ脆かったらしんどいなんてもんじゃないんじゃなかろうか。

 だって、まだ十七歳だよ?

 私は肉体年齢こそエリー様と同い年だが、認識している前世まで含めてしまうと精神年齢四十路オーバーだ。隊長とほぼ同世代である。

 

「そういうあなたは、メルとはどうだったわけ?」


 目を輝かせてエリー様は乗り上げてこられるが、どうもこうも何もない。

  

「仰る意味がよく分かりませんが」

「もう、ごまかさないで。酷いことを言うと、本当は貴女がメルと婚約するはずだったと聞いたのよ」

「それこそ根も葉もない噂ですよ。私は現当主夫妻からすれば目の上のたんこぶでしたし、メル……様には想い人がいらっしゃる。その様子を間近で見ていて、手柄を立てたからといって間に割って入るほどの不義理者でもないつもりですよ」

「え?」


 エリー様が目を見開かれるが、割と知られた話だと思う。

 

「昨晩、ようやく想いを遂げられたんじゃないですかね。私の手柄のおかげとなるなら、メル様へはわずかばかりの恩返し、家族へは最後の孝行になりました」


 メルの想い人は、義妹だ。

 そんなことは明白で、実は失恋した後にそっと往生際悪く周囲に聞いてみたのだが、割と「何を今更」的な反応をされたのだ。知らぬは私ばかりだったらしい。

 好きな人には幸せになってもらいたい、そのくらいの優しさは私だって持ち合わせている。近くでその様子を見ている胆力はなかったけど。


「それは……あなた自身も二人の婚約を推し進めたということ?」

「勿論です。本人達も周囲も望んでいましたし、私もメル様になら妹を預けられますから」


 恋い慕っていた男が手に入るのだ。義妹も執拗に嫌っていた私から興味が外れるだろうし、両親も文句はあるまい。

 立て直した侯爵家がバックに追加となればメルの今後も少しは安泰、何より惚れた女がそばにいるのだ。私に口を挟む余地などない。出来るのは、お膳立てを手助けするくらいである。

 何より、私にもメリットはある。前世では好きな男と結婚したが実家との縁が切れず、結果薄命だった。ならば今生では好きな男くらい手放してやろうではないか。

 それでこの、心の悲鳴から逃れられるのなら。


「なら……あなたには、いないの? 好きな人は」


 恋バナというより、重大機密でも話すようなテンションでエリー様に聞かれる。

 気が付けば、同僚は狸寝入りをしていた。優しさのつもりか、下手くそか。

 しかしまあ、こう言われて出てくるのは不思議と今のメルの顔というより記憶を取り戻した直後、幼少期に見た金眼の少年の顔で。

 

「愛している人とか」


 こう言われてしまえば、今の私より十歳ほど年上の咲田きさは旦那の顔を思い浮かべる。

 なんだ、思ったより失恋の傷は浅いじゃないか自分。

 

「いますよ」

「それは、メルじゃないのね」

「ええ」


 笑って頷くと、エリー様は「その話が聞きたいわ」と仰せられた。

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