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【連載】今生も灰かぶり  作者: 春野 今
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第1話

さまざまなお声をいただき連載編。よろしくおねがいします。


 □

 

 恥の多い生涯を送ってきました。


 とは、どんな話の書き出しだったか。

 義務教育と高校を、大して良いとは言えない成績で卒業した私は詳細を語るどころか作者名さえも覚束ないが。

 自分の人生を語るとき、私はこの言葉をお借りしたことがある。

 まあ、まずこの点も恥である。是非、きちんと出典元を読んでから使うべきだったと、恥じ入るのはずっと先のことだが。

 これで聞き手が昭和か平成、いやいや令和か。まあ現代日本に生きていて、文学好きの方なら「あらそれって」とかという話になるのかもしれないが。

 

 残念ながら私がこの台詞を借りたのは現代でも日本でもなかったので、この機会は随分と長いこと失われることになる。


 そして、私が前世と今生含めて自分の半生を詳らかに語ったのは、後にも先にもこの旅だけだ。


 □


「恥?」


 こてん、と大変可愛らしく小さな頭を傾げられた、花の如き可憐な貴人は、鈴を転がしたような声で尋ねられた。

 賛辞がしつこいって? なら、あなたも馬車などという一畳くらいの狭い密室で、数千年だか数万年に一人レベルの美少女と会話してみていただきたい。同じ人間とは思えないし、何かめっちゃいい匂いするから。

 文明は十九世紀か、はたまたそれより前なのか後なのか。

 まあ道を行くのが自動車ではなく馬車で、戦争に使われるのは銃ではなく剣や槍に弓、貴族ともなればシャンデリアの下で舞踏会を催すのが日常的、という世界を想像していただければ間違いはない。

 要するに、現代日本では映画の中でしかご覧になれないような豪奢な馬車の中というシチュエーションで、ビスクドールのようなお顔をしたお嬢さんがビスクドールのようなドレスを着て、目の前にこじんまりと座っているのだ。

 そして当然、口も利くし優雅な仕草で動きもする。

 これが正真正銘、御身分までお姫様となれば、美辞麗句も過剰装飾になろうというもんである。

 前世も今生もきらびやかな世界とはいまいちお近づきになれないまま過ごしてきた私としては、有り体に言えば心臓に悪い。

 あれ、おかしいな。一庶民だった前世はともかく今生は貴族社会の中でも上から数えたほうが早い侯爵家の生まれなのに。

 なお、前世については今は触れないでほしい。私も人に話したことはないし(私なら知り合いがいきなり前世について語りだしたら、変な宗教にハマってないか微に入り細に入り聞いて、休養を勧めるからだ)、これから割と長い間お仕えするであろうお姫様の存在に慣れるために必死なのである。

 いや、待ってほんといい匂いするな。お花? 香水なの? 魔法なの?

 ちなみに、私が今生産まれ落ちたこの世界には魔法が実在していて、人々の生活に大昔から浸透している。不便か便利かと聞かれれば悩むけど。

 

「シエラ?」

「ああ、すみません。これもお恥ずかしい話ですが、女性と話す機会があまりなかったもので」

「おかしなことを言うのね。貴女自身、素敵な女性なのに」

「そう仰るのは殿下だけですよ」


 ころころと笑顔も花ほころぶようなこの御方。

 隣国コミティス王国に嫁がれる、我がウェリタス国は第三王女のエリザベス・マリア・ウェリタス殿下である。

 夜空色したふわふわの長い髪に、透けるんじゃないかってくらいの白い肌、瞬けば風が起きるんじゃない? ってほどふさふさした睫毛に縁取られるのは――王族である証の金瞳だ。

 馬車が揺れ、手を伸ばそうと思わなくても触れ合ってしまう距離で、尊きお方が小鳥のように囀った。


「軍人さんだけど、元はピスティス侯爵家はご令嬢じゃない、貴女」

「今は、殿下の剣であり盾です。家名は国を出るときに捨ててきましたゆえ」

「あら、本当?」


 これはメルが怖いわね、とエリザベス殿下は非常に楽しそうに、いや嬉しそうに? 笑顔を浮かべられた。

 メル、というのは王女殿下と同腹であらせられるメルヴィル・カルロ・ウェリタス殿下のことだ。こちらは王子ということもあって、戦多き祖国の国情のせいで同じ戦地で同じ釜のスープを啜った仲なので、王女殿下と違って私には慣れ親しんだ存在である。

 親しみすぎて、出会って早十余年。人はきっとこの手の関係を幼馴染というのではないか、というポジションに畏れ多くも長年収まっていたが。しかし、その腐れ縁もすでに終わった話だ。

 メルヴィル殿下は今日城で開かれる舞踏会で、私の義妹との婚約を発表される。

 国を出なければ親戚という関係になったのかもしれないが、王女殿下にお話ししたとおり、実家とは絶縁し、もうあの国に帰ることはない私は、王子殿下と二度と会うこともないだろう。きっと、多分。

 とはいえ今瞬間、王女殿下を楽しませられるようなスマートな話し方を模索している私には、王子殿下の愛称が福音に聞こえた。


「メルヴィル殿下には良くしていただきましたから。御恩をお返しできないままで心苦しいばかりです」

「そうなの? メルからは貴女がいかに素晴らしいかという話しか聞いたことないわ」

「それは恐縮です」


 そんな馬鹿な。

 とは、思っても口には出せないし顔にも出せない。不敬である。

 しかし、良好な関係を結んでいたとは言い難い義妹以上に、叱り飛ばし――もとい怒鳴り散らし、時には「免職でも刑罰でも果ては断頭台でも構うものか」と鉄拳制裁さえも辞さなかったメルヴィル殿下との記憶が走馬灯のごとく頭の中をぐるぐる回る。

 良くて幼馴染、悪くて口うるさいお目付け役と思われていた自負があるだけに、口元がひくつきそうだ。

 外面こそ良いが、実態は甘ったれ大魔神だったあいつ……じゃなかった、殿下の性根を叩き直せなかったことだけが祖国に残してきた悔いだが。まあ、そのへんは義妹と臣下の皆様に頑張っていただくとして。


「そうだわ、じゃあメルと貴女が知り合ったところから教えてくれない? メルったら、昔からちっとも貴女に近寄らせてくれなかったから」


 ひらめいた、とばかりに王女殿下がそれはもう愛らしく純白の手袋で包まれた両手を打ってご提案くださったので、私は「そうですね」と鷹揚に頷いた。

 言われてみればメルヴィル殿下と私は、私が四歳、殿下が三歳のときに出会って以降、付かず離れずという間柄なのに、エリザベス殿下は本当に遠巻きでしか見たことがなかった(ちなみにエリザベス殿下は私と同い年で、今年十七歳におなりだ)。

 いや、我ながら王族とじゃれ合うのもどうかとは思うが。

 ありがたい会話の切り口に乗っかるべく、私は記憶を深く遡った。

 

 ■

 

 さて、突然だが。

 寓話「シンデレラ」をご存知だろうか。

 意地悪な継母と義姉達に虐められる心優しくも哀れな少女が、魔法使いの手を借りて王子の婚約者選びが催される武闘会――もとい舞踏会に乗り込んで一発逆転をする物語だ。

 二〇〇〇年台の現代ならば大抵の日本人は聞いたことのある話だが、今生では聞いたことがない。それとなく色んな人に聞いてみたが、似た話は聞いたことがあれど「シンデレラ」という話は知らないそうだ。知っている限りの類話も同様である。

 ちなみに「シンデレラ」に限った話ではない。

 この世界には電化製品がほとんどなく(少なくとも祖国にはなかった)、代わりに魔のつく力を動力とした道具が溢れている。「シンデレラ」がどうこうというより「シンデレラ」の世界観に近い世界に私は生まれた。正直ところどころ不便である。スマホが欲しいと何度思ったことか。前世の私こと咲田きさが二十六年生きた次元と今生は、少なくとも同じ次元じゃないことは確かだ。これは咲田姓をくれた夫の受け売りだけど。あいつはなかなかオタクだった。

 まあ、何が言いたいかと言えば。かつての世界では全世界の少女から羨望の眼差しで見られていた「シンデレラ」の境遇に私はかなり共感できるという話だ(文化とかもね)。

 再婚して再構築された家族と仲良く出来ないと、扶養下にいるうちは辛いよね。超分かる。

 私の家も、大様にしてそんな家だった。前世も今生も。

 こんなところは一緒じゃなくていい。

 そう思うのに、世界は往々にして優しくない。

 

 ■

 

「ねえ、それちょうだい」


 妹のこの一言があると、家族は私の存在を認識する。


「姉なのだから、妹にあげなさい」


 この一言を放ち、私をたしなめるためだ。

 これが今生だけならまだしも、前世もそうだったと思い出したときはなかなかの絶望感だった。

 家族にとっての“娘”は妹だけで、私は“家族”ですらない。

 そしてこの妹と私は、半分しか血が繋がっていないという点も前世と一緒だった。

 私は前前前世で義妹という存在に何かしたのだろうか。だからといって、

 

 「ごめんあそばせ」

 

 の一言で、幼気な義姉を階段から突き落としても良い理由にはならんと思うのだ。今生の義妹よ。

 デジャブに近い感覚でフラッシュバックした記憶は、今生では馴染みのない顔面平たい族日本人らしい顔をした前世の義妹が「やっちまった」という顔で私を見ているところだった。

 落下する直前の嫌な浮遊感。これはリアルタイムと記憶が混同していた。

 前世についてはそこから先の記憶がないので、この転落が死因だったんだろうなと推察している。多分、脳挫傷とかそんな。あのとき後ろにあったのは階段で、踊り場に私と義妹は立っていた。状況的に殺人とは立証しづらいかもしれないが、過失致死くらいには問われていて欲しい。享年二十六歳。やっとこさ父親の扶養から抜け出し、幸いにも結婚して。苦手だった家族から離れて生活することに慣れた頃だった。

 そして、恐怖体験の末に前世を思い出したのは当時六歳、階段ではなくバルコニーから転落した。よく死ななかったもんである。

 これは今生でメルヴィル殿下――いや、メルと出会って二年目の春の話だ。

 エリザベス殿下にお話しするためにもう少し遡ろう。

 

 義妹なる存在以外にも前世との嫌な共通点はいくつもあるのだが、その一つが生母との死別だ。

 今生の母が死んだのは、私の誕生日の少し前だった。そしてメルと会ったのは、四歳になったばかりの春、母の葬儀で訪れた教会の敷地内である。

 貴族用の墓地は、教会と広大な花畑、そして整然と墓標が並ぶ現実味のない美しい場所だった。

 あの頃まだ“ただの”シエラ・ピスティスだった私は、母の葬儀中にぱっと葬列から離れた。

 なお、これは本人だから自信を持って言えるが、これは母を喪った悲しみで飛び出したとかそういう話ではなく、ただ単に葬儀に飽きたからだ。

 母は健常だったときも私に構わなかったし、病に罹った後は子供の声が煩わしいと言って私を寝室には近づけなかった。

 母のことは“屋敷内でたまに見る怖い人”という認識しかなかったので、娘だから泣いて悲しめと言われても難しく。

 当然のごとく、視界の端を飛んでいった蝶に、死んだ母は勝てなかった。

 白い石で出来た墓標の横を走り抜け、青々とした草原を駆けた先には教会が管理する花畑があった。そこへ向かったのだろう。幼児の朧気な記憶なので定かではないが。

 今にして思えば、さすがに乳母にしろ侍女にしろ誰かいたはずでは、と思う。

 だが、記憶の中の私は一人だ。

 あの頃は、母のお抱え使用人がたくさんいたのに。

 生家であるピスティス家は、昔はそれなりに名の知れた侯爵家だったが、先々代から財政が危うくなり、領地を手放し切り売りし、最終的に生母の実家が支援することになった。

 生母の実家は、商会を営んでいた祖父が一代限りの男爵として爵位を与えられた家だった。身分はあれど金がないピスティス家と金はあれども身分に乏しい母の実家は、婚姻という形で綺麗に関係を結んだのだ。

 そのおかげでピスティス家は持ち直したのだが、母の実家はその後の戦争で潰えている。私と母を残して、一族郎党焼け落ちたと聞いた。

 母が死ぬ少し前、父が再婚するずっと前の話だ。

 当時はピスティス家にとって唯一の子供だった私は、それなりに大切にされていたはずなのに。四歳児の私は、一人でふらふら白い蝶を追って湖畔へたどり着いた。

 そこにいたのがメルである。

 

 □

 

「もしかして、ラクス教会?」

「ええ、メルヴィル殿下の乳母殿が眠ってらっしゃると聞きました」

「私の乳母も務めてくれた人なのよ。そう、そんな縁で」


 エリザベス殿下がほう、とまろい頬に指を添えて息を吐かれる。姉弟にとって母親同然だったという乳母殿に想いを馳せられているのだろう。

 薄情な娘だった私と違い、当時のメルもぼろぼろと涙を流していたものだ。親しい人を亡くしたときはこうするんだぞ、というお手本を見ている気分になる。今の私なら。

 

「なら、お母様が亡くなったのは春の一の月?」

「いえ、三の月の終わり頃ですね」

「……思い出したわ。貴女、そんな頃からメルのお尻を叩いてくださってたのね」


 さすがにそうだとも頷きづらく、私は曖昧に笑って返事を濁した。実際にひっぱたいたようなもんだからだ。

 私は当時から今に至るまで、あのときのメルほど涙を流したことはなく。気持ち悪いほど出会い頭のことを覚えているメル曰く「あのとき君は恐ろしくも『そんなに泣いてると、お目々溶けちゃわない?』って聞いてきたんだ」と折に触れては未だに話題に出してくる。これは、幼い新兵の中には軒並み戦地でもそもそ固いパンなんかを齧っているときに泣き出すからだけど。

 泣いてばかりで何も応えないメルに続いて「ねえねえ、泣いたら何か変わるの?」という恐ろしき暴言を吐き、怒って立ち向かってきたメルに足を引っ掛けて転がしたのである。誰かに見られていたら、その場で叩き斬られても文句は言えない所業だ。

 王子だぞ、相手は。確かに鼻水垂らして情けないご尊顔ではあったけど。

 タイミングが悪ければ、後に襲来する義妹によってバルコニーから突き落とされるより先に、臨死体験をしていたかもしれない。

 そして、この幼児の無情な質問をメルは私を引き合いに出しては泣く新兵にぶつけてきた。やつこそ鬼である。

 まあ、こんなことはちょっと言えないので、私は神妙な顔を作った。

 

「乳母殿を亡くされた殿下の悲しみに、実母を亡くした自分が薄情にも共感できず。さらにはまさか王子殿下とも存じ上げず、畏れ多くも無礼を働いたものです」

「何を言ってるの。貴女のおかげでメルは城に戻ってきたんだから、私から勲章を差し上げてもいいくらいだわ。もう少しであの子、お母様に見捨てられるところだったんだから」


 そうだったのか。それは初耳である。

 エリザベス殿下いわく、ご母堂であらせられる王妃様より再三戻ってくるようにと言われても、メルは乳母殿の墓から離れなかったそうだ。無理やり連れ帰ろうとすれば癇癪を起こし、手がつけられずにいたところを、私の何かが事態を好転させたらしい。

 私が覚えているのは妖精じみた美少女っぷりを発揮していた幼少期のメルの顔と、転がしたときのひやっと感くらいだ。メルは昨日のことかのように語るが、あいつは大体の記憶をなくさないので置いておくとして(だんだんメルに対しての敬意がなくなってきた件については目を伏せて欲しい)。一般人程度かそれ以下の記憶力しかない私が当時の状況を推察するに多分、転ばす気はなかったのだと思う。避けたら足を引っ込めそこなったとか。前世の義妹も落ちゆく私を見て、こんな気持ちだったのだろうかもしれない。許さないけど。な、何はともあれ。

 

「まあ、このご縁がきっかけで、王都に戻った後も度々目にかけていただいたのです。姉妹ともども、何度もお茶会にも招いていただきました。自分の魔法の適正をご指摘くださったのもメルヴィス殿下でしたし、側近であるプラム様より推薦を賜ったおかげで士官教育を受けることが出来ました」

「あれは、貴女を体よく近くに縛り付けておく方便だとばかり思っていたけども……だって、志願兵として貴女が王城へ上がったのっていくつ?」

「六歳、ですかね」


 これにはそれなりの事情と私の打算があるのだが、エリザベス殿下は痛ましいものを見る目をされた。

 大丈夫、実はメルのおかげで命が救われた場面も結構あるんです。戦場じゃないけど。私がフォローを入れるより先に、エリザベス殿下が身を乗り出した。


「いくら、魔法適性の認められた人材が徴兵されるからと言って、幼すぎない? もちろん、対外的に年齢制限は設けていなくて、貴女が早期からとても素晴らしい成績を残してきたことは知っているけれども」

「家にいても肩身が狭いばかりでしたから。たまに殿下から声をかけていただく以外は家で腐っていたので、幼くはあれど最良の選択だったと思います」


 これは限りなく真実かつ本心だ。

 バルコニーから落ちて頭を打った私は、特にいらない前世の記憶とやらが蘇った以外の結果として後頭部に大きなたんこぶを作った。

 当然、バルコニー下の芝生に伸びた私を見て、血相変えて医師の手配をしてくれたのは、近くにいた両親ではなく、メルの叫び声に反応したプラム様だ。そうそう、うちが開催するお茶会で、メルとエミリアが初めて会ったときだった。

 結果としては大したことなかったとはいえ、医師が帰ってからは様子を見に来てくれる侍女さえおらず、二十六歳の意識だけが明瞭になってしまった私は思ったものだ。


「あれ、このままここにいたら死ぬんじゃない?」


 集合住宅の一室で、壁を挟んだ隣の部屋には人がいるのにひっそりと死ぬような。というかこれは私個人としては懐かしのネグレクトとかいうやつで、アラートを上げて誰かに救けを求めるか自力で脱出しない限りは――冗談抜きで殺されるのでは。

 ここはどこ? 私は誰? 一体何が。そんな逡巡すっ飛ばして、命の危機を覚えた。肉体年齢五歳の頃の話だ。

 事実、五年分の記憶をじわじわ噛み締めていくと危機感はさらに募った。

 父が義母を後妻として迎えたばかりの家では、婚外子だった義妹を正式に養子としてピスティス家に入れたことで、家の中で私の立場はないに等しかった。亡母の実家はすでになく、亡母は愛こそくれなかったが、自分の面影を私に残していたせいもある。

 元々想い合っていた義母との結婚を阻害していた母と瓜二つの私を、父はなるべく目に入れたがらなかったし、義母に関しては言うまでもなくである。母と同じく男爵家の娘ではあるものの、由緒正しく代々貴族という家で育った義母は、政界でも舞踏会でも成り上がってきた母に並々ならぬ想いを抱いていたらしい。その因縁はデビュタントまで遡るという。げに恐ろしき社交界。

 事故で死んでくれるなら御の字、といった体の両親と、悪気なくバルコニーから義姉を突き落とした義妹。義妹はこれ以降も私が持っていたなけなしのドレスやら亡母から受け継いだ宝石やらを無闇矢鱈に欲しがって身ぐるみを剥ぎ、痛覚の実験でもするかのように私に悪戯を仕掛けてきた。誰か止めろ、あの暴走列車。幼児の悪戯と思って流すな叱れ、と思ったものだが、屋敷に来て半年もしないうちに義母と義妹の序列は私より遥か上に昇っていた。弱者は権力に弱い。

 使用人達も私のことは腫れ物扱い、主人夫婦に好かれたいやつらは私を蔑みさえした。というか、私に優しかった人達はいつの間にかいなくなっていた。

 急募、児童相談所。

 魔法よりも科学よりも、当時の私が急募していたのは子供を救う福祉だったが、意外にも私を救ったのは自分が持っていた魔法の素養だ。社会は厳しい。

 

「メルヴィル殿下が、ご自身が魔力測定検査を受けられる際に誘ってくださったので、こうして適正を認められて軍に入ることが出来ましたが、家人は私を検査に出すとは思いつかなかったでしょうし、私自身だけでは検査の申請も難しかったですから、本当に感謝しているのです」

「ああ、婦女子は検査の義務ないものね」

「検査申請だけはこの数年で簡略化されましたが、これも喜ぶべきことではないですからね」


 国が、というか軍が人を募集するのは何かしらの戦いが起こるときだ。戦争なんて非生産的なことはやめて、福祉とか福祉とか福祉に力を入れて欲しいと思うが、ここ数年はさらに軍事に傾いてきた国政では難しいだろう。

 これから赴くコミティス王国も列強の一国ではあるが、後継者争いで二年近くも内政がごたついていたせいであちこちの国からちょっかいを出されている。不穏さで言えば、我が祖国より上だ。

 エリザベス殿下はスケープゴートよろしく両国の新たな和平合意の証として嫁がれることになり、これを画策したのもメルである。ちなみに姉弟仲は良好なので、これはエリザベス殿下自身が望まれた結果でもあるのだけど。なんとか国を出られないものかとひっそり頭を悩ませていた軍人の私からすれば、渡りに船だった。おっと話がそれた。


「士官教育課程を経てからはメルヴィス殿下の隊に加えていただき、先の大戦を経て今ここにおります。本当に一時期ですが、殿下の上官として軍規を叩き込んだこともあるのですよ」

「軍規を叩き込む、というよりお世話係を任命されたって感じだったけれども」

 

 その様子は、よく眺めていたわ。

 眩しいものを見るように見つめられて、私はたじろいでしまった。確かにサボり癖のあるメルを探しに王城は奥まで立ち入ったことも幾度となくあるが、そんな微笑ましいと思っていましたよという目で見られても。

 

「あんなにいつも一緒だったあなた達が離れて、嫁ぐ私に貴女が付いてくるなんて、やはり不思議なものね。確かに一騎当千と謳われる選り抜きの貴女だから、護衛の人数を最小限まで減らせたわけだけども。でも、内政で手柄を立てたお父君、武勲で名を挙げた貴女のおかげで此度のメルの婚約があったんだから……」

「過分な評価、恐れ入ります。しかし自分には、ドレスを着て踊る才能はありませんから」

 

 私が肩をすくめると、エリザベス殿下はころころと笑みを零された。

 そろそろ、舞踏会の時間である。

 出過ぎたことですが、と私は前置いた。

 

「弟君とは仲睦まじいご姉弟だったと聞き及んでおります。……晴れの舞台をご覧になりたかったのではありませんか?」

「そうね、今日の弟の顔は見たかった気もするけど。私から人目をそらすために開かれた舞踏会と言っても過言ではないし、仕方ないわ」


 まだ情勢は安定したと言い難い。近日中に王女殿下の嫁入りを祝うパレードが影武者を立てて行われるが、本物はまるで逃げ出すがごとくこっそりと国を出ようとしている。

 私には寂しくさえ見える嫁入りだ。

 ただ一つの救いがあるとするなら、望み望まれた相手と結ばれることか。

 

「私はメルのおかげで、これから会いたい人の元へ行くんだもの。むしろ、貴女はどうなの?」


 建前は抜きにしてね、と釘を刺されて寸暇言葉に詰まった。

 余計なこと言わなきゃよかった、と思えども後の祭りだ。

 この流れは言っても不敬、言わずも不敬である。何より、まだ心が悲鳴を上げてしまう。

 でも、私にはドレスを着る才能がなかったから。いや、ソレ以外にも色々足りなくて、余計なものがいっぱいくっついているんだけど。そんなことは言わなくていいので。

 

「見たくても、見られない光景だったと言うべきでしょうか。今こうしてエリザベス殿下と馬車に揺られているほうが心は穏やかですよ」

「なら私は、せめて貴女が良い夢を見られるように祈るわ」


 言い逃れた体の私に、エリザベス殿下の手が優しく触れる。

 馬車は王都から離れ、今日泊まる街に辿り着いたところだった。


 □

 

 宿についたのは夕刻のことだ。

 隊列は少数精鋭の十二名で組まれている。今回編成されたエリザベス殿下の親衛隊からなるメンバーだ。

 ここで休憩を交代制で取り、警護に当たる。私はエリザベス殿下と同室になるので、夜半の警護に備えて早々に仮眠を取ることになっていたが。

 

「お疲れ様……いや、ご愁傷様です」

「酒が飲めないときは寝るのが一番ですよ、何も考えず」

「夜半の交代まで寝てろ」


 馬車から降りるなり部下から代わる代わる肩を叩かれ、隊長には食事もそこそこに部屋へ放り込まれた。

 ちなみに私は副隊長。旧知の仲である隊長はともかく、普段はビビって近寄ろうともしない部下達でさえやたら優しかった。

 なんだ、私が知らんところでエリザベス殿下、改めエリー様は実は大魔神扱いなのかと隊長に伺ったら、割と容赦ないげんこつが飛んできた。解せぬ。

 要領を得ないまま寝台に上り、寝られるかいと思いながらもお休み三秒となるのは軍人の性である。

 そして、みんながどこに気を使ってくれていたのか実は何となくお察ししていた弊害で、優しくて嬉しくて愛しい、残酷な夢を見た。

 馬に揺られず、体力を消費しなかったせいである。きっと。


 □

 

 気がつくと高い木の太い枝に座っていた私は、今晩行われると聞いていた舞踏会を窓から覗いていた。

 なんでどういう舞踏会なのかが分かったって?

 書いてあるんだもん、垂れ幕で。


『メルヴィル殿下の帰還と婚約を祝って』


 こういうときばかりはメルが可哀想だな、と心底思う。罰ゲームに等しい垂れ幕だ。

 王城なんてのは意外とでかい窓が多く、遠目からでもわりと中の様子が見えたりする。これが護衛するとなると「夜催し物をするなら、目立たないように閉め切ってやれ!」とか「窓、バルコニー全てに格子をつけろ、バリアーを張れ!」と怒鳴り散らしたくなるのだが、文字通り蚊帳の外のせいか、不思議なくらい心穏やかだった。

 だって、ダンスホールではみんな楽しそうに踊ってるんだもの。

 いや、知っている。あそこが魔窟なことくらい。真に楽しんでいるのは本当にごく一部の、例えばデビュタントを飾るような初々しい淑女くらいなもんだとは知っているけども。

 夢というフィルターを通して見る舞踏会は、ちょっと涙が溢れるくらい綺麗だった。

 あの綺麗な世界で、私がきっと今生で二番目か三番目くらいに聞きたくない発表がある。

 

 メルヴィル殿下、ご婚約。

 

 これより聞きたくないのは、メルかエリー様の死亡通知くらいだ。

 そもそもメルはともかく、エリー様については彼女より長く生きることは彼女を守ると誓った騎士として許されない。メルがいないと知った世界で生きていける気も、全くしないのだけど。

 メルが義妹と婚約する、という報も充分私を殺しにかかってきている。肉体的に、というより精神的に。

 分不相応な恋心はもう何年も真綿で絞め殺されてきたが、ついに断頭台に昇ることになったのだ。

 ――そう。私はメルのことがずっと好きだった。

 前世とはうまく統合できているとはいえ、精神年齢的には偉い年下の男の子相手に年甲斐もなく。でもね、今生の人生の長い時間を過ごしてきて、悪いやつじゃなくて、たまに救けてもらったりなんかすると身体は若いのでコロッといくのだ。前世の夫よ許せ。お前もまだ愛しているぞ、私の中の咲田きさが。

 あと、婚約発表なんてされる前からずっと失恋してるし。

 メルは何年か前から、我が義妹エミリアのことが好きだ。

 遠征帰りに出迎えたエミリアを見て、ぱっと顔色を変えたメルを見て、私はそっと失恋したのである。

 人が恋に落ちる瞬間など、見るもんではない。このときからの教訓である。

 エミリアはメルよりずっと前からメルのことが好きだったので、今回の婚約はみんなが幸せになる結果だった。

 そう、私以外。

 我が身可愛さに家から飛び出し、血に塗れた私はもはや家族の誰よりも罪深いので、さしもにメルとどうにかなるなんて夢にも思ってはいなかったが、よりによって義妹か。そうか。

 なんという様式美。恐るべき、実家の因果。メルヴィル殿下、貴方もか。

 婚約で断頭台なのだから、結婚、御子誕生なんてことになったら正気を保っていられる自信は全くなく。

 あと、ついでに家族から永遠に離れたい。そんな一心でエリー様にくっついてきた。

 忠誠心はあるので許して欲しい。

 にしても、こんな夢見るなんて我ながら大概女々しいなぁ。なんて思いながら、私は枝の下にぶら下がった足を子供のように揺らしていた。今更気づいたが、なんと裸足だ。

 目線を下ろすと、確実に着たことがない薄い紗の生地が私の身体を覆っていた。マーメイドドレス、というんだっけか。ご令嬢方が着ているようなドレスとはだいぶ違う。前世でハリウッド女優が着てそうなあれ。おっぱいがないとぱかっと外れそうな。今生はおっぱいがそこそこあって何よりだ。見せる相手はいなさそうだが。

 それにしても黒かー。義妹は今日きっと、白いドレスなんだろうな。血のような赤い髪をした私と違い、天使のような金色の美しい髪を持った義妹は淡いドレスがよく似合い、メルと並ぶとそれはよく映える。

 負け惜しみなんかじゃないぞ。悔しくも事実だ。

 遠目から見れば、絵姿のように美しい義妹。

 義妹はどこだろうか。メルの影にちょこんといるのだろうか。

 それより。

 エリー様よりも深い濃紺の髪と、王者の証の金色の目。覇気を宿した目とアンバランス気味な優男風の面差し。鍛えても鍛えてもひょろっとしたままだったあの男はどこだろう。

 

「――エラ?」

 

 聞き馴染みのある声がしたほうへ、反射的に顔が向いた。

 エラは私の愛称だ。この世で呼ぶ人物はたった一人。

 

「メル」

 

 そう、この金色だけだ。

 夢でいいから、最後にもう一度会いたいと思っていたけれども。

 シチュエーションがなかなか鬼畜じゃないか。声かけてくんな。つか、舞踏会はどうした。

 

「どうしてここに……」

「さあ、気がついたらいたから。さっきまで、宿で寝てたはずなんだけど」


 真ん丸に見開かれたメルの瞳は、お月様みたいになっていた。

 呆然としたメルの言葉に、私は無礼極まりなく樹上から返事をする。とはいえ、私もよく分かっていないから答えにはなっていないが。夢なんだからいいだろう。魔法のあるこの世界でも、さすがにこれはありえないことなのだから。瞬間移動が使えたら、あんなに寂しい嫁入りをエリー様はなさらなくてよかった。

 そして私以上にお前がどうした。お前主役だろう。

 普段ならケツをひっぱたいてでも会場に連れ戻すのだが、「まあ夢だから良いか」という免罪符はここでも働いてしまった。


「……そのドレス、よく似合ってる。いつもそういう格好してくればよかったのに」

「軍人のたくましい身体を覆うには繊細すぎると思うけどね」

「そんなことない!」


 司令を飛ばすときでさえ声を張り上げないメルが、ほとんど叫ぶようにして私の言葉を遮った。

 とっさなんだろうかメルの手が私の座っている木の幹にかかって、私もうっかり「寄るな!」と叫んだ。触れられたら、この夢が終わる気がしたからだ。

 夢じゃなくて、これが王城で。誰かに見られていたら打首確定の愚行である。いや、そのときはさすがにメルに恩赦をいただきたいが。家族の前で死ぬなど、まっぴらごめんである。

 私に怒鳴られたメルが立ちすくむ。見慣れた、情けない弟分のメルだ。この男に何度も救われたのだけど、私に叱られると困った子供の顔になる。

 哀れに見えなくもないが(今のは八つ当たりだったし)、今はその手に触れられるのが怖いのだ。もう少しだけ長く、その姿を眺めてさせてほしい。これが見納めなのだから。現実での見納めの場は、あまりにもあっけなさ過ぎたので。

 見つめ……いや、睨み合うことしばし。


「……誰にも許さないって思ってたけど、君を僕から浚っていくんだとしたらエリー姉様だと思ってたよ」


 メルが、奥歯を噛みしめるような表情で吐き溢した。

 おいおい、今日幸せを掴む男だろ? 隣国と和平条約を結び、武力では突出したウェリタスとはいえ、背後には雪国ナダがそびえている。国を盤石にしていく王子がそんな、今にも死にそうな顔、もとい人を殺しそうな顔をするな。

 軽口を叩こうとした私の口は、役立たずにも言い訳じみた短い言葉を発しただけだった。


「別に攫われたわけじゃ……」

「じゃあ、君が僕を見捨てたわけ?」

 

 これは否定できない。

 しかし、敵の集中砲火の下で置いていったわけでもないし、私にとっては怨敵と言っても過言ではない義妹(殺されかけたことと身ぐるみ剥がされたことは割と根に持ち続けている)だが、貴方にとっては愛しの淑女じゃないか。

 いつかは違える道だったのだから、子捨てした親を見るような目で見るんじゃないと思うのだけど、今のメルに対しては失言な気がした。

 

「だからなるべく会わせないようにしてたのに……いくら姉様でも、僕から君を奪うやつは許さない」


 返答に困っていた私の近くで、不穏な低い声が響いた。

 ぎょっとして見ると、瞬きのすきに木を登っていたメルと至近距離で目が合う。

 

「ねえ、エラ。君は何か誤解しているようだけど……」


 いや、うん、分かんないけど。

 夢の中だしと今まで頓着していなかったが、自分が存外薄着なことに気がついて、私は後ずさった。

 怖い、近い、恥ずかしい。いや、眼力強いかよ。そのやる気を何故に普段から出さない。

 嫌になるくらいドラマチックに雲が晴れて、月下にお互いの姿が晒される。

 整いすぎたくらいのメルは良い。問題は私だ。

 筋骨隆々とは言わないが、華奢とも言えない体躯。素面では見せたことのないはずの胸元(無礼講極まる部隊の飲みでは何かしらやらかしている可能性があるので不問にして欲しい)。普段、眠るとき以外は結びっぱなしなのに解けて広がる髪が。やけに恥ずかしくなった。

 やめろ、見んな。


「エラ、僕は――」


 いや、本当無理。

 最後に口の中で小さく男の名前を呼んで、私は落ちた。木から。

 否、ベッドから。

 

「どうした!?」

「いえ、大丈夫です……寝ぼけただけで」


 ドスンゴトッドン、と派手な音を立てた私を心配して部屋に飛び込んできたのは隊長だ。

 すいません、一応淑女の部屋。とは言うも無駄なので、無事を報告する。

 

「大丈夫か? 引っ張り上げてやろうか」


 壁とベッドの間に挟まった私を見て、隊長が気遣わしげに言ってくれる。メルとは正反対のような、筋骨隆々、その姿はオーガかと見まごう我が勇ましき団長は、うちの父と同い年くらいだ。エリー様を目に入れても痛くないほど可愛がり、メルと私を戦場で死なないように鍛え上げてくれたのも此の人である。お察しいただけるかも知れないが、味方には父性溢れるいいおっちゃんだ。結婚してないらしいけど。

 いいおっちゃんでいい上司の隊長に、私は手を伸ばした。


「お願いします……なんかこう、ちょうどすっぽりいっちゃって」

「ひっくり返った甲羅虫みたいになってるぞ、お前」


 隊長の手を掴む。その手は温かい。馬車の中で触れた、エリー様の手と同じように。

 力強い腕に救出された私が礼を言うと、隊長は私の頭を突然がしがしと掻い潜った。くせっ毛をまとめるために三編みにして後頭部で団子にしているのが私の常だが、眠るので団子だけ解いていた。すなわち、ぐしゃぐしゃにされると髪が絡まってとても痛い。


「っ隊長、痛いです」

「この後は国境越えまで、お前はまともに休めないだろうからな。夢見が悪くてももう少し寝ておけ」


 図星を刺され、私は消え入りそうな声で「はい」と頷いた。

 明日の今頃は国境を越え、コミティス王国に入る。

 そしたらもう、感傷に浸っている暇はない。いや、今晩も賊かなんかの襲撃があったら思考の彼方先まで色々飛んでいくんだろうけど。


 優しい人の優しい言葉に頷けるようになったのはメルのおかげで。

 それでも前世なんて思い出したせいでだいぶ可愛げがないだろうと自負している私は「あと、半刻だけお休みをいただきます」なんて宣った。


 終わったことだ、全部。前世のことも、メルのことも。

 そう切り替えるしか、ないのだ。


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