プロローグ 歴史書『リングの神様』より一部抜粋(百二ページ~百五ページ)
有史以来、この世界に現生する四種族間では諍いが絶えなかった。
ヒト族、亜人族、妖精族、魔族。これらの種族は互いを罵り、蔑み、憎み合った。
それぞれの種族がいつ誕生し、どれだけの歴史を刻んだのかは定かではない。この四種族が揃ったのは幾十万、幾百万年前だとも云われている。
その大半を互いに争い、滅せんとしてきたのだ。
犠牲となった者達の数など数えられるはずもない。
争闘の原因なぞとうの昔に忘れ去られた。
しかし退けない。彼らは最早、退くに退けなくなってしまったのだ。
戦いを放棄することは、それ即ちこれまでに犠牲となった尊い自種族の命の、英霊の尊厳を踏みにじる冒涜に他ならないという思いに囚われていたのだ。(中略)
戦況は幾千年も前から泥沼化、意地と惰性で終わることのなかった争いは突然終わりを告げた。
嘗てない偉業を成し遂げたのは、齢十六の異世界から来たという少年だった。
何の変哲もないただのヒト族の少年は魔法を使うことはおろか、一欠片の魔力さえない。知略に長けているわけでも、腕っ節が常軌を逸しているといったこともない極々普通の少年。
そんな彼が何故、前述のような大偉業を達成したのか。
それは彼が……
ボクサーだったからである。
「各種族の代表がボクシングで僕に勝てたらその人達の勝ち。世界をどうにでもすればいい」
ボクシングという言葉は知らなくとも、そう言い放った彼を世界は鼻で笑った。
そして尋ねてみればボクシングとはなんと拳のみで戦う競技だと言うではないか。
身体能力に恵まれた亜人族、智慧に長けた妖精族、魔力量や魔法の技巧に優れた魔人族、そして同族のはずのヒト族さえ彼を嘲った。
だが、蓋を開けてみれば少年の圧勝だった。
体躯と怪力を武器にした亜人族オーク種の男は、芸術にまで昇華されたカウンターに切って落とされた。
膨大な魔力と最上位魔法まで習得しているという魔族上位悪魔種の女は、少年が唯一使用できる絶対の異能とハンドスピードの前に容易く破れ去った。
世界随一の頭脳と豊富な知識を誇る妖精族エルフ種は、少年の圧倒的技巧と経験差に無念を抱く暇さえ与えられずに倒れ伏した。
ヒト族は…………まあ、うん……敵うはずがなかった。
「僕が勝ったから世界は僕のものだね」
各種族を代表する四人の勇者を破った少年は世界の支配者となり…………
初代世界チャンピオンとして歴史に名を刻むこととなったのであった。
これが異世界、サリヴァンにおけるボクシング草創期である。
これより世界は急激にボクシングに傾くこととなる。