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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ほれ

作者: 朝しょく

 近所に越してきた女の子はとても綺麗だったけど、大人たちの「人形のようだ」という例えはあまり理解できなかった。フランス人形や日本人形のような人型のものは人形なのに人間に似ていて、突然動き出しそうで恐ろしいのに恐ろしくない女の子と人形を比べることと、女の子は人間なのに動けない人形に例えるのは変だと思った。

 そんなことを考えていた幼稚園児の春。気づいたら私は女の子の隣にいた。

 女の子は花が咲いたように笑い、褒められれば顔をほのかに赤く染めて可憐に照れた。風に揺れる髪さえも気品に満ち溢れていた。そのうえ人当たりも良く誰からも好かれていて、道を歩けば声をかけられ嫌味なくそれに応えさらに好かれる。そんな彼女のことは私も好きだった。

 彼女は私とよく遊んでくれた。いろんな子たちに遊びに誘われるのに、断って私と遊んでくれた。

「しいちゃんが一番の友達だよ」

 なんて言われた日には舞い上がって、足が地につかないまましばらく夢心地になる。それほど私は彼女が好きだった。決して“彼女と一緒にいる自分”が好きだったわけではない。長く一緒にいれば喧嘩をすることもある。喧嘩をするといつも先に謝って来るのは彼女の方からだった。

 私は彼女が好きだった。好きだったけど、彼女と一緒にいないときに感じる違和感に気づかないほど私は鈍感ではなかった。

 彼女と二人で歩いていれば話しかけて来る人も、私一人だと話しかけてこない。彼女と一緒に遊んでいると仲間に入れてと言ってくる子は、私の仲間になりたいんじゃない。私がいるならあの子もいるだろうと予想して話しかけて来る人もいた。あの子がいないのだと分かると素っ気ない態度を取った。みんな私に見せる顔と彼女に見せる顔が違った。

 でもそんなことどうでもいい。彼女がいてくれるのなら。


 小学三年生の頃、隣町で学校が廃校になったらしく、女子五人、男子三人の計八人が自分の通っている学校に来た。私の通っている学校も、学年があるだけで分けるクラスもないほど人数が少ないので、自然と入ってきた八人中、同じ学年の二人は同じ教室で授業を受けることになる。

 初めは全く関わりはなかったのに、ある日二人のうち一人の持っている消しゴムが、私の好きなキャラクターのもので思わず話しかけた。すると、隣町の学校で流行っていたキャラクターだということを話してくれて、もう一人の子も呼んで三人で語り合った。彼女とは出来ない話が楽しくないわけがなかった。

 初めて友人だと思える人が出来た。

 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花という言葉を具現化したような彼女とずっと一緒にいて、私は無意識のうちに身の程知らずに彼女と対等であろうとしていたのだと、友人と話すうちに気づいた。

 二人と一緒にいると気が楽だった。初めて大人の言う嫌味とは程遠い、他人を尊重した冗談を言われたときは戸惑ったけど、モヤモヤした嫌な気分にもならないうえに楽しくて、自分も軽い冗談を言うようになった。けど彼女には、絶対に言わないようにした。

 学校では彼女と一緒にいることが減った。でも唯一、登下校だけは変わらず彼女と一緒で、理由は友人二人はバス通学だったからだ。

 最近変わったね、一緒にいなくなったね、なんて一言も言わずに彼女は昔と同じように私と話をしてくれた。嫌味を言わないご近所さんに花売りのように愛嬌を振りまき、私はその様子を、早く学校で二人と話をしたいなんて思いながら見ていた。

 学校では友人と三人。登下校は彼女と二人。話しが盛り上がるのはもちろん三人で話しているときだった。

 人間は変わっていく生き物だと私が一番感じていたある日、いつもよりも早く学校に行った。それだけで、私と彼女との繋がりは消えた。きっと彼女も何かを察していたんだろう。だから、彼女を待たずに先に帰っても彼女は私に何も言わなかった。

 劣等感を抱くのは人間として当然だと思うほど容姿端麗で、醜い嫉妬など覚えることすら愚かだとと思うほど品行方正な彼女に対して、最早可愛いだとか綺麗だとかいう感情は消えていた。

 美人は三日で飽きる。なんて言葉すら思い浮かばないまま、私は嫌でも目につく彼女の存在を無視した。

 人間は変わっていく生き物だ。私だけではなく、彼女自身も変わらないといけないと思っていた。


 寒い日の帰り道、いつも通りすぐに教室を出て一番に学校の玄関を出た。白い雪の降る日で、私は早く帰りたい気持ちから自然と早足になっていた。

「しいちゃん」

 私のあだ名を呼んだ彼女は、走って追いかけてきてくれたのだろう息が上がっていた。なのに鳥の囀りのように美しい声をしていた。

「まって、一緒に帰ろう」

 張り付いて離れないような声に、私は耳を塞ぎたくなった。

「……やだよ」

 立ち止まりも振り返りもせず呟いた声は、まるで泥のように地面に落ちた。

「どうして……ねえ、ま……まってよ」

 震える彼女の声に耐え切れず、この汚物に似た卑しい感情をぶちまけてやろうかと振り返ると、彼女の目からは涙が溢れて落ちていた。

「嫌いにならないで、しいちゃんが私にとっての一番なの」

 雪解け水が野原に流れる小川のように、彼女の涙は美しく清らかだった。それに比べて私は、

 私は……

 私は

「あなたといると、惨めな気持ちになる」

「私は一人でいる方が惨めな気持ちになるよ」

「あなたが惨めにならないように、私に惨めになれって言うの?」

「私はしいちゃんのために不幸になれるよ」

 それはあなたが不幸すら芸術のような作品にかえてしまえるからでしょう。友達といれば崇拝されていると、一人でいれば孤高だと言われるからでしょう。

「私はあなたのために不幸にはなれない」

 心臓を刃物で刺されるような気持ちだ。どうしてそんなに上から目線で物が言えるのか、彼女に対して、何様のつもりだと罵られるべき存在に、私は成り果ててしまった。

「だから……」

 宝石のような瞳から溢れる涙を拭いもしないでただ汚い私だけを彼女は見ていた。

「なんにも差別してくれないから……」

 言葉を吐く度漏れる白い息が、細氷のように煌めいて見惚れてしまう。

「そんな、しいちゃんがだいすき」

 彼女に嫌われることがこの世の終わりであると思うほどに私は彼女が好きだった。

「私は嫌いだよ」

 まるであなたのことが嫌いであるかのように言うなんて逃げ道を残した。それを受け入れてただ泣くだけのあなたに何の弁解もせずにいた。あなたがまだ私のことを好きでいてくれているんじゃないかなんて幻想を抱いていた。全部私だった。大嫌いな私だった。

 あなたに殺されることが叶うのなら、何の未練もなく成仏できるだろうなんて、考えて現実から逃げていることも大嫌い。

「もう話しかけないで」

 あなたは変わらないで居てくれたのに。私だけが変わってしまった。あなたは変わらないで待っててくれたのに。私が変わってしまったから。あなたは変わらないで手を差し伸べてくれたのに。私一人で変わってしまったせいであなただけがこの世の全てではなくなってしまった。

 私は世間を知ったのだろうか? それとも世間が見えなくなってしまったのだろうか?

「ごめんなさい」

 彼女が人形であればどれほど良かっただろう。そうすれば彼女の両親は彼女を家から一歩も出さず、常に見られるリビングに置いて、彼女を愛で崇め讃えただろう。それで済んだだろうに、残念ながら彼女は意識がある人間で、体も動かせて、国民の義務である義務教育も受けなければならない。彼女の両親は異常だ。監禁も束縛もせずに彼女を自由にさせているなど。

 それとも私が知らないだけで、GPSのついたストラップか何かを持たせているのだろうか。噂好きのご近所の情報が正しければ、身内からの誘拐が絶えず、それを理由にこんな辺鄙な田舎に引っ越してきたらしい。本当かどうかは知らない。

 私なら彼女を人目につかない地下に隠しておく。けど、彼女に自由になりたいと願われてしまったら、私は彼女をそこにとどめることは出来ないだろう。自由こそが彼女の願うものなら、彼女の両親はこの世で最も正常な人間だ。

 私がこの世の異常なのだ。

 血がヘドロのように見えた。私は川に沈んで悪臭を撒き散らす公害だ。薬品を混ぜて再利用できるだけ、ヘドロの方がマシかもしれない。私にとっての薬品は? 彼女に殺してもらうことか? なんて考え馬鹿らしい。いつまで逃げているのだ。

 私は彼女を傷つけた加害者なのに、彼女は私に傷つけられて謝った。喧嘩をして謝るのはいつも彼女の方だった。昔から変わらない。昔から変わらないということは、今もそうだということだろうか。つまり、今も昔も変わらずに、いつも通り彼女は私に謝ったのだ。いつもの喧嘩のように。今も喧嘩しているのだろうか。

 ごめんなさい。ごめんなさいか。それはこっちの台詞だ。いつも私は謝らない。そこだけは変わらなかった。


 彼女は変わらず私に手を差し伸べ続けて来た。それに比例するように私は彼女を拒絶し続けた。

 下校中に後をつけてくる彼女に気づかないふりをした。彼女からの手紙を読まずに引き出しに詰め込んだ。彼女からの交換ノートを開きもせずに彼女の机に投げ捨てた。話し掛けてくる彼女を無視した。無視し続けた。

 冬が過ぎた春のある朝、学校に行くと待ってましたと言わんばかりにほとんど話したことのない女の子が四人で私を取り囲んだ。

「彼女とどう言う関係なの?」

 彼女とは、言わずもがな彼女のことだ。

「一緒に遊ぼうって言ってもあなたを理由に断られるんだけど」

「なのにあなたは彼女を避けているみたいだし……」

「ねえいったいどう言う関係なの?」

 一人でいても絵になる彼女には声をかけてくれる人がいる。それを彼女は、彼女を拒否する私のように拒否しているらしい。

「ただ向こうが話し掛けてくるだけだよ」

「それにしてはあなたに入れ込んでない?」

「私も不思議」

「あなたもどうして避けるの?」

 彼女は一人ではいられなかった。周りがそれを許さない。それなのに、私を理由に一人になろうとするのは何故だろう。いや、違う。一人になろうとしているのではない。私と二人になろうとしているのだ。

「畏れ多くて」

 彼女に照らされて私の低劣さが露わになってしまうのが嫌で堪らない。避けることも、嘘をつくことも、彼女を嫌うふりをすることも、私が彼女とは違うことを証明してしまっている。

「わたしって最低だね……せっかく話し掛けてくれているのに……あの子も、あなた達みたいな人と友達になればいいのに」

 泥水に浸っているような感覚がずっと抜けないのは、今までの自分が汚れていなかったと思っているからだ。彼女と一緒にいないだけで私はこんなに嫌なやつになってしまった。

「そりゃあ、そんなものだよ」

 近くにいる人から聞こえた声なのか、離れたところにいる人の声なのか、大声で話しているようではないように思えたけど、雑踏の中でその言葉が私に引っかかった。

 私は無意識に自分を許そうとしているのだ。そもそも私は、何に許されたいのだろう。こんな思考に、ハマってしまったのは、いつからだ。

 彼女は私を取り囲んだ女の子たちのグループにいることが増えて、次第に登下校以外は一緒にいるようになった。そしてある日パッタリと手紙もノートも言葉も無くなった。

 学年が変わったけど人数も人間も変わらず。人が少ないので委員会に任意ではなく強制的に入らなければいけなくなって、私は変わらず友人と仲が良くそのまま三人で図書委員会に入った。ただ水曜日に図書室の番をしていれば良いだけ。図書室に来る人間はいつも決まっていたので特に問題も起こらなかった。

 ただ、雨の日になると、彼女は図書室に来た。自主的に来たようには見えなかった。グループの子たちが来たからついて来ただけに見えた。

 初めて見る彼女の表情。私には見せない表情。私はその表情を見て、いつも少しだけ嬉しい気持ちになった。

 彼女はあの子たちといるといつもつまらなさそうな顔をしていた。


 満開だった桜を散らす風が吹くように、花びらを落とす雨が降るように、花はいつか散るものなのだ。

 つまらない表情をする彼女はホタルブクロのように美しい。彼女の口から語られる悪口はひぐらしの声のように切ない。嘘が張り付いた笑顔は昔大人が言っていた通り本物の人形のように整っていた。

 私にとっては何一つ余すところなく全て彼女だった。他人に染まっても彼女は彼女だったのに、周りがそれを許さなかったらしい。

 透明な水で汚れた筆を洗うように彼女は少し汚れてしまったが、私には透き通っていて美しく見えた。

 私から離れて彼女は今不幸なのだろうか。

「しいちゃん」

 水が滴る悲しそうな顔が、儚げで綺麗だった。

 楽しくないことを楽しいふりなんてできなかった彼女は、ものを隠されるようになった。私は、彼女にそんなことが出来る人間がどれほど偉いのかは分からなかったが、馬鹿な人間ほど周りの目を気にせず礼儀を欠くものだ。それには当然私も含まれている。それなのに、彼女は私に話しかけてくる。

 馬鹿な私に無視されて泣きそうな顔がとても愛おしい。彼女の声を、言葉を、受け入れてやりたいがそれ以上にその顔が見たいと思った。

 私も彼女らもきっと彼女に取り憑かれていた。だから呪われたのだ。心が醜く爛れてしまって、もう元には戻れない。

 彼女は席を立つ私を追いかけもしなかった。私の机の前で怒りとも呆れともつかない表情で立つ姿が、もう嘘を貼り付けた人形ではなったことが嬉しかった。

 私のこの感情は歪んでいたのだろうか。今はもう分からないが、彼女の影響力は絶大で、誰もが彼女の儚く美しい顔を見たがった。

 見たかっただけだ。

 一瞬窓に差した影は持ち主を失った装飾品のようだった。地面に落ちる音が、酷くグロテスクで窓の外を見るのを躊躇わせた。

 けれどなんてことはない。地面には綺麗な花畑だけがあった。肉片が混じり飛び散ったただの血なのに、彼女の頭から溢れる血液はまるで赤いバラを撒いたかのように美しく、ただ眠っているように見えるほど死体は生きていた。

 安らかで清らかに見えて、今までで一番佳麗だった。

 綺麗な瞳が見たくて、私は彼女に畏れ多くも近づいて、彼女の名前を呼んでみたら、私となんら変わりない少女の死体がそこにあった。

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