粗挽き
ロシア文学の逢引を思い出しながら書いてみました。
私は友人に頼み特別に森で狩りをすること許可を得た。私は久し振りの狩りという事でボタンが解れていた服を出し、ブーツを丹念に磨かせ、狩りの日を子供の様に楽しみにしていた。
そして当日の朝、森は冷え冷えとして重ね着が意味を成していなかった。それを知ってか知らずか判らないが、森番に小屋へ案内され豚肉のスープをご馳走になった。腹の中から温かい。
そうして快調になった私は猟銃を背負い森のへ進んだ。森の中は美しい白樺たちが迎え入れてくれた。枝や葉は日が差し神秘を覗いた様な気持ちにしてくれる。日で透けた葉脈の美しい事よ。心が躍る。しかし近くで小さな羽虫達がグルグルの球状に飛び回るのが少し鬱陶しく感じた。なぜ彼らはあの様に集まるのだろうか?
羽虫たちを手で払いながら白樺たちを置いて森の奥へと進んだ。進むと白樺だけではなく濃い緑の葉を付けた低木や淡い葉を付けた木々が多くなってきた。いよいよ狩りをしようかと思い肩から銃を下ろし、構えた。そうして手頃な野鳥は居ないかと探すが見つからない。声は聞こえても居所が掴めないので撃つに撃てない。本音を言えば無駄撃ちをしたくないというけち臭い理由であった。
そうして一発も撃たずにぶらぶらとブーツに泥を付けながら歩いていたら微かに人の話し声が聞こえた。私は呼吸を止めてその声に耳を傾けた。声の主はどうやら若者の様であった。私は興味が湧き、そろりそろりとその声に近づいた。 丁度都合よく丈の高い草が群生していたのでそれに身を隠し、姿を見てみた。
一人は男もう一人は女であった。男は背が高く、短い外套を羽織り上が丸い帽子を被っては取り髪を気にするモボの様であった。外套から見える服は少し遅れた流行ものでこの辺りでは珍しい出で立ちであった。しかし服が大きいのか男が慣れていないのか服に着られている様な印象を受けた。また指や腕に過剰に金銀の装飾を付けていたので私はちぐはぐ男と名付けた。
一方の女は如何にもな農家の娘であった。唇はカサカサとしており肌もそこまで綺麗ではなく鼻も少し大きかったが眉は細く、目は潤んで心を惹きつける様であった。また髪も綺麗に纏めておりこの男の為に支度をしたのだろうか。そして頭には白草の冠を被っていた。恐らく自作だろう。彼女は男の足元ばかり見て時折チラリと見ていた。頬がりんご様に赤く今にも泣き出しそうであった。二人は10歩ほど離れて対峙しており、何も喋らずに一、二分過ぎて初めてちぐはぐ男が口を開いた。
「なぁアクリーナよ。」
ちぐはぐ男がだるそうに口を開いた。
「待ったか。」
髪や装飾品を弄り、勿体ぶりながらそう言った。さも仕方なくきた様に装いながら彼女の方をみて問いかけた。
「ん?」
「待ちましたともさ!」
彼女は大きな声で言った。情が入ってるためか芝居がかった様に聞こえた。
「来ないものと思ってました。だってそうでしょう?」
彼女は男に近づきながら言った。目は少し潤んでいる。
「仕方なかろうて仕度にはかかるし、何も暇では無いのだ。」
そう言いながら男は彼女の頬を犬でも可愛がる様に撫でた。
「しかしお前は何故こうなんだアクリーナよ」
そう哀れんだように小さく呟いた。
「うぃ?」
アクリーナは聞き返すが男は無視しぶっきらぼうに声を張り上げた。
「主人と共に首都へと向かうことが決まった。明日、出る。」
「なぜ!?」
アクリーナは明らかに動揺した様子であった。
「仕方がないだろう、従者は主人に付いて回るのが仕事だ。当分あの邸には帰ってこないだろうよ。」そう言いブツブツと小さな声で続けた。「いや主人の口ぶりを見るに宮仕えのようだから帰れるか…」
「イヤです!」
アクリーナは再び目に涙を溜め言った。しかしその様を男は眉間に皺を寄せ言い返した。
「仕方がないだろうよ、ここまで良い身分にしてもらった恩がある、農奴の娘には分からぬか。」
言い放った直後男は“しまった!”といった顔をしていた。
「ヴィクセル・オードック!」声には怒気を秘めアクリーナは頬を赤くし可愛らしく睨みつける。
「アクリーナよこれ、これは何か分かるか?」
胸ポケットから眼鏡を取り出しアクリーナに見せつける。あからさまな話題変更だ
「それは?なんでしょうヴィクセル。」アクリーナはつま先を伸ばしヴィクセルの手元を覗き込んだ。
「おっと、強く触るなよ壊れてしまう、お前は触るな見せてやる。」ヴィクセルは眼鏡を開くと自分に掛けた。
「どうだろう」少し鼻を上げアクリーナに聞いた。
「良いです。役人のようで偉そうですよ。」アクリーナは何とも言えぬ褒め言葉を言い、続けた。
「そろそろ着けたいわ」そう言いながらヴィクセルの眼鏡を取ろうと手をかける。
「触るな、触れたら壊れる。今掛けてやる。それ手をどけろ変に顔を動かすな、主人のものなのだからな。」そう言いながら丁寧にアクリーナに眼鏡を掛けた。
「どうだ、すごいだろう。」そう言うヴィクセルを無視しアクリーナはこのおもちゃに悪戦苦闘していた。首を曲げたり横を向いたりし、少しズレるとヴィクセルは少し怒りながら眼鏡を直した。
「うぃ、ヴィクセルこれはよく見えない」アクリーナは渋い顔をしてヴィクセルに抗議した。
「何、お前の見方が悪い、目をもう少し寄せろ。そうじゃない、だめだそれは折れてしまう。」そう言い遂にアクリーナから眼鏡を取り上げた。
「お前には少し早かったか、全く。」
「何を、よく分からなかった。」アクリーナは膨れっ面をしヴィクセルに文句を言うが特にヴィクセルは気にした様子もない、薄情な男だ。
「アクリーナよ。」チラチラと懐中時計を見ながら言った。するとアクリーナはハッとし、顔をヴィクセルへと近づけた。ヴィクセルはアクリーナの顔を押さえながら唇を近づけ接吻をした。
接吻を終えるとアクリーナは声を震わせ言った。
「もう、もう逢えないかもしれないのでしょうね。」
「そうだな、逢えたとしても遠く先のことだろう。」
「じゃあ一言、一言だけでも…」アクリーナはさらに震わせ言った。
「一言?なんだ、さらばだ。」ヴィクセルは帽子のツバをイジりながら言った。
「違う、そうではなく。たった、たったの一言も、…ヴィクセル・オードック…」
「なんだ、何を言えば良い?お前の求めるものが分からないぞ。」
「ただただ一言でいいのに、どうせ先の暗い事だから、知らぬ農奴と無理やり結婚させられるのだから、ただ一言でいいのに…」
「えいえいクドいぞ、何を言えば良いか言え、言えないか。」イラついたヴィクセルに促され、嗚咽を混じえながらアクリーナは言った。
「ただ、ただ一言。オ、オレも、オ、オレ、オレモ…」言い切れず言葉にならないと泣き始めてしまったアクリーナを一瞥し、ヴィクセルは帰ってしまった。暫くするとアクリーナも泣き止み、ふらふらと歩きどこかへ行ってしまった。
私はもう二人の居ない密会場所に踏み込んでみるとあの白草の冠と摘まれた花束を見つけた。この二つを見てどうしようもない悲しさと心細さに駆られそれらを持ち帰りその日の狩りを終えた。
この白草の冠と花束は今でも私の部屋に飾ってある。
一週間で書きたかった