はじめに
前提として、私は哲学を専門的に勉強したことはない。
哲学者の書いた本は読んだことがある。
その立場から、語りかけようというのである。
そもそも哲学者とは何を指すのか
哲学とは何を指すのか。
何故こんな辞書をひけば書いてあるを聞くのだろう、と思う人もいるかもしれない。
しかし、あなたは辞書に書いてある意味通りに言葉を使っているだろうか。
おそらくそういう人はいない。
言葉の意味というのは、文化や時代、文脈によって変わっていくし、さらには人間個人の経験によってイメージというものがある。
(辞書に書いてあることが正しいのか、という話はまた別の機会に)
学校、と言われて、勉強するところ、友達と会うところ、給食を食べるところ、先生と言い合いをするところ、部活をするところ、楽しいもの、嫌なもの、うちの学校は制服がダサくてさー、など、さまざまに答えるだろう、というところは想像できるだろう。
現代の日本では、学校に行った事のあるひとが多いだろうから、学校、は大体の人の共通の話題に成り得るはずだ。
では哲学、と言われるとどうだろうか。
途端にわからなくなるのではないだろうか。
私が今までに聞いてきた例をあげておく。
「哲学って難しそう」
「哲学って何をするの?」
「哲学ってあれでしょ、ソクラテス!」
「僕はヒュームを研究しているよ」
「我思う故に我ありやっけ?」
数として多いのは、哲学って何するの?役に立つの
難しいんでしょ?という疑問だ。
みんな「哲学」という言葉は知っているのに、学校のようには明確なイメージを持っている人は少ない。
何故か。
哲学にはこれといって定義がなく、ずっと変わらない方法や目的がないからではないだろうか。
え、真理を求めることじゃないの?という人は鋭い。
しかし真理ってなんだろうか。そんなものはあるんだろうか。
この流れをざっくりとでも語るのはなかなか大変だ。私は知識はあるが、それをみんなが最後まで読んでくれるように魅力的にわかりやすく伝える自信はない。
なので今は割愛させてもらう。
私が思うに、哲学というのは、なにかを観察して、なにかを発見して、それに関して問いかける、という進み方をしてきた。
たとえば、
世間を観察する、どうも政治が良くないらしい、今の政治の何がよくないんだろう?と問うところから始まったものもあれば、
数学を観察する、数学は論理的だ、他の分野にも使えないだろうか?と問うこともできる。
ロボットを観察する、ロボットと人の差がなくなってきている気がする、ロボットは心を持つか?
猫を観察する、猫はかわいい、何故猫はかわいいのか?
こんな風にどんなところからも哲学は発生するのである。
では、誰でも哲学者になれるのか?
ほら、今、私の文章を読む(観察)、哲学はどこからでも発生するらしいぞ(発見)、じゃあ誰でも哲学者になれるの?(問いかける)、ってやったでしょ。
これが哲学の一番基礎の部分ではないだろうか。
誰もが哲学者になれるのかはまた次で。