妥協と条件。
一度は同行を許さないと執拗に絡まれる。
さっきの食事の時のように。
さらにここまで追って来てもいる。
やはり考え方を変えるべきで、それならば、妥協をする代わりに、条件を付けてこちらが優位に立ち、向こうをへし折ればいい。
なにか無理を押し付けて、帰らざるを得ない状況を作る。
だとすると判定が曖昧で、言い訳が効きそうな内容は避けないといけない。
特に食事や洗濯などは、本人がしたと言い張れば成立してしまいそうだ。
木の実をちぎって渡し、服を川に投げ込むだけでも及第だ。
本来ならあり得ないが、勢いと人の話を聞かなさで押し切りそうな気しかしない。
家事などではなく。
もっと単純で、分かり易く、成すことではなくて。
「……こうしよう」
「うん。なに?」
「このままここで話が進まないのは、私も本意ではない。だから、あなたの同行を許してもいい」
「本当?! ありがとう!」
「私が歩み寄った代わりに、私からあなたに条件を出したい」
「分かったよ。その条件ってなに?」
「三つのうち、どれかを破った時点で、その場でさようならだ」
「いいよ、やっちゃいけないことだね」
「まずひとつ。私に触れない」
「……危ない時は別だよね? 例えば……穴にはまったとか」
「私はそう簡単に穴に嵌らない。今のところ一番に危ないのが、私を殺しかけたあなただと思っているが、何か間違っているか?」
「……いいえ。ふたつ目を教えて下さい」
「嫌も駄目も言わない」
「う……はい」
「私がやろうとしていることにも、口を出すな」
「わ……かった。分かったよ」
「……本当に分かっているのか?」
「どういうこと?」
「いい年になって、というか、人としてここまで蔑ろにされてのむのか? いいのか、あなたはそれで」
「それが条件でしょ? それでコーニエルと一緒にいられるなら、のむしかない」
「……そうか、では決まりだ」
コーニエルはにっこり笑って、レイルークに握手をしようと手を差し出した。
笑顔に釣られて手を出し、握り返そうとする寸前で気が付いた。
「あ! っぶな! 危ないなぁ! そんなのダ、あぁ!……んでもないよ……引っかからないからね、俺」
コーニエルから小さな舌打ちが出る。
いきなりふたつも条件を破りそうになって、これは本気で気を付けないと、三日と待たず、早速にも家に返されるところだった。
あの置き手紙を泣きながら片付ける羽目になりたくないと、レイルークは気を入れ直す。
地面に尻を落とし、そこまで重くない荷を下ろして、横に置く。
そのまま後ろに倒れて、水色の中を漂っている白色を見ながら、ぎゅっと目を閉じた。
「確認してもいいかな?」
「なんだ」
「条件の期限は、次に誰かと会うまでの間でいいよね」
「期限の心配など必要ないぞ、すぐ帰ることになるからな」
「……次に誰かと会うまででいいよね」
「分かった、構わない」
「あとその……ふたつ目の条件の。会話の流れで、言葉に出すのは大丈夫だよね」
「そうだな、私もそういう揚げ足を取るようなことはしない」
「うん……それから、触れないっていうのは、例えば、立つ時に手を貸す、とかも出来ないってことかなぁ」
「手を借りなくても立てる」
「ものを渡そうとして、手が当たっちゃったとか、うっかり君が穴にはまるとか」
「なんだ、どれだけ私を穴に落としたいんだ」
「何かの拍子にぶつかったとか、君が俺に抱きついたらそれで終わりになる?」
「そうだな。何かのついでに当たったとか、ぶつかることは仕様がない。私からあなたに触れにいくことは無い。手を貸そうとしたり、明確な意思を持ってあなたが触れた場合、としておこうか」
「分かった……あとひとつ」
「まだあるのか」
「……俺のこと名前で呼んで」
「喜ぶと分かっていることをすると思うか?」
「……そうだね。じゃあ、気が向いたらそのうち、っていうことで。考えておいて下さい」
レイルークは目を開いて、さっきと様子が変わっている雲を見た。
重要なのは、コーニエルと一緒にいられることだ。
旅を続けるうちに、いつか、自分の中にある混ざり合わない正反対をどうにかできたら。
今はどうすればいいのかなんて、ひとつも分からないけど。
ここで考えるのをやめたら、いつまでたっても解決なんてしやしない。
やるしかないなら、やるだけだ。
「俺を連れて行くと決めてくれて、ありがとう」
「礼には及ばない。すぐに家に返してやる」
先に立ち上がったコーニエルが、片方だけ口の端を持ち上げて、レイルークを見下ろす。
見上げたコーニエルの髪が空の青や、雲の白に滲んで、ぼんやり光って見えている。
「コーニエルは本当にきれいだね」
「ああ、触れたいだろう。さあ、おいで。抱きしめてやろう」
ふと少しだけ笑った声を漏らしながら、町を離れる方向に歩き出した。
空もコーニエルも眩しくて目を細める。
勢いをつけて起き、そのまま立ち上がる。
荷を背負って、もぞもぞ落ち着かない腰の長剣や、外套の着崩れを直して、レイルークは自分よりも小さな背中を追いかけた。
コーニエルの手の中にある繊細なつながりが、一本の糸から少しずつ形を変えていくのを、レイルークはぼんやりと見惚れていた。
蜘蛛の巣のように規則正しく、蜘蛛の巣よりも細かく複雑に、内側から徐々に大きくなっていく。
何も道具を持っていない手の中で、それは少しだけ宙に浮いていて、十本の指や手の角度で絡まり合って模様を描いていく。
「本当に魔法みたいだね」
ほうとレイルークは息を吐き出して、背中に当たっていた太い木の幹に体重を全て預けた。
「魔法なんてない」
真ん中に火を挟んで向かい側にいるコーニエルは、ちらりと視線を上げると、また手元に落とした。
「それは魔術で、コーニエルは魔女なんだね」
「そうだ」
「本や昔話に出てくる魔女がコーニエルなら、悪者みたいに思わなかったのに」
「勝手に忌まわしい存在にしておいて」
「そうだね、勝手だね」
すでに日は暮れて、頭上の木々の間からは星がひとつふたつ見えている。
持たせてもらったおばあのパンは、コーニエルにとても好評で、レイルークは心の中でおばあを拝み倒した。
食事を終えて、あとは眠れば今日の日は終わる。そんな状況だった。
ただ今日のように人生をまるきり変えてしまった一日を、このまま終わらせてしまうのはもったいない気がして。
これ以上あまり余計なことは考えないように、ただただ目の前の人に見惚れた。
次の町に続く街道から外れて、人目の届かないような森の中に、ふたりは間に火を挟んで向かい合っていた。
風を除けられそうな大きな木と岩に囲まれた、何かの巣のような場所を見つけて、今晩は野宿になった。
レイルークは意義を唱えられる立場ではないし、そもそも反対する気持ちなどちっとも無い。
コーニエルの教えを受けながら、日暮れから野営の準備を始めた。
基本的に行けるところまで行って、その場で休息を取るというやり方で旅をしていると当然のように話す。
手伝いをして気が付いたのが、コーニエルは何かを教えようとする時は、少しだけ口調が変わる。
いつもははっきりと言い切るのに、何かを教えるときだけは、ほんの少しだけ言い方が柔らかくなる。
教えることを嫌がったり、面倒くさがったりしない。
家で薬を作った時もそうだった。
きっとコーニエルに教えた人がとても優しい人だったのだろうと想像した。
また新しい一面を発見できて嬉しいと機嫌を良くしていると、何度も家に帰るようにと勧められた。
どうも顔が気持ち悪いらしいが、それは変えようにもちょっと難しいので、慣れてもらうしかない。
少し冷えてきた気がして、火の中に枯れ枝を投げ込んで、外套に包まろうともぞもぞと手足を中にしまった。
目の前にいるコーニエルは寒さなどひとつも感じていないのか、黙々と手を動かしている。
「コーニエルは生まれた時から魔女なの?」
「逆だ。魔術が使えるから、魔女になる」
「なるものなの? 魔女だから魔術を使うんじゃないの?」
「それも間違いじゃない」
「……じゃあ、例えば俺がもし魔女……じゃないか。魔術師になろうと思ったら、なれるってこと?」
「向き不向きがある。その前に竜殺しは魔術が使えない」
「ええ? なんだ……俺、竜殺しなんかより魔術師の方が良かったのに」
鋭く息をすいこむと、何かを言おうとコーニエルは口を開いて、それでもゆっくりと閉じて、静かに息を吐き出した。
「そんな考え方をするようじゃ、竜殺しでなくても無理だ」
「何か、気に障ることを言った?」
「……ああ、でも知らない者を責めても仕様がない」
「ごめんなさい」
「謝る必要はない。知らないのだから」
「魔術を使うのは大変なんだろうな、っていうのは分かるよ」
「訳の分からないものに見えるだろう。普通に過ごしていても、こんなもの見られはしないからな」
「うん……初めて見たよ」
「きちんと理屈があるんだ。筋道立てて理由がある。それが全て理解できて、魔術になる」
「全部を理解か……じゃあ、それはどんな魔術なの?」
コーニエルはぴたりと動きを止める。
髪の毛よりも少し濃い感じの長い睫毛と、その奥の瞳に映っている光だけが、ちらちらと揺れて動いている。
「これか……そうだな……ああ」
考えていた答えが見つかったように、ふと声を漏らして、コーニエルは口の端の両方をきれいに持ち上げる。
「竜殺し殺し……だな」