本意と不本意。
布で軽くパンを包むと、おばあはレイルークにその包みを放り投げる。
なんとか落とさずに受け取って、食べものを投げるなんて、と顔をしかめておばあを見た。
「ほらほらルーク。ぼんやりしている暇があるのか? 急がないと追い付けなくなるよ」
「え? なん、なに?」
「畑仕事中に、村の囲いの外側を歩いているお嬢さんがいたねぇ。そういえばお前と同じような色のものを着ていたよ。ちょっと違うかね……黒だったかな?」
「おば! どうしてもっと早く言ってくれないんだよ!」
叫びながら、もう足は出入り口の方に向かって走っていた。
扉を開けると奥から行っておいでと大きな声が聞こえてくる。
「行ってきます! またね、おばあ!」
同じ大きさの声で返事をして、レイルークは家の前の石段を飛んで下りた。
ふもとの村からは一本道で次の町に繋がっている。
そこまでなら、村には無いものを手に入れるために何度も行ったことがある。
その町からは道が三つに分かれているから、どうにかその前にコーニエルに追い付かないと、探すことが困難になる。
町を素通りするのだろうか、何かを手に入れるために店に立ち寄るのか。
それとも宿に入るだろうか。
難しく考える割に、レイルークは『こっちにいるような気がする』で行動していた。
町の中で細い路地を見ても、通りに並ぶ店を見ても、そこにコーニエルがいる姿を想像できない。
そんな匂いがしない、といった方が感覚が近い。
町の中心になる広場、そこに続く通りはそれなりに人がいて賑やかだが、ルークはよく見もせずに通り過ぎる。
本当ならば探し回らなくては見付かるはずもないのに、そうしている間にどんどん差が広がっていく気がした。
気分と早まる足に任せて進むと、町の中心から外れた所で、思いの外あっさりと、目的の後ろ姿を見付ける。
「コーニエル!」
一度足をぴたりと止めた後、コーニエルはまた、何も無かった様に歩き出した。
レイルークがその背中まで追い付いて、くるりと前まで回り、コーニエルの顔を見ながら、後ろ向きに歩く。
「良かった! このまま追い付けなかったら大変だなって思ってたんだ」
「何の用だ、竜殺し」
「俺の名前はレイルークだよ」
「知っている」
「じゃあ、名前を呼んでよ」
「何の用か、と聞いたんだ」
「君と一緒に居ると決めて」
「なに?」
「だから、君が行く所へ付いていこうって」
「……放っておいてくれ」
「コーニエルが好きなんだ!」
「……あなたは勘違いしている」
「え?」
「あなたのそれは、執着だ……それを好意に勘違いしている」
「執着って?」
「竜殺しが竜を見て、関わる者を殺したくて」
「関係ない!」
レイルークの勢いに足を止められ、両方の肩に置かれた手に阻まれて、前に進めない。
コーニエルは眉間にしわを寄せ、このどうしようもなく自分を曲げようとしない勝手な男に、人の尊厳を無視する程の魔術を叩き込んでやることにした。
口の中で呪を紡ぎ、外套の中にある手で印を編む。
「関係……なくはないけど、違うんだ。どう説明したらいいのか、思い付かないけど。君を好きな気持ちと、竜殺しなのは別のことなんだ。ごちゃごちゃだけど、混ざり合ってない……っていうか……」
「レイルーク」
今までとは違う感じに聞こえた自分の名前に、何かと少しだけ首を傾げた。
返事をしようと口を開きかけたとき、白くて小さな手のひらが、とん、と胸の上に置かれた。
その手を伝って腕から肩を見て、目線はコーニエルの顔にいく。
「……なに? コーニエル」
コーニエルは盛大に舌打ちをして、周りの人々が振り向くほどの大声で悪態を垂れた。
使うのは人でなしにだけだよと教えてもらい、自分の中では禁忌の部類に入っている魔術を打ち込もうとした。
それが自分の手とレイルークの間でふと解けて、煙のように搔き消えるのをつぶさにこの目で見てしまった。
やはり竜殺しには術は効かないのかと奥歯を噛みしめる。
「ダメだよ、女の子がそんな言葉使っちゃ」
困ったような顔で笑っているレイルークに苛立って仕様がない。
「……へらへらするな、腹立たしい」
「だって。コーニエルが俺の名前を呼んでくれたんだ。それに、きれいな人が汚い言葉を使うなんて」
「それがなんだ」
「なんだか……ごほうびをもらったみたいだ」
「さっさと山に帰れ、変態め」
「いやだよ」
刃を突き立てた腹に下から拳を打ち込んで、痛みに体を折り曲げたレイルークの襟元を掴んで、そのまま町の外れまで引っ張って歩いた。
レイルークはコーニエルにされるがままに、体を低くした状態で付いていく。
町を出て、先にはゆるく波打つ草原と、遠く見えているこんもりとした森しかない所まで来ると、エルは放り投げるように手を離した。
そこに座れと、両手を腰に置く。
ルークがその場で膝を着いて腰を下ろしたのを確認してから、ゆっくりと呼吸をして、静かに話を始めた。
「……私は旅をしている」
「はい」
「やらなくてはいけないことがある」
見下ろしている真剣な顔は、話を聴き逃すまいと姿勢を正して頷いた。
「私になんの得がある。足しになるどころか、邪魔にしかならないのに」
「助けになるよ! 何ができるかは、分からないけど……役に立つよ!」
「人にも会う、竜にも」
「竜にも……」
「その度に私は殺されかけないといけないのか? それとも竜を殺そうとするあなたを、私が殺すのか?」
胸を引き毟られる気がした。
絶対にそんな恐ろしいことはしたくないし、二度とあんな思いを味わいたくない。
有り得ないと言い切りたいのに、絶対に無いとはどうしても言えない。
自分が自分で無くなることを止められると、今言えば嘘になるから、どうしたって言えない。
「私が好きだと言った」
「……うん! だから!」
「だったら私のことを考えてくれ。私の為に、引いて下さい。お願いします」
「やめて、止めてよ。頭を下げないで」
小さくなっているコーニエルが、今にも幻みたいにどこかに消えてしまいそうな気がして、気が付いた時には立ち上がり、正面から抱きしめていた。
何も考えずに取った行動が、エルを傷付けなくて良かったと息を吐いた。
そうだ、こんな事すらどうなるか分からないほど、自分を信用できない。
コーニエルは間違ったことはひとつも言っていない。
竜と会ったらどうなるのか、自分でも分からない。
ここまで真摯にお願いをされて、相手を思いやれない奴だと思われたくない。
大事な人の願いは叶えたい。
それでも。
でも、と大きな声で心が叫んでいる。
このまま離れたくない、一緒にいたい。
その気持ちは何と言われても変わらない。
確実にそれだけは、間違いなく在る。
ここで引いてしまえば、自分が自分で無くなってしまう。
それは死んでいるのと同じことだ。
「コーニエルがそこまで言うなら……」
「分かってくれたか」
「コーニエルが人と会っている間や、竜と会っている間は、俺、遠くに離れておくよ!」
「……うん?」
「旅の間だけでも一緒に居させて。護衛になるよ、疲れたら君を抱えて運んだっていい。食事も作るよ、洗濯も得意だし……」
「ま、て……待て。今までの私の話を聞いていなかったのか」
「聞いたよ。それで、たくさん考えた」
「……勝手なことを言っている自覚はあるのか」
「ある! でも、気持ちは変わらない」
コーニエルが離れろともごもご動いたので解放すると、後ろに数歩ほど下がって、額に手を持っていった。
眉間に寄ったしわの形が跡になってしまわないかと、ルークは心配になる。
「コーニエルも俺の気持ちを考えないで、自分を曲げようとしないから、おあいこだと思うんだ」
「……なんなんだ」
心底疲れた様子で、へなへなとその場に座り込んだコーニエルを見て、ついついかわいいなと思ってしまう。
今までとてもしっかりした人だと思っていたのに、違う一面を発見した気がして、レイルークはにこにこしながら捩れていく。
何とか気を取り直して、コーニエルと目が合うように、レイルークも地面に両方の膝を着けた。
「こうしようよ。次に誰かと会うまでの間に、俺が役に立てるかどうか、みてみてよ。それから、先のことを考えることにしよう」
「……なぜ同行が決定で話が進む」
「だって俺も君も折れないよ。……いつまでもここでこうしてるの?」
「どうして私の旅をあなたが左右する」
「そんなつもりはないよ。でもふたりで行くんだ、きちんと決まりを作ろう? 何が良いかな……食事と洗濯は任せて! あと……」
「だから!」
ここでまた意地を張ったら、折れないふたりの話は平行線のまま、本当にいつまでもここでこうしていることになりそうだ。
コーニエルはレイルークに向けて、片方の手のひらを突き出した。
「……ちょっと待て、考えさせてくれ」
「うん。それが良いね、そうして?」
相手の勢いに飲まれない為に、自分を落ち着けようと、コーニエルはまず、座り方を変えた。
胡座をかいて大きく息を吸って吐き出し、足に肘を突いて両手で顔を覆う。
考え事をする時はいつものようにしないと纏まらない。
まず、いくつか妥協しなくてはならないのかと、不本意に不本意と不本意を不本意ながら重ねて考えた。