ごはんと草むしり。
コーニエルは外套と鞄を半ば乱暴に外した。
側にあった食卓の椅子の背もたれに掛けて、窓の外を見る。
食事の後、日の高いうちにどこまで行けるだろうかと考えた。
用意された食事は、野菜のたくさん入ったスープと、固く焼いた日持ちのしそうなパン、干した魚を柔らかく煮戻したものだった。
家庭の味を食べるのは久しぶりだったので、懐かしい感じがする。
スープはレイルークの言った通り、よく煮込まれて野菜が柔らかく、全部が角の取れた優しい味になっている。
「どう? 美味しい?」
「これはあなたが全部作ったのか」
「そうだよ。時々は失敗するけど、今日のはまあまあ上手に出来てると思うんだよね」
「……おいしい」
「本当? 良かった。まだたくさんあるからいっぱい食べて」
「ずっとひとりか」
「ずっとじゃないよ。時々は両親も帰ってくるし。……この二年は会ってないけど」
「そういう意味じゃない、あなたの親が王都に居るのは分かる」
「え? どうして知ってるの?」
「この国に竜殺しはそうたくさんいない」
しかもそのほとんどは王都を守る為に中央に寄っているのも、当然知っている。
こんな辺境にいる方がおかしい。
「どうして王都に行かないんだ」
「俺? 俺はほら、向いてないから、そういうの。強くなりたいとも思ったこともないし。そういう努力もしたくないよ、根性ないし」
「それで許されるものか」
「そこは両親に感謝だよ。自分たちのようになれとは言わなかった。俺の代わりに王都にも行ってくれる」
「それで自分は竜殺しだと知らなかったのか」
「……その話、まだ納得がいかないけど」
「納得する、しないは関係ない。血は血。思ったところで変えられない」
「コーニエルは俺の血が嫌い? 俺が嫌い? 仲良くしたいのに……」
「それだ」
「どれ?」
「ここに他の女は居ないのか、この下に村があるだろう、恋人は居ないのか」
「い、いないよ、そんな人! 居たらコーニエルにけ、けっこん、とか……」
「うん、なら恋人を作るんだな」
「そんな、パンを焼くみたいに簡単にできるようなもんじゃないでしょ?」
食べやすいように薄く切られている木の実が入ったパンを取り上げて、レイルークはひと口で全部を押し込める。
「息をするように口説き文句を垂れて、瞬きするように恋人を作る者もいるぞ」
「……なに、どうしてそんな人がいるって知ってるの? まさか、コーニエル?」
「私のことはどうでもいい、今はあなたの話をしている。恋人を作れば借りだの何だの気にならなくなる」
「恋人なんて……考えられない」
「王都に行け、きれいな娘は沢山いるし、向こうから寄ってくる」
「俺はコーニエルが良い。君みたいにきれいな女の子を見たことがないよ」
「は。良い調子じゃないか、それを他の娘に言えば喜ばれる」
「コーニエルは嬉しくない?」
「迷惑」
「君を守りたい、大切にしたい」
「それも他の娘に言ってやればいい」
「俺は君じゃないと嫌なんだ!」
「だからその執着は……いい、話が繰り返すだけだ……もうやめよう」
コーニエルは立ち上がり、隣の椅子に掛かっていた鞄を肩にかける。
その様子にレイルークが腰を浮かせた。
「え、も……もう行っちゃうの? まだ途中だよ」
「充分だ。ごちそうさま」
外套を羽織って出入り口に向かうのを追って、食卓を回り後ろを付いて行く。
「待って、これからどこに行くの?」
「何故あなたにそれを言わなくてはいけないんだ」
今まで以上に冷たく言い放たれて、レイルークの足が止まる。
伸ばそうと持ち上げただけ、どこを掴もうとも思ってなかった手は、力なく自分の周りの空気をかき混ぜ、そのまま体の横に垂れ下がる。
「さようなら」
廊下を進み、外に通じている扉を開いて、隙間をすり抜けるようにコーニエルは出て行った。
一度も振り返ることがないまま、細く開いていた扉が閉じるのをレイルークはただ見ていた。
「なん……だよ」
台所に戻り、食卓に座り直す。
自分の目の前、中途半端に減った、食べかけのままの器を見ながら、自分の食器を持ち上げて、残りを口の中に流し込んで食べる。
「なんだよ!」
勢いよくコーニエルの皿の分までも全部を食べ終える。
席を立ち、器を運んで皿を洗った。
食器を全部棚に戻して、同じ場所で、今度は血で汚れたシャツと、腹に巻いていた布を洗う。
がしがしと力任せに洗いながら、なぜこんなにも腹を立てているのか、そんな必要は無いはずなのに、と手を止める。
無理に引き止めたのは自分のわがままだ。
嫌々だったのも気付いていないフリをした。
それに耐え切れなくなって出て行っただけだ。
コーニエルが行ってしまったのは嫌だけど、それで腹を立てるのは違うだろうと、今度はシャツを丁寧に擦って血を落とす。
洗濯物を干して、この何日か放ったままだった畑の様子を見に行った。
またぽこぽこと柔らかい土を持ち上げて草が生えている。
柵の内側にしゃがみ込む。
腹が痛かったが、一度だけそこをぐっと押さえると、後は考えないようにしようと草むしりに集中した。
いつの間にかレイルークはこの三日間のことを考えていた。
生まれて初めて見た竜のこと。
その竜の側にいたコーニエルを、こんなに美しい人は見たことがないと、それも生まれて初めて思った。
自分が消し飛んで、気がついた時には、コーニエルを殺そうと下敷きにしていた。
最初の日はどう謝ろうか悩んで悩んで、とにかく大変な事をしてしまった自分を許してもらおうと、そのことばかりを考えた。
いつ目を覚ましても大丈夫なように食事を用意して、それ以外はずっとコーニエルに貼り付いた。
ひと晩経って二日目、目を覚まさないことが不安で、このままだったらどうしようかと、じっとしていられずに、部屋の中をぐるぐると歩き回った。
ぴくりとも動かないコーニエルの息が止まっていやしないかと、何度も確かめた。
三日目の明け方、うとうとしている最中にコーニエルは目を覚ました。
それがどんなに嬉しくて、どんなにほっとしたことか。
ケガの手当てをしてくれて、大変なことをした自分を、何でもないようにあっさり許すと言った。
竜殺しだと言われたことは、今もまだ納得がいかない。
でも正反対のものが入れ替わり立ち代り自分を支配していたのは間違いない。
得体の知れないおぞましい感情は、知らなかっただけで、全部自分の中にあったものだ。
今までもずっと。
初めて竜を目の前にして『生まれた』のではなく『思い出した』。
コーニエルと話したこと、同じ時間を過ごしている間に感じた気持ちも、今まで知らなかった。
コーニエルのどんな仕草も、どんな言葉も、すぐに全部が喜びに変わる。
今きっと、ものすごい決断をした。
今までの自分ではあり得ないほどの。
隠居したおじいさんだと思っていたけど、どうやらそうじゃないらしい。
一緒にいたい。
コーニエルとずっと、
一緒にいたい。