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最後の竜使い  作者: ヲトオ シゲル
夜の竜と魔女
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夜の竜と魔女。






その翼竜は人の五十人分はあろうかという大きさで、泉の底のような夜の色の鱗で覆われている。

光の加減で白く見えたり、虹のように七色に光っても見えた。

翼を二つに折りたたんで、蹲るような感じで姿勢を低くしている。


その女の子は翼竜の口元を優しく撫でて、なにか楽しそうに話しかける。


竜の方も時々返事をしているようにゆっくりと瞬きをする。



怖い。


それはもう間違いなく、疑う余地も無いほどに。


初めて見る大きな生き物が、想像ではなく目の前で生きて、動いている。

それが怖い。


その生き物が気まぐれを起こしただけで世界なんて簡単に潰れてしまうのに畏れを感じる。


じわじわと脂汗が滲み出ているのが分かる。


体は熱くて堪らないのに、どこもかしこもびっしりと鳥肌が立っている。


腹の中はざわざわ何かが動く様で、肌は火傷をした時みたいにひりひりしている。


自分の体なのに、何ひとつ思い通りに動いている気がしない。

心持ちさえどうすることもできない。


『竜殺しの子か』


聞こえてきた言葉に、びくりと体が動いた。

見付かってしまったと思ったこともそうだが、それが竜の言葉なのだと分かったから。


その言葉は音として耳で聞いているのとは違う感じもしたから。




レイルークは木と草の陰から一歩踏み出て、陽の当たる場所に立った。



藪の中から姿を現したレイルークを見て、少女は表情を硬くした。


“竜殺し”


とてもそうは見えない体付き、覇気も殺気も感じない。


へらりと笑っている人の良さそうな顔が妙に腹立たしい。


外套の中にそっと手を隠して、懐にある短刀の柄を握りしめる。


「……どうも、こ……こんにちは」

「……竜殺し」

「いや、俺は違うから! そんなことできないよ、恐ろしい」

「何か用か」

「え?! と……えーと。君の名前は何ていうの?」

「なに?」

「あ、俺……俺の名前はレイルーク。君は?」

「何を言っているんだ」

『この娘の名はコーニエル』

「ちょっと!」


思わぬ相手から教えてもらった名前、レイルークは忘れないように何度も口の中で繰り返す。


コーニエルが翼竜の大きな顎に手をかけて大声で抗議すると、竜は金色の目をゆっくりと瞬かせる。


少しでも動くと、木と木が擦れ合った甲高い音と重たい音が両方一度に聞こえる。


その度にルークはざわと肌を粟立てて、体を何かに逆撫でられる。


恐ろしくてこの場を逃げ出してしまいたいのに、足はぴくりとも動かない。


『……さあ、愛し児よ、受け取りなさい。言の葉は石の魔女の下に……私は果てで待っているよ』


コーニエルは竜に頷いて返すと両手を差し出した。


竜は体を震わせぎしりと大きな音を立てる。


少しだけ口を開くと、真っ白く尖った歯の間から、何かをゆっくりと吐き出した。


それは空気を歪ませる陽炎に似た丸い塊。

透けて見える向こう側の景色を歪ませると、やがて小さくしぼんで、砂ほどの粒に変わっていく。


粒は青白く光り、さらさらとコーニエルの手の上へ落ち、やがて連なり繋がって、繊細な糸に変わる。


零れ落ちないように丸めた両手の中の糸は、昼間の空気が暗く感じるような光を放っていた。




竜は大きな口元をコーニエルに近付けて、頬を合わせるようにそっと撫でてから、ゆっくりと頭を持ち上げた。


首を上に伸ばして二本の足で立ち上がる。

翼を大きく開いて、数度羽ばたくだけで周りのものを吹き飛ばしそうな風を起こした。


木々を揺らし、木の葉や小石を巻き上げて、強い風の音と一緒に姿を消して居なくなった。


コーニエルは渦巻く風の中で、空高く昇った翼竜を見ている。


レイルークも風から身を庇いながら、釣られて同じように上を見た。



竜は森の上を何度か旋回するとさらに高くに昇っていき、やがて小さな点になって見えなくなった。



コーニエルの手にあった光の糸は、少し浮き上がり形を変えていく。

指を動かし、手の角度が変わると一本の糸は複雑に絡まり合っていく。


ルークはふもとのお婆が作る蜘蛛の巣のような編み物を思い出していた。


「すごいな。それはなに? 何かを作っているの?」

「黙れ」


コーニエルは手の中だけに集中したまま、この場を去ろうとくるりと後ろを向いて歩き出す。二歩、三歩と歩けば、同じようにレイルークも横歩きで付いていった。


「……用は無いぞ」

「それは魔法? 俺、魔法なんて初めて見た。君、コーニエルは魔法使い?」

「魔法なんてこの世には無い。あるのは魔術、それを使うのは魔女」


ルークだって魔法や魔法使いが、お伽話や本に書いてある物語の中だけの存在だと知っている。


それでもコーニエルの手の中にある、青白い光を放つ美しく繊細なそれが、魔術などという忌まわしい物にも、加えてコーニエルが禍々しい魔女にも見えない。


自分が知らないだけで、不思議で美しい魔法が存在したのではないかと思えてしまった。


「じゃあ、それは魔術で、君は魔女なの?」


コーニエルは何を言っているのか分からないといったような顔で少しだけ首を傾げる。


「……じゃなかったら、これは何だ」

「君の声は低いのに透き通っていて、とてもきれいだね」

「何だと?」

「あ? ……じゃなくて! あ、いや! じゃなくてっていうのは、きれいじゃないって意味のじゃなくてじゃなくて! こんなにも綺麗な人が魔女だなんて信じられないなって!」

「……じゃあ魔女じゃない」

「え? ええ?」

「分かったんなら、もう家へ帰れ」


ふいと顔を逸らして歩き始めたコーニエルの後を追って、ルークは慌てて距離を詰めていく。


「近寄るな、竜殺し……気分が悪い」

「だから、俺は竜殺しじゃないって!」


両親はそうであっても、自分は違う。

竜を殺そうと思ったことも無ければ、見たのも今日が初めてだった。


初めて見て、やはり恐ろしいものだと思ったし、話や本だけでは知り得なかったその大きさと、自分の小ささを思い知った。


コーニエルは誤解している。


その誤解をどうにかしたくて、片手を伸ばしたレイルークは、コーニエルの肩を掴もうとしたところで、意識が消し飛ぶように無くなった。






腹の中でざわざわ蠢いているものが、炎だと解った。


それは赤や青や白、揺らめく度に色を変える。


炎は腹の中を焼き切って真っ黒にする。


その真っ黒は血の道に流れ込んで体中を巡り、手足、その指先、髪の毛一本一本、その全てから叫び声を上げていた。


『我らの敵、敵を滅せ』





とんでもない悪夢から目が覚めたような感覚に、胸の中身が喧しく鳴っている。


汗と涙とが一緒になって頬を伝い、顎の先からぽたりぽたりと落ちていた。


ぶるぶる震えている手の先は冷え切っている。


たくさんの空気を取り込もうと、走った後のように忙しなく息が続いていた。


「俺は……なにを」


両膝は地面に突いて、体は前に倒れ、腕は体重を支えようとし、手のひらは細く柔らかいものを握りしめている。


「なにをしてるんだ……」


手を離し、馬乗りになったところから飛び退いた。


地面に横たわっているコーニエルの小さな手。


握られたままになっている短刀が銀色の光を跳ね返している。


細くて白い首には、引っ掻いた爪痕が薄紅に浮き上がっていた。



自分の手の甲にも無数にある爪痕。


裏返して手のひらを見下ろす。





まだそこに残っている、暖かくて柔らかい感触を消したくて、力一杯握りしめる。




引っ張られる感じにシャツを見下ろすと、脇腹の辺りがぐしゃりと血に濡れ、鈍い光を跳ね返している。

怪我をしたのかとも思っても、痛みはひとつも感じないから、すぐに目を離して前を向く。


「コ……コーニエル」


ゆっくり這うように近付いて、上からコーニエルの顔を覗き込む。


少し横に倒れた顔は青白く、薄く開いた口から涎が細い糸を引いて地面に落ちていた。


息をしているかどうか分からなくて顔を近付ける。


呼吸が感じられなくて胸の上に耳を置いた。


自分の胸の音も息も、大き過ぎて、コーニエルの音を聞こうにも、ひとつも分からない。


「……どうしよう……俺は……なんてことを」



コーニエルの体を抱き起こし、膝の裏に腕を入れて持ち上げる。


思ったより軽い体が腕の中で少し跳ねる。


その振動でコーニエルは咳を繰り返して、そのまま小さく呼吸を始めた。



脚から力が抜けて、それでも根性で堪えて、コーニエルを揺らさないように、片足ずつゆっくりと地面に膝を落とした。


「……よか……良かった……いや、よくないけど」


ずっと垂れ流したままだった涙や鼻水を、袖でごしごし擦って拭いた。



膝に乗っているコーニエルの重みが、暖かさが、とても大事なものに思える。


コーニエルの口からこぼれている涎を、震えながらそっと指で拭う。


指先に付いたものに少し血が混じっているのが分かって、寒気がして気が遠くなった。


頭を振って短い深呼吸を繰り返し、気を入れ直す。




さっきは気にならなかった銀の短刀を手に取って、コーニエルの外套の下にあった鞘に戻した。


もう一度膝の裏に腕を差し込んで、ゆっくりと立ち上がる。





泉を離れて森の中へ。


家へ続く通り慣れた細い道を辿っていく。













この世界では魔法や魔法使いは架空の存在、魔術や魔術師は忌むべき存在とされています。


魔法はきらきらと美しく不思議なもの。

魔術はおどろおどろしい不吉なもの。


そのうち本文で出てくる予定ですが、それまでは補足としてここに残しておきます。

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